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2012年01月31日

マルセイユ

1982年3月21日(日)。
なんでマルセイユに来たかったかというと、昔、船で日本から欧州へ行く場合、たいていマルセイユに上陸したので、身近な感じがあったし、デュマの小説「モンテクリスト伯」の舞台だったこともあります。
鴎外は1884年マルセイユに上陸し列車でベルリンへ行ったし、漱石は1900年マルセイユから列車でパリ経由でロンドンへ、島崎藤村は1913年マルセイユからパリへ行きました。
与謝野晶子は往路は1913年シベリア鉄道経由でパリへ行きましたが、復路はマルセイユから船でした。
アインシュタインは1922年、マルセイユから船に乗って日本へ向かいました。
帰りはパレスチナ(現在のイスラエル)に寄ったから、マルセイユ経由かどうかわかりません。トルコへ船で渡り、オリエントエクスプレスだったかもわかりませんし、あるいはジェノバかどこか、イタリア上陸だったかも知れませんね。
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日曜なので市もたっていたし賑やかでした。 ストリートパフォーマンスもやっていましたが、いかついお兄さんが針を頬に刺す芸には驚きました。(本当に刺した?) その人、オーディエンスに強引に投げ銭要求して、若い女の子はとても怖がっていました。 私は後ろの方で見ていたので、金を出さずに逃げるようにその場を離れました。 町が一望できる小高い場所へ移動。
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沖に見える島(手前の小さいほう)にはエドモンダンテス(モンテクリスト伯)が幽閉されていたイフ城と呼ばれる牢獄跡があります。
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昼食をマルセイユですませてから列車でシャモニーへ向かいます。 ニース発マルセイユ・リヨン・ディジョン経由メス行きの列車に乗ります。 リヨンまでは351kmで、3時間13分で疾走します。現在はTVG新線を走るから、もっと速いですが、当時でも日本の在来線よりも速いです。札幌・釧路間はほとんど同じ349kmですが、最速でも3時間46分です。 アヴィニョンからリヨンまでローヌ川沿いに走りますが、ここは原発銀座です。
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シャモニーに着くのは夜遅くになるし、乗り換えのリヨンでの乗り換え時間は短いので、晩ご飯は車内販売か、リヨン駅のキオスクでサンドイッチかと思っていたら、列車に食堂車が連結されていました。時刻表には食堂車の記載がなかったので嬉しかったです。 食堂車に行くと、壁に「本日のメニュー」の張り紙がありました。 フランス語の「メニュー」とは定食(コース)のことです。 フランス語しか書かれてなかったので、どんな料理かわからず注文しましたが、アラカルトだとフランス語を解読してたら日が暮れるし、メニュー(定食)は1種類だけだったので、それを注文しました。 注文後に仏和辞典で解読したら、メインディッシュはウサギのソテーでした。 凄く美味しかったです。 欧州で一番美味しかったものは、これかも知れません。 ちなみに、スペインの料理は全般的に美味しいものの、味付けが雑でしょっぱい傾向がありますが、さすがにフランスはエレガントです。


