2017年04月30日
埼玉遠征記・最終日
遠征最終日、この日はゆっくり無料朝食を食べてからチェックアウトするつもりでしたが、部屋から列車を見ると早く出たくなりました (笑 結局朝ご飯食べずに6時過ぎにホテルを出ました。 トレインビューの功罪か。王子から地下鉄南北線に乗り換え。写真は路面電車急勾配日本一(66.7パーミル)の区間。王子駅のすぐ横にあります。前日に乗ってない南北線の区間をこの際、乗りつぶすことにしたのです。赤羽岩淵までは東京メトロ南北線ですが、そこから北は埼玉高速鉄道です。これで埼玉県の地下鉄は全線乗ったことになります。 「埼玉に地下鉄あった?」と思う人がいるかも知れませんが、確かに都市内交通を担う目的の地下鉄はありませんが、東京と埼玉を結ぶ都市間輸送である埼玉高速鉄道は、ほとんどの区間が地下なので、地下鉄と呼ぶことができます。 なお、法的には「地下鉄」という種別の鉄道はなく、鉄道は路面電車等の「軌道」と、それ以外の「普通鉄道」に分類されますので、地下鉄の定義というのは絶対的な基準はありませんが、常識的に文句なく地下鉄と言えます。 ちなみに、長野電鉄は一部、長野市内が地下ですけど、これは地下鉄とは言いませんし、地下なら地下鉄というのなら、名古屋の名鉄や大阪と名古屋の近鉄だって地下鉄だし、北見にだって地下鉄があることになります。阪神梅田もそうかな。横須賀線や京葉線も東京駅付近は地下。羽田のモノレールや京急だってそう。きりがありません。 東京の地下鉄でまだ乗ったことのない区間はあと少しだけど、いずれも飛び飛びにあるから(千代田線北綾瀬支線とか丸の内線方南町支線とか三田線の板橋以北とか東西線浦安以東とか)、全線完乗までまだ何年かかかりそうです。 最終日に再度、日比谷公園に行きました。ここから羽田に向かうため、日比谷駅から三田線に乗ります。三田で浦賀行きに乗り換えます。泉岳寺・品川間で地上に出ますが、かつては東海道線のブルートレインが留置されていた場所で工事が始まっています。 田町・品川間の新駅開業に伴う工事でしょうか。品川駅で停車中、後続の回送列車がこんな直前まで来ました。JRではありえないことです。 (珍しく最後尾に乗ったのです。三田駅でホームに着いたら列車が到着し、ちょうど最後尾だったので。)京急蒲田で乗り換え羽田到着。あとは飛行機に乗るだけです。
posted by かもめ |10:47 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(0) |
2017年04月29日
埼玉遠征記・ほしあい眼科と詐欺山記念公園
朝6時にホテルを出て、5時間以上かけてようやく埼玉スタジアムの最寄り駅の浦和美園に着きました。 でも、まだスタジアムに向かいません。もう1か所、寄るところがあるのです。ほしあい眼科です。しかし、目を診てもらうわけではありません。この案内のデザインが鉄道の路線図に似ていませんか?ほしあい眼科の院長は、実はとんでもない鉄道マニアなんです。 鉄道チャンネルなどで御存じの人も少なくないと思います。 引退したキハ22が待合室の横にあるのです。 第2待合室?この車両は羽幌で使われていたのです。羽幌で使っていた時はロングシートはなかっただろうと思います。ひたちなか海浜鉄道で使用するときに改造したのだと思います。ギロチンは好きじゃないなぁ自分の体が引き裂かれる錯覚に陥るんですよ。ちなみに、院長は子どものころからこういう道楽をしたいと考え、その資金を捻出しようと思って医者を志し、しかも眼科を選んだとか。 待合室には70~80人もいました。子どもを連れてきた母親など、患者でない人もいましたが、患者だけでも50人はいたでしょう。 これだけ繁盛してれば道楽できますね。 そういえばかつて渋川で保存されていた路面電車も眼科だったなぁ。 ここを見ているうちに開門時刻が過ぎたのでイオンで食料を調達してシャトルバスに乗ってスタジアムへ行きました。 こんなに遠回りするとは・・ 試合が終わってからはひたすら歩きました。しばらくは周囲にレッズサポがいたので「練習場はどこにあるのですか?」などと話をしながらでした。(写真右端は東北自動車道)途中に浦和東高校がありましたが、川島はここの出身だったのですね。歩くこと20分、さぎ山記念公園に着きました。この公園は猫が多いことで知られています。でも、猫は全然見かけません。猫が多いという情報はウソだったのか。 詐欺山記念公園でした。 日比谷公園などと同様、猫が増えないように対策をとって、猫が減ったのでしょうか。 ここからは大宮駅までバスに乗ります。 