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大阪の道産子(通称オオドサ)と称してましたが、2009年7月2日から札幌市民となりましたので大阪帰りの道産子(オオドサはそのままです)となりました。   1955年11月26日岩見沢生まれ。大学が大阪だったせいもあり人生の半分以上をアジアの香り濃い大阪で過ごしましたが、気持ちはいつも道産子のままでした。   トレードマークの背後ドーレ君は最近座席で一緒に応援していて首に付けてはいませんが大事な試合には復活します☆ 帰道して5年目のお盆に末期の大腸癌で大腸が破けて生死の境を漂いましたがなんとか生還して再びコンサを応援出来る喜びに感謝しています。 その後再発しましたが、何時の日にかコンサがJ1優勝する事を夢見て自宅で闘病頑張っています(^o^)v   尚、捨てハンの方のコメントに対しては、原則として告知無しに削除させて頂きます。   【好き】中山元気 aiko 麦とホップ黒 民間航空機 【苦手】ネガティブな人 タバコ 大阪のゴキブリ(デカイし飛ぶ!)

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雪の降る町を♪

2009年12月16日

今年の札幌の根雪は観測史上最遅の記録に並んだようです。滝川や旭川はかなり降っているのにね。

あまり札幌の積雪が遅いと誰かに「札幌も温暖化しているから秋春制を」との口実を与える恐れがあるかも(^▽^;)

ところで子供の頃よく聞いた歌で「雪の降る町を」があり今でも懐かしいのですが、ボクはずーっと「雪の降る町」が旭川がモチーフになっていたと信じていました。たしか旭川市の広報にもそう載っていたと思います。

でも出張で山形に行くと鶴岡市が「雪の降る町」のモデルだと言ってたのにはw(゚o゚)wしました。まるで肉じゃが発祥の地が、京都府舞鶴市か広島県呉市かの論争みたい?



ニトリ様に感謝
20091216-00.gif



post by 大阪帰りの道産子

04:12

コメント(3)

この記事に対するコメント一覧

ベンタロウ

Re:雪の降る町を♪

2009/12/16 17:12

お久しぶりです。 日めくりのカレンダーも残り僅かになりました。 今年ももうすぐ終わりですね。 今日、桜島は初冠雪。去年よりも10日遅れての 雪だったようです。 明日は出張・・・福岡行き。天気予報では雪模様ですので 僕にとっての初雪になりそうな気配。 寒いけど、南国住まいの身としては、ちょっと楽しみにしていますよ。 ほんじゃ、また。

かもめ

Re:雪の降る町を♪

2009/12/16 19:51

作曲者は鶴岡での雪をイメージしてメロディーを作ったのですが、作詞者は、当初はどこをモチーフにしたとかはなかったみたいですが、その後、旭川を訪問したとき、「この曲は旭川こそふさわしい」と言って、直筆の歌碑を寄贈したのですが、それは旭川市から頼まれてのことだし、ちょっと旭川のは苦しい感じがしないでもありません。(リンク参照) 肉じゃがは、東郷平八郎ゆかりなのは知ってたけど、舞鶴と呉との論争もあるのは知りませんでした。 海軍の軍港同士ですね。 横須賀は参加してないのか (笑

大阪帰りの道産子

にくじゃがを喰う町を♪

2009/12/17 08:46

べんちゃんこんにちは(^o^)/ 本当に一年経つのがアッと言う間ですよね。昔、鹿児島行った時は大量の 降灰でホテルに停めたロケ用の車に灰が積もってw(゚o゚)wしました。 ある意味降雪よりやっかいかも知れませんネ(^▽^;) かもめ殿、リンク先見ました。 >歌の舞台は特定していなかったが、昭和48年旭川に決まった。 ボクの記憶に旭川の印象が強いのは、その当時高校で放送部の部長をしていたので そのニュースをきっと頭の片隅で覚えていたのだと思います。 ところで肉じゃがですが、15年位前に舞鶴市が「肉じゃが発祥の地宣言」をした時 市内の公立の学校給食では定期的に肉じゃがを出すと言う「ヒマネタ」を取材した のですが、その時の小学校の校長先生の個人的な考察を含めての話が面白かったです (以下はボクが覚えている先生の話の要旨でウィキなどの記述とはかなり異なります) 東郷平八郎は日本海軍の士官と言う立場で英国ポーツマスの王立海軍士官学校の国費 留学をしていました。彼は士官学校のレストランのビーフシチューが大変お気に入りに になったようで、帰国後に舞鶴の海軍基地に初代総督として赴任してからも、その味が 忘れられないようでした。 平八郎は料理にはあまり詳しく無かったようで、西洋料理には音楽の五線譜の様な再現性 があるレシピの存在自体を知らなかったようです。ですのでレシピを英国の士官学校の レストランのシェフに、手紙で問い合わせれば良いだけの話だったのに、それをした記録 は無いそうです。 平八郎は舞鶴海軍基地の食堂の板前さんを何度も呼び出して、ビーフシチューの内容を 口頭で説明して作らせるのですが、デミグラスソースどころか、赤ワインすら知らない 板前さんが苦労して作り上げたのが「肉じゃが」だそうです。 平八郎は「ビーフシチューとは程遠いが、これはこれで旨い」と海軍艦船の艦内食に採用 したようです。当時帝国陸海軍は兵隊の脚気の蔓延に悩まされていたようですが、陸軍を 中心として脚気=細菌感染説が主流で原因菌探しが盛んでした。森鴎外などは死ぬまで 脚気の細菌説を信じていました。 http://homepage3.nifty.com/ymorita/neta5.htm しかし海軍は当時同盟国の英国海軍の水兵には脚気の患者がいない事にに気づいていました。 食事に関係がある(まだビタミンB1欠乏症とは判っていませんでしたが)と推測して船の 食事を洋食に変える動きがあったようです。しかし食べなれない洋食より、ポリシーは洋食 だけど中身は和食の肉じゃがとカレーライスがたちまち水兵の人気になったそうです。 日本海軍では寄港地で食材を仕入れる時に、牛肉にはこだわらず豚肉でも可としたようで 豚肉の方が脚気には良かったかも。

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