コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2014年09月08日

ちょんまげ隊の被災地支援報告会(2)

子ども達に本来の笑顔を。
ツンさんの思いは、あるご家庭のドキュメンタリー映像で次第に明らかになる。

漁師さんの家庭。
漁師の妻と長男は津波で流された。残された二男、まだ幼い長女と次女。漁師さんの船も大破した。父は二人の娘にドラム缶風呂を用意する。薪を燃やして必死に生活する姿が映し出される。剣道部の指導もしている。亡くなった長男の同期生に激励する。
「絶対やめたいと思う時が来る。くじけるのは当たり前だ。だけどそれを乗り越えた時に強くなれる…」
自分を鼓舞しているかのようだった。このシーンは涙なくしては見れなかった。
同じように娘がいる。ツンさんも俺も。

牡鹿半島の小学校を訪問した時、校長が教頭が一緒に「ちょんまげ」を被ってくれた。先生方も子ども達の笑顔が見たい。そのためにはジョークも飛ばす。
ツンさんは言う。

「外から見れば悲惨だって思う光景も、中に入ると実は明るかった」

気丈に振る舞う子ども達。
必死に山に逃げて先生方と夜を明かした。翌日家族と再会した時にどう思った?と聞くとある女の子は「生きていたんだなって思った」と淡々とつぶやいたそうだ。
子ども心にも「人が死んでしまうレベル」の震災だった。その恐怖感、そして家族を失うかもしれないという不安感は計り知れない。

教室の机は半分、もっと少なく数個しかない学級もあった。

「机の数が生徒の数」

外から訪ねて教室の光景に愕然とする。それでも残された生徒はちゃんと机に教材を並べ、先生方は日常を取り戻すべく奮闘していた。

こういう日常から、子ども達をスタジアムバスツアーなどの非日常へ引っ張り出す。束の間でもいいから笑って欲しい。
でも笑ってもらうには相当の努力を要する。だからこそ、ツンさんは後に続いてくれる協力者達に伝える。

「うまく行っていなかった時に気付きがある」

プレゼントは何がいいか、お菓子は何がいいか、一緒に歌って盛り上がるにはどうしたらいいか…すべては台本通りにいかない。即興で変更することもある。
プロの音楽家達を避難所の体育館に呼んだ。プロに対してノーギャラで一日何公演もやってもらう。普通ならあり得ないようなオファーもツンさんだからこそ出来る。すべては音楽のチカラで、氷のように固まった避難所の人達の心を溶かしてもらいたいから…。一瞬でもリラックスしてもらいたいから。
いろんな世代の人達がいるから、みんなが知っている曲を演奏した。「ふるさと」は、被災地にはどうかと最初は思ったが、みんな歌ってくれた。クラシックからアニメソングまで何でも演奏した。音楽家達は言った。
「あんな近くで演奏したのは初めてです」
演奏者の目の前で子ども達が笑いながら飛び跳ねる光景があった。ある保育所の避難所での演奏会のひとコマだ。その保育所は津波で流されていた。

「アナ雪」のリクエストがあれば、音楽家達は徹夜で楽譜を書いた。被災地の子ども達の笑顔を見たい…プロ魂がそうさせるのだ。ツンさんは明け方、音楽家達の作業を見ていたそうだ。熱い魂は連鎖していく。

ツンさんは報告会の冒頭で次のように呼びかけた。

「避難所で暮らす事は他人事じゃない。避難所の方々が撮った津波から逃げる映像の紹介を許可してくれた。僕らに伝えたいものは?」

「バトンを渡す」

バトンを渡された俺は何を書けばいいのか。

「人の主観はアテにならない」

ツンさんは自分の感性で伝えていいよと言ってくれた。同時にこうも言った。

「知る」ことが重要


最初に報告会の報告をコンサブログでするにあたり考えた。
・なるべく報告会で感じた通りに書こう
・ネットで調べずに、ツンさんの用意してくれた動画を聞いたまま見たままに書こう

こうすることで、新聞やテレビ、あるいは自衛隊や警察とは違う目線で被災地を考えられるのではないかと思った。
そして同時に自分の事も考えた。2011.3.11から今まで、原発事故の福島の方に自分の興味が偏っていたかもしれないと。
サッカーがらみで仙台や水戸も心配していた時期もあったし、チャリティで東北も気にかけていたけれど、あまちゃんで岩手にも注目していたけれど、まだまだ陽の当らない(というか自分が知らない被災地)箇所が沢山ある。
全部に興味を持つのは無理があるし、災害も次から次へと起き被災地も年々増えていく。札幌も北海道もいつ震災が起きるかわからない…

昔、新潮文庫で「想像力と数百円」というキャッチコピーがあった。
俺はあれを思い出した。
ツンさんの体験から、いろいろ想像しようと。
もし、俺があの漁師の立場だったら。あんなに気丈に振る舞えるだろうか…
サッカーの可能性も考える。グローバルでワールドワイドで、外国人とも助け合えるツール、それがフットボール…
俺達が人生をも狂わせた(いい意味で)フットボールの確かな可能性。そしてコンサドーレの価値、そんなところまで考えてしまう。
なぜなら被災地でもどこでも重要なのは、コミュニティのあり方とコミュニケーションだから。
それが「バトンを受け取る」という一つのかたちかなと思った。
そして、つたなくてもいいからホットなうちに文章にして、ブログを通じてバトンを誰かに渡さなければ…とも思ったのだ。

つづく
(本日はここまでです)

posted by odo5312 |20:34 | 日本代表 | コメント(0) | トラックバック(0)

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