浦和美園発・大宮駅東口行きのバスで、サッカー観戦帰りの人が乗る路線かも知れないけど、もう空く時間かなと楽観していましたが、バス亭へ歩いている途中でバスが来てしまい、目の前を通り過ぎていってしまいました。30分に1本くらいしかないし、次はいつ来るかな、でも、さっきのは大幅に遅れて来たのかな、それに、混んでいて立ち見の客も多かったな、などと思っていたら5分で次のバスが来て、しかも座れました。 サッカーのため増便していたようです。助かりました。 でも、45分もかかりました。スタジアムから大宮駅までなら50分以上かかりそうです。 事前に「大宮行きのバスは混むし時間かかるのでおすすめできない」と書いてくれた人がいましたが、その通りです。道路状況が良くなく、のろのろの道が多かったのです。しかも途中で中学生が大勢乗り込んで超満員でした。もし座れなかったらへとへとになったと思います。 これなら反対方向のバスで浦和美園へバスで出て、鉄道を乗り継いだ方が楽だったかも知れませんが、大宮駅に行きたかったのです。 大宮駅に鉄道ショップができたからです。いろいろな物が売られています。北斗星のA寝台に付いていた洗面道具セット。オリジナルと同じだそうです。以前は何個もうちにあったけど処分しちゃったなあ。結局、何も買いませんでした。良いなと思っても、どれも結構良い値段してるので。高いお金出してまでほしいとは思わないし。 来月、我が家に神戸から鉄道マニアが来て泊まるので、これ(リメイクパジャマ)を買おうかとも思ったけど、1万円以上ならちょっと手が出ませんよね。
posted by かもめ |15:41 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(0) |
2017年04月28日
埼玉遠征記・東武博物館
東武博物館の展示物で、1899年の東武鉄道開業に合わせて輸入した1898年イギリス製のSLです。1965年まで使っていたそうです。連結器は輸入当初のに復元されていますが、自動連結器のままでもよかった気もするけど、イギリスから見に来た人にはこの方が良いでしょう。1924年の電化の際に導入した電車。国産だけどパンタグラフや電機装置、台車などはアメリカ製。1981年まで使いました。日光に路面電車が走っていて東武日光軌道線の名称で1968年廃止。その車両が保存されています。連接車です。前橋・高崎から渋川を通って伊香保まで路面電車が走っていましたが、距離が長いから時間がかかり、営業上不利ですよね。館内にこのアングルからウォッチングできる場所があります。左下はロングレールのつなぎ目で、この写真ではよくわかりませんが、実際はロングレールの構造がよくわかるようになっています。私が子どものころ、よく図鑑に載っていた車両です。とてもあこがれていたけど、北海道に住む子どもにとっては高嶺の花と言うか、遠い存在でしたね。さて、ようやく東向島から埼玉を目指すため列車を待ちます。おっと、リバティーじゃないか。前日(4月21日)に就役したばかりのピカピカの車両です。 26年ぶりの東武特急新型車両です。 JR北海道のSLが東武鉄道に貸し出されて、まもなく営業運転が始まりますが、すでにグッズが売られています。写真は北千住駅キオスクで販売されているものです。JR北海道は商売が下手だったかも。北千住駅のホームですが、この表示は良いですね。札幌の地下鉄は乗る人がドアの前に群がって、降りる人が降りにくいですからね。ホームドアができてからはある程度良くなったけど。北千住で急行に乗り換え、越谷をめざしますがこの車両、前面展望がほとんどないではありませんか。欠陥車です。東武新越谷駅で下車し、JR南越谷駅(隣接しているけど駅名が違う)で武蔵野線に乗り換えますが、東武新越谷駅の高架が、すごく高い位置でびっくりしました。中央が武蔵野線。それもそのはずで、当初は東武が高架ではなく、武蔵野線を建設する際、東武線をまたぐために高架で武蔵野線を建設したのですが、その後東武が高架化をするとき、高架の武蔵野線の上を通すために高い高架になったのです。 東川口で武蔵野線から埼玉高速鉄道に乗り換えます。あと1駅です。いよいよスタジアムが近づいてきました。東川口にはかつて寝台特急北斗星で使っていた食堂車をレストランとして営業している施設があるので行きたかったけど、またの機会にしました。
posted by かもめ |09:05 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(0) |
2017年04月27日
埼玉遠征記・帝釈天と寅さん記念館
