スポンサーリンク

2012年01月10日

龍泉洞と岩泉線

オオドサも紹介してますが、日本三大鍾乳洞の龍泉洞に28年ぶりに行きました。前回行ったのは三陸鉄道が開業した年でした。
20120110-00.JPG
この鍾乳洞の見所は、鍾乳石ではなく地底湖なんです。 潜水調査をやっていて、ちょうど潜行開始するところでした。
20120110-01.JPG
写真ではよくわかりませんが、綺麗で神秘的な湖です。 洞内の気温はいつも10度くらいだそうで、夏は涼しく、冬は暖かいのですが、たしかに寒くなかったです。
20120110-02.JPG
お土産に龍泉洞ビール、龍泉洞サイダー、龍泉洞の水、龍泉洞の純米酒を買いました。
20120110-06.JPG
ビールと酒は、かなり辛口でした。 龍泉洞近くの岩泉駅はJR岩泉線の終点ですが、一昨年の水害で運休したままです。
20120110-03.JPG
20120110-04.JPG
20120110-05.JPG
このまま廃止になるかも知れません。


posted by かもめ |13:25 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(2) |

2012年01月09日

田老

被災地見学は田老が最後です。
今回、知人を訪ねたのは石巻ですが、それ以外の被災地訪問は単なる見学なので、道路の渋滞等で迷惑かけるのも考えものだし、自粛するべきか悩みましたが、正月で復旧工事等は休みだろうし、むしろ飲食や土産物の購入とかで支援になると思いました。

宮古市の旧田老町は、1984年に行った想い出の地で、そのときお世話になった旅館がどうなっているか、とても気になっていて、被災地で最も行きたかった場所です。

田老は明治三陸津波や昭和三陸津波で甚大な被害が起こった地です。
どんだけひどい被害があったのかはこちらをご覧下さい。
そんな地区なので、標高10メートルの防潮堤を建設しました。
ご自慢の防潮堤は2重に設置し、チリ津波のときは町に全く被害を出さず、海外でも有名になったそうです。
しかし、昭和三陸津波程度を想定したのか、今回の津波は防潮堤を大きく越え、しかも防潮堤自体が倒壊してしまいました。
20120109-00.JPG
二重にある防潮堤の山側の(奥の方)は壊れなかったものの、手前は流されているのがわかりますね。 水門部分を残して流されて消えた防潮堤。
20120109-01.JPG
ちなみに、水門を閉じに来て犠牲になった消防団員もいるそうです。 水門は遠隔操作できないといけませんよね。 それ以外にも、避難を呼びかけて犠牲になった関係者も少なくないそうです。 避難は自主的にするのが鉄則で、見回りに来た人に呼びかけられてからでは遅かったり、見回りに来た人が危険になったりしますから、呼びかけは防災無線等にすべきだし、住民も、きちんと情報収集して自ら行動をしないといけませんね。 今回の反省で、今後は警察・消防等も一旦は避難しようということが各地で話し合われているようです。 防潮堤はあと6~7メートル高かったらよかったのでしょうか。
20120109-02.JPG
この防潮堤があるからと安心して避難せず犠牲になった人もいるそうです。 かえって人的被害を大きくしたのかも知れません。 さて、それで以前泊まった旅館はどうなったか、町の中心部に行ってみたのですが、志津川や陸前高田の中心部と同様、ほとんど更地になっていて、残った建物は小学校と中学校だけで、旅館はあとかたもなくなっていました。 呆然として写真を撮ることも忘れた、というか撮る気にならなかったです。 その旅館の老夫婦や若旦那は無事だったのか心配です。 旅館の食事は、とてもホヤが美味しかったのが印象に強く残っています。 町が復興したら美味しいホヤを食べに行きたいです。


