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札幌出身、東京在住。05年の秋からはアウェイで大旗を振っていたが、2011年末にOSCが解散したこともあり、同年限りで旗振りは引退。
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2023年02月09日
上の画像は割と最近FIFAから送られて来たメールのスクリーンショット。 FIFAの表彰候補をチェックして投票してね、という感じのメール。 FIFAからのメールは、昨年のワールドカップの準々決勝あたりから急に来るようになった。 なぜだろうと思ったが、どうやら2019年に女子ワールドカップの試合を見に行った際に、メールアドレスを登録して(チケット購入のため)、いろんな情報を受け取るため、メールを送ってもいいよ、ということにしていたようだ。 しかし、ワールドカップの宣伝ならば、カタール大会の情報もおととしとかから送ってきてもよさそうなものだが、なぜ、準々決勝から突然、送信してきたのか? カタール大会のチケットは宣伝せずとも売れるので、2023年の女子ワールドカップのプロモーションということで、2019年に観戦に行っている人のデータを利用してメールを送り出したのかもしれない。 メールの配信を停止してもらうことも可能なのだが、今はちょっと様子をみている。 さて、長々とFIFAからのメールのことを書いたが、2019年にフランスで開催された女子ワールドカップを見に行ったときの旅行記みたいなものの導入部にしようというわけである。 女子ワールドカップ観戦が目的だったわけではない。最初はいつもの海外旅行とおんなじ感じでと考えていた。 目的地はジョージア。ジョージアは以前グルジアと呼ばれていたが、グルジアはロシア語由来の呼び方で、反露感情から英語由来の呼び方であるジョージアへの変更をジョージア政府が各国に求めて、日本でもジョージアと呼ぶようになった。 ジョージアにはかなり前から興味を持っていて、ユーラシア陸路横断の様々なルートを通りたいと思い、中国-カザフスタン-ウズベキスタン-トルクメニスタン-アゼルバイジャン-ジョージア-トルコというルートに興味を持っていた。そして、実際、カザフスタン-中国の旅は実行、アゼルバイジャンからトルクメニスタンに入り、陸路ではないが、カスピ海を渡ってアゼルバイジャンに入るというルートにもチャレンジした(しかしウズベキスタンのタシケントでのトルクメニスタンのビザ取得に時間がかかりすぎることがわかり、カスピ海横断は断念してタシケントから飛行機でアゼルバイジャンのバクーに飛んだ)。 ところで、2019年の前半当時、その何年か前からの流れで、1週間(以内)は東京、次の1週間ないし2週間は札幌という生活をおくっていた(最近の記事で書いている通り親が生活のさまざまな点で助けが必要になっていたため)。 東京の1週間の部分をジョージア旅行にあてようということで計画をねっていた。そのとき、女子ワールドカップの開催地はフランスだ、うまく組み合わせれば1試合くらい見てこれるかもと思って日程を調べてみると、何とかなるかもしれないという感じになってきた。 しかし、ネックは、行き、もしくは帰りにフランスに寄るとなると、1週間という日数では足りなくなってしまうことだった。 結局、札幌に帰ることができない期間が若干長くなるので、身内で調整して日程を確保した。 ジョージアの首都トビリシへのアクセスはトルコ航空を利用すると便利。しかし、例によってJALの利用を優先したいので、成田→ヘルシンキ(フィンランド)→リーガ(ラトヴィア)→トビリシ(ジョージア)というルートを選択。リーガまではJALの正規割引運賃で、リーガからトビリシへはエア・バルチックを利用。 帰りは、フランスで女子ワールドカップで日本チームの試合を観戦するため、トビリシ→パリ→羽田というルートを選択。トビリシ→パリ間はエア・フランスがサッカー観戦(18時キックオフ)にぴったりの便を飛ばしてくれていたので、迷わずそれを選択した。 ということで、2019年6月の旅行記を書き始めたが、いつフランスに着けるかはわからない(ここサポーターズ・ブログではサッカー以外のネタはあまり需要ななさそうだけれど、いきなりパリに到着しましたという感じにはならないことをお断りしておきたい)。 ちなみに、しばらく放置してきたこのブログですが、すでに書いた通り、今年はスタジアムへ行って昔からの知り合いに会える感じではないので、昔からの知り合い方々に生存を確認してもらおうと思って最近になってちょっと書き出しました。たぶんアカウントは持っていても離れてしまった人、最近SNSの方が中心でサポーターズブログはちょっと。。。という人が多いと思いますが、たまにのぞいている方もいそうなので。。。
2023年02月07日
定期航空協会が6日、政府が新型コロナウイルスの感染症法上の分類を5類にすることをうけ、利用客に要請してきたマスク着用を求めない方針を決めたとのこと。 こんなとこに何かを書いたからといってどうにもならないのはわかっているが、気にかかるのはチームが移動する際の感染対策。 航空会社がマスク着用を求めなくなっても、おそらく多くの乗客はマスクをはずさないのではと思われる。しかし、確実にマスク非着用の乗客は搭乗するので、以前より感染リスクは上昇する。搭乗時、降機時は飛行中みたいに十分な換気が行われないという話もあるし(JALは安全のためちゃんとやっているんだったか? すみません未確認です)、飛行中でもマスク非着用の感染者が近くにいたら感染リスクはかなり上がるだろう。 1人感染するとあっという間にチーム全体に広がってしまう。軽症、無症状が多いとはいっても、後遺症の恐れもあるし、軽症ではあっても高熱、咳、のどの痛みに苦しむ者が出る可能性もある。ミシャはそこそこ高齢だし。 感染リスクを減らすには高性能マスクをすき間なく着用するくらいしか方法がないと思われるが、コンサには、移動時、チームとして高性能マスクをすき間なく着用するということを徹底してほしい。