柴又駅と帝釈天の間の参道はたくさんのお店が並んでいます。浅草寺や目黒不動尊、とげぬき地蔵、深大寺などと比べると規模は小さいけど、雰囲気は深大寺と同じくらい良いと思います。写真を撮ったのは朝8時半なので人は少ないですが。だんご屋は何軒もあります。門まで着きました。帝釈天です。3分くらい歩いたところに寅さん記念館があり、後ろは江戸川。向こう岸は千葉県松戸市矢切。矢切の渡しで有名ですね。寅さん記念館に入りました。実際に撮影に使われたセットです。このセットは撮影前2週間で組み立て、約45日間の撮影が終わると解体し、大船撮影所の倉庫にしまうというのを28年間・48回やったそうです。たこ社長の会社の印刷機は旧式の活版印刷機なので、あるとき印刷業界から「こんな古くて汚い機械は時代遅れ。オフセット印刷機が普通。」とのクレームがあり、仕方なく「オフセット印刷室」と表示したドアを片隅に設置したそうです。もちろん撮影でドアを開けることもなく、ドアの向こうに印刷機を置くこともなかったとか。 下町の零細印刷所の設定なんだから近代的な機械では雰囲気が出ないと思いますよね。この人を見るとパンシロンのCMを思い出すんですよね。若い人は知らないでしょう。この日の一番目の入場者ということで記念のボールペンをいただきました。寅さんとは直接関係ないけど、京成金町線の前身の人車軌道を紹介しています。1899年に開業し、その後、高砂駅を開業させた京成電鉄が買収し、12年後の1912年に高砂・金町間を電化し、軌間も610㎜から1372㎜に広げました。(現在は1435㎜) 別施設ですが山田洋二監督の展示もあり、入場券が共通なので入ってみましたが、展示物は少ないです。金町線で金町に出て、金町から北千住までJR常磐線に乗りました。 金町の隣の駅です。あーここは亀有。東京メトロ千代田線の車両が乗り入れているので乗った列車は東京メトロの電車でした。左の車両は常磐線快速かな。複々線です。 亀有で下車したかったけど、試合があるので今回は断念。 北千住から東武スカイツリー線に乗ります。でも埼玉スタジアムとは反対方向の浅草行きに乗って東向島で下車。東武博物館という鉄道博物館が東向島駅の高架下にあるのです。本日のメインイベント、いや、2番目の目的がここ。近いからついでに柴又にも行ったようなものです。展示物は明日紹介します。
posted by かもめ |10:01 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(0) |
2017年04月26日
埼玉遠征記・かもめゆりかもめに乗る
新橋に行ったついでに、ゆりかもめに初めて乗りました。いつでも乗れると思うとなかなか乗れないものです。前面展望は確保できましたが、混み合ってました。ほとんど外国人でした。 竹芝桟橋ですが、ディナークルーズ船でしょうか。伊豆諸島方面の船は出払っていたようです。ゆりかもめができて伊豆諸島に行くのが便利になったと思います。レインボーブリッジ。高さがあるのでループ線(左下)で急こう配にならないようにしています。それだけ高い橋にしたものの、最近の海外大型豪華客船はくぐれないそうです。羽田空港が近いので、これ以上高くはできなかったそうです。 写真に撮れなかったけど、マリオカートが走っていてびっくり。 船の科学館。現在、本館は老朽化のため閉鎖していますが、初代南極観測船宗谷は見学できます。ゆりかもめができる前に来たことがありますが、そのときはバスで来たんだったかな。 だんだん交通網の整備が進んで楽になっていきますね。(JR北海道のはおいといて) 昨日、浜松町に着いた話をしましたが、22年前、家族・従業員で羽田に着き、築地のホテルに移動する際、当時は大江戸線は開通していないし、京急は羽田駅までしか開通してなかったので、浜松町からタクシーに乗るつもりでしたが、雨のせいもあって、タクシー乗り場は超長蛇の列で、山手線・日比谷線を乗り換えていきました。 旅行荷物をかかえ、子どもの手をひいて、混雑する山手線・日比谷線で、めちゃくちゃ疲れました。大江戸線なら1本だと先日、路線図を見て気づいて22年前を思い出したのです。 先日の浜松町のタクシー乗り場は待たずに乗れる状態でした。 船の科学館そばには広大な駐車場があり、イベントがあるとたくさん車がやってくるのでしょう。どこかのTV局(フジテレビ?)の建物も見えます。国際展示場(ビッグサイト)。豊洲市場です。 いつここに移転するのか? それとも移転しないで壊すのか?東京駅で上野東京ラインの列車を待っていたら215系が留置されていました。乗ったことないです。全車両2階建てで、全席クロスシートは良いんですが、ドアが片側2か所しかないので乗降に時間がかかる大きなデメリットがあり、現在は湘南ライナーとホームライナー小田原、週末の臨時列車など、わずかな運用しかありません。 次の日は京成に乗りました。京成高砂で金町線に乗り換えましたが、この線は古い車両を使っているので今時珍しく、ブレーキとマスコン(アクセルに相当する)レバーが別々。柴又駅に着きました。駅前には寅さんの銅像があります。つい最近、この銅像も置かれたそうですが、灰皿がそばにあってかわいそう。帝釈天と寅さん記念館は明日紹介します。