posted by かもめ |08:05 | 東日本大震災 | コメント(2) |

2012年01月08日

大槌町と釜石市

岩手県大槌町役場です。 町長以下数十人の町職員が、ここで犠牲になりました。
20120108-06.JPG
地震直後、対策本部を庁舎内に設置したけど余震がひどく、駐車場に移したら大津波警報が出て、2階に避難したけど津波にのまれたそうです。 海の直ぐそばで、標高が数メートルくらいしかない場所なんですから、迅速に高台に避難してほしかったですね。 そもそも役場がここにあるは危険なんですから、せめて5階建て以上にしてほしかったですね。 この町は住民の1割以上が犠牲になったそうで、他の市町村よりも犠牲者の割合が高いようです。 いつかまた来る大津波では犠牲者を出さないよう、しっかり対策をとってほしいです。 釜石湾です。木がじゃまで見えにくいですが、湾をまたぐ大規模な防波堤がありますが、半分は倒壊してしまいました。
20120108-07.JPG
この防波堤のおかげで、被害をある程度少なくできたそうですが、1200億もかかったので、費用対効果はどうなのか気になるところです。 数百億円かけて修復するそうですが、弱かった構造の原因がわかったそうですから、次に来る大津波では、今回よりも威力を発揮してくれるといいですね。 釜石は津波に対する防災意識が高いそうで、「津波てんでんこ」という言い伝えが浸透しているそうです。 家族が合流してから一緒に避難すると時間がかかって間に合わなくなるから、それぞれがまっしぐらに逃げろということで「てんでんばらばらに避難」という意味だそうです。 市民への教育での3原則は、<1、想定を信じるな>< 2、状況下で最善をつくせ>< 3、率先避難者になれ>だそうです。 今回は「釜石の奇跡」と言われましたが、学校管理下にある児童生徒約3000人は全員無事だったそうです。 最も注目されたのは鵜住居小学校で、児童は一旦学校3階に集まったものの、隣の釜石東中学校の生徒が校庭に駆けだしたのを見て、教師の指示を待たずに自ら校庭へ出て、普段から一緒に避難訓練している中学校の生徒と合流して高台へ避難し、間一髪で難を逃れたのです。


posted by かもめ |16:21 | 東日本大震災 | コメント(2) |

2012年01月08日

三陸の猫

岩手県大船渡市の道の駅さんりくにいました。 大船渡市と合併する前は三陸町だった場所です。 
20120108-00.JPG
猫にえさをやらないで下さいと書いてありました。
20120108-01.JPG
オオドサも紹介してますが、義妹が預かっている猫。
20120108-02.JPG
外の空気を吸わせてみました。
20120108-03.JPG
大阪生まれは寒さに弱い?
20120108-04.JPG
風呂の残り湯が美味い (笑
20120108-05.JPG


posted by かもめ |09:30 | 動植物 | コメント(0) |

2012年01月07日

陸前高田

陸前高田市は千昌夫の出身地なので、町の規模(2万3千人)の割には少し知名度があるような気もしてましたが(最近の若い人は千昌夫を知らない人が多いでしょうけど)、震災で大きく報道されて有名になりましたね。

ここが陸前高田市の中心部とは信じられません。志津川も衝撃的でしたが、もっとひどいありさまに絶句しました。
中心部から南東方向です。
20120107-00.JPG
北東方向。
20120107-01.JPG
西方向。500メートル先に駅があったはずですが見えません。
20120107-02.JPG
奥の白い建物は県立高田病院だと思います。 最上階の4階まで浸水しましたが、大半の人は屋上に避難して救助されましたが、入院患者51人中12人とスタッフ82人中8人が犠牲になったそうです。 病院は別の場所の仮設で診療しているそうです。 南方向。 唯一の高層建築物と言われる(正しくは中層かな)、千昌夫が建てたキャピトルホテルです。 休業中です。
20120107-03.JPG
3階の天井まで水に浸かったそうです。 陸前高田市役所。3階まで浸水し、屋上にいた約100人はヘリで救助されました。 市役所は現在1km内陸の仮庁舎を使っています。
20120107-06.JPG
オオドサも紹介してますが、市役所向かいにある市民会館です。
20120107-04.JPG
正面玄関から。
20120107-05.JPG
ここは避難所になっているのに3階の天井近くまで浸水し、多くの犠牲者がでました。 陸前高田市の中心部には13カ所の避難所があり、そのうち8カ所が浸水したそうです。 4月14日の道新ですが、標高の低い場所にある建物を避難所にして犠牲者がでたことに触れています。
20120107-07.JPG
高田高校には約250人の生徒が残っていたけど、すぐに裏の高台にあるグラウンドに避難して無事だったが、水泳部の9人は市民プールにいて、職員に車で避難所の市民会館まで送ってくれたとのこと。しかし津波がきて7名が犠牲になったそうです。遺族の親は「市民会館よりも近い高校に送ってくれれば」。 同様に、ある中学校の野球部員8人はプール近くの商業施設の係員に誘導されて市民会館から400メートル離れた体育館に向かったものの、全員が犠牲になったそうです。 その商業施設にいた地元の76歳の男性は自分で決めていた高台に避難して無事で、「あんな低い場所は危ないと思っていた」と、市民会館や体育館が避難所になっていることに普段から疑問だったとか。 このたびの震災で、しばしば「想定外」との言葉が使われましたが、想定が甘かったということです。 指定された場所に避難して津波の犠牲になるなんて、1000年に1回クラスのなら仕方ないかも知れませんが、100年に1回クラスでは残念でなりません。 明治三陸津波や昭和三陸津波を基準に想定すべきなのに、チリ地震の津波を想定することが多かったようです。福島第一は完全にそうですよね。