posted by かもめ |11:03 | 海外旅行 | コメント(5) |

2012年01月30日

カタランタルゴ

1982年3月20日(土)、バルセロナのホテルガウディをチェックアウト。この日はマルセイユまで移動です。
列車の時刻まで時間があるので、港へ行きました。
コロンブスが乗ったサンタマリア号の実物大レプリカです。
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ちなみに、大阪に2倍のレプリカがあります。大阪のは遊覧船として営業しているので実物大では小さくてキャパシティーが足りませんから。 バルセロナ10:02発のカタランタルゴに乗りました。ジュネーブ行きですが、現在はモンペリエまでしか運行してません。モンペリエ以遠はTGVが連絡します。食堂車もなくなったそうです。寂しいものです。 食堂車で記念撮影。
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この車両は見た目はバルセロナ・マドリード間の列車と同じですが、こちらはは車輪幅を変換できる構造になっていて、国境のポルトボウ駅で早歩きくらいのスピードで変換ポイントを通り抜けると自動的に幅が変わる仕組みになっています。 機関車は対応してないので、一旦止まって機関車を後ろに付け替え、半分くらい変換したら再度止まって後ろの機関車を外し、前方にフランスの線路幅の機関車を付けるという算段です。 15:27、アヴィニョンで下車し、パリ発ミラノ行きの列車に乗り換えます。
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機関車はSNCF(フランス国鉄)ですが、客車はイタリア国鉄のです。
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アヴィニョン停車時間は3分しかないのに頑張って写真撮りました。 以前は1等しか連結されないTEEだった名残で、車両にはTEEと書かれていますが、2等車が連結され、IC(インターシティー)となっています。 なお、わずかこの1ヶ月後に、パリ・マルセイユ間はTGVになり、この列車はマルセイユ・ミラノ間の運行になりました。 TGVはあとで何回も乗るし、むしろイタリア国鉄の車両に乗れて良かったです。 アヴィニョン駅近くでローヌ川にかかる橋を渡りますが、アヴィニョンの橋は見えなかったです。 マルセイユには夕方に着き、夕食前に散策。
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この港(旧港)から森鴎外や夏目漱石、島崎藤村らが欧州上陸したし、アインシュタインが日本に行ったときもここから乗船しました。 ところで、バルセロナで印象的だったことがまだあります。 駐車している車が、どれも、ハンドルに大きな大きな盗難防止のカギ爪(ハンドルを回せなくするための)が付いているのです。 車泥棒が多いということなんでしょうけど、驚きました。 それと、スペインではあちらこちら、主要な建物には軽機関銃を肩から下げた警官(軍人?)が目に付いたことが印象的というか、ちょっと怖かったです。 警官が手持ちぶさたに機関銃をかちゃかちゃ音を立てながらちょしている側を通るのは嫌でした。 今でもそうなんだろうか。


posted by かもめ |11:16 | 海外旅行 | コメント(0) |

2012年01月29日

マドリード市内観光とTalgo-PENDULAR

1982年3月19日(金)、欧州6日目、安宿をチェックアウトして午前中はマドリード市内観光をしました。

最初に向かったのは世界的に有名なプラド美術館。
荷物を預かってもらいましたが、館員さんの対応はとてもきびきびしていて、さすがスペインを代表する一流の施設だと感服しました。
30年前のスペインの美術館等は昼休み(シエスタタイム)は閉鎖するところが多く、ピカソ美術館などもそうでしたが(現在は通しでやっているようですが)、さすがにここは通しでやっていました。
ちなみに、スペインでは6年前に公官庁の昼の休業時間は廃止されたそうです。
南欧の慣習も、世界標準に押されるのは時代の流れですね。

プラドに限らず、スペインでは宗教画などが多く、あまり楽しいという気はしなかったけど(印象派とかの方が親しみ持てるのだけど)、勉強だと思ってしっかり見ました。

次にろう人形館へ行きました。ここも人気のスポットです。
札幌オリンピックのアルペン・回転で金メダルをとったスペインのオチョアの人形だけは覚えています。
冬季オリンピックでスペイン人が金メダルをとったのはオチョアが初めてですから。
その後40年たってもそれが唯一の金メダルのようです。銅メダルは彼の妹がとったことがあるようですが。
でも、彼は6年前に56歳の若さでなくなっているのですね。

お昼ご飯は比較的庶民的なレストランで食べました。美味しかったです。ワインが美味しいのに驚くほど安かったのが嬉しかったです。そのワイン、素焼きの壺で出てきたのが印象的でした。

