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大阪の道産子(通称オオドサ)と称してましたが、2009年7月2日から札幌市民となりましたので大阪帰りの道産子(オオドサはそのままです)となりました。   1955年11月26日岩見沢生まれ。大学が大阪だったせいもあり人生の半分以上をアジアの香り濃い大阪で過ごしましたが、気持ちはいつも道産子のままでした。   トレードマークの背後ドーレ君は最近座席で一緒に応援していて首に付けてはいませんが大事な試合には復活します☆ 帰道して5年目のお盆に末期の大腸癌で大腸が破けて生死の境を漂いましたがなんとか生還して再びコンサを応援出来る喜びに感謝しています。 その後再発しましたが、何時の日にかコンサがJ1優勝する事を夢見て自宅で闘病頑張っています(^o^)v   尚、捨てハンの方のコメントに対しては、原則として告知無しに削除させて頂きます。   【好き】中山元気 aiko 麦とホップ黒 民間航空機 【苦手】ネガティブな人 タバコ 大阪のゴキブリ(デカイし飛ぶ!)

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児玉清さん逝く・・長寿番組アタック25の前の児玉さん司会の短命なクイズ番組をご存知でしょうか?

2011年05月17日

児玉清さんが胃がんで逝去されました。アタック25は大学のクイズ研究会での模範的素人参加クイズ番組として36年間も人気を博しました。

でもその前年にたった1年間大阪の毎日放送で「クイズイエスノー」と言う番組がありました。司会は児玉さんと当時大阪で人気のあったMBSアナウンサーの佐藤良子さん。そして提供は東リの前身の東洋リノリュームでした。

1974年はオオドサが大学生の時に毎日放送でバイトしていましたので社員食堂(人民食堂と呼ばれていた)や喫茶オリオンズ(プロ野球の大毎オリオンズ由来)で児玉さんをみかけました。
若いッ!
児玉さんは若いスタッフにも気さくに声をかけてくれました。でも番組は視聴率が低迷していたのと当時毎日放送では小池清さん司会の「アップダウンクイズ」が大人気で陰にかくれてしまいましたから。さらに腸捻転解消(系列ネットで大阪だけが新聞系列とねじれがあった)問題で打ち切りとなるのですがANN系列に朝日放送になった時に、東リが児玉さんの能力の高さを認識し、ABCに強い要望で児玉さん司会でアタック25が始まりました。 ウィキには記載が無いのですが、当時グレーしか無かったリノリューム(床材)にカラーの製品が出来たからあの番組形態になったと聞きました。クイズ自体のアイデアはオセロゲームがヒントだそうですがカラーテレビの普及に貢献したとも言われています。 謹んで児玉清さんのご冥福をお祈りいたします。



post by 大阪帰りの道産子

20:55

コメント(4)

この記事に対するコメント一覧

M・Y

Re:児玉清さん逝く・・長寿番組アタック25の前の児玉さん司会の短命なクイズ番組をご存知でしょうか?