posted by かもめ |09:27 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(3) |
2017年04月25日
埼玉遠征記・旧新橋停車場他
旭川空港から羽田に飛びました。4月は安くて7,790円しかしないんですよ。安いうえに空いていてゆったり座れました。最高です。ちなみに、搭乗前日に機種変更のお知らせメールが来て、767から737に変更だと思い、せっかく非常口座席なのに狭い座席になり、しかも定員が半分くらいの機種だからぎっしり乗って窮屈かなと心配したんですが、767-ERから767-300への変更で一安心。 定員は1人減るだけなので空いているのは変わらないし、非常口座席ではないけど、前の座席が空いていました。 前の座席に整髪料のきつい人が乗っていると辛いですから助かりました。 羽田に着陸。以前はあまり使用してなかったB滑走路に着陸しました。左端はC滑走路。年々、羽田を離発着する便が増え、B滑走路を使うことが多くなったようです。久しぶりにモノレールに乗りました。羽田から千葉や横浜へ行くことが多かったので、このところいつも京急でした。京急が羽田に乗り入れる前はモノレールの混雑がひどくて、よくリムジンバスに乗ったものです。 特等席に座れました。まもなく浜松町。新幹線2本と山手線、京浜東北線、モノレールの5本も同時に見れました。大門(浜松町)から汐留まで大江戸線に乗ります。大江戸線はリニアモーターなので線路中央にリアクションプレートがあります。 大江戸線は55パーミルの急こう配があるのと、トンネル断面を小さくできるメリットからリニアを採用しました。 地下鉄は外の景色が見れないし、この場所は確保したいものです。汐留駅ですが、奥の線路は浅草線との連絡線です。リアクションプレートはありません。大江戸線の車両のメンテナンスは浅草線の馬込車両検修場で行っているからですが、浅草線にはリアクションプレートがないので電気機関車で牽引します。 汐留で降りたのは、かつての新橋駅を再建して資料館になっているのを見るためです。こちらは1872年に開業したときの写真。 現在の新橋駅の300メートルくらい東にあり、1914年の東海道線の新橋・東京間延伸の際に新橋駅は現在地になりました。当時のプラットフォームと線路を再現していますが、レールは当時のが新潟に存在していて、こここに戻っています。よく残っていたものです。なお、建設当時のプラットフォームは1934年に取り壊してしまいました。 1872年から62年もたっていれば、歴史的価値があると思わなかったのかな。残念です。 なお、駅舎は関東大震災で焼失したので仕方ないです。 発掘されたプラットフォームの一部。発掘された駅舎の基礎石。欲を言えば、開業当時と同じように待合室やキップ売り場などを再現してもらいたいものです。
posted by かもめ |07:18 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(0) |
2017年04月24日
レッズ戦観戦記・後編
浦和美園駅でエルゴラッソの号外をいただきました。 やっぱり5年前の試合が忘れられないのですね。このカードもいただきましたが、まさかこの選手にやられるとは。レッズのホームゲームを見たのは初めてで、予想はしていましたが、レッズサポの声が大きかったです。今度行くときは耳栓が必要ですね。ビジョンは両ゴール裏にあるのでバックスタンドからでも見やすくて良かったです。ドームのは今から改善するのは難しいでしょうね。 1階席バックスタンドはかなり一杯。ぽつぽつ雨が落ちていたので前の方は屋根がないから濡れたでしょう。アウェイゴール裏もほぼ一杯。バックスタンド2階席のアウェイ側はかなり空いていました。私の後ろはほとんど人がいませんでした。メインスタンドも2階席はがらがらでした。ドームと違って無駄なスペースもないし、ドームのような傾斜の緩い席(可動席部分)もないからピッチが近くて2階席でもドームよりも良く見えました。 