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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。

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福島の赤黒こけし

2008年09月02日

福島旅行してきました。
福島県で最も新潟寄りの野沢(西会津町)から喜多方までSLに乗りました。
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私が高校1年まで通学でお世話になったのと同じ形式のC-57で、写真は野沢駅。 2泊目は湯野上温泉でしたが、その近くの会津鉄道「塔のへつり」駅には赤黒こけしがあります。
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でも、横縞なのが残念ですから、 持参のタオルで赤黒縦縞にしてあげちゃいました。
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1日目は裏磐梯で自然観察の予定でしたが、天気が悪くて猪苗代湖畔の野口英世記念館に行きました。 (学生時代は隣の県の新潟だったので、何回も行ってますが) 英世記念館がオープンしたのは、なんと1939年とのこと。
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英世が落ちて左手を火傷したのが手前の囲炉裏です。 会津鉄道の車両には、英世や、母のシカさんの写真まであります。
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湯野上温泉駅で撮影しましたが、まだ朝の6:46なのに、会津若松まで通学する高校生が大勢乗ってました。 1泊目は裏磐梯国民休暇村でしたが、ロビーに喫煙コーナーがあり、ロビー中が煙かったので、しつこく強く強く猛烈に抗議して、喫煙コーナーが使用停止になりました。 非常口の手前に空気清浄機、いや、毒ガス攪拌機がありました。
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毒ガス攪拌機は売店左隣のスキー乾燥室に移動され、そこが喫煙室になりました。 スキーシーズンはどうするのだろう?
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イナバウアーこごみとJNRキハ183

2008年05月11日

大宮戦、よかったですね。 審判が公平だったのが何よりです。
宮澤君は好機を決められなかったので酷評するサポもいますが、こんなものでしょう。
守備はまずまずだったのではないですか?
デビューしたての新居や石井よりも良いと感じました。

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コゴミ(クサソテツ<オシダ科>がイナバウアーしちゃいました。 (自宅の野草畑です) なんでエビゾったかというと、霜が降りたのです。 コゴミは最も霜に弱い植物なんです。
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1株だけ、霜に耐えたコゴミがあります。 右奥はユキザサ(ユリ科) ユキザサは栽培されてアズキナの名前で八百屋で売ってますね。 北海道ではどこにでもありますが、道外では標高の高い山に行かないと見られない、高嶺の花です。 右手前で白い花を付けているのはニリンソウ(キンポウゲ科) ニリンソウはフクベラとも呼ばれ、人気のある山菜ですが、葉がトリカブトに似ているので、花の付いたのだけを採取するのが間違えないコツです。 左と左前後はトリカブト(キンポウゲ科) トリカブトというと、トリカブト殺人事件を思い出しますが、その犯人は福島の苗屋で購入したそうですが、福島なら(福島でなくても沖縄以外どこでも)ちょっと山に行けば、いくらでもあるのにね。
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野生のコゴミです。 すぐ後ろがニリンソウで、その後ろがトリカブト。うちの畑とそっくりです。 コゴミはテンプラやゴマ和えなどが超美味です。 東北や新潟、信州、北陸では人気のある山菜ですが(静岡にはないそうですが)、なぜか北海道では人気がなく、ゼンマイが先客に採られてしまった場所にコゴミがそっくり残されていることがよくあります。ありがたい!!
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今朝、娘が修学旅行に出かけました。 近文駅から函館まで、この臨時列車で、函館でスーパー白鳥に乗り換えて浅虫温泉まで行きます。 旧国鉄色で、なんとJNRのロゴが残されています。 正確には「残されている」のではなく、マニア向け臨時団体列車向けに復元したのですが。 4両で足りるのに、6両編成でした。
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貨物列車が来たので慌ててシャッター押したら、お尻がちょっと欠けてしまいました。



