スポンサーリンク

2012年01月31日

マルセイユ

1982年3月21日(日)。
なんでマルセイユに来たかったかというと、昔、船で日本から欧州へ行く場合、たいていマルセイユに上陸したので、身近な感じがあったし、デュマの小説「モンテクリスト伯」の舞台だったこともあります。
鴎外は1884年マルセイユに上陸し列車でベルリンへ行ったし、漱石は1900年マルセイユから列車でパリ経由でロンドンへ、島崎藤村は1913年マルセイユからパリへ行きました。
与謝野晶子は往路は1913年シベリア鉄道経由でパリへ行きましたが、復路はマルセイユから船でした。
アインシュタインは1922年、マルセイユから船に乗って日本へ向かいました。
帰りはパレスチナ(現在のイスラエル)に寄ったから、マルセイユ経由かどうかわかりません。トルコへ船で渡り、オリエントエクスプレスだったかもわかりませんし、あるいはジェノバかどこか、イタリア上陸だったかも知れませんね。
20120131-00.jpg
日曜なので市もたっていたし賑やかでした。 ストリートパフォーマンスもやっていましたが、いかついお兄さんが針を頬に刺す芸には驚きました。(本当に刺した?) その人、オーディエンスに強引に投げ銭要求して、若い女の子はとても怖がっていました。 私は後ろの方で見ていたので、金を出さずに逃げるようにその場を離れました。 町が一望できる小高い場所へ移動。
20120131-01.jpg
沖に見える島(手前の小さいほう)にはエドモンダンテス(モンテクリスト伯)が幽閉されていたイフ城と呼ばれる牢獄跡があります。
20120131-02.jpg
昼食をマルセイユですませてから列車でシャモニーへ向かいます。 ニース発マルセイユ・リヨン・ディジョン経由メス行きの列車に乗ります。 リヨンまでは351kmで、3時間13分で疾走します。現在はTVG新線を走るから、もっと速いですが、当時でも日本の在来線よりも速いです。札幌・釧路間はほとんど同じ349kmですが、最速でも3時間46分です。 アヴィニョンからリヨンまでローヌ川沿いに走りますが、ここは原発銀座です。
20120131-03.jpg
20120131-04.jpg
シャモニーに着くのは夜遅くになるし、乗り換えのリヨンでの乗り換え時間は短いので、晩ご飯は車内販売か、リヨン駅のキオスクでサンドイッチかと思っていたら、列車に食堂車が連結されていました。時刻表には食堂車の記載がなかったので嬉しかったです。 食堂車に行くと、壁に「本日のメニュー」の張り紙がありました。 フランス語の「メニュー」とは定食(コース)のことです。 フランス語しか書かれてなかったので、どんな料理かわからず注文しましたが、アラカルトだとフランス語を解読してたら日が暮れるし、メニュー(定食)は1種類だけだったので、それを注文しました。 注文後に仏和辞典で解読したら、メインディッシュはウサギのソテーでした。 凄く美味しかったです。 欧州で一番美味しかったものは、これかも知れません。 ちなみに、スペインの料理は全般的に美味しいものの、味付けが雑でしょっぱい傾向がありますが、さすがにフランスはエレガントです。


posted by かもめ |11:03 | 海外旅行 | コメント(5) |