逆にゴール裏は傾斜がドームよりもやや緩いので、ドームの方が見やすいのだろうと思います。ピッチからの水平距離はほとんど同じのようです。屋根は全体の6割くらいなのでしょうか。屋根の下には隙間もあり、2階席のせいか、冷たい風が強く、寒くて風邪をひいてしまいました。風邪ひくなんて何年振りか。 ゴール裏は屋根がないからと思ってバックスタンドにしたのですが、むしろゴール裏で飛んでいた方が暖かかったかな。 厚別ならしっかり防寒対策するけど、甘くみていました。 味スタ・べアスタ・レベスタ・ユアスタなど、多くのスタジアムでは屋根の下から風が吹き込むことはなかったと思います。 コンパックはHP(ヒューレッドパッカード)に吸収合併され、HPの方針でスポンサー降りたようです。以前、コンパックのパソコン使っていて、とても気に入り、次に買う時もコンパックにするつもりがなくなってしまってショックでした。 ちょっと距離があるからフッキがいたらなぁと思ったけど、福森が見事に決めてくれました。エルゴラッソとはこのことです。試合後の挨拶。小野がレッズサポから大声援を受けました。左側の屋根を見たらわかるように、風が通る構造になっています。 だから風の強い2階席は人気がないのかと、今頃になって納得。芝の養生には風通しが必要なので、あえて風が通るようにしたのかも知れませんね。 スタジアムから歩いて某所に向かいましたが、明日以降紹介します。
posted by かもめ |07:31 | スタジアム観戦 | コメント(0) |
2017年04月23日
レッズ戦観戦記・前編
最寄り駅の浦和美園駅に着きました。コンササポもたくさんいました。入場者の1割近くがコンササポですから。私もそうですが、バックスタンドやメインスタンドにいた隠れコンササポもいれたら1割いくのかも。駅からスタジアムまでシャトルバスに乗りました。たったの100円なのはありがたい。立ち席なら待たずに乗れたのですぐ乗りました。短時間なので立ち席で十分です。スタジアムの外に沢山屋台がありました。レッズサポの胃袋を満たすにはたくさん必要でしょう。エレベーターがあるのはありがたい。このスタジアムはドーム以上に高低差があるだろうから当然でしょうけど、ドームも考えてほしいですね。内部にも屋台があります。バックスタンド2階席のなので、他にこれ以上の規模のが何か所もあるはずです。長蛇の列だったら困ると思って私は駅前のイオンで弁当を買っておいたので拍子抜けしましたが、他のエリアでは混雑したのかもわかりません。 この売店やトイレに行って席に戻る分にはチケット確認が不要なので楽でした。 ドームは面倒ですよね。構造上今から改善は難しいでしょうけど。 マッチデープログラムは有料でしたが、記念に買おうと思ったら300円もして、悩んでやめました。仙台では100円だったし、どこかで50円というのもありましたが、300円とはびっくり。 練習開始前の挨拶。試合前の放水ですが、まだ選手がいるのにおかまいなし? この水のせいで興梠が転んでPKになった?選手紹介で、意外にも都倉にブーイングがありました。レッズにゆかりはないはずですが、それだけ恐れている選手ということなんでしょう。ビジョンで何度も都倉が大きく映し出されました。小野選手にはレッズサポから凄い拍手でびっくりしました。本当に凄い拍手でしたよ。でも、河合には大ブーイングでした。 選手入場は、代表戦でよくTVで見るのと同じく(同じスタジアムだから当たり前だけど)階段を昇って来ます。試合の感想は、多くの人が書かれているのと同じなので書きません。 東京の今朝のスポーツ紙。東京の毎日新聞。
posted by かもめ |16:15 | スタジアム観戦 | コメント(0) |
2017年04月21日
埼玉到着&道中の猫
埼玉に着きました。 羽田で降りたらドーレくんのキーホルダーをバッグに着けている女性二人がいたので声をかけたら旭川のサポーターでした。 旭川発の飛行機だったので、さすがに今回は選手とは一緒でありませんでした。 到着ターミナルもJALとは違う第2なので選手は見かけませんでした。 まさか選手がADOに乗るわけないでしょうから。 モノレールからの風景。満開ですね。特等席に座れました。日比谷公園のアオサギ。日比谷公園の猫。野良だけど「黒ちゃん」とか「姫ちゃん」の名前が付いています。ちょうど猫の世話をしている女性がいて、いろいろお話を聞けました。 かつては80匹くらいいたけど手術などで増えないようにしたら現在は数匹しかいないそうです。 この猫ではありませんが、以前はホームレスが冬、寒い時に寝袋で寝る際、猫も一緒に寝袋に入って暖めあったとか。ちょうどその男性が通りかかって、あの人ですと教えてくれました。