大宮行くなら鉄道博物館

2008年05月10日

さいたまに試合を観に行きたかったけど、11日は娘の修学旅行の出発日ということもあって断念しました。
さいたまに行ったついでに昨年オープンしたばかりの鉄道博物館を見に行きたかったのですが。
かわりに先日行った、弁天町の交通科学博物館の写真を披露します。

昭和3年の特急富士の食堂車での朝定食です
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90銭ですが、現在の貨幣ではどれくらいに相当するのか調べてみました。 昭和初期は、もり蕎麦が10銭、カレーライスが12銭、親子丼が50銭と、似たようなものでも現在と違って差がとても大きいので、一概に何倍とは言いにくいのですが、およそ3000倍だと思っていいと思います。 (その他では、10粒入りキャラメル5銭、ビール大瓶42銭、味噌375g7銭など) となると、朝定食が2,700円ほどで、とても高価な食事ということになりますね。 現在、北斗星の朝食は、和定食も洋定食も1,600円です。
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夕食は1円50銭です。現在の物価が3000倍とすると、4,500円となります。 朝に比べると割高ではないようですね。 北斗星のディナーは和食が5,500円、洋食が7,800円ですが、北斗星の方が豪華だから、こんなものでしょうか。 ただし、ビールが47銭なので、1,500円くらいの感じになります。 ビールが高いのは、食堂車だからというわけではなく、当時は酒が高く、2級酒でも1升で1円80銭、1級酒なら2円30銭もして、ちょうど現在の寒梅くらいの感じだったのです。
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主なメニューは、 スープ30銭(900円) ビーフステーキ60銭(1800円) ビーフカツレツ45銭(1350円) カレーライス35銭(1050円) パン&バター10銭(300円) レモネード26銭(780円) ブランデー55銭(1650円) ジン45銭(1350円) 黒ビール49銭(1470円)



また鉄ネタ

2008年05月08日

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弁天町の交通科学博物館に展示している電気式ディーゼル機関車、DF50. 北海道以外の全国各地で活躍したものの、パワー不足で勾配区間では重連を余儀なくされるほどで、30年も前に退役となりました。 動輪は6軸もあるのに、4軸のDD51の半分以下の600KW(800馬力)しかないのです。 ほぼ、C-11並で、D-51の半分しか馬力ありません。 なんで馬力がないかというと、電気式なので、エンジン・発電器・モータを搭載するので重くなってしまい、路盤が軟弱な日本の軸重制限(幹線で15~16トン、亜幹線で14~15トン、地方では13トン以下)では、大出力電気式ディーゼル機関車は無理があるのです。 だから、その後は液体式ディーゼル機関車にとって代わり、しばらく日本では電気式ディーゼル機関車は姿を消していて、ここの案内板にも、「現在では液体式に取って代わられた」と書いてます。 でも、それはウソなんです。 技術が進歩し、軽量大出力電気式ディーゼル機関車が実現し、DD51は、新型電気式ディーゼル機関車、DF200に置き換えが進んでいます。
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この人にやられてしまいました。 コンサにお金があれば獲得できたのにね。



交通科学博物館

2008年05月02日

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1968年から量産された液体式ディーゼル機関車 DD54。オオドサも写っています。 代表的なディーゼル機関車はDD51ですが、DD51は1100馬力のエンジンを2台搭載してますが、それよりも強力なエンジンを1台搭載した方が低コストだと考えられて、DD54は1820馬力のエンジン1台を積んでます。 しかし、大出力に耐えられなく、推進軸が折れる事故があったのですが、それは比較的簡単に対処できましたが、トルクコンバーターも故障が多く、しかも西ドイツ製で特許の関係から改良が簡単に出来ず、結局短命に終わりました。71年で製造終了し、早くも78年には運用を終えてます。一時は寝台特急出雲も牽引したのですが。 ちなみに、SLのC54も失敗作(路盤が軟弱な路線でも走行できるようC51を軽量化したら動輪が空転しやすい)で、54機関車は呪われています。
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左は1885年に宇都宮駅で売り出された、日本最古の駅弁。(おにぎりなので「弁当」と言えるのか疑問もあるのですが)
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りんくうタウン駅です。 南海とJRが線路を共用している路線ですが、この駅は中2面のホームがJR、端の2面を南海が使っています。
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関空島に渡る橋は、上が道路になっています。JR快速とすれ違いです。
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関空です。大阪都心よりも関空に近い長居からでも1時間もかかりました。やっぱり遠いです。 このボーイング767に乗りました。
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タラノメも10日くらい早いです。 これから連休で留守にするのにタイミング悪いなぁ。



