自分で書いててすっかり忘れていたのだが、「松山光プロジェクト」に魂が揺さぶられたのは、俺の心の奥底に眠っていたプランが現実に動き出したから、のような気がする。改めて読んでみると、興奮したのも納得できる。
今までの「パーソナル・スポンサー」は使い道がわからなかったけれど、「松山PJ」は使い道がハッキリしている。この「お布施」こそ、赤黒サポーターが長年待ち続けていたシステムではなかったか。
ヨード卵「光」じゃありませんよ(爆)
ちょうど1年前の記事だけど再掲してみる。
推し梟
とあるファストフード店。隣のテーブルから会話が聞こえる。
「アタシ、実はコンサドーレのファンなの」
「意外…。オシフクロウは?」
「古田くん。」
「わかるぅー。アタシは榊くん。」
サッポロで「AKB」とは、「AKAKURO BOYS」のことだ。
推しメンが地元のサッカー選手。それもアマチュア時代から追いかけている。
ユースくん達の練習着にもシマフクロウのエンブレムが付いている。札幌市民はエンブレムをどう思っているだろうか。
最速降格とか最多敗戦とか債務超過とか。嘆きの四文字熟語を連想していないだろうか。
たとえトップチームが不甲斐なくても、下部組織はタレント揃いだったりするのがコンサドーレ札幌の面白いところだ。
ファンが選手の育成を楽しむリアル育成サッカーゲーム?
いや、好きでそうなったわけじゃない。しかしコンサにはコンサの愉しみ方が存在する。
ユースおたくが数年続けてきた事が、トップチームでも当たり前のように受け止められている。クリスマスプレゼントが「僕、サッカーで優勝したよ」だった。地元のお墓のコマーシャルさながらの光景に多くのサポが乾杯した。
J2からの出直しに落ち込むな。新体制で前向きに育成路線を歩んでいこう。そんな矢先にユースカップで全国優勝を果たしてしまった。
完成された他チームからのレンタル選手より、自前のユースくん達の成長過程を愉しむ。苦楽を共にする。同じ夢を見る。
初の舞台も一緒に、初のタイトルも一緒に。同じ景色を見て同じ目標に向かう。コンサドーレサポーターは本当の意味で「12」番を背負い始めたのかもしれない。
銀色に輝くユースカップは本家AKBのレコード大賞みたいなものだ。一緒に戦ってきたものだけがその価値を知ることが出来る。
戦っていた相手は世間でありアンチだったかもしれない。だが世間が振り向いた時、ユースくん達の背中を追う新しいユースくん達が登場する。若梟の道がいつしか太くなる。推し梟を追うファン達の道が太くなる。道が太く長くなる。それがコンサドーレの歴史だ。名は体を表す。ドサンコ+オーレのクラブ名は新生コンサの唯一の拠り所となった。
コンサドーレの未来は、選手とサポーター達が歩んできた道の延長線上にある。2012年、二つの「愛」がメディアに取り上げられた。一つはゴール裏ダンマクにスプレーで書かれた「愛」。クラブは変わらぬ愛にどう答えてくれるんだ?こんな投げかけがあった。そんなやりとりを知ってか知らずか、若梟達はユニフォームの下に着ていたシャツに、「俺達は札幌を愛してる」とマジックで書き何度もめくって見せた。
あれを見たサポーター達は「もやもや」が吹き飛んでいくのを感じていた。何かが変わるかもしれない。コンサの育成路線は間違っていないと改めて確信した。十数年かかってたどり着いた成果の一つであり、新たなスタートラインでもあった。試合の見方、サポートの仕方、これまでの固定概念を一旦見直してみようとさえ思った。
どこへ行き着くかは、歩いてみなければわからない。一緒に歩行する仲間を増やす。行き先に不安があるなら、一緒に歩く人を増やせばいいのだ。一緒に歩いてくれる人は、郷土愛に満ち溢れた誇り高きフットボールファンに違いない。
胸を張ってシマフクロウのエンブレムを叩き、隣人に堂々と聞こう。
「アナタのオシフクロウは誰ですか?」
俺達の育成ゲームは、自分自身の育成ゲームでもある。
http://www.consadole.net/odo5312/article/4407
2013年01月04日 推し梟