マドリードを14:35発のタルゴでバルセロナへ向かいます。バルセロナ着は約8時間後の22:30。
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2等車はそこそこの乗車率のようですが、1等車は往路と同じくがらがらでした。
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往路と違い、1980年にデビューしたTalgo-PENDULARというタルゴ4代目の振り子式車両で、3代目は約9時間かかるところを、これは約8時間です。 この車両、スペインから国外にも輸出され、バンクーバー・シアトル間などでも使用されています。 ドイツでも夜行列車で使用されていたけど現在は使ってないようです。 もちろん晩ご飯はタルゴの食堂車で楽しくとりました。 バルセロナに夜遅く着きましたが、さすがにこの時間はジプシーもいなく、むしろ夜の方が安全だったのは嬉しいといえば嬉しいけど、ちょっと複雑な心境。 一度泊まったホテルガウディが空いていれば良いと思い、ホテルに行ったら空いててホッとしました。 ジプシーはいないとはいえ、夜遅くに荷物を抱えたままホテルを探しに町を歩きたくないし、疲れてもいるし、このホテルに泊まれてよかったです。


posted by かもめ |09:25 | 海外旅行 | コメント(5) |

2012年01月28日

アランフェスとトレド

マドリードの安宿には連泊しました。 (トイレットペーパーが堅いのは我慢)
それまでは機内泊・ホテル泊・車中泊・ホテル泊という具合でしたから、これで少し落ち着いて過ごせます。

1982年3月18日(木)、マドリード郊外の観光名所に行きました。
まずはマドリードのアトーチャ駅へ。この駅は8年前にアルカイダの爆弾テロで191人が犠牲になっています。
この駅から50分ほどでアランフェスに着きます。ギターの名曲、アランフェス協奏曲で、この地名は有名ですよね。
アランフェス協奏曲を知らないならこちらを。 聞いたことのない人はいないはずです。
平原綾香も歌ってます。
アランフェスには王宮があるのです。世界遺産です。
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駅は王宮を模した建物です。
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アランフェスから30分くらいで古都トレドに着きます。もちろん町全体が世界遺産。
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かつての宮殿、アルカサル。 スペイン内戦のときの銃弾のあとなどがそのまま保存されています
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これほど中世の姿を残した町は、なかなかないと思います。
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posted by かもめ |14:17 | 海外旅行 | コメント(4) |

2012年01月27日

マドリードへ

1982年3月17日(水)、バルセロナからマドリードまで列車で移動します。

バルセロナ中央駅からタルゴに乗ります。
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このタルゴは1964年にデビューした3代目で、バルセロナ・マドリード間は約9時間かかります。 (復路は最新鋭4代目振り子式タルゴで8時間でしたが、後日紹介します) 現在は新幹線で2時間40分なので、全然違いますね。 列車は10:25に出発し、カンプノウにほど近いサンツ駅など、市内駅2つに寄ってから延々とスペインの荒涼とした赤茶けた大地を走ります。
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ドンキホーテが出てきそうな風景。
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食堂車では何を食べたか忘れましたが(定食なのは間違いないのですが)楽しく食事できました。 車窓風景を眺めながら食事するのは良いものです。 ちなみに、食事時間の1時間くらいまえにボーイさんが予約をとりに車内を回ります。 手を挙げて予約カードをもらうだけですから、言葉が通じなくても食事にありつけます。 平均すると1時間に1回くらいのペースで途中駅に停車しますが、そのたびに車内放送が4カ国語であります。 最初はスペイン語で、全然わかりません。2番目はスペイン語に似ているからポルトガル語かも知れません。もしかしてカタラン語? どのみちわかりません。 3番目はフランス語。これも全然わかりません。 最後は英語。これならある程度わかるので感激!! これほど英語が嬉しいなんて、笑ってしまいました。 19:17、マドリードに着き、駅で翌々日のバルセロナ行きの指定券を発行してもらい、駅を出てホテルを探しました。 どこのどんなホテルだったか、あまり覚えてないのですが、安宿で、部屋の鍵をかけるのにコツが必要だったり、トイレの水タンクが高い位置にあって、下から鎖をひっぱるタイプ(昔、漫画などでよく描かれていた伝説のタイプ)だったのだけは覚えています。 あっ、あと、トイレットペーパーが堅かった (笑


posted by かもめ |11:16 | 海外旅行 | コメント(4) |

2012年01月26日

バルセロナへ

前回書き忘れましたが、ミュルーズはベンゲルさんが最初にプロで所属した町です。
ベンゲルさんは同じアルザスのストラスブール出身ですからね。
今度ベンゲルさんに会ったら、ミュルーズに行ったことあると言います。(←会わないって)

