2008年11月12日
応援に身の丈ってあるのだろうかな
浦和のものすごい応援を間近にみてしまって。 赤黒ゴール裏の身の丈ってなんだろうって考えてしまうのです。 チームの未来とか方針とかビジョンとか。 そこまでのことをどう考えるかなんてことはシーズン中はないなあ。 シーズンオフ、暇になったら、そういう妄想を繰る拡げることも。 きっとあるでしょうが。 浦和のマスゲーム的応援は本当にすごかったけれど。 あれが赤黒ゴール裏の求めるものだとは思わなかった。 それが、収穫といえば収穫かなあ。 USさんの応援自粛も相まって、応援はグダグダとなってしまったけれど。 私は、人工的ではなく自然発生的な応援を好ましく感じました。 勿論、圧倒的に悔しかったのは言うまでもないのだけれどね。 緩いとかぬるいとか言われても、わが赤黒ゴール裏は。 強制されて派生するものではないナチュラルな応援が良いと思います。 JBアンテナを通じて浦和さんのところで。 赤黒の応援でメガフォンを排除したのが時期草々だったという内容を見たのだけれど。 ようは緩い応援を排除したのが、観客を増やすことができなかった原因の一つかもと私は読み取ったけれど、一理あるかなあと。 全方位で全員が応援できうる仕組みを自ら捨て去ったのかも。 いまさら、メガフォンに戻ることはできないので。 そのメガフォンの代わりとなる何かを探す必要性があると思います。 浦和さんサポ8000人が統一されて応援できるのは。 応援がシンプルだからだと感じました。 このシンプルさはすぐにでも取り入れる必要性があるなあ。 サルトするのも、8000人全員がするというのが大げさではないほど。 ただ、そのサルトする時間はそんなに長くはない10分もないでしょう。そこら辺のメリハリだろうなあ。 わが赤黒ゴール裏は歌にこだわり過ぎでしょう。 そしてその歌の原曲があるのかどうか。 あるとしても、なんだか分らないものが多くはないでしょうか。 札幌市民や北海道民がすぐわかるものにしてくればリズムに乗りやすいのに。 USという中心となる核となるグループがあって。 応援の企画とか祭りを考えて行動を起こすグループがあって。 応援の主導を取るのはもちろんだけれど。 応援とは、自然な感情の発露であって。 それは、あちこちから自然に起こってよいと思う。 そしてその応援の小さなさざ波をUSさんが大きなもの。 そして確かなものとしていく。 そしてそういうものにゴール裏が乗っかっていく。 そういう妄想をあり得ない理想を描いてみたいなあ。 そういう赤黒ゴール裏の未来は想像できたら楽しいだろうに。 応援を義務と感じて応援するようになっていないかな。 応援って本来楽しいものだろうって。 声出すこと、こぶしを突き上げること。 ゴール裏にもたまに子供さんが本当に小さな子供さんが。 かわいらしくサッポロとかコンサドーレって声を出したり。 こぶしを突き上げたりしているのを見かけます。 あれは、そのこと自体が楽しいからだよねって思うのだけれど。
posted by mimicaki |14:07 | 赤黒2008 | コメント(1) | トラックバック(0)