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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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2009年01月09日
今日、旭川の気象台観測では、マイナス16.6度。 江丹別はマイナス22.7度。 我が家は約19度で、忠和の新道にある温度計も19度を表示してました。診療所も暖房能力が少し不足して、朝のうちはちょっと寒かったです。 来年はエアコンが付いているはずなので大丈夫のはずですが、今年はなんとか乗り切らないといけないのですが、連休中になんとかする予定です。 1974年1月に塩狩峠にC-55を撮影に行きました。 中学2年のときで、友人とユースホステルに泊まりました。宗谷線のSLはこの10ヶ月後くらいに廃止になり、このSLは現在、手宮の小樽博物館に展示されています。 本当は別のC-55が展示されるはずだったのですが、SL偽装事件は明日にでも書きます。今日のイコフのランチは、豚のすきやき風&かぼちゃのテンプラ。 以前、披露してますが、今日は凄いボリュームだったので、また写真撮りました。 もう少し少なくて大丈夫なんですが・・
2009年01月08日
ここはどこでしょう?9600が入れ替え作業やってます。答えは月寒駅です。南郷通にあるアサヒビールの工場の裏にありました。 写真は、1973年9月。 となりの駅です。「つきさっぷ」の下が塗りつぶされているのは、定山渓鉄道の「とよひら」駅です。 この写真の4年前に定鉄は廃止されています。 現在この場所はコンベンションセンターになってます。ホームから駅舎の間は、すでに線路が撤去されていますね。 ところで、1月2日のSLの写真は、1974年1月5日でした。 旭川機関区や塩狩峠でのC-55の写真も見つかったので、明日以降披露したいと思います。 中学2年のときはSL撮影に燃えてました(笑昨日のイコフさんのランチ。チロルハンバーグとサツマイモのてんぷら。630円。 予想通り、チーズが乗ったハンバーグで、期待通り、美味しいデミグラスソースでした。 なぜかマットは阪神バスのタオル(笑 それにしても、なかなかコンサの日程の情報が入ってきませんね。 1節がドームというのはわかりますが(その可能性は十分あるとは思いますが)本当にカターレなのか?
2009年01月05日
オオドサのブログで、大夕張鉄道が話題になったついでに、夕張鉄道の写真を披露します。野幌駅1973年5月12日です。(後ろに石炭列車が見えます) 夕鉄の廃止後、これと同型車(まさにこの車両かも?)が鹿島鉄道に譲渡され、07年3月31日の廃線まで走ってました。 北海道初の液体式気動車で、非常に歴史的価値のある車両です。 車両は小美玉市に保存されていますが、残念ながら現在のところ公開されていません。 石炭列車を引くDD1000(国鉄のDD13と同型)。73年7月。 運転台の写真は、上の写真と同じ、ディーゼルカーです。
2009年01月04日
正月休みは今日まで6日間でした。 でも、いろいろやることが多く、結構ハードでした。 この写真を見て下さい。受付が狭くて、物の置き場所に困っていたので、後ろの壁をぶち抜いて棚を作りました。 壁の後ろはストックヤードなので、後ろ側の見た目は関係ないし、スペースがあった分、楽でした。 左上が斜めなのは、階段があるからです。(2Fはかつて、スタッフルームでしたが、院長室をスタッフルームにして、技工室を院長室に改造したので、2Fは使ってません) 札幌の母の所で2泊したし、うちは医療機関なので、月初めはレセプト作成もあるし、そしてこの大工仕事もやったので、あまりゆっくりできない正月でした。 雪かきをほとんどしないで済んだのは楽でしたが。1973年頃、沼ノ端付近を行くD-51です。
2009年01月03日