蝦夷援護策

2008年05月01日

いつもより10日くらい早く、先週から庭に咲いてます。
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かたくりも同じく10日くらい早いです。
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29日の午前中は菜園を作ってました。昨年までは芝生の中に穴掘って畑を作っていたのですが、それでは直ぐに畑が芝生と化してしまうのです。ケンタッキーブルーグラスの繁殖力は凄いのです。
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3日の西京極に行こうかと考えましたが、13時キックオフだから新千歳が8時くらいの飛行機でないと間に合わないし、私は新千歳までが遠くてハードだし、朝の便は先得や旅割の設定もないので断念しました。 前日発なら安いキップもあるけど、旭川13:45発なら、明日はほとんど仕事できませんから。 関空から京都へ行く人は、たいがい「はるか」に乗るでしょうか。
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南海の鉄人28号もありますけどね。
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大阪観光

2008年04月28日

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長居スタジアムには記念撮影用の場所があります。 ドームや厚別、宮の沢にも記念撮影用のドーレくんがあるといいのですが。
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ホムスタ観戦の翌日、長居に行く途中、弁天町の交通科学博物館(JR西の施設)へ行って来ました。 京都の梅小路なら、SLの保存運転もありますが、こちらは展示だけ。でも結構見応えあります。
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北海道で走っていた弁慶が、なぜかここにあります。ガラス張りで触れません。
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日本初のディーゼル特急で、日本全国特急網の実現に貢献したキハ80系ですが、北海道で活躍したキハ82とは違い、初期タイプのボンネット型キハ81。 当初は「特急はつかり」など、東北で活躍し、東北線や羽越線の電化後は紀勢線の 「くろしお」として運用されていました。 80系は1986年9月まで運行されていて、最後の昼間の在来線食堂車に乗るため、わざわざ千歳空港(現・南千歳駅)から岩見沢まで特急おおとりにオオドサと乗り、ビール飲みました(笑 1986年9月のことですね。



しつこく連節車 (笑

2008年01月17日

Jリーグの日程発表まであと1週間ですね。楽しみです。
連休に神戸や万博、京都でコンサ戦があるなら行こうかと思ってます。
娘が千葉にいるし、連休に関東であるなら、それも行きたいですね。
ただ、せっかく連休でも、連休最終日だと、その日のうちに帰宅できないかも知れないのでダメですが。
もちろん、ホーム開幕戦は行きますよ。(土曜でよかった。日曜なら帰りが辛い。)

また列車の話ですが、「連節車」は「連接車」でも間違いではないけど「連節車」の方が一般的ですが、
このパソコンは連接しか変換候補がなかったので、連接と書いていましたが、今後は「連節」にします。

