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2012年01月07日

陸前高田

陸前高田市は千昌夫の出身地なので、町の規模(2万3千人)の割には少し知名度があるような気もしてましたが(最近の若い人は千昌夫を知らない人が多いでしょうけど)、震災で大きく報道されて有名になりましたね。

ここが陸前高田市の中心部とは信じられません。志津川も衝撃的でしたが、もっとひどいありさまに絶句しました。
中心部から南東方向です。
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北東方向。
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西方向。500メートル先に駅があったはずですが見えません。
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奥の白い建物は県立高田病院だと思います。 最上階の4階まで浸水しましたが、大半の人は屋上に避難して救助されましたが、入院患者51人中12人とスタッフ82人中8人が犠牲になったそうです。 病院は別の場所の仮設で診療しているそうです。 南方向。 唯一の高層建築物と言われる(正しくは中層かな)、千昌夫が建てたキャピトルホテルです。 休業中です。
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3階の天井まで水に浸かったそうです。 陸前高田市役所。3階まで浸水し、屋上にいた約100人はヘリで救助されました。 市役所は現在1km内陸の仮庁舎を使っています。
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オオドサも紹介してますが、市役所向かいにある市民会館です。
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正面玄関から。
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ここは避難所になっているのに3階の天井近くまで浸水し、多くの犠牲者がでました。 陸前高田市の中心部には13カ所の避難所があり、そのうち8カ所が浸水したそうです。 4月14日の道新ですが、標高の低い場所にある建物を避難所にして犠牲者がでたことに触れています。
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高田高校には約250人の生徒が残っていたけど、すぐに裏の高台にあるグラウンドに避難して無事だったが、水泳部の9人は市民プールにいて、職員に車で避難所の市民会館まで送ってくれたとのこと。しかし津波がきて7名が犠牲になったそうです。遺族の親は「市民会館よりも近い高校に送ってくれれば」。 同様に、ある中学校の野球部員8人はプール近くの商業施設の係員に誘導されて市民会館から400メートル離れた体育館に向かったものの、全員が犠牲になったそうです。 その商業施設にいた地元の76歳の男性は自分で決めていた高台に避難して無事で、「あんな低い場所は危ないと思っていた」と、市民会館や体育館が避難所になっていることに普段から疑問だったとか。 このたびの震災で、しばしば「想定外」との言葉が使われましたが、想定が甘かったということです。 指定された場所に避難して津波の犠牲になるなんて、1000年に1回クラスのなら仕方ないかも知れませんが、100年に1回クラスでは残念でなりません。 明治三陸津波や昭和三陸津波を基準に想定すべきなのに、チリ地震の津波を想定することが多かったようです。福島第一は完全にそうですよね。


posted by かもめ |10:55 | 東日本大震災 | コメント(6) |