さて、バーゼルから夜行列車でバルセロナへ向かいますが、スイスやフランスのレール幅は標準軌の1435mm、スペインは広軌の1668mmなので国境で列車を乗り換えます。
タルゴは車輪幅を変換できるので直通できますが、バーゼルからのは乗り換えが必要です。日本で言えば急行はまなすクラスの列車なので、タルゴみたいな豪華列車ではありません。

早朝の5:56にフランスとの国境の町でスペイン(カタルーニャ)にあるポルトボウ駅へ着き、入国審査を行ったのち、7:10発バルセロナ行きに乗ります。
入国審査があるから接続に時間がかかるのはわかりますが、でも1時間14分は長いと思いましたが、観光シーズンはお客が多くて審査に時間がかかるのでしょうか。
でも、今は同じEU圏だからフリーパスなんでしょうか。
急行はまなすクラスの列車に接続する列車だけに、少々老朽化が見える車両です。
写真は2等車のデッキで撮影しましたが、1等に乗りました。(ユーレールパスは1等に乗れます)
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ホームとデッキにこんなに段差があるのはヨーロッパらしいですが、お年寄りは大変でしょうね。 バルセロナまでは車窓から、ときどき地中海が見える2時間ちょっとの旅で、9:39にバルセロナ中央駅に着きます。
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現在はこの老朽化した駅は使用していません。 さて、ここで問題です。 バルセロナ中央駅にある、この大砲みたいな物体は何でしょうか?
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バルセロナ駅に着いたとたん、さっそく大歓待を受けました。 子連れのジプシーの女性が金をめぐんでもらいに来たのです。 それも強引というか、窃盗のレベルです。だって、私のポケットに手を突っ込んできたんですから。 (そのポケットには財布等は入れてなかったけど) 女性の腕を強くつかんで「このやろー!」と言ったら、相手は観念して退散するかと思ったら、なおもしつこく手を出してくる始末には参りました。 バルセロナで最初の予定は、翌日のマドリード行きのタルゴの指定券を発行してもらうこと。紙に日にちと列車名、乗降の駅等を書いて出したから簡単に発券してもらえました。 次に、荷物をコインロッカーに入れようと思ったら、全て使用禁止に。 どうもバスク地方の分離独立運動やっているテロ集団が爆弾を仕掛けるからみたいですね。 仕方なく荷物を持ったまま市内観光に出かけました。 ホテルを予約して荷物を預けようかと思ったりもしましたが、アーリーチェックインと誤解され、追加料金をとられないか不安だけど安宿で英語は通じないだろうし(フランス語なら結構通じるけど、私はわからないし)、諦めました。 朝食を済ませてから、ピカソ美術館等に行きました。カンプノウへは行きませんでした。 写真はバルセロナ凱旋門。
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ピカソ美術館近くでは、またも歓待を受けました。 旅行鞄を持ったままなので目を付けられました。 ある男性が近づき、ティッシュを差し出したのです。私も友人も、背中にソフトクリームが付いているのです。 私は即座に、拭き取っているすきに荷物を盗む手口だとわかりましたが、友人は、「親切な人」としか思ってないようだったので「泥棒だから荷物から手を離さないように!!」と伝えました。 男性から距離を置き、絶えず男性から視線を離さないようにしながら拭き取りました。 男性には嫌悪の視線を浴びせたし、彼は諦めて退散していきました。 連続して危ない目に遭ったのはがっかりだし、不用心な日本人が多くて、日本人がカモにされるのだと思うと、腹が立つやら悲しいやら。 でも、被害がなくて幸いでした。 泊まったホテルは、ホテルガウディーという、安宿ではありませんでしたが、スペインは物価が安いので(当時は日本の半分弱くらいの物価)、良いホテルでも気軽に泊まることができました。 英語も通じるし、グエル邸というガウディーが設計した建物のそばです。 やっぱり朝のうちに予約して荷物を預けたらよかった。 このホテルのエレベーターは、フロント階と客室階のドアは反対側でしたが、こういうのは初めてで面食らいました。 (「なんでドアが開かないのか」と思いましたよ」) 今では日本でも多くなりましたね。