有名な連節といえば、スペインのタルゴですよ。
82年と85年にマドリッドからバルセロナまで乗ったのは、最新鋭(80年に登場)の振り子式のタルゴです。
写真は82年で、たぶんマドリッド。連節部分の1軸台車にご注目!!
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同型車がポートランド~シアトル~バンクーバー等でも走ってます。 アムトラックがスペイン製客車を使用するとは凄いものです。 最も有名な列車は、バルセロナからジュネーブまでのカタラン・タルゴ。 やはり82年と85年にバルセロナからアヴィニョンまで乗りました。
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写真はアヴィニョン駅だけど、現在はモンペリエまでしか運行してないので、 パリに行くにはTGVに乗り換えればいいのだけど、マルセイユ方面に行くには少し不便になったみたいです。 スペインは広軌なのにカーブが多く、広軌だとカーブで車輪の摩耗が多いため、左右の車輪を 車軸で結ばず、独立させているのですよ。 そうそう、連節車といえば、連節バスもありますね。 つくば科学博で使った連節バスの一部は成田のリムジンバスとして使っていたのですが、 高速が通行止めの際は運用できないことから短期間で止め、その一部は旭川電気軌道で使ってました。 北海道は道路事情が良いから、一般道でも可能で、通学時の混雑緩和のためにスクールバスとしてでしたが、今は運行してないようです。 地下鉄南北線の初期の車両が乗り心地悪かったけど、連節のせいだと思われていないかな?



旧千歳線続き(国鉄東札幌駅・月寒駅)

2008年01月16日

まず、昨日の訂正です。国鉄大谷地駅は、今の大谷地バスターミナルのあたりだと書きましたが、
実際はもう少し西にあったらしいです。昔の札幌の地図を見たらわかるので、今度調べておきます。

1973年9月、大谷地駅の他、東札幌駅と月寒駅も廃止になりました。(貨物駅として、しばらく残ってはいましたが)
札幌から千歳へ向かうとき、駅順は、札幌・苗穂・東札幌・月寒・大谷地・上野幌でした。
(道外の人は上野幌を「うえのほろ」と読みそうですね)

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月寒駅は、アサヒビールの工場裏あたりです。白石区(白石村)に位置しますが、白石の中心部から 遠く、豊平町月寒の中心部に近かったので、「月寒駅」の名称になったのでしょう。大谷地駅よりも近代的ですね。
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東札幌駅は、跡地はコンベンションセンターになってます。 こんな歴史的経緯があるので、コンベンションセンターと駐車場の広大な土地があったのです。 貨物ヤードもあったので、結構広いのです。(鳥栖スタジアムも国鉄貨物ヤード跡地ですね) 東札幌駅で定山渓鉄道と連絡されるために、わざわざ急カーブして遠回りするルートになったと いうことなんですが、結局、のちにルート変更する手間が生じてしまいました。 私鉄の北海道鉄道が敷設したから、そうなったのでしょう。 国鉄(鉄道省)が敷設していたら、こんなルートにはならなかったと思います。 ついでですが、1974年頃はまだ市電に連接車が走ってました。
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車掌も乗務していて、人件費は倍かかっていましたが、 海外みたいに、自分で乗車券に刻印する方式なら、何両編成でも ワンマン可能ですが、もうそんなに多くの乗客は期待できないですよね。 私が中学生のときは、朝夕のラッシュはひどく、あまり市電に乗らずに歩きました。 連接車で思い出したのですが、地下鉄南北線電車も、旧型車両(緑色の)は連接車ですね。 あと数年で全廃される予定です。



国鉄大谷地駅

2008年01月15日

1973年9月10日に廃止された国鉄千歳線大谷地駅です。廃止前日の写真です。
今のバスターミナルのあたりです。こんな田舎でした。
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千歳線は苗穂から函館線とわかれて、南郷通の少し南、現在のサイクリング ロードのところを走っていました。複線化に際して、急カーブ解消や距離短縮のため 白石から新札幌へ向かって上野幌へ向かう現在のルートに変更され、ここは廃線となりました。 このころ、私は札幌に住んでいたので友人と自転車で行きました。 私は当時、中学2年でしたが、現在の大谷地駅や厚別競技場等の様子は想像できませんでした。
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廃線になったとき、そこに市電を走らせる(線路幅は同じ)とか、地下鉄を作るとか構想がありましたが 市電を苗穂から函館線に乗せるのは技術的制約があるし、当時は一部で貨物線として利用していたの で、地下鉄も無理だということで、結局、サイクリングロードになり、地下鉄は南郷通下に建設されました。 でも貨物線もまもなく廃止されたし、やっぱり、旧千歳線上の地上に東西線を建設したら建設費が安く済んでよかったのでは?
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札幌オリンピックの翌年でも、まだ札幌市内にSLが走っていたのです。この2年後にSL全廃しました。 後ろは牧場?
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こんな所といっても、札幌と函館を結ぶ重要なルートで特急も走っていました。 この頃、東京に行く場合、鉄道(+連絡船)から飛行機に急激にシフトし始めた頃ですが、 まだまだ鉄道で函館(東京)へ向かう人も多く、釧路からの特急は、全て札幌経由函館行きでした。 写真は網走発函館行きの「おおとり」。