今年のコンサの日程が気になります。 早く知りたいけど、正式発表はまだ1ヶ月も先か。 またSLです。 たぶん、私が中学2年の1973年の写真だと思いますが、苫小牧(正確には沼ノ端・遠浅間)で撮ったものです。以下は岩見沢第一機関区。ちなみに、1963年2月の機関車分布図を見ると、岩見沢や苫小牧、鷲別、室蘭など、室蘭線にはC-57は配属されてなかったです。(室蘭にC-55ならあったけど) このころ、室蘭線の客車は主にD-51が牽引していたのだろうか? まあ、本来、C-57は急行型機関車だから、主に幹線に配属されていたのだし(苗穂にあった)、幹線の無煙化が進んで来てから室蘭線などの亜幹線に廻ってきたのでしょうね。
2009年01月02日
母の家でオオドサとSLの話題になり、万字線で石炭列車を牽引していた機関車は何かという議論になりました。 オオドサはD-51ではないかとのこと。 私は記憶にないのですが、客車をC-11が牽引していたくらいだから、軸重制限があり、9600が牽引していたかも、と思ったのですが、ここ をみたら、D-51が走っていたのですね。 ちなみに、展示している「みなみ公園」は岩見沢東高が昔あった場所ですね。 ここにはC-57も展示してます。 ちなみに、軸重(最大軸重)ですが、9600は13.41トンなので、多くの線区に入線可能ですが、D-51は 一次型(ナメクジ型)が14.3トン、2次型が14.63トン、3次型(戦時型)で15.11トンです。 幹線の函館本線だって、標準型のC-62の16.08トンは無理で、軸重軽減改造して14.96トンにして急行ニセコを牽引していたくらいだから、万字線で戦時型D-51を運用していたかどうかはわかりませんが、1次型と2次型が走っていたのは確認しました。(個人のブログ程度ですが) 岩見沢第一機関区に戦時型D-51はあり、室蘭本線では運用していました。(写真は栗丘です)戦時型は砂箱と蒸気だめのドームが角張っているので、横からみたら即座にわかります。
2008年12月29日
今日は近文8:00発の電車で出勤。 ランチは、イコフも麦々堂さんも休みなので、得意のトマトクリームパスタ。1973年4月30日、丘珠です。中学2年のとき、自転車で行きました。
2008年12月28日
正午の旭川気象台の観測では42cmの積雪。カーポートの上は50cm近いでしょうか? 午後にまた降って、現在59cm。でも、ほぼ平年並みです。 全国的にもまだ雪は少ないようで、長岡が0cm、十日町が33cmしかありません。 人里での最大積雪8メートルを記録した津南で、ようやく72cmです。 まあ、ともかく、明後日オオドサが予定通り北海道に着くことを祈ってます。 今日は古い写真を眺めていました。たぶん、岩見沢第一機関区だと思います。73年頃かな? (ネガを調べたらわかるかも) ナメクジ型が美しいのは、砂箱と蒸気だめが流線型カバーで覆われているのはもちろんですが、給水加熱器が煙突の前にない(煙突の後ろに90度回転させてカバー内に納めている)からです。 D-51は、ナメクジ型の91両を除く1,026両が、煙突の前に給水加熱器があり、私は好きでありません。 同様に、次の写真のC-58も、給水加熱器が煙突の前に、で~んと鎮座しているから好きではありません。煙突の前にある円筒形のが給水加熱器です。(ボイラーに供給する水を、排煙を利用してプレ加熱します) 中学の修学旅行で、たまたま小清水原生花園前で撮った写真なので、74年の秋です。 C-57なら給水加熱器はフロント下部に置いてあるのですっきりしてます。 追加写真ですさらにもう一つ追加。上の写真と同じD-51の15号機。追分駅74年5月。「決定版・日本の蒸気機関車」宮澤孝一・講談社より。
2008年12月23日