posted by かもめ |20:51 | 動植物 | コメント(0) |
2017年04月20日
日帰り周遊パスの旅・その3
栗山駅前です。ここも寂れました。かつては立派なバスターミナル(ビル)もあったのですけど消滅しました。 バスターミナル内にはケーキ屋もあったりして賑わっていたんですけどね。私は栗沢で生まれ育ちましたが、栗沢よりも人口の多い栗山の方が知名度があり、よく栗沢が栗山と間違われるのが悔しかったものですが、寂れるのを見るのは忍びないです。ちなみに、炭鉱が賑わっていたころは栗沢町の方が人口多かったです。栗山にも炭鉱はありましたが小規模でした。 栗山町は昔は角田村の名称で、役場は旧夕張鉄道角田駅近く(由仁に近い場所)にあったのですが、鉄道(室蘭本線)が開通し、栗山駅ができたら駅周辺が賑わい、そちらが中心になり、役場も移転し町の名前は駅名と同じに変更した次第です。夕張鉄道の開通は室蘭本線の開通よりも33年遅いし私鉄ということもあって、やはり国鉄駅の方が発展しますよね。 浜頓別も同じで、最初は漁港のある頓別地区が中心で、村の名前も頓別村でしたが、駅のできた場所が発展して中心街になり、役場も駅前に移転し、村から町になる際に町名を駅名と同じ浜頓別に変更しました。 足寄も似ていて、駅のできた西足寄村が発展し、隣の足寄村が衰退し、西足寄村が足寄村を吸収しました。町名は足寄に変更しましたが。 私の父が住んでいたときは西足寄村でした。当時から駅名は足寄なのでややこしい (笑 こんな線路で良いの? どうせ駅を出た直後だしポイントもあるからスピード出さないけど、ちょっとこれはひどいですね。実は名寄以北だってこんなもので、特急は時速85㎞以上出せません。お金がないんですよね。およそ先進国の鉄道とは考えられない。車両もペンキがはげてぼろぼろ(窓の上の茶色の雲のような形)。これはあんまりです。もうすぐ廃車にするのかも知れませんが悲しいです。1日7往復しか運行しないけど複線です。かつて貨物列車が頻繁に走っていた名残です。平成筑豊鉄道もそうですけど。追分はさすがに線路がたくさん敷かれています。昔はSLがたくさんいたけど、今はがらんとして寂しいですね。追分で千歳行き(左の車両・キハ40)に乗り換えます。室蘭本線(右の2本)とわかれます。左の石勝線はコンクリートの枕木で、特急がスピード出して走れます。追分・南千歳間は踏切がありません。それなら特急は時速160㎞/hなどの高速化が容易なはずですが、今のJR北海道ではとても無理ですよね。まもなく南千歳。南千歳からストレートに札幌には向かいません。南千歳で8分あり、新千歳空港駅まで往復可能です。時刻通りだと新千歳空港で2分の乗り換え時間がありますが、少し遅れて30秒しかありませんでした。ほとんどタッチアンドゴーでした。新札幌に10:43に着き、11:00のシャトルバスに乗り、ドームには11:25に着きました。土曜なら30分以上かかりますが、日曜なので25分しかかかりませんでした。 帰りは予定通り、JR白石駅16:10の列車に乗り、岩見沢で乗り換えて近文駅18:32下車。 和寒には19:05到着。 特急、あるいは自家用車だったら1時間近く早く着くことが可能でしたが、なにせ安上がりで済みましたので大満足です。特急も自家用車も6000円くらいかかりますが、その半分で済みました。 しかも空いている車両にゆったり座れて、前日に紋別日帰りした疲れは帰りの車内で完全に取れました。混雑している特急よりも、時間がかかっても空いている普通列車の方が精神的に楽で好きです。 安いのに好きな列車に長く乗れるのはお得とも言えます。 暖房が利き過ぎて暑いディーゼルカーで満員なのはごめんですけど。 今回の列車の旅は、普通にキップを買えば6000円以上しましたが、3000円で済みました。 この企画キップがなければJRは利用しなかったので、JRは増収になりました。WIN WINですね。JR北海道バスも420円増収になりました。
posted by かもめ |07:41 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(2) |
2017年04月19日
日帰り周遊パスの旅・その2