posted by かもめ |11:24 | 海外旅行 | コメント(4) |

2012年01月23日

スイス観光

まず、チューリヒの写真を追加します。駅前です。
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露天のエスカレーターに驚きました。
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日本では必ず屋根が付いていますが、日本は雨が多いからでしょうか。 フランスやスペインも露天のエスカレーターを多く見かけました。 さて、1982年3月15日。欧州旅行第2日目です。 インターラーケンのホテルに泊まったとなると、スイスをある程度知っている人は「ユングフラウへ行くのだな」と思うことでしょう。 でも、当時はユングフラウという、牛乳を混ぜて冷凍庫へ入れるとアイスクリームになる製品のCMがあり、「ホイップして♪ホイップして♪ユウグフラ~ウ~♪」が有名だったので、なんだかミーハーな気がしたし、きっと日本人が大勢いるだろうし、ユーレールパス(欧州鉄道乗り放題パス)は使えなくて運賃がかなり高いこともあるし、モンブランは行く予定ということもあって、ここは諦めて世界遺産のベルンや鉄道博物館などを見ることにしました。 インターラーケン南駅です。
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ここからベルンまで1時間です。 ベルンの町全体が世界遺産です。
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ベルン大聖堂。
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ベルンでは怪しいおっさんがいました。 スリか、目を離した空きに鞄を盗むとかではないかと用心して、視線を離さないようにしたら、消えて行きました。 スイスはヨーロッパで最も治安の良い国のはずなのに、これではあとで行くフランスやスペインはどうなのか、ちょっと先が思いやられます。 実際、パリとバルセロナではスリや置き引き等になんども狙われました。(全て被害はありませんでしたが) ベルンの次はミュルーズへ行きました。 ミュルーズはバーゼル(中田浩二がプレーした町)の隣町で、フランスになります。 ベルンからバーゼルまでは1時間ちょっと。バーゼルで乗り換え、20分くらいでミュルーズに着きます。 ミュルーズはアルザス地方なので、ドイツ領になったりフランス領になったりした土地(小説「最後の授業」の舞台)ですが、アルザスでも最もスイスよりのミュルーズは、かつては神聖ローマ帝国だったし、その後はジュネーブとともにスイスと同盟関係を結ぶ小国だったり、なにかと複雑なのはヨーロッパらしいですね。 で、ミュルーズでは鉄道博物館へ行きましたが、写真がないので絵はがきです。 20120123-05.jpg 20120123-06.jpg 1927年製、直流1500ボルトの電気機関車です。 ミュルーズにはバーゼル空港があります。 旭川空港が旭川になくて東神楽町にあるし、大阪空港の敷地の多くは兵庫県にあるし、新東京国際空港は千葉県にありますが、国境を越えて空港があるのは凄いですよね。 バーゼルに戻ったのは夕刻で、その晩はホテル代を浮かすためにバルセロナまで夜行列車に乗ります。 バーゼル17:59発で、ジュネーブ、リヨン、アヴィニョンを経由してバルセロナへ行く列車に乗りました。 875km、15時間40分の長丁場です。