用事で浜頓別へ行って来ました。 近文駅のポスター、征也が25番になってました。浜頓別からの帰りは音威子府から旭川まで特急サロベツ。サロベツの指定席はコンセントがあるのと、ピッチ(前後の間隔)が広いです。 (コートかけのフックがない席があったりしますが)老朽化したキハ183の1500番台ですが、ピッチが940mm(韓国の新幹線の930mmと同じくらい狭い)から1040mmに拡大したので楽ですね。 ちなみに、スーパーカムイは980mmです。旭川駅の2・3番線ホームではラーメン(700円)が食べられます。山頭火がプロデュースしたとか。 もちろん冷凍ではなく、生の麺を注文受けてから茹でます。 駅の立ち食いラーメンは道内ではここだけだそうです。 やっぱり今日も食い物の話になってしまった (笑
2008年10月14日
診療所の移転で、めちゃ忙しい毎日で、ここの更新がぜんぜんできてませんが、近況を。 新診療所は今月28日のオープンです。 なにせ、ボロボロ診療所を安く借りた関係で、リフォームやら掃除、機器や薬剤の入れ替えなど、仕事が山積してますし、浜頓別の整理も、とっても大変です。 ホームページも作り始めましたが、忙しくてなかなかはかどりません。 http://www.432dent.jp/ ドメイン名の意味、わかりますよね? 本当は「432.jp」とか「432.org」とかにしたかったけど、しっかり先客がいました。 今日は保健所やハローワークなどのお役所巡りもし、銀行へ行って、お金を下ろして(中小企業共済の共済金が入ったので)リフォームの支払いをし、退職金を払ったときに借りた生命保険の契約者融資を返済するなどで忙しくて、なかなか診療準備が進みません。 でも、おかげさまで、すでに予約が入ってます。(縁故関係ではありますが) 往診先施設の開拓も進んでいます。 さて、今日は鉄道記念日なので(はすえいんさんは、こんなおめでたい日が誕生日のようですが)、紹介してなかった鉄道写真を張り付けます。 鹿児島市電です。 ここも標準軌です。まあ、多くの路面電車はそうなのに、札幌・函館・東京が違うのですが、どうでもいいですかね。 線路幅ならこちらをご覧下さい。(私が作成しました)http://www.d2.dion.ne.jp/~nosmoke/sennrohaba.htm長崎などもそうですが、ほとんとがセンターポールで、蜘蛛の巣のような架線がなくていいですね。 札幌も、南4条はそうですけどね。 線路際は緑ですが、まさか、人工芝ではないですよね?指宿枕崎線の車内から撮った黒豚です。本当に(当然だけど)黒いですね。大牟田駅を出たら、西鉄の特急がしばらく併走しました。
2008年10月03日
今日は保険医療機関の指定申請のため、札幌に来てます。 母の家で晩ご飯を食べたところです。 一昨日、日本一長い駅名を紹介しましたが、世界一は、ウェールズにあるこれです。Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch
2008年10月02日
今日、面接を行いました。 シゴトガイドに求人出したら、30人以上も募集があり、素晴らしい人も何人もいらっしゃいました。 これほど良い人達に恵まれるなんて思ってなく、とっても嬉しいです。 さて、遅くなりましたが、9月15日にオオドサと行ったトヨタ博物館です。 とても見応えある素晴らしい展示でした。 驚いたのは、展示車両全てが自走できる状態で保存されているのです。ベントレーです。 ルマン4連勝で、イギリスを代表するスポーツカーになったとか。これはわかりますよね。 007は二度死ぬで、ショーンコネリーを助手席に乗せて浜美枝が運転してましたね。 当時の価格をオオドサが調べたら、クラウンが60万円台、一番安い車が30万くらいなのに、330万くらいですから、今の貨幣価値だと、1,500万くらいだと思っていいのでしょうか?トヨタ博物館併設レストランの「博物館セット」。 名古屋らしく、みそかつ+えびふりゃー。 みそかつは、てっきり肉に味噌味がついているのだと思っていたら(そういう店もあるそうですが) 普通のカツを味噌タレで食べるのですね。 美味しかったです。 愛地球博のときから完全に禁煙になったそうで、快適に利用できました。