苫小牧行きの列車が岩見沢を出ると、上幌向の近くまで函館本線と並走しますので、かつての貨物ヤード・岩見沢第2機関区の跡地横を通ります。昨日書いたように、かつては道東・道北から大量に貨物が集まって入れ替え作業をしていたので、東北・北海道では最大規模の貨物ヤードでした。 かなり向こうまで何十本もレールが敷かれ、本当に大規模でした。 鳥栖の貨物ヤード跡地にはサッカースタジアムができましたが、ここは何にもならないでしょうね。 ここで函館本線と別れ、12号線を渡って志文駅を目指します。かつては万字線の起点だったので賑わっていた志文駅。駅名表示板がぼろぼろなのは悲しい。万字線の痕跡(大きく左カーブする土手とこ線橋)が、まだ残っています。木の枝の先端のあたりにこ線橋が見えます。万字や美流渡はもともと栗沢町の一部だったこともあり、実は万字線の建設を計画した当初は起点は志文駅でなくて栗沢駅だったそうです。 栗沢駅を起点に万字線を建設すると、本町地区(栗沢駅や役場のある中心市街地)の人が炭鉱地区(美流渡・万字)へ買い物や遊びに行き、本町地区が寂れるとして反対運動が起こって、隣の志文駅から路線を敷くことになってしまったそうです。 もしも栗沢駅が起点だったら、栗沢に国鉄職員が多く住み、賑わったことでしょう。 なんと先見の明がなかったのか。 炭鉱が栄えていたころ、美流渡は居酒屋や料亭などが軒を連ね、岩見沢から美流渡に呑みに行く人が多かったと聞いていますが、たしかに栗沢から万字線を敷いたら、そういう人も増えるでしょうけどね。でもやっぱりメリットの方が多いでしょう。 栗沢駅に着きました。私が小学生の時は職員が13人(非番もいるから常時5~6人)もいたんですが、現在は無人駅です。かつてはキオスクだってありました。昔は郵便荷物は6㎏の制限があり、それを超える荷物を送る場合は駅に持って行き、国鉄に荷物として送ったものです。(自分で運べないものは日通に電話) 大学に入るとき、引っ越し荷物は布団などわずかで、チッキで送ったので、駅に布団袋を持って行ったんですよ。 チッキは死語になりましたね。若い人、いや、50歳以下の人は知らないですよね。 「国鉄手荷物」という名称で、乗車券と同じ区間を通常の荷物よりも格安(3割引きくらい)で送ることのできる制度でした。 従って、私が大学に入学するときは栗沢から新潟まで鉄道(連絡船)で移動しました。 ちなみに、赤帽の本来の意味も50歳以下の人は知りませんよね。(岸野監督のことじゃありませんよ) 栗沢駅の横には保線区支所もあって、その職員と家族だけでも何十人もいました。今は空き地です。あと、ここから木工場まで引き込み線があって、そこでよく遊びました。止まっている貨車の連結器のナックルを動かして解放・締結をやって「なるほど、連結器はこういう構造なんだ。これなら絶対外れないか。」と、小学生ながら感心したものです。 栗沢駅の次の栗丘駅を出ると、かつてのSLの撮影名所だった場所があります。複線で少し離れて2本の土手があり、1975年は全国から撮影者が大勢来ました。あちらがわの線路は、その先のトンネル崩落のため現在は使用していません。SL団結号もここで撮影しました。このときはSLが廃止になる2年くらい前の中学2年でした。
posted by かもめ |10:05 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(0) |
2017年04月18日
日帰り周遊パスの旅・その1
試合の日、白石駅16:10の列車に間に合わせたかったのには大きな理由があります。 この日は旭川の近文駅から「日帰り周遊パス」と言う、普通列車1日乗り放題で3000円のキップで札幌まで往復したのです。 16:10白石に間に合わなければ札幌・岩見沢間、もしくは岩見沢・深川間を特急に乗ることになり(滝川以遠の次の普通列車が4時間もあとなので)特急料金が必要になってしまうからなのです。で、この日は早起きして(普段から早起きだけど)近文駅6:32の滝川行きに乗ります。711系でなくなったのは寂しい気もします。滝川で乗り換え、岩見沢駅でいったん下車します。 かつて岩見沢駅のすぐそばに飲食店がたくさん並んでいたのに、こんな寂しい姿になっています。以前の賑わいはどこに行ったやら。昔は朝からやっている立ち食い蕎麦屋もあり、温かいものを食べることができましたが、今はキオスクしかありません。近くにコンビニすらありません。 駅前通り。こちらにも昔は蕎麦屋や商店など、多くの店がびっしりあったのに、全然違う町のようです。4条(旧12号線)から駅方向。10年位前に来たときはシャッター街でしたが、今では建物も多くが取り壊され閑散とした光景です。 昔は歩道が狭いのに人通りが多かったけど、歩道を広くしたのに人がいなくなって寂しいものです。札幌以外、どこも駅前はシャッター街ですけど、岩見沢や滝川などはあまりにひどいです。旭川はここまでひどくありませんね。 