posted by かもめ |13:44 | 海外旅行 | コメント(3) |

2012年01月22日

スイス・インターラーケンへ

1982年3月14日の正午頃、飛行機がチューリヒに着き、ここから欧州鉄道の旅が始まります。
チューリヒ空港からスイス国鉄でチューリヒ中央駅へ行きました。(現在は路面電車も空港まで乗り入れしているようです)
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チューリヒ中央駅はヨーロッパに多い、行き止まりの駅です。ドーム屋根もそれらしい雰囲気ですね。
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この日は宿泊地のインターラーケンまでの移動だけなんですが、チューリヒで乗り換えに時間があったので、駅前を散策してみました。 路面電車がとまっていたので乗ってみようと思ったら、ポイントのところで脱線して立ち往生していました。
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この写真ではわからないと思いますが、一番前の車輪が左折のレールに乗り、二番目の車輪が直進のレールに乗ってしまって動けないのです。 仕方なく駅近くをぶらぶらすることにしましたが、とても驚きました。 いくら日曜とはいえ、町が静かなんです。 金融の中心地で、とても賑わっていると思っていたのに、都会の喧噪は全くありません。 日本だとチリ紙交換や街頭放送など、何かとやかましいものですが、本当に静かで感心しました。 日本が異常なんだと思います。選挙の街宣もやめてほしいものです。 チューリヒから40分ほどのルツェルンでインターラーケン行きに乗り換えました。 とてもマイナーな路線で、以前紹介したことのある写真ですが、こんなスイスらしいところを2時間走ります。
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ベルン経由の幹線ルートもあるのですが、あえてスイスを満喫するためにこのルートにしたのです。 途中、ブリエンツにも停車します。 ブリエンツからは大井川鉄道と姉妹提携しているブリエンツ・ロートホルン鉄道がありますが、残念ながら冬場は営業していません。 アブト式のSL保存運転をやっているので、いつか乗ってみたいです。 シーズンオフ(スキーシーズンではあるけど)なので列車はがらがらだし、本当にこの列車がインターラーケンに着くのか不安になりましたが、無事目的地に着き、ホテルもとれ、めでたくヨーロッパ初日は終わりました。


posted by かもめ |16:25 | 海外旅行 | コメント(2) |

2012年01月21日

翼よ! あれが巴里の灯だ

私が海外旅行したのは1981年のサイパン、1982年と1985年のヨーロッパの3回です。
今日から10回くらいに渡って1982年の旅行記を書こうと思います。

1982年3月13日に伊丹発成田・アンカレッジ経由ヒースロウ行きのブリティッシュ・エアウェイズのジャンボ機に友人と2人で乗りました。
なぜか成田からではなく伊丹から乗りました。
当時、欧州路線の多くは北回り、つまりアンカレッジ経由でソ連を避ける北極ルートでした。
今は全てロシア上空を通るから、成田からロンドンまでは12時間くらいで着きますが、北回りだと16時間半、伊丹からだと18時間50分もかかります。

伊丹を晩に出て、成田に寄ってから、日本時間で翌早朝にアンカレッジに寄港しました。アンカレッジ時間は前日の午後の早い時間帯で、なんだか変な気分。
アンカレッジ空港ターミナルを散策して気分転換しました。
ターミナル内だけで入国手続きとかはしなかったものの、私の唯一のアメリカ体験でした。(1981年のサイパンは、まだアメリカの準州になる前なので)

アンカレッジを出ると、大雪原に蛇行した大河が流れるだけで、他に何もない(人工物は皆無)の景色がずっと続きます。
同じ所をぐるぐる飛んでいるのかと思うくらい、1時間以上飛んでも全く景色が変わらず、スケールの大きさに驚愕しました。
やがて日没しました。
外が真っ暗になったと思ったら、なにやら不思議なものが見えてきました。
オーロラです。
オーロラが見えるなんて思ってもなかったのでびっくりしました。
本当に素晴らしいものでした。私が50年以上の人生で、最も素晴らしい景色でした。
こんな素晴らしいものが見れるのに、ほとんど全ての乗客は眠っていました。
機内アナウンスで叩き起こしても良いのではと思いました。