2008年09月30日
さっき、朝日新聞夕刊を見たら、人気珍味ランキングがあり、1位が北海道のスルメ、2位が北海道のイカの沖漬、3位が長崎カラスミでした。 長崎では意外と安く、あちこちで売ってましたが、なぜ安いのかと思ったら、皆、原料がオーストラリア産でした。 ちなみに4位たたみいわし、5位辛子レンコン、6位ママカリ、7位イワシのみりんぼし、8位くさや、9位あご竹輪、10位ふな寿司でした。本当は22日に行く予定だったけど、飛行機の欠航で23日の朝に行った指宿枕崎線の西大山駅。かつては「日本最南端駅」でしたが、ゆいレール(沖縄のモノレール)ができたため、上に「JR」を書き足してます(笑 背景は薩摩富士と呼ばれる開聞岳。 この直ぐ近くのフラワーパークに家内を置いて、私はある場所へ行き、鴨池で再会(私はレンタカー、家内はバス+JR+タクシー)という旅程でした。突然24日の映像となりますが、鹿児島中央駅新幹線待合室には、なんと、190種類もの焼酎があるのです。さすが鹿児島。私は以下で紹介する場所を訪問し、キックオフ5分前に鴨池入り。 家内は豪雨でJRが徐行運転だったので、キックオフ20分後にスタジアム入り。 鴨池はハーフタイムに少し降ったくらいで済みました。実はこの階段を上がった場所に灰皿が置かれていたのです。 入退場のときやトイレに行くときに通らないといけない場所です。 さらに、入り口に近い客席までタバコ煙が容赦なく流れてくるのですよ。 全くとんでもない状態です。 抗議したけど、他に場所がないとのこと。 しかたなく、ちょっとたってから勝手に灰皿を向こうの階段に下に持って行ったのですが、そこはトイレでした。 本当に困ったものです。 トリニータに抗議しようと思っています。 今回、鹿児島へ行ったのは、ちょうど開業場所を変える移行期間で休みがあり、旅行したかったし、ちょうど鹿児島でコンサの試合があるというのもありますが、もう一つ、鹿児島へ行きたかった理由があるのです。ここは鹿児島市と鹿児島空港の中間点くらいに位置する姶良(あいら)町という町ですが、戦争中、父がここに駐屯していたのです。(船津小学校跡地ですが、小学校の裏の竹林を切り開いてキャンプ地にしたとか) 北海道から一個大隊が、本土決戦に備えて終戦2ヶ月前に移動してきたのです。 ここでは、戦闘こそなかったけど、いろいろなことがあり、命を落としかけたこともあり、私やオオドサが子どもの頃、よく父からその話を聞かされていました。 だから一度行ってみたかったのです。 偶然にも2ヶ月前に姶良町に学会仲間がいることがわかり、連絡したら、その人の知人の母が、戦時中に北海道の兵隊を自宅に収容していたとのことで、話を聞きに行きました。 さらに偶然にも、消防団の人達に会い、「戦時中に赤痢になったとき、軍医さんに診てもらった」という人が何人もいました。 軍医は3人いたそうですが、私の父が診たかもしれません。 その他、いろいろな話が聞けて、本当にはるばる鹿児島まで行った甲斐ありました。道路を挟んだ向かいのこのあたりに大隊病院があったとか。キャンプ地は今は養鶏場になっています。 鹿児島の地鶏のタタキは大好きです。
2008年09月28日
鳥栖から長崎までの特急かもめ。「白いかもめ」の愛称の電車です。(以前は赤い電車だったので)雲仙普賢岳が良く見えます。手前は海苔の養殖場でしょうか。 このあと、問題になった諫早湾の干拓地や、ギロチンと呼ばれた締め切り堤防も見えました。長崎に行ったら、まずはここ(と、原爆資料館)を見ないといけませんよね。 長崎原爆投下時、曇っていて目標が外れ、町はずれに落ちたから被害が少なかったと聞いたことありますが、実際にどれくらいの被害なのか、どのくらい町の中心から外れたのかなどを知りたかったです。なにせ、原爆に関しては広島ばかり報道され、なかなか長崎のを知る機会がなかったですから。 で、原爆が投下されたのは、長崎市中心部から北に3kmちょっとで、浦上駅の少し北です。 