岩見沢駅に1本も列車がとまっていないなんて、早朝や夜間以外では初めて見たかも。昔は幌内線や万字線があったし、石炭列車も頻繁に出入りしたので、こんなことはなかったでしょう。 ホーム上のキオスクや立ち食い蕎麦屋もなくなりました。駅弁の立ち売りやアイスクリームの立ち売りだってあったのに。 時代の流れとはいえ、これで良いのか? 岩見沢駅の駅弁は有名で、今でも釜めしは駅舎内のキオスクで買えますが、かつての名物駅弁、いくら弁当がなくなったのは寂しいですね。鶏飯も美味しかったです。 近文8:14発のでもよかったのに、6:32のに乗ったのは、岩見沢から追分・千歳を経由したかったからで、岩見沢9:03発の苫小牧行きに乗りました。日高線で使っていた車両のようです。 岩見沢を出てまもなく、室蘭本線の旧線が見えます。左にカーブしたところで現在は線路がなくなっていますが、かつてはこちらが栗沢・栗山・追分方面に行くルートでした。30年くらい前に少し遠回りの貨物線を旅客列車が走るようにしたのです。 ちなみに、なんで旅客線と貨物線が別ルートだったかというと、貨物の操車場からスイッチバックしないでストレートに苫小牧方面へ行けるルートが必要だったからです。 かつて石勝線が開通する前は道東・道北の貨物が岩見沢のヤードに集積され、行先別に組み替えて苫小牧を経由して函館へ向かい、連絡船に乗って本州方面へ運ばれていました。 なぜルート変更したかというと、線路で町が分断されているという理由で、岩見沢市が希望したのです。 鉄道の町なのに鉄道を邪魔者扱いするとはなんたること! ルート変更によって岩見沢・栗沢間は9.7㎞が11.4㎞になり、ちょっと時間かかるようになったし、運賃は220円から260円に値上がりになりました。 値上げ分は岩見沢市に負担してもらいたいものです。 高架化と比べたらはるかに安いですよ。
posted by かもめ |09:30 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(2) |
2017年04月17日
フロンターレ戦
新札幌からシャトルバスに乗って、ドームに11:25に着きました。 キックオフ1時間半前ならシャツをいただけるかと思ったら、すでに1万人分配布終了でした。 でも、胸にも背中にもBOAT RACEのロゴがはいっているならいらないか。 13:00になっても選手が入場しないので変だと思ってCVSに聞いてみたら、中継の都合で遅くしたとか。 NHKが13時から5分間、ニュースをやってから試合中継をやりたいためか。結局キックオフは13:08でしたから、普段よりも5分くらい遅いでしょうか。 私はJR白石駅16:10発の列車を考えていたので(それに間に合わないと余分に特急料金が必要になるので)試合終了後は早々にシャトルバスに乗るつもりでしたが、早々なんてものではなく、ダッシュでバス乗り場へ向かうよう、後半はアウェイ側に移動しました。 でも、後半アディショナルタイムは短く3分でしたし、道路の渋滞もなく、白石駅では余裕がありました。 フロンターレの選手は、奈良以外でよく知っているのはこの人だけですね。こんなに多く来てくれるのはありがたいですね。広島戦(12624人)はなんで少なかったたのだろう。 カメラの台数が多いようで、こんな場所にもありました。
posted by かもめ |10:26 | スタジアム観戦 | コメント(0) |
2017年04月12日
収穫の春
するめさんも同じような写真を紹介していますが、掘りました。こんなにたくさん春まで残すつもりはなかったのですが、昨年晩秋は雪が早くて掘り損ねてしまいました。 晩秋に掘ったのは寒い場所に置いておけば持ちますが、今掘ったのは冷蔵庫に入れないと持たないので冷蔵庫が狭くなります。 でも、次の収穫(9月?)まで人参買わずに済みそうです。 猫も堀りたがっている?
posted by かもめ |10:58 | 動植物 | コメント(2) |
2017年04月11日
お釈迦様の誕生日
FC東京戦の日は誕生日だったので福住の六花亭に行きました。 ハヤシライス。マルゲリータ。バースデープレゼントのプレミアムケーキとカフェラテ。キャンドルと歌のサービスは辞退しました。六花亭様、ありがとうございました。 店内はお客が多かったけど、レプリカ着ていたのは私だけでした。 ところで先日、紋別に行く途中、丸瀬布の道の駅に寄りました。 前回行ったときに食べたじゅんさいそばが美味しかったのでまた食べようと思ったら、6月下旬からだとかでカレーとごまみそラーメン。どちらも美味しかったです。カレーに味噌汁かよと思ったけど、娘は喜んでいました。