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2008年01月15日

国鉄大谷地駅

1973年9月10日に廃止された国鉄千歳線大谷地駅です。廃止前日の写真です。
今のバスターミナルのあたりです。こんな田舎でした。
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千歳線は苗穂から函館線とわかれて、南郷通の少し南、現在のサイクリング ロードのところを走っていました。複線化に際して、急カーブ解消や距離短縮のため 白石から新札幌へ向かって上野幌へ向かう現在のルートに変更され、ここは廃線となりました。 このころ、私は札幌に住んでいたので友人と自転車で行きました。 私は当時、中学2年でしたが、現在の大谷地駅や厚別競技場等の様子は想像できませんでした。
20080115-01.JPG
廃線になったとき、そこに市電を走らせる(線路幅は同じ)とか、地下鉄を作るとか構想がありましたが 市電を苗穂から函館線に乗せるのは技術的制約があるし、当時は一部で貨物線として利用していたの で、地下鉄も無理だということで、結局、サイクリングロードになり、地下鉄は南郷通下に建設されました。 でも貨物線もまもなく廃止されたし、やっぱり、旧千歳線上の地上に東西線を建設したら建設費が安く済んでよかったのでは?
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札幌オリンピックの翌年でも、まだ札幌市内にSLが走っていたのです。この2年後にSL全廃しました。 後ろは牧場?
20080115-03.JPG
こんな所といっても、札幌と函館を結ぶ重要なルートで特急も走っていました。 この頃、東京に行く場合、鉄道(+連絡船)から飛行機に急激にシフトし始めた頃ですが、 まだまだ鉄道で函館(東京)へ向かう人も多く、釧路からの特急は、全て札幌経由函館行きでした。 写真は網走発函館行きの「おおとり」。


posted by かもめ |12:43 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(2) |

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この記事に対するコメント一覧
鉄路は錆びても記憶は錆びない♪

むむむむっ!懐かしい以外の何ものでもありませんネ!大谷地もそうですが、
特にキハ80系気動車「おおとり」の国鉄色特急は、その後のキハ183系より
郷愁を誘いますネ。まだ日本海縦貫線である「白鳥」が意外と最近まで485で
運用してましたが、ボクが大阪に来た74年はまだ80系だったように記憶してます
そして当時「かもめ」と連接バージョンがあり、連接の食堂車2両付き?
で途中までどちらも利用可能だったようにも記憶しています。道内から連絡線経由で
日本海側(当時は裏日本表記)に行く昼間優等列車は少なかったのですね。

でもキハ80系は非力なので86年に廃止になった食堂車(一緒に乗りましたね♪)
キシ80形はキサシ80形にエンジンを2機搭載したヤカマシイ?車両だったのを
最近知りました。

posted by 大阪の道産子| 2008-01-15 15:38

80系気動車

来月、一緒に行く予定の弁天町の交通科学博物館に初期のボンネット型キハ81がありますよ。

白鳥が電車化されたのは72年のようです。
気動車は70年に乗ったときの記憶では?
僕も学生時代、白鳥に何回か乗りましたよ。
食堂車で景色見ながらのビールは格別ですが、おおとりより1年早く廃止されました。

「白鳥」+「かもめ」ではなく、国鉄内部で呼んだ「青森白鳥」+「信越白鳥」のことでは?
Wikipediaの「白鳥」を参考に。

posted by かもめ| 2008-01-15 16:48

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