オオドサ・かもめの珍道中 ちゅーちゅートレイン

2008年01月05日

大井川鐵道本線(金谷・千頭間39.5km)では、1976年からSLの保存運転が行われています。
今回の道中の最大のイベントは、このSLに乗ることで、31日に千頭から金谷まで乗りました。
30日に電車で千頭に着いた際、ちょうど千頭発金谷行きのSLが出発するところでした。
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このC-56ですが、1936年に製造され、苗穂に配属されて北海道で活躍していたのですが 1941年に日本軍の南方作戦のためにタイに運ばれて、戦後もタイで活躍したのち、 ディーゼル化で不要になった1979年、日本に里帰りして大井川鐵道で走っていました。 ところがボイラーが傷んで4年前に廃車になっていたのを、違う機関車の ボイラーを載せ代えるなどの整備を行い、つい3ヶ月ほど前に現役復帰しました。 その際、タイで走っていた当時と同じ塗装にしたのです。(従ってタイ語が書かれてます) 運転開始のときにはタイの人気女優さんも駆けつけてます。 ちなみに、ボイラーは長年使うと肉厚が減って寿命が来てしまうのです。 この機関車ですと、14kg/cm2もの圧力がかかるため、だんだん壁が減っていくのです。 加圧水型原発の蒸気パイプの点検がずさんで、穴があいて死者が出た事故も同じ理由です。 明治村で走っているSLは、交換部品もないので、ボイラーを新製するという とてもコストのかかることをやっています。 C-56だと機関車本体部分はC-12と同じため、程度の良いC-12を見つけて そのボイラーを載せ代えたのでしたが、それでもかなりコストかかっているでしょう。 ちなみに、日本の線路幅の1,067mmに対してタイは1,000mmと異なっていますが、 わずかな違いなので、比較的簡単な改造工事で走行可能です。 で、オオドサ・かもめが乗ったSL列車は、この写真のC-10です。なぜか静岡で雪景色。
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C-10は780馬力なのに対して前日のC-56は590馬力しかありません。 炭水車があるのでC-56は大きく見えるけど、実は逆に馬力ありません。 C-56はパワー不足のためか、後ろに電気機関車の補助が付いて、些か興ざめなのと 乗り心地が悪いはずで、C-10の方に乗って正解だったようです。 (後方補機だと、ごつんごつん突き上げられて、とても乗り心地悪いのです) 客車は1941年製造で、私が高校に通ったときと同型の車両。 もちろん禁煙ですが、当時の趣を出すために灰皿は付いたまま。 映画やTVドラマなどの撮影に良いように、4両のうち1両は「2等車」 1両は「3等車」の表示をしていました。 静岡は遠くて、まとまった休みがないと、ゆっくり旅ができないので、なかなか 来れなかったのですが、ようやく日本一の保存鉄道に乗る念願が叶って大満足でした。