ヒースロウに着いたのは現地時間で早朝。時差ボケというよりは機内泊でちょっと疲れました。
珍しい飛行機が沢山駐機していました。(写真はぶれてます)
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727に似ていますが、これはトライデントです。 これに乗れたらいいと期待したのですが、乗り換えのチューリヒ行きの便は737でした。 乗り換えたチューリヒ行きの飛行機がヒースロウを飛び立つと、まもなくドーバー海峡を渡り、しばらくフランス上空を飛ぶと、大きな町が見えてきました。 もしかして、そうだ!! 翼よ! あれが巴里の灯だ。
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右の長方形の緑はブローニュの森でしょうか。 その下の放射状になっている道路の中心が凱旋門に違いありません。 凱旋門から左下への道がシャンゼリゼ通りで、その突き当たりの緑はコンコルド広場と宮殿。 その左に弧を描いているのがセーヌ川。 こんなにはっきりパリの町が見える遊覧飛行のサービスに感激でした。 (写真は少し霞がかって見えますが、肉眼では良く見えました) 次回はスイスです。


posted by かもめ |09:23 | 海外旅行 | コメント(4) |

2012年01月20日

猫と白鳥

先週、浜頓別へ行ってきました。
この子は人見知りするので、ここでは暗くてストロボを焚いたので目が光ってしまいました。
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クッチャロ湖には現在400羽のコハクチョウがいます。
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30年前の欧州旅行の写真を整理しています。 明日から公開できると思います。


posted by かもめ |13:42 | 動植物 | コメント(2) |

2012年01月18日

シャンゼリゼ通り

こんびにさんが凱旋門から見たシャンゼリゼ通りの写真を紹介してくれましたが、私が行った30年前と全然変わってないので驚きました。
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建物は全然変わってません。もう30年たっても同じなんでしょう。100年後はどうなんでしょうか。高層ビルが建つでしょうか。 さて、フランス語の問題です。 「オー・シャンゼリゼ」の「オー」の意味、知っていますか?  (英語じゃありませんから) 30年前のパリ・リヨン駅です。中身が丸見えのエレベーターに驚きました。2階にはレストランがあります。
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こんびにさんの写真を見ると、改装して少し変わりましたが、全体の雰囲気は同じだと思いました。 ジュネーブからこの列車に乗って、着いたのがリヨン駅だったのです。
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ところで、3月17日はアウェイだろうと思い、J1は関東のクラブが多いから、この日のJAL旭川・羽田便を予約していたのですが、キャンセルしました。(神戸には行きません) せっかくクラスJがとれたのに。(週末の旭川便は売り出しと同時にクラJが売り切れになるので、なかなか取れないのです)


posted by かもめ |12:50 | その他・分類不能 | コメント(5) |

2012年01月14日

黒い恋人

美深の道の駅で見つけました。
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美味しくなかったです。美味しくて人気になっても困るけど。


posted by かもめ |21:17 | その他・分類不能 | コメント(2) |

2012年01月13日

今年は13日金曜日の当たり年

私はクリスチャンではないから嫌ってはいませんが、今日は13日の金曜日。
以前、オオドサが「13日の金曜日が必ず年1回以上出現する事を証明せよ」の問題を出したことがありました。
平均すると1年に1.71回あるわけで、1年に1回か2回あるのが普通です。
で、3回以上ある年があるのかと思いましたが、上記の問題で私が出した回答を12月まで延長すればわかります。
まず、うるう年でない年から。
 xを金曜、x+1を土曜、x+2を日曜(以下省略)とすると、
1月13日がxなら
2月13日はx+3
3月13日はx+3
4月13日はx+6
5月13日はx+1
6月13日はx+4
7月13日はx+6
8月13日はx+2
9月13日はx+5
10月13日はx
11月13日はx+3
12月13日はx+5
従って、2月13日が金曜日なら年に3回あります。(4回以上はなし)