2023年02月02日
少し前にコロナ禍の介護生活と題して記事を書いた。 医療に従事する人たち、介護事業に従事する人たち、家庭で介護をしている人たち、接客業に従事している人たちは大勢いて、それぞれ感染対策は色々だろうと思うが、かなり生活に自己規制をかけているのではないだろうか? 親戚に医療従事者がいるのだけれど、ずっと帰省もせず(できず)にいて、この正月、3年ぶりに会えた(年始の挨拶でちょっとだけ-もちろんお互いマスク着用で)。 ちなみに、自分の場合は限りなくゼロ・コロナをめざしている。傍から見ると滑稽と思われるほどかもしれない。 ・基本外食はしない。 ・スーパーにはすいているとされている時間帯に行く。 ・感染拡大期にはデパートへは行かない(たまに食料品売り場に行くが混雑していることが多いので)。 ・ラッシュ時に公共交通機関には乗らない。ちなみに札幌地下鉄は窓をちゃんと開けてくれているので、割と安心感があるーたまに東京に行く必要があるのだが、向こうの人はかなり無頓着で窓が開いていない場合もあって怖いーということで人の多い区域ではシェアリング・サイクルを利用することもしばしば) ・高校生の帰宅時間帯の地下鉄は避ける(学校が感染源となることが多いので)。 ・札幌・東京往復は人の移動の少ない時期・時間帯を選んでいる(飛行機は比較的安全とされているが念には念をということ)。 ・2020年の1月を最後に床屋・美容室の類には行っていない(スーパースプレッダー的な人が客のなかにいたらということを恐れて)。そのため髪が伸び放題で後ろで縛っている(ウソです)。散髪用のハサミを購入して、2か月に1度くらい自分でカットしている(ハサミと髭剃り用のカミソリを併用、けっこう上手になったので、本当はスタジアムで昔からの知り合いに見せて「自分でやっているとは思えないでしょう」と言いたいー笑)。 ・仕事は介護生活のためコロナ禍前からアーリー・リタイアメント状態(それが可能な状況なのはラッキーだった)。ちょっとだけ引き受けていた仕事は自宅でできるもののみにしたので感染対策を考える必要はほぼない。 こんな生活をしているのだが、今年も色々と調整して、何回かはスタジアムへ行きたいと思っていた。 しかし、どうやらあきらめざるを得ないようだ。 Jリーグが来場時のマスクについて、「着用」から「携行」に緩和し、声出し応援をする場合、会話をする場合は着用、だたし2m以内に人がいない場合は着用の必要なしと、必ずしも着用は必要がないとしたからである。自分はもちろんマスクをはずすわけがないのだが、高性能マスクをつけていても、完全にすき間なしで着用できる自信はない。 何かJリーグに観戦はあきらめてくださいと言われたような気分だけれど、クラブやスタジアム管理者が引き続き入場時のマスク着用を求めた場合、一部の客から「政府がマスクは必要ないといってるだろう」とか抗議され、運営スタッフ、ボランティアが対応に苦慮するということが頻発しそうなので致し方ない面もあると思う(エアロゾル感染をなめすぎという気がするが)。結局、政府に観戦をあきらめて下さいと言われたというわけか(溜息)。。。
2023年01月23日
2019年4月、ルヴァン・カップのグループステージのVファーレン長崎戦の応援というか観戦のため、長崎へ行った。周知の通り、この年のルヴァン・カップではコンサドーレは決勝まで駒を進めたのだが、実は全試合を現地で見ることができた。 全試合を現地で見て最後に優勝を目撃するというストーリーは残念ながら完成しなかったが、この年の終盤以降、実家への張り付きが常態化したので、自分のコンサ応援生活史という観点からは、とても貴重な年となった。 全試合現地観戦するなかで、試合会場・日程的に最も観戦ハードルが高かったのが、この諫早のトランス・コスモス・スタジアム(長崎県立総合運動公園陸上競技場)で行われたVファーレン戦だった。しかし、長崎には以前から行きたいと思っていた場所があり、試合日程が決まると、すぐに遠征計画を立てた。いつもはアウェイ席に陣取るのだが、この日は普段リーグ戦に出場しない選手が見られる可能性もあるということで、メインスタンドのチケットを購入。陸上トラックはあるが割りと見やすかった。
さすがに平日の夜に諫早まで遠征してくるサポーターは少ない。
試合は、6-3でコンサドーレの勝利。 この試合で強く印象に残ったのは福森のミドルシュート。えげつない威力だった。 この試合以降、コンサの試合を見る際、福森がスルスルっと上がってペナルティエリア近くまで行くと、いつも彼のミドルシュートを期待してしまう。 今年の福森は体づくりが上手くいっているという話も聞こえてくる。あの時のようなミドルシュートを期待して試合を見たいと思う。 この日は諫早駅近くのホテルに宿泊。翌朝、長崎に出て駅前からバスに乗って外海(そとめ)へ向かった。 目的地は大野教会。 この教会堂は、以前、NHKのBSだったろうか、ド・ロ神父(フランス出身、1879年出津に着任))が「ド・ロ壁」と呼ばれる石組みを用いて建設したことが紹介されていて、いずれ行きたいと思っていた。