オオドサ・かもめの珍道中 アブト式鉄道

2008年01月04日

31日の午前中は大井川鐵道井川線(千頭・井川間25.5km)に乗りました。
素晴らしい雪景色でした(笑

1990年、途中にダム湖を建設し、水没する区間が新線に切り替わったの
ですが、勾配がきつい1.5kmの区間がラックレール(歯型レール)式の
一つの方法であるアブト式が採用されました。
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アブト式は1963年まで、峠の釜飯で有名な信越線碓氷峠でも採用されていました。 (あそこは釜飯よりも玄米弁当の方が好きだけど) 25.5kmを約1時間40分かけて走るので、標定速度(平均時速)約15kmで、自転車並です。 黒部峡谷鉄道とほぼ同じ標定速度で、遊園地等の列車を除いて日本一遅い列車です。 その次に遅いのは、京都の嵯峨野観光鉄道(旧山陰線のトロッコ列車)の17km/hのはずです。 井川線は、もともとダム建設の資材運搬目的で建設されたので トンネルも小さく、車両もトロッコ客車並に小さいです。 この日は3両の客車を引いてましたが、混雑する紅葉の時期は8両になるそうです。 ディーゼル機関車は335馬力しかなく、パワーの最も少ない気動車1両程度の 能力ですけれども、軽い客車をゆっくり牽引するから、この程度でいいのでしょう。 スピードメーターは40kmまでしかありませんでしたから。 でも、意外だったのは、アブト区間で追加連結されるアブト式電気機関車は、 56トンもあるのに221kW(295馬力)しかないのです。 さすがに8両連結のときはアブト式電気機関車は重連にするそうですが。 スイスのブリエンツ・ロートホルン鉄道と姉妹鉄道になってますが、(自治体同士も 姉妹都市となっていますが)、あちらは最大で倍以上の急勾配をアブト式SLで運転しています。 登山鉄道で、全区間アブト式なので、8kmを1時間かけて走行しますので、 平均速度は井川線の半分以下です。(下りは下車して走った方が早そうです) 26年前にブリエンツの近くのインターラーケンに泊まったことがありますが、 冬季は休業するので残念ながら乗れませんでした。 代わりにこんな、鉄道マニア以外、日本人が来ないようなとんでもない スイスの辺境(フランス国境を挟むシャモニーの裏側に当たるあたり)に行きました。
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SL義経も赤黒

2007年12月25日

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写真は私が学生時代に小樽で撮った義経。(「しずか」もいたはず) 私も25年前は今よりも10kgも体重が軽くてスレンダーで格好良かったなぁ(笑 鹿島の増田選手にコンサがオファーを出してますね。 でも、大分や仙台も狙っているそうだし、なかなか決まらず、だんだん心配になってきました。 実は私は彼が大好きなんです。 一度だけ生で見ました。 04年8月15日の宮の沢でのサテライト戦です。 増田選手はとても男前だと思ったし、さらに、なかなか良いプレーをして、 「こんな良い選手が鹿島ではレギュラーでないのか。それならコンサでプレーして欲しいなぁ。」と思いました。 でも、翌年はほぼ、鹿島のレギュラーとなり、北京五輪代表メンバーにもなったので、 皆さん、ご存じだと思います。 ところがその後、代表から外れ、さらにリーグ戦も出番が減っていましたね。 (9月の新潟戦では途中出場準備していたのに、キーパーに赤紙出て、出れなかったですね) ちなみに、その試合(04年のサテライト)ですが、鹿島の選手として池内も 出ていたし、コンサの石井も初めて見ました。 (だと記憶してますが、データベースが停止しているので確認できません) 0-2とビハインドだったのに、終盤に1点入れ、さらにロスタイムが過ぎて もういつ笛がなってもおかしくないのに、なかなか笛を吹かずに時間が 過ぎ、キーパー(もんじゃ?)も上がって、いくらなんでもこれがラストプレーという時、 同点ゴールで、感動のドローという、コンササポにとって、とても良い試合でした。 ちなみに、その試合で苦笑したことがあります。 ボールが場外(南側の公園方向)へ出てしまったのですが、ボールパーソンは 予備のボールを持ってなく、代わりのボールを用意するのに、しばらく時間が かかったのです。サテライトはこんなもの?