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2006年06月30日

蹴球の日本代表の事を○○ジャパンと呼ぶのを止めようではないか。

オフトジャパンから始まった監督の名前を最初につけて代表を言い表すのを辞めよう。

オフトさん、ファルカンさん、加茂さん、岡田さん、トルシェさん、ジーコさん。
まあ、この名前が挙がる前の蹴球日本代表は、誰が監督であるかなんて。
どうでも良かったからそういう風に呼ばれる事は無かった。



後、日本代表は、各種競技に1チーム存在する。
蹴球にしか存在しないものではないという事をまずは書いておいて。




この後誰が監督になろうと。
オシムさんの名前が挙がっているようですが。
たとえ、オシムさんがどれだけ、優秀な名将であろうと。
一例として、オシム・ジャパンと呼ぶ事はやめようではないかという事です。



呼称というのは、とてもとても大事な事だと思う。
オシムさんがたとえ、どんなに凄いチームを作ろうと。
それは、オシムさんのものではない。



いやいや、たぶん素晴らしいオシムジャパンを作ってもらって(仮定のお話です)。
高らかに大きな声で呼んでみたいというのが、もしかして私を含めての。
大多数の気持ちなのではないかとも思うのですが。



でも、蹴球の日本代表は、そのときの監督のものではない。
そこらへんの意識から変えていかなければ、ならないと思う。



トルシェさんのトルコ戦からの消化不良から。
ジーコさんへの期待。
ジーコさんんなら日本の蹴球を知っている。
日本の選手の良い所を引き伸ばしてくれるに違いない。
ジーコさんの鹿島での選手からそしてアドバイザー(?)としての日本蹴球界へのかかわり方への期待。



これって、千葉でのオシムさんの監督してのという部分とまったく同じ。
監督の力量だけに依存してまた次の4年間を戦うのか。



まずは、蹴球の日本代表が誰のものなのか。
実は、誰のものでもないのだろうけれど。
ジーコさん一人のものではないし、次期監督のものでもないに決まっている。
でも。本当にその当たり前の事が当たり前になっているのかなあ。
次期監督が素晴らしいチームを作って、そして。
それが○○ジャパンと高らかに呼ばれる事となるのかもしれませんが。
それはそれで違うと思うのだなあ。


それは、その○○ジャパンの創始者となってオフトさんの責でもある。
あのときのチームはオフトさんのチームと呼んで差し支えなかったでしょう。
そう言い切っていいのかもしれないなんて思うのですが。
そういう時代、時期は過ぎ去ったのだと思う。
そいう風に思えた時間が、至福のときでもあって。今から思えばですが。
そこに戻りたい、美しかったなんて振り返りたいなんて思う事もあるけれど。



南アフリカを目差すジャパン。
何か長いなあ、やはり監督の名前を前につけた方がいいのかなあ。
でも、絶対違うような気がいたします。
韓国の後にオーストラリアの代表監督をして。
その後に、ロシアの監督を受ける事に決まっているヒディングさん。
代表を率いてどれだけ瞬時に素晴らしいチームを作り上げるとしても。
いや、だからこそ、この人はヒディング○○なチームしか作らない。
この場合は、丸々に国名が入る事になるのだろうけれど。
ヒディングさんには日本を率いて欲しくはないなあ。




ここから先は仮定の話。
もし、オシムさんが監督に決まったら。
千葉から伝わるいろんなお話を見るに付け。
とても優秀なんて事を言うのは大変失礼なお方だと思います。
だからこそ、その素晴らしい御仁に全てを投げ出して、丸投げして。
預けきってしまう危険性がある。
あるいはこの御仁に全ての困難な壁を壊してもらえば良いと思ってしまうかもしれない。
そして、もしかしてその壁を壊してくれるかもしれない。
此処でいう壁は、今TVで流れている世界の壁だけではなく。
もう少しいろんな種類のものが当てはまると思います。
こんな妄想をW杯中間のハザマで考えていましたが。
だから、どうすればいいなんてこともあまり無いんだなあ。
題名で全てを言い表しているのだから。



トルシェさんを生理的に嫌いな人たちは。
たぶん、日本代表を私物化したと思っているのではないか。
と私は勝手に妄想しています。
いや、トルシェさんが私物化したか同化の議論をするつもりもありませんし。
そんな事をいう人もいないでしょう。
本当に私一人のも妄想ですから。
そして私物化したと私も思ってはいません。
でも、そういう風な雰囲気を○○ジャパンという呼称を連呼する事により。
引き寄せるのではないかという事です。

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posted by mimicaki |21:59 | 独逸W杯 | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年06月24日