2011/05/17 22:15

 知ってますよ。その前の番組が「ダイビングクイズ」ですよね。      「アタック25」には、学生時代と会社に入ってからと2回出ましたけど、実はいまでも児玉さんに申し訳ないと思っていることがあります。もう18年ほど前でしょうか…。2度目の出場の際、フィルム問題はある人物を当てるもので、正解は「マイクル・クライトン」だったのですが、不勉強で当てられませんでした。    児玉さんはそのころから、書評も書いていて、マイクル・クライトンの本の後書きは児玉さんが担当。わたしが出場した番組の収録直前に朝日新聞主催で、東京・有楽町で、マイクル・クライトンの講演というか、公開の対談が児玉さんの司会で行われていたのですが、チェックできていませんでした。    クイズ番組の司会者がそこまで入れ込んでいる作家を出場者として当てられなかったことは、海外旅行獲得を逃した悔しさというより、わたしの事前リサーチ不足ゆえに、児玉さんに悪いことをしたな~という、感情となっていまでも残っています。    高級なスーツを着こなし、長身で、まさにダンディーを絵に描いたような方でした。わたしにとって、俳優の児玉さんは、NHKの6時間ドラマ「ポーツマスの旗」(主役は小村寿太郎役の石坂浩二)での貴族院議員・金子堅太郎役がすべてで、あれは、児玉さんの品の良さが実に良く出ていました。たしか、1981年の放送ですが、いまでも、ビデオを見ることがあります。故・大原麗子さんも石坂浩二さんの妻役で出ていましたよね。時は流れますね。    2度目の出場の時に、収録の合間に「プロ野球はどこのファンか」という話になり、わたしが「東京出身のかみさんがヤクルトファンなので、そういうことにしておきます」と話すと、ニッコリと笑って、「そうですか。実はわが家も一緒なんですよ」とおっしゃっていたのが忘れられません。ご冥福をお祈り申し上げます。      ちなみに、賞品の東リのカーペット。カーペットは汚れやすいとあって、自費では絶対買わない、買えないような高級カーペットをいただきました。いつの間にか、わが家から消えましたが、あの毛並みの高級感も、児玉さん的だったのかもしれません。わたしが出場したころは、まだ1社提供の番組が輝いていたテレビの良き時代だったのかもしれませんね。

大阪帰りの道産子

Re:児玉清さん逝く・・長寿番組アタック25の前の児玉さん司会の短命なクイズ番組をご存知でしょうか?

2011/05/17 22:27

M・Yさんこんばんわ(^o^)/ >正解は「マイクル・クライトン」だったのですが、不勉強で当てられませんでした。 その回を見ていたような気がします・・あの時の勝者がM・Yさんだったのですね。 でも人物は都市名等に比べてかなり(パネルの取り方にもよりますが)難しいですよね。 収録はきっと時間がかかったと思います。照明担当の東通ライティングさんには友人が いるので収録が長いと嘆いていました(^▽^;)  

M・Y

Re:児玉清さん逝く・・長寿番組アタック25の前の児玉さん司会の短命なクイズ番組をご存知でしょうか?