posted by かもめ |10:55 | 東日本大震災 | コメント(6) |

2012年01月06日

南三陸町再訪

オオドサと重複する写真もありますが(普段は重複しないよう気を付けていますが)、記録として残しておきたいのでご容赦願います。

南三陸町の戸倉という集落(旧戸倉村)ですが、志津川と同じ湾に面しているため、ここも壊滅的被害を受け、地盤沈下して、まだ水が引いてません。野鳥の楽園になっているのは皮肉な感じもして、余計悲しいですね。
20120106-00.JPG
このあたりにあったはずの戸倉小学校は全壊し、廃校になった登米市の校舎を借りて授業をやっているそうですが、一番遠い児童はスクールバスで1時間もかかるそうです。 戸倉小学校の体育館は震災10日前に完成したばかりでした。 戸倉駅付近の線路(JR気仙沼線)はこんな様子。
20120106-01.JPG
トンネルの先は線路の路盤のほとんどが流されています。
20120106-03.JPG
志津川の松原公園で保存していたSL。
20120106-04.JPG
20120106-05.JPG
この公園で遊んだ子どもの想い出のSLだと思いますが、スクラップにされるのでしょうか。 公立志津川病院の仮設診療所です。イスラエル軍が医療活動をやっていたプレハブです。
20120106-06.JPG
入院患者は登米市の病院施設を借りて収容しています。 南三陸町は志津川町と歌津町が合併した町ですが、歌津の中心部も壊滅的被害で、国道45号の橋桁はほとんとが流されています。
20120106-07.JPG
ここが歌津で一番の繁華街だった場所で、橋は45号バイパス。手前の道路は旧45号だと思います。 9月に見学した臨床心理士がやっているカフェ(集会所としても機能)は、冬は寒くないようにしてオープンしていました。
20120106-08.JPG


posted by かもめ |12:10 | 東日本大震災 | コメント(0) |

2012年01月05日

石巻再訪

昨年9月に仙台在住で石巻出身の知人に石巻を案内していただいたんですが、今度はオオドサの友人が石巻にいるということで、また石巻に行きました。
石巻は人口16万人で、三陸沿岸で最も大きな町です。
石ノ森章太郎は石巻近郊出身で、記念館などが石巻市内にあります。
20120105-00.JPG
石ノ森萬画館は今年の夏には復旧するそうです。
20120105-01.JPG
港に近い萬画館付近は、まだ壊れたままの建物が目に付きます。
20120105-02.JPG
猫の島として有名な田代島へ行くフェリーは、岸壁が破壊されて、しばらく別な港から出ていましたが、元の場所に戻りました。
20120105-03.JPG
もっと海岸近くに行くと被害はひどくなります。
20120105-04.JPG
コンビニだった建物です。後方は住宅密集地だった場所です。 志津川や陸前高田の中心部では木造の家は全部破壊されてしまったものの、ここはリアス式でないせいか、少しは木造住宅が残っています。 今後、ここはどうなるのでしょうか。 反対側は9月にも紹介した、火災にあった門脇小学校です。
20120105-05.JPG
日和幼稚園のバスが津波にあって5名の園児が犠牲になったのは、この学校のすぐそばだったそうです。
20120105-06.JPG
後ろの高台に幼稚園があり、幼稚園は無事だったのです。 5名の園児は津波で溺れて亡くなったのかと思ったら、10時間後の火災で亡くなったようです。 助かったバスの運転手は幼稚園にバスの位置を知らせたのに、どうして園は助けに行かなかったのかなど批判されているので気になっています。詳しい真相を知りたいです。 泊まった石巻グランドホテルは駅の近くの少し内陸なので津波の被害はメインストリート(オオドサが紹介した友人宅のあたり)よりも少なく、1Fフロアが40cm浸水したそうです。 それでも営業再開まで5ヶ月近くかかったそうです。 現在でも一部のレストランは閉鎖したままです。 営業再開記念価格のツイン2食付き11,600円でした。 最初は一人の価格かと思ったら、2名分の価格で驚きましたが、食事は質素なので赤字ということはなさそうでホッとしました。 夕食はキンキの煮付け。
20120105-07.JPG
朝食も東横インに負けず劣らずの質素なものでしたが、それでよかったと思いました。


posted by かもめ |14:01 | 東日本大震災 | コメント(2) |

2012年01月04日

車庫証明

譲り受けた車の名義変更をしないといけませんが、自分でやるのは面倒かなと思ったのですが、ネットで検索すると、直ぐに方法を解説しているサイトがヒットするし、自分でやることも考えました。