東京V1969戦を終えて イン厚別 4対0

今、日テレでラモスがW杯スペシャル番組に出ているけれど。
生なのかなあ、なんとなくおとなしい感じがするのは私だけですか。


試合内容は、もうほとんど覚えていない。
そう、お祭り騒ぎだった。
この試合を見た8,494人は至福の時間を共有した。
主審の大西弘幸氏、ボールに絡んだなあ。



フッキのPKは前回と一緒。
右に打って止められ、なぜかやり直し。
そして左に蹴ってゴール。

審判が時計を止めてなくてのやり直しって本当?。


一番うれしかった事は。
わが赤黒が勝っていて。
敵DFがボールを出す所がなく、仕方がなく。
バックパスを選択しなければならないとき。
早く出せとばかりにブーイングをかき鳴らすのが今までなら。


それを拍手で今回は迎えた事。
私も思い切り拍手しました。



急ぐときと、ゆっくりやって欲しい時。
その緩急を応援に表現したいなあ。
同じ応援も、同じ歌も、そこに緩急を、リズムを付けれたらなあ。


やはり、青空の下の蹴球はいい。
ピッチは遠いし、ドームから比べると低くて見難いけれど。
雲ひとつない青空と表現するほどの空ではなかったけれど。
私の心は、本当に最高に爽快だった。


中山さんのポストプレーをはじめてみたといって良い。
前線で高さを証明して見せた。
あとは、ゴールだなあ。




posted by mimicaki |23:14 | 赤黒2006 | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年06月23日

日本対ブラジル 1対4 東京V1969戦を前に

このグループは最弱の、オーストラリアとクロアチアと日本が互いに引き分けで。
唯一の強豪伯剌西爾相手にどう戦うかで、2位通過が決まる。
その法則を自らオーストラリア戦でロスタイムに3失点し放棄した国が日本。
そういうグループだったのだなあと結論付けてみる。



中田英さんが試合後、タオルをかけて倒れこんでいたけれど。
ウウム武士の情けという事で。



この試合は2,3点差を伯剌西爾相手につけなければならない試合。
3点取られたら5点取ろうと、もがく。
4点取られたら6,7点取ろうと、もがく。
ある意味現実的ではない試合のはずだった。
そしてそれを十分理解して試合に入っていると思っていた。



玉田さんのシュートと稲本さんとサントスさんのパスは素晴らしかった。
か弱い伯剌西爾のDFを切り裂いてくれた。



だから、前半終了間際に同点にされたことが問題のはずがない。
伯剌西爾相手に得点をどんどん取ろうとしていて。
伯剌西爾相手に無得点に抑えることができると思っていたという事が問題。



伯剌西爾を無得点に抑えることと。
伯剌西爾相手に得点を取ることと。
どちらが楽か、可能かと考えたら。
圧倒的に得点を取ることのほうが楽だろう。
実際に1得点できた、もっと取ってほしかった。
2点め、3点目と得点を重ねられて現実的な闘いではなくなっていたとしてもだ。
そう、伯剌西爾を無得点に抑えることはほとんど不可能だと思う。
そういう覚悟が足りなかったのだと思う。



前半を無得点に抑える力があるのなら。
オーストラリア戦のロスタイムの2点目、3点目はなかったはず。



結果として3対8とか、蹴球らしくないスコアになっても。
それがこの闘いの特殊な所。
格上の世界一に対して攻撃的に複数得点差を臨む試合なのだから。
アルゼンチンでさえこういう闘いを伯剌西爾相手に望むとは思えない。
いや、世界のどの国もこういう闘いを挑まないだろう。



結果としてそういう闘い以外選択肢をもてなかった不幸を感じるより。
そういう贅沢な闘いに挑める至福の時間を堪能して欲しかったなあ。
その気概が足りなかったことが私は不満で合って。
ほんとうに現実的では考えではないことは良くわかっているけれど。



今回は本当に世界に凹まされた。
世界で初めて凹まされたということだろう。
今回はある意味惨劇だ。
フランス大会でもアルゼンチンと戦っているけれど。
もしかして勝てたかもという幻想をいだけた。



ドーハの悲劇も悲劇という美しい言葉で飾られて。
ある意味今回のような惨劇として語り告げられてはいない。
確かに韓国相手に何度も凹まされていたけれど。
それは亜細亜内の中でのお話で。



日本をあれだけチンチンにしていた韓国がW杯でぼろぼろにされているのを。
私は見ている。
そういう経験を日本もしただけのこと。
それを誰かのせいにしたりしては、また言い訳と逃げ場所を作るだけだと思う。