2011/05/19 15:18

 ブログが更新されないので、連続コメントしますね。  一般視聴者参加型のクイズ番組は、いまではアタック25ぐらいになってしまいましたが、全盛期はいろいろありましたよね。東京のテレビ局に比べると、概して、大阪の局制作の方が作り方が丁寧だったと思います。  アタック25は、いまでもそのようですが、隔週木曜日にスタジオで「2週撮り」(一度に2回分撮る)です。クイズ番組の全盛期、朝日放送では、木曜日にABCホールで、三枝の国盗りゲームを同じく隔週で、もう一方の隔週で、世界一周双六ゲームを撮っていたと記憶しています(このいずれにも出場しています=爆=)。  いずれも、会議室での説明、ドライ、カメリハ、本番と進みますが、東京では素人さんに化粧をしないのが普通なのですが、大阪では丁寧に化粧をしてくれますね。ディレクターさんは事前に「汗止め程度ですよ」と言いますが、そんなことはありません。その証拠にほとんどのディレクターが「男の人の中には、これが癖になる人がおるので気を付けてな」という、いかにも大阪的な冗談を言うほどですから…。実際、顔の微妙なでこぼこが消え、しみも見えなくなりますから、実際はどうであれ、少しは男前になった気がするのは事実です(爆)。 三枝の国盗りは、黄色い表紙の立派な進行台本があり、いまでも持ってます。  アタックの収録では、アタックチャンスの前に一度、ビデオが止まり、スタッフが4人の出場者個々に、正解した場合にどこのパネルを取ったら良いのか、そして、アタックチャンスのねらい目はどこにするべきなのかについて、懇切丁寧な説明があります。もちろん、児玉さんからも発言があります。最初の出場の時は、児玉さんから「一番ポテンシャルがありますから、頑張って下さい」と励まされた記憶があります。  とはいえ、この際に活躍するのは一般的には構成作家のT氏です。アップダウンクイズをはじめ、大阪局制作のほとんどのクイズ番組を仕切っているこのお方は、大変厳しいことで有名で、ほとんどの場合、丁寧なレクチャーの一方で、叱責、お小言を賜ることになります(笑)。    わたしは未経験ですが、アタックでは、最初に13番のパネルに何かの色が点灯した次の問題で、13番を取れなかった人が答えるのはあきらかに不利ですから、えてして、答えを知っていても、答えない、ボタンを押さないという現象が発生し、これが長く続くと、やはりビデオが止まり、T氏の登場となるそうです。もちろん、実際の放送では、2問目は誰かがあっさり答えたように編集されて流れるわけですが…。  クイズ番組に出ていると、全国に「同好」の友達ができますが、前に書いたとおりにABCでは木曜日にアタックと双六、もしくは国盗りを同時に撮ってましたから、いわゆるマニアが集結することになります。多少は知っている人が出場していた場合、もしくは、応援に来ていた場合、収録後に「宴会」となるのが常でした。双六が始まる前は「パンチでデート」を撮っていたかもしれない。だって当時、大川興業の団長に会ったもん…。そんな出場者、応援者宴会に何回でたことでしょうか。  よく、賞金、うんぬんの話を聞かれますが、北海道から出場しますから、賞金よりも、往復の飛行機代の支給に加え、朝日放送の場合は、いまはなき、ホテルプラザに1泊もしくは2泊させてもらえるので、そちらの方がうれしかったですね。わたしの場合は、九州ワイド周遊券とか、四国ワイド周遊券を買って、国鉄に乗って、大阪で途中下車して行ってました。  そうだ、最初にアタックに出たとき、収録が3月の終わりで、放送が5月1日だったのですが、ちょうど、ABCの組合がストに入り、カメラマンなどを非組の管理職(?)の方が担当しました。放送を見たら、回答権を得た人へのズームが遅れたり、ズームが最初は隣の回答者に向かって途中からぶれたり、なかなか笑える映像でした! どの世界にも、やはり、「職人技」があるのですね。(こういう終わり方だと、オオドサさんの職人話が聞けるのではないかと…)      

大阪帰りの道産子

Re:児玉清さん逝く・・長寿番組アタック25の前の児玉さん司会の短命なクイズ番組をご存知でしょうか?

2011/05/19 17:20

M・Yさんこんばんわ(^o^)/ 米国では今でもクイズ番組は一般視聴者参加型です。米国人が日本のクイズ番組を見て 「なぜ高額所得者のタレントが出て賞金を獲得する必要があるのか」と疑問を呈します。 >少しは男前になった気がするのは事実です(爆)。 大阪は照明さんの発言権が強いので、光を吸い込む肌には反射するメイクを。逆は吸収 メイクを衣装に合わせて行ないます。ですので関西の番組の方が落ち着いたトーンになる 事が多いようです。 昔は労働争議が良くありました。時間外拒否闘争で突然管理職のスタッフに代わったら その日のうちに収録が不可能になった事もありました(^^;) 職人技のカメラマンは野球ではホームラン性の大飛球をボールのフォローでは無く外野の スタンドにフレーミングしておいて、外野手とボールがフレームインする絵作りをします。 またサッカーでは先読みして駆け上がるSBをUPで撮り、パスを受けてクロスを上げる 時に少し引いてゴール前の映像にします。インテルの長友の映像を見ると、イタリアの カメラマンはさすがだと思います(外したのもありますが・・) でもTVのカメラマンは昨日は料理番組のロケ・・今日はスタジオでバラエティ・・明日は スタジアムでスポーツ中継と「何でも屋」さんなので大変ですネ(^o^)v

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