次にうるう年です。
1月13日がxなら
2月13日はx+3
3月13日はx+4
4月13日はx
5月13日はx+2
6月13日はx+5
7月13日はx
8月13日はx+3
9月13日はx+6
10月13日はx+1
11月13日はx+4
12月13日はx+6
従って、1月13日が金曜なら、年に3回あります。(4回以上はなし)
つまり、今年は平均7年に1回しかない13日金曜日が3回ある年です。

posted by かもめ |11:47 | その他・分類不能 | コメント(0) |

2012年01月12日

津軽海峡

飛行機がぜいたくなものだった時代、道外へ出るときや北海道へ戻るときは青函連絡船だったから、私の世代以上の道産子にとって津軽海峡はノスタルジーを感じるものです。

初めて青函連絡船に乗ったのは高校の修学旅行。大学生のときもよく乗りました。(新潟の大学だったので)
連絡船は海峡を横断しますが、今回乗ったフェリーは秋田発苫小牧行きなので縦断です。

強風で舷側のデッキは立入禁止でしたが、後ろの甲板には出れました。
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意外といい天気でした。 オオドサが親子の写真を撮ってあげてました。
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このフェリーで思い出すのは5年前の5月の連休に富山に行った際、行きの苫小牧から新潟まで乗った船内でザスパ戦の速報を見て(ダヴィが先制したけど逆転負け)がっかりしたけど、帰りはベガルタ戦の結果(ソダンのゴールで1-0)を船内で見て喜んだことです。 大間岬
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建設中の大間原発みたいです。建設中止してほしいものです。
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posted by かもめ |12:36 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(4) |

2012年01月11日

東北で食べたもの

旅行は、その土地の美味しいものを食べるのが楽しみです。
でも今回の三陸めぐりは正月だからやってない店も多いだろうし、被災地でもあるし、さらに過密日程ということもあって期待はしていませんでした。
どうせ大晦日に札幌でご馳走を食べるのだし、コンビニで何か買って食べるのでも良いと思ってました。

それでも、1月2日の晩は宮古の国民休暇村に泊まり、ちょっとだけご馳走が食べれるかと思っていたのですが、3日の八戸発のフェリーがとれなく(2等しかなく)、秋田発のフェリーに予定を変えたため、休暇村はキャンセルし、晩遅くに秋田のホテルに着く行程のため、完全にご馳走が食べれない旅だと思っていました。

で、1月2日の昼ご飯ですが、コンビニのサンドイッチを想像していたのですが、大船渡の道の駅のレストランが営業していました。(先日紹介した猫のいる道の駅)
3が日だけ1日20食限定の寿司セットがありました。
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アワビ付きは三陸らしいけど、エビは生でないのか。 新潟も茹でエビが普通だったけど、鳥取の回転寿司は生エビあったなぁ。 そのレストランのTVはアナログでした。
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どうってことない? (笑 3月31日までアナログ放送やるのですね。
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晩ご飯は、できたら盛岡で、わんこ蕎麦を食べたいと思ったのですが、翌朝は早く起きないといけないし、コンビニでも良いと思ったものの、東北道のサービスエリアなら、少しまともなものが食べれるかと思い、花巻近くの紫波サービスエリアに行ったら、レストランが営業していました。 ラー油とブラックペッパーの辛いタレに付けて食べる蕎麦がありました。
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普通の蕎麦が食べたかったのですが、これしかないようでした。 太くて黒い蕎麦にひかれてオーダーしたのですが、茹ですぎだし、辛いタレはやっぱり好きになれません。 でも、レストランで落ち着いて食事できるだけでもありがたいと思いました。 おかげで疲れもとれ、秋田まで1時間半、快適に運転できました。 秋田からの新日本海フェリーのランチバイキング、1200円。
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ラーメンは茹で置き、スパゲティーはアルデンテではないし、食器は樹脂製だし、これで1200円は割高感ありますが、仕方ないですね。カレーは美味しかったけど。 お客は子ども連ればかり。幼児無料だから子ども連れなら割高感ないかも。 でも、大海原を見ながらクラシックで乾杯できるのも良いものです。 船はほとんど揺れず、15分くらい遅れただけで無事苫小牧東港に着きました。 ところで、おみやげにホヤの薫製を買おうと思ったけど、どこにも売ってなくて残念。 大宮駅のキオスクで売っているのですけどね。


posted by かもめ |12:44 | グルメ | コメント(2) |