いやいや、本当の死闘はまだ経験していない。
伯剌西爾は控えを試しに来たのだから。
でも、その控えが全力できてくれたのだから。
その至福の場で現実的ではない力で戦ったのかなあということ。





本当の死闘は、たとえばEグループのような所に入り。
伊太利亜とガーナと亜米利加とチェコのような闘いをすること。
そして戦い抜くことで合って。
まだまだ、その経験をさせるのは早いということなのかもしれない。
FIFAは日本をそういうグループに入れる気が無いのかも。




本当にある意味組みやすい組に入れてもらえたのに。
そこでのこの数値は本当に凹まされる。




こういう極端な試合をするのに。
極端なことをするべきだったと思う。
もしかして今までのものを全て叩き壊すことをしてくるかなあと思ったけれど。
中田英さんと俊輔さんをはずすとか。
でも、この二人をはずす選択をできうる選手がいなかったのか。
選ばなかったのか。
そして、W杯の試合にでなかった選手もいるわけで。
じゃあ、此処まで逆境になっても試合に出さない選手をなぜ選んだのだろう。
なんて毒をとりあえず最後にはいて見る。




私は7回目のW杯を見ている。
もしかして78年のアルゼンチン大会も見てるかもしれない。
覚えていないというか、見た気もするし。
三菱ダイヤモンドサッカーの番組内であったような気もするし。
もし、そうなら8回。
今後の人生で後、何回見れることか。
後、何回日本はW杯に出られるか。
私が生きている間にあの杯を掲げるシーンを見ることができるだろうか。
そういう中の一つの闘いであったということ。
少々、強がって終わりとしようかなあ。

posted by mimicaki |21:43 | 独逸W杯 | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年06月17日

マラドーナが凄い、そしてさんまさんの嗅覚も凄い

アルゼンチン対セルビア・モンテネグロ 6対0
何の解説もいらない試合。


ただただ、見入るのみでよい試合。
マラドーナが凄いと書いたけれど。
この試合だけはNHKBSではなく、民放日テレを見ることを選択した私に乾杯。
2画面TVなのでどちらも見れるのだけれど。
きちんと日テレを見ていました。



マラドーナが凄いだけではなく、さんまさんも凄い。
前半の得点でお腹一杯になった所で。
メッシさんが出てくる1アシスト1得点ということで。
何かトヨタ杯みたいな放送になってきました。
さんまさんのこの嗅覚、この試合をゲスト解説するという嗅覚。
日本TVが偉いのか、いやいや、やはりさんまさんが偉いに決まっている。





セルビア・モンテネグロが弱いわけではないでしょう。
このグループに入ったらわが日本はどうなったのだろう。
1点も取れないで大差で3戦全敗でも当たり前におかしくない。
改めてそう思った。


ぐうの音も出ないそういう体験はまだしてないよなあ。
日韓大会でも仏蘭西大会でも豪州戦でも。
思えば、韓国もサウジアラビアもそういう体験もしている。
今回がそういう体験をする段階なのかもしれないなあ。
いやいや、クロアチア戦に勝つことしか考えないようにしないと。


その前にオランダ対コートジボワール戦を見ないで寝れるだろうか。
いやいや、仙台戦を忘れているわけではないです。
速報で確認しながら応援します。

posted by mimicaki |00:09 | 独逸W杯 | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年06月16日

アルゼンチンじゃなくマラドーナが凄い

アルゼンチン対セルビア・モンテネグロ戦前半途中。
2点目は凄かった、思わず大声を上げてしまった。
独逸W杯では初めての。


それ以上に凄いのは。
背広正装ではなく、アルゼンチンのレプリカを着て。
タオルマフラーを振り回し応援してい英雄マラドーナ。
勿論というか、たぶん貴賓席かそういう所で応援しているのだと思うのだけれど。まさか、サポーター席ではないだろうな、いくらなんでも。

英雄マラドーナがああいう応援をしている。
もう、本当に楽しそう。
アルゼンチン人では勿論ないけれど、そしてありえないことなれど。
一緒に応援できたら、本当に幸福だろうなあ。


といううちにもう1点入って3点目。


例えば。ベッケンバウワーはそういうことが似合うとは思わない。
そんな事をするわけもないでしょうし。
似合うとすれば、ペレかなあ。


優勝しちゃうんではないか。
アルゼンチン、英雄マラドーナの力を得て。
前半も終わっていないうちに思わず書いてしまうほどの勢いという事で。

posted by mimicaki |22:36 | 独逸W杯 | コメント(0) | トラックバック(0)