それでも、当時24万人いた市民のうち、7万人強がその年のうちになくなっているとのことで、死者数は広島の半分くらいですから、とても被害が少ないなんて言えませんね。 もちろん、中心部に落ちたらもっと被害は大きかったでしょうけど。 ちなみに、平和記念像は原爆投下10年後に寄付で建立されたそうです。土地事情の悪い長崎で、爆心地のすぐ近くに広い公園を作って平和記念像を建立できたのは、当時ここは刑務所があったのです。上の方の壁は元刑務所の塀です。爆心地です。ここに行こうとしたら豪雨になって、これ以上近くに行くのを諦めて、原爆資料館に行きました。長崎で一番人気のある(?)観光スポット、グラバー園から対岸の三菱造船所を撮りました。 戦艦武蔵もここで建造(進水)されました。 グラバー園は爆心地から4.5kmくらい離れているので被害を免れましたが、目標に原爆が落ちたら、爆心地から1.2kmくらいしか離れてないので壊滅したことでしょう。あと、長崎で行きたかったのはシーボルト宅跡とシーボルト記念館。 交通の便が悪いとはいえ、日曜なのに空いてガラガラだったのは寂しいです。グラバー園へ行く路面電車の最後の2区間は単線でした。市電で単線は初めてみました。郊外電車が市内だけ道路併用軌道なら単線は珍しくないけど、純然たる市電で単線が他にあるかな? (札幌市電のように、終点の駅部分だけ単線は除きます)長崎名物、トルコライス。 名称の由来はなぞみたいです。 それにしても、塩分と脂分が多く、野菜が少なく栄養バランスが悪そうだし、私はもう若くないので、ちょっとボリュームが多すぎて食べる気にならなかったです。 結局、長崎では長崎らしいものを食べなかったけど、自然食バイキングなど、美味しいものを食べました。
2008年09月19日
明日、札幌を素通りして福岡空港へ向かいます。 長崎泊で、途中、ちょうど鳥栖を通るので、鳥栖対熊本を見てきます。 ベアスタは初めてです。市村などを見てきます。 ちなみに日曜の長崎の天気予報は雨。 ♪あああ~長崎は~今日も~雨だった・・・ 今日は面接をやったり、保健所へ行ったり、リフォーム業者や求人誌業者などと打ち合わせたり、カーテンを買いにニトリに行ったり(ニトリは安かったです)、とても多忙で、なんだかゆっくり旅行というより、慌ただしく旅行に旅立ちます。 日本平ではドーレくんが来て、パルちゃんとの競演は、かなり受けていたようですが、例のことで私は頭が一杯で、それどころではありませんでした。中央はオオドサです。選手紹介で平岡にはエスパルスサポから大声援。 でも、西澤へはわずかな拍手だけでした。もう忘れられている、というか、最近のサポは知らない? いや、サポにとって悪い想い出がある?ステーキハウス・ブルには、作曲家、中田喜直氏の色紙もありました。名古屋で高蔵寺から大曽根までガイドウェイバスに乗りました。 JRなら230円、18分のところ、わざわざ620円、35分かけて乗りました。 始発から終点まで乗るなんて、マニア以外いないでしょう(笑 前輪部分です。(ガイド車輪は収納されています)後輪部分です。(これも収納状態)ガイドウェイ区間では、手放し運転です。 左手のレバーでガイド車輪を出し入れするみたいです。乗り心地良かったですよ。 信号待ちがないのは気持ち良いし、車線変更もなく、揺れが少ないです。 こちらはリニモ。下に伸びているのは車内電源のための集電アームで、第3軌条にブラシ接触で集電します。 電磁誘導かと思ったら、そうではありませんでした。 途中の芸大前駅から歩いて5分でトヨタ博物館です。 こちらは後日紹介します。(25日以降になります)
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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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