まずは車庫証明を取ります。
普通、車を購入すると、ディーラーには1万円以上の車庫証明費用を払うので、車庫証明は何千円(1万円近く?)するのかと思ったら、2750円だということがわかりました。
ディーラーの代行手数料が高いのですね。ぼったくりかという気もするくらい、ばかばかしいので、自分で手続きすることに決定しました。

解説サイトを見ると、一度警察署に行って車庫証明申請用紙をもらい、自宅で記入してもう一度警察署に行くとなっていました。
今日、警察署に行くのに、念のため警察署の住所を確認しようと思って旭川中央警察署のサイトを見たら、各種申請書ダウンロードのページがあり、これをプリントしたら1回の訪庁で済むかと思い、プリントして記入して持って行きました。
添付する地図も、今はグーグルマップをプリントすれば良いから楽です。(見取り図だけは作図しました)
おかげで1発で終わりました。 ただ、当初のホームページアクセスの目的である警察署の住所確認を忘れて、勘違いして中央警察署ではなく東警察署へ行ってしまいました (笑
両警察署は2kmしか離れてないからたいした間違いではありませんが。


ところで、岩手県の龍泉洞で売っていました。
20120104-08.JPG
デザインが千葉の恋人とそっくりなので、同じ会社が作っているのでしょう。 千葉・岩手以外にもありそうだと思って調べたら、かなりありますね。 追記です。 オオドサが紹介したSLの震災前の様子はこちらで良く見れます。


posted by かもめ |15:04 | その他・分類不能 | コメント(4) |

2012年01月04日

元旦は東京へ

義妹の車を譲り受けるために東京へ行きました。
JALで行きたかったけど年末年始は普通運賃(35,770円)しかなくて他社便にしました。(それだけが理由ではないのですが、詳しくは後述しましす)
一番安いのはスカイマークですが、それよりちょっと高いだけで道民航空会社があるのでそちらにしました。
20120104-00.JPG
後方はめったに見れらないベガルタ色の全日空機。 ADOにしたのは、こんな良い席があることも理由です。緊急時は真っ先に脱出できるからではありません。席が広いからです。。
20120104-01.JPG
席が広いからというのは、乗り心地が良いというメリットもありますけど、私は化学物質過敏症で、前の座席に整髪料等のきつい人がいると具合悪くなってしまうからです。従って、こういう席がとれないときは前方がギャレー(スクリーン)等で、すぐ前に座席のない席にします。 同様に、隣の席に香水がきつい人やタバコの臭いのする人が座られても困るので、2人で乗るときは、この飛行機のような2人掛けの座席のある機種にします。それでADOに乗ることも少なくないのです。 1人のときは苦労しますが、この機種だと1人掛けのがあるし、あるいはJALのクラスJにしたりします。 羽田から京急。一番後方に座りました。
20120104-02.JPG
蒲田駅付近の改良(複線化と高架化)は、かなり進捗しましたが、品川駅付近の急カーブは改善されないのでしょうか。
20120104-04.JPG
ここで一時停止したので沢山のJR車両が見れました。成田エクスプレスです。
20120104-05.JPG
品川から新宿まで山手線に乗り換えたらFC東京のマフラーをした人が乗ってました。 一瞬、「試合のない日もグッズを身に付ける感心なサポ」と思ったのですが、天皇杯があったことを思い出しました。当然、その人は代々木で降り(乗り換え)ました。 新宿から中央線で荻窪まで乗りました。
20120104-06.JPG
荻窪で車をひきとり、一路北海道へ目指します。那須は平地林が多くて好きです。
20120104-07.JPG
このころ、揺れは感じなかったけど地震があり、東北道は50km/h制限になってました。常磐道の一部は通行止めでした。高速料金を節約するために常磐道経由も選択肢にあったのですが、東北道にしてよかったです。 このあと、被災地を訪ねるのですが、次回に紹介します。


posted by かもめ |07:42 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(2) |

前へ