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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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2015年07月13日
憂鬱な月曜日ですが、気持ちを切り替えましょう。 先日、仕事関係で富良野へ行って来ました。 途中、旭川空港横で小休止。ちょうど通り道の脇に飛行機が良く見える場所があるのです。私の他、札幌ナンバーや道外ナンバーの車もいました。遠くから航空マニアが来るようです。エプロンに⒉機、飛行機が駐機していましたが、時間がなくて離陸を見届けることなく富良野へ向かいました。 富良野文化会館に用事があったのですが、駐車したのはD-51の真ん前という特等席でした。重量は125.66トンです。農試公園には1256トンもあるSLがありましたね。 暗くなって写真は撮れませんでしたが、市民会館の近くには北海道中心標があります。
2015年04月03日
飛行機の搭乗順は(優先搭乗やプレミアムクラスなどを除いて)、かつてはランダムでしたが、最近は、後方シートが先で、前方座席が後からという航空会社が増えましたよね。 また、スカイマークは「窓側」「中央」「通路側」の順に3段階にしていますよね。 ディスカバリーチャンネルの人気番組、「怪しい伝説」で、その効果を検証したのですが、とても興味深かったです。 実は後方・前方の順だと、ランダムよりもかえって時間がかかることが、約170名の協力者による実物大機内モデルでの実験によって判明しました。 ランダムだと全員の搭乗に17分15秒かかるところ、後方・前方順だと24分29秒もかかったのです。 どちらもそんなにかかるのか疑問に思うかも知れませんが、実験では流れに逆行してトイレに行く人や、席をわざと間違える人の設定などもありました。 さらに、スカイマーク方式(「窓側」「中央」「通路側」の順で、Window・Middle・Aisleの頭文字からWILMAと呼びます)だともっと早くて14分55秒です。 また、時間だけでなく、満足度を評価するために、協力者に「不満」「普通」「満足」のどれかを選択してもらい、不満が-1点、普通が0点、満足が1点でスコアを出したら、圧倒的にWILMAがよかったです。 以下、表にします。 TIME SATISFACTION SCORE BACK TO FRONT 24分29秒 19 RANDOM 17分15秒 12 WILMA 14分55秒 102 意外にも満足度はランダムだと後方・前方順よりも少し悪いのですね。ランダムだと全員の搭乗は早くても、立っている時間が長くなってしまってイライラしがちなのかも知れませんね。 なお、実はWILMAよりももっと早い搭乗方法があります。 自由席なんです。 TIME SATISFACTION SCORE BACK TO FRONT 24分29秒 19 RANDOM 17分15秒 12 WILMA 14分55秒 102 RANDOM NO SEATS 14分07秒 -5 でも、満足度は非常に低いです。いくら早くても秩序が必要なようです。 やはりWILMAが一番良いようです。 JALやANA、ADOなどはスカイマークを見習ってWILMAを採用してほしいですね。 (LCCは乗ったことがないのでわかりません) また、こちらでは物理学者が同様の実験をやって、同じ結論を出しています。
2015年01月06日
某TVドラマで、1929年に北海道に営業に行ってウヰスキーを売るという話がありました。 汽車の中で北海道の鉄道地図を眺めて、「小樽に行こう!」とのシーンがありました。 (実際に行った先は小樽ではなく、札幌の開拓の村ですね) で、その鉄道地図ですが、本当に1929年のものなのか疑問になって調べました。 (昭和初期に、そんなに鉄道が開通していたのだろうか、違和感あったのです) その地図で深名線は深川・朱鞠内間が開通していましたが、朱鞠内まで開通したのは1932年10月25日です。 名寄・初茶志内間が開通したのは1937年11月10日なので、その地図は1932年10月~1937年11月の間のものということになります。 また、瀬棚線が全通しているので、1932年11月1日以降ということになります。 標津線は厚床・中標津間だけが開通しているので、1934年10月1日以降、1936年10月29日以前ということになります。 日高線は浦河までだけが開通しているので、1935年10月24日以降、1937年8月10日以前ということになります。 羽幌線は留萌・羽幌間と天塩・幌延間だけが開通しているので、1935年6月30日以降、1936年10月23日以前ということになります。 よって、その地図は1935年10月24日から1936年10月22日までのものということになります。 少し古い地図を買った(持っていた)ということで、過去の地図が登場するのならありえることですが、6~7年の未来の地図を見ていたということになりますね。 ちなみに、ドラマで登場した汽車を牽引していた機関車(C-10)は、1930年から製造されましたので、乗った列車も未来の列車です。
2014年12月09日
某ドラマで、1920年にスコットランドから帰国し、広島の実家に行くときと、広島から勤め先の大阪へ行くときに乗った列車の機関車が、製造初年1930年のC-10でした。 ロケをした大井川鉄道の主力機関車であるからそうなったのでしょうけど、違和感ありました。 でも、しょせんドラマで、ドキュメントではないのだから、10年くらいのずれに目くじら立てるつもりはありません。 ただ、水と石炭の搭載容量が少なく、短距離線区でしか使用しないタンク型機関車を山陽本線の長距離列車に使用するわけがないから、非常に違和感ありました。 7年前にオオドサと乗った大井川鐡道のC-10で、今回のドラマに登場しました。そのドラマで、大阪から広島の実家に帰省する際、今度は列車風景がありませんでした。 鉄道マニアが指摘したのかも知れませんね。 次に、山崎(大阪府と京都府の府境付近)の蒸留所の前(東海道線)を走るSLが登場し、1924年の時代設定ですが、どの時代にも実在しない型のSLなので、模型なんだと思います。 そのSL、ボイラーとボイラー上の給水加熱器・砂箱・蒸気だめの形は1919年に登場したC-51にそっくりですが、走り装置は戦後、C-61とC-62で日本で初めて生まれた2-C-2というハドソン型。(1996年のコンサのスポンサーもSLマニアなのでハドソン) そんな取り合わせのSLに笑ってしまいました。 あの細いボイラーでハドソン型だと軸重が軽く、やたら空転するでしょう。 C-10はおかしいと抗議されたことで頭にきて、抗議した鉄道マニアに逆襲してやろうと、わざとおかしなSLの模型を作った、というのは考え過ぎかな。 ハドソンが人気があるのか。
2014年11月26日
レノファ山口のJ3昇格が決定したようです。 てっきり中山元気氏が監督やっているかと思ったら、指導者ライセンスの問題で、現在彼は U-18監督兼トップチームコーチをやっているのですね。 いずれ監督に復帰するかもしれないし、吉弘にも現役選手を当分続けてもらって、いずれコンサと対戦することがあれば良いですね。 連休中は学会や会議がびっしりで、観光などはほとんどできなかったし、特に美味しいものや珍しいものなどを食べることもできなかったのですが、以下の1枚だけ写真を紹介します。 旭川から羽田へ行く際、到着した機材が落雷のため点検し、40分出発が遅れました。豪雨でした。特に異常は見つからなかったようですが、一時は欠航も覚悟しました。 欠航になったら、その後の便も翌日の便もはほぼ満員なので、新千歳までバスとJRで移動して、新千歳から飛行機に乗るという面倒なことになる可能性が大きかったので、40分遅れても旭川から飛べたのでよかったです。 羽田で乗り継げなくなった人が10人くらいいたようでした。 遅れたのが原因なのか、羽田ではボーディングブリッジではなくバスでした。 737ならバスはよくありますが、767でバスは珍しいのではないかと思います。 いままで機材トラブルで搭乗予定だった便が欠航になったことが2回あります。 15年くらい前に新千歳発羽田行きのANAが欠航なりましたが、1時間後の飛行機に乗れました。 6年前には長崎空港から鹿児島へ行く際のオリエンタルエアブリッジのボンバルディアが欠航になり、大村からJRに乗って諫早・鳥栖・新八代で乗り換えて鹿児島へ向かい、予定より4時間遅くなって枕崎の友人に会えなかったことがありました。 今まで200回近く飛行機に乗っているので欠航になる確率は約1%になります。 今まで吹雪など、天候が原因で欠航になったことはありません。 濃霧で出発が1時間遅れるとか、吹雪&誤離陸未遂&中国東方航空の雪山スタックで6時間遅れたことはありましたが。 オーバーランで15分遅くなったことや、視界不良でドバイに降りられなくて代わりにバーレーンに降りたこともありました。 遅れて乗継ができなかったのは、ドバイを出て5時間遅れでシンガポールに着いたときだけでした。翌日の飛行機になり、ホテル代は航空会社が出してくれました。
2014年11月22日
門司に、6年前に廃止になった貨物線を利用したトロッコ鉄道レトロラインがあります。機関車は南阿蘇鉄道で使用していたもので、客車は島原鉄道で使っていたものです。列車からいい景色が見えます。終点の駅には交直両用機関車のEF30が展示されています。塩害防止のためステンレスボディーで、鹿児島本線電化の1961年に登場しました。この機関車が交流区間を走行するのは門司駅構内のほんのわずかな距離でした。 それなら両用機を導入しなくても、黒磯駅のような地上切り替え(機関車ではなく地上操作室で駅構内の電源を切り替える)にしたらよかったのではと思うのですけどね。こちらはカフェになっていました。終点ですぐ(10分後の便)に折り返して再度、レトロラインに乗った人は少なかったです。多くはすぐそばにある関門トンネルを歩いたのかも。(私は前日に歩いていました) 門司港駅近くに大きなマンションがありますが、黒川紀章氏の設計だとか。最上階には有料展望室があるそうです。船底のような形の物体はなんだかわかりますか? ヘリポートだそうです。 さあ、これから博多の森へ向かいます。小倉から博多までの新幹線はめちゃくちゃ混んでました。 15分ほどなのでデッキで立っていても良いと思って乗りました。 嵐や大相撲の影響か?と思ったら、新横浜駅での自殺未遂の影響だったようです。試合の日は大牟田に泊まりました。今回もトレインビュー。福岡市営地下鉄箱崎線は全線完乗。終点の貝塚駅で地中に出ます。西鉄貝塚線とは相互乗り入れしていません。線路幅は同じだけど、西鉄は3両編成ワンマンで、ちょっと違いがあるので簡単にはいかないようです。箱崎宮駅ですが、ソフトバンクのはあるけど、アビスパがありません。福岡空港ではバスではなかったけどボーディングブリッジではありませんでした。明日は道外出張でドームへ行けません。 ドームへ行かれる皆様、応援よろしくお願いします。
2014年11月21日
小倉でモノレールと新スタジアム予定地見学したあと、キックオフまで時間があるので門司へ行きました。 歴史的建造物の門司港駅は残念ながら保存修理工事中で、建物の外観を見ることはできませんでした。 駅前に三井倶楽部があります。 大牟田のと似てます。時間がなくて内部の見学はしませんでしたが、アインシュタインが泊まったそうで、北九州の新スタジアムができたらここも訪れるようにします。 九州鉄道記念館です。北海道では走ったことのないSLですが、C-59です。C-57のボイラーを太くしてパワーアップしたSLですが、その分、軸重が重くて、東海道線と山陽本線、東北本線一関以南などの幹線でしか運用できなく、一部は従輪を増やして軸重を軽減改造してC-60になったのもありました。 なので、幹線の電化が進んで早期に退役になってしまったかわいそうなSLです。 ちなみに、1919年にC-51が誕生し、非常に高性能で「超特急」の言葉が誕生したのですが、やがてもっとパワーが必要ということになって3シリンダーのC-53が登場したのですが、不具合が多くて1941年にC-59をデビューさせたのです。 戦後、C-62が登場するまでは花形機関車で、特急富士・さくら・つばめ・かもめなどを牽引したのです。 1942年に関門トンネルが開通し、トンネル内はSLを走らせないことになったので(トンネルの前後は電化してないのですが)、下関・門司間だけのために導入された電気機関車EF10です。キハ07という、戦前に作られたガソリンカーを戦後になってディーゼルエンジンに載せ替えた車両。とても狭いシートピッチ。クハ481。交直両用機なので、新大阪から博多とか岡山から博多とか、山陽線と九州内を連続して走るために導入されたのですが、新幹線が博多まで開業したら交直両用の必要はないけど九州内で使っていました。 給水機がありました。583系電車は東北線でも使用していたので、上野・青森間の寝台特急はくつるや昼間の特急はつかり、みちのくなどで何度も乗ってなつかしいです。車両展示はさほど多くはなかったですね。屋内展示はかつて九州鉄道会社の本社屋だった建物の中です。門司港はかつては九州の玄関で、北海道でいえば函館のような地ですから、ここに本社があったのは納得です。入ったとたん、木村裕子がご登場。笑ってしまいました。彼女は最近、西鉄に乗ったんですね。私が乗る4日前でした。
2014年11月19日
下関駅へ行くと、かつて新快速として関西・東海地区で走っていた117系が余生を過ごしていて、懐かしく思いました。一瞬、これに乗れるかと思ったのですが、直流電車なので九州内は走れないから(門司までは走行可能ですが)下関以東での運用でした。 関門トンネルを抜け、門司駅では直流から交流に切り替わるセクションがあります。 この写真ではわかりにくいのですが(肉眼ではわかったのですが)碍子が連続してある架線のもう1本向こうの架線は電気が流れないデッドセクションです。小倉でモノレールに乗ってみました。モノレールのホームはJR小倉駅構内にあるのでJRとの乗り継ぎは凄く楽です。 左下はモノレールの軌道。上の方はJRの改札です。それに引き替え、札幌駅でのJRと地下鉄の乗り継ぎの悪さは何なんだろう。 でも、開業当初は小倉駅から400メートル離れた場所の平和通駅が始発駅だったんです。 理由がひどいです。地元商店街が小倉駅乗り入れに反対したとか。 それは究極のエゴとしか考えられません。 モノレールとJRを乗り継ぐ人は商店街を恨みながら歩いたのでしょう。 毎日通勤通学する人もそうだろうし、重い荷物を持った旅行者なども大変だったでしょう。 14年後に小倉駅改築を機に小倉駅まで乗り入れたそうです。 札幌の南北線の反省から、東豊線のさっぽろ駅はJR駅に近い位置になるかと期待したのに余計遠いのは、そごう、エスタ、東急などの陰謀という気がしてなりません。 そごうはつぶれたけど。 この区間だけなぜか右側通行。前述したとおり、かつては平和通駅が終点だったので、ホームの左右に列車を振り分けるポイントが平和通駅にあるので、それをそのまま利用し、小倉駅にはポイントを設けず、この1区間だけは右側通行も左側通行もある運用になっています。昔はここを西鉄の路面電車が走っていたはず。小倉駅にありました。なんで11月9日の試合までしかないポスターがまだあるのか? 最新のは? と思ったのですが、アビスパと反対に、最後の2節は連続アウェイなんですね。 ギラヴァンツの新スタジアムの建設予定地に行ってみました。 小倉駅の北500メートルという、非常にアクセスが良い場所です。「小倉」の文字を見ると、10年くらい前は「おぐら」と読みたくなりました (笑 小倉駅から近いうえ、しかも動く歩道まであってびっくり。国際会議場があるから良く整備されているのでした。さらに屋根のある部分が多くて、雨でもほとんど濡れずにスタジアムに行けそうです。 新スタジアムは全席に屋根があるそうです。ここです。まだ工事は始まっていないようですが、入札は終わったようなので、まもなく建設が始まるでしょう。松山へ行くフェリーの乗り場のそばです。試合が21時に終われば21:55発の便で愛媛に戻ることができるから、愛媛サポは便利かも。いずれコンサの応援でここに来るのが楽しみです。
2014年11月18日
8月に熊本に行った際の福岡行飛行機はバスでしたが、今回はボーディングブリッジでした。兄が一緒に行けるかどうかわからなかったので、1週間前まではキャンセル料無料(払戻手数料の500円のみ)なのに安いスカイマークにしました。 ウトナイ湖。この日は道北が吹雪いていて、ここも風が強く、上昇中はかなり揺れました。福岡空港。滑走路のすぐ脇にレベスタが見えます。天神から下関行の高速バスに乗りました。関門橋です。高速走行中の揺れるバスからの撮影は難しいですが、証拠写真です。嵐対策(ホテル確保の問題)以前に、もともと試合前日は小倉に泊まって北九州観光をするつもりでした。 どうせなら、経県値をあげるために下関に泊まるのも良いと思ったのですが、2か月前ですでに下関の東横インは満館。これも嵐の影響か。 でも、下関ステーションホテルが空いていました。朝食付きで4800円と安いわりに良かったです。防音にやや難はありましたが。 一応トレインビュー。巌流島に行ったあとは関門トンネルを歩きます。地下70メートル地点まで降りる立坑です。歩行者は無料。自転車は20円払います。沢山展示物があります。1937年にトンネル建設が始まり、戦争中は中断し、開通したのは1958年なんですね。重要度の高い鉄道トンネルは1942年に開通していますね。小学生のころ、このイラストを良く見て憧れていました。いよいよ歩きます。結構通行人がいましたが、ほぼ全員がウォーキングの人で、単純に海峡を渡る人は皆無に等しかったです。ただ、自転車や原付は多少いました。市街地から離れた場所だし、門司側はバスの便が少なくて不便だし、それなら船やJRを利用するでしょう。 対岸の門司に出ました。対岸は壇ノ浦。これで関門海峡をまたぐトンネル3本(JR在来線・JR新幹線・この道路トンネル)と橋1本(高速道路)の4本すべて制覇しました。 (鉄道トンネルは学生時代に2本とも通行済み) 下関に戻って地上に出たら日が暮れていました。ここは幕末に長州藩が外国船に大砲を撃った地なので大砲のレプリカが置かれています。ここは壇ノ浦の合戦や下関戦争、第二次大戦の空襲や機雷投下など、ずいぶん戦火に見舞われた地ですね。
2014年11月14日
福岡出張があり、仕事は日曜ですけど、どうせならキックオフに確実に間に合わせたいので、今日のうちに飛行機に乗りました。 嵐のコンサートのせいで、福岡県内や鳥栖などのホテルは軒並み満員で、下関ステーションホテルに泊まっています。下関の東横インが取れなかったのも嵐の影響かも。 こちらに着いたら現地の人(タクシーの運転手さんやホテルのスタッフや、関門トンネルウォークやバス車内で声をかけた人など)がやたら「今日は寒くて・・」と、口にするので、「北海道から来ましたが氷点下です」「今朝は20cm積もって雪かきしました」「吹雪いて列車が遅れて飛行機に間に合うかはらはらして」という感じで会話が弾んだついでに「レノファ山口を応援していますか?」「監督の中山元気はコンサドーレでJ1昇格に貢献したので応援しています」「レノファを応援してください」などと言ったのですが、「吉弘という下松市出身のコンサにいた選手もいました」まで言ったのは余計だったかもしれませんが、コンササポの熱意は通じたと思います。 で、タイトルの聖地は厚別ではありません。決闘の聖地・巌流島です。 下関と門司から船が出ていますが、下関往復の船に乗りました。この時期で、しかも寒い日の平日最終便なので、往路は貸切。(復路は数名いました)関門橋(高速道路)が見えます。左が下関(源平合戦の最終舞台の壇ノ浦)、右が門司です。 巌流島が見えてきました。下関港からほんの数分です。佐々木小次郎の碑です。恨みがあったわけでもないのだし、命まで取らなくたっていいと思うのですが・・・対岸に軍艦らしきものがあったので汽船のスタッフに聞いてみたら、自衛隊の輸送艦だとか。
2014年10月28日
南砺市は彫刻(木彫り)が名産で、世界一大きい欄間が道の駅にあります。十二支です。富山の方言。OKの意味で「つかえん」と県外の人に言ってしまうと、とんでもない誤解になってしまいますよね。もっと凄いのがありました。 おごってやるという意味で「だいてやる」と県外の女性に言うと、大変なことになりますよね。反対に、富山の女性が県外の男性に「だいてちょうだい」と言ってしまうとどうなるのか・・・ 親類宅に行くと、家のすぐ前に北陸新幹線の高架がありました。来年3月の開業ですが、この日は試験走行はありませんでした。 いずれ金沢でコンサの試合があれば、墓参りのあと、スタジアムに行くために利用できて便利だと思いますが、当分金沢でコンサの試合はないでしょう。 開業が近いので新幹線ブームになっています。白えびせんべいです。泊まったホテルから近いので、富山駅周辺を散歩しました。富山地方鉄道の富山駅です。試合が終わって数時間たっていたので11月1日の試合案内が出ていたのですが、裏返したらコンサ戦のでした。新幹線開業に合わせて駅舎を改築してますが、旭川駅を設計した人が設計したらしく、旭川駅と似ています。富山駅を挟んで南北で分断されている路面電車を通しで運転できるよう線路を敷設しています。富山の薬売りです。帰りはベアドゥでした。
2014年10月19日
試合前日、旭川から新千歳までJRで移動。 千歳線は人身事故が多いので、飛行機に間に合わなくなる不安も感じてましたが無事に着き、富山行きの飛行機に乗りました。 飛行機に搭乗したら、私の2つ後ろが監督でした。監督に「こんにちは」と言ったところ、監督は日本語で「こんにちは」と言ってくれました。 試合前日ですけどレプリカ着ていてよかったです。 いつものように非常口座席。定刻に富山空港に到着。富山空港は河川敷にあり、河川敷外にあるターミナルとの間に堤防があり、そのためボーディングブリッジが長いです。何本もボーディングブリッジを設置するとコストがかかるからか、本数を少なくし、1本のボーディングブリッジから左右2機に通路を伸ばすため、飛行機右側ドアに接続する駐機スポットがあります。 でも、一度も右側ドアから乗り降りしたことがありません。 この日は五箇山の温泉宿に泊まりますが、大阪から合流する人がいるので、高岡駅で待ち合わせしました。 サンダーバード17号で着きました。高岡駅は面白い路面電車が走っています。高岡大仏です。給水塔のような建造物を発見しました。やはり給水等でした。富山県では最も早い上水道で、1936年に完成したとか。 ここで地下水をくみ上げて配水するため、巨大な給水塔なんですね。 地下水はいいですね。 ドイツの上水道は地下水が多いそうですが、日本ではほとんどないですよね。 北海道では東川が地下水です。東川は豊富な大雪山の伏流水が流れているのでいいですね。 もっとも、東川は上水道が整備されているのではなく、各家庭で掘って地下水を利用するそうです。
2014年10月17日
屋内展示の実機はこんな感じです。政府専用機を詳しく紹介していました。私が予想していたよりも一般客席が少ないです。邦人救出などでキャパシティーが足りないときは会議室などに座席を詰めて収容するのでしょうか。一般客室の座席。普通の国内線なら横10列のところ、これは8列なので、少しゆったりしています。貴賓室の座席。練習機ですけど、親切にバッテリーの位置を書いていて、笑ってしまいました。これならバッテリー上がりでJAFを呼んでも大丈夫だ(笑 展望台に上れば岐阜飛行場を離発着する飛行機が見えると書いてあったのに、丘がじゃまで見えませんでした。上空にいる飛行機なら見えるということでした。 すぐそばに滑走路があるのに何も見えなくて残念。国家機密?
2014年10月16日
日本に現存する飛行場では最古なのが各務ヶ原にある岐阜飛行場です。 民間旅客便がないので一般にはあまり知られていませんが、風立ちぬで少し知られるようになったかも知れません。 航空機開発や航空ショーなどで使用されているので飛行機が好きな人にはよく知られている飛行場です。 博物館は岐阜飛行場のすぐ近くにあります。右はYS-11です。「YS-11はエアコンがなく、夏場はシートポケットに団扇が用意されていたんです」と、先日の暑かった旭川発の飛行機の隣の席の人に講釈したのを思い出しました。アナログですね。短距離離着陸機の実験機飛鳥です。実験機なので機内は計測器だらけ。コスト面で劣るので、民間機がこの方式を採用することはないだろうし、軍用機はオスプレイがあるので、これが日の目を見ることは当分ないでしょう。 1980年代は飛鳥の飛行実験がよく航空誌に取り上げられ、滑走路が短い地方空港の救世主として期待されていたんですけどね。 飛行機の歴史は勉強になりますね。 ジョージ ケイリーは1849年に有人グライダー飛行に成功しています。オットー リリエンタールもグライダーの研究をし、1894年にはハンググライダーの特許を取得しています。 動力機の研究も始めたものの、墜落事故で亡くなっています。こちらは説明不要ですね。ヘリコプターは1907年にホバリング実験に成功していますが、きちんと飛行できるようになったのは1936年のドイツ空軍機からとのこと。最初のジェット機は1939年のハインケル。二宮忠八は紹介されていなかったようです。
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