2014年09月08日
ちょんまげ隊の被災地支援報告会(1)
「東北に遊びに行ってほしい」 札幌ドームで偶然立ち寄ったブースにちょんまげ隊のツンさんがいた。 ツノダ ヒロカズさん。 代表戦、ワールドカップで世界中に知れ渡ったツンさんではあるが、俺は彼の人となりを何も知らなかった。だが、この人の話を聞きたいと思った。幸い翌日の「被災地支援報告会」は午前開催だったので行くことができた。これも何かの縁かなと思う。 ボランティアのきっかけは、運動靴を被災地に送りたいと役所に打診したことから始まる。松戸で靴屋さんをやっているツンさんは被災地に靴を送りたかった。 役所は足りています。2000足ありますと言って断った。実際に集積所に赴いて調べて見ると、履けない婦人靴や使えないサンダルやスリッパが山積みだった。被災者が欲しがる靴、特に子供靴は奪うように無くなっていたのである。 この教訓からツンさんは、次のようにスクリーンで説明してくれた。 「ニーズのミスマッチ」 「ニーズは日々変化する」 おそらく震災のあった地域はみんなこういうジレンマに悩まされていたと思う。役所の怠慢とは言わない。要するに避難所の物資の状況は刻々と変わっていくと言う事だ。つい最近の広島でもタオルが集まりすぎてしまったらしい。 気仙沼の集積所で見た光景ももしかしたら、一時的なものだったかもしれない。しかしちょんまげ隊は現地で自衛隊からも証言を得ている。足で稼いだ情報は信用できる。しかも通う回数が57回を越えたという。 ちょんまげ隊は大きな街には行かない。牡鹿半島の小学校周りからスタートした。ベガルタ仙台のサポーターからの情報からだった。 そこに向かうまでの映像でもツンさんは、教訓を生かして欲しいと言う。 ライフラインの水、電気よりも大事なものがあると。 「道路の確保」だ。 災害があって車を乗り捨てる時は、鍵を付けたまま路肩に。 数台なら何人かで片付けられる。だけど数百台、数千台が道をふさいでいたら、どうでしょうかと問いかけた。 どこの自治体でも起こりうる問題だ。北海道の真冬の道路だったら一体どうなってしまうのか。除雪もできない。当然がれきの撤去もできなくなる。 ちょんまげ隊は、被災地の人達に笑って欲しいという思いで活動している。 行政でもNPO法人でもない。しかし行政やNPOが出来ない事をやれると信じている。 女川のコンテナ商店街に「花友」という花屋さんがある。ここで安く生花を仕入れてお母さん方に配ったそうだ。花は女性を笑顔にできる事を知っているのだ。母の日に花を贈る。本当に贈られたい人や贈りたい人はこの世を去ったかもしれない。それでも何かサプライズできないかと考えている。 無理が無い、犠牲にしない、楽しんでいる。これがボランティアの三原則らしいが、ツンさんは言う。 「ボランティアにマニュアルはありません」 マニュアルが無いなら自由な発想で、でもとことん全力を尽くしたい。熱き思いは海を越え、バイエルンミュンヘンの選手達もちょんまげ隊の活動に賛同してくれたそうだ。ユースカップでお世話になったようだ。 サッカーは言葉の壁も文化の壁も越える。 ボーダレスでワールドワイドな時代だからこそ、感謝の気持ちはリアルで伝えたいとツンさんは子ども達に教える。 ブラジルワールドカップに被災地の中高生を連れて行きたいと企画した。募金とチャリティで300万円集まって応募してくれた4人全員をブラジルに連れて行ったそうだ。 コートジボワール戦の日。彼らは「よさこい踊り」を披露しブラジル人達から「きれいだね」と褒められた。注目を集めたあとに感謝の横断幕を出した。ポルトガル語と英語で「沢山の支援をいただきありがとうございました」と。 彼らは、もともとバスツアーでちょんまげ隊と交流を持った。ユアスタでベガルタを応援するツアーだった。最初乗り気でなかった彼らを、あの手この手でもてなし笑ってもらおうと画策した。チャントを歌って、避難所などで鬱積したストレスを発散してもらいたかった。しかし、親も子もなかなか心を開いてくれなかった。震災で肉親を失った悲しみは簡単に癒せるものではなかったのだ。 つづく
posted by odo5312 |19:56 | 日本代表 | コメント(0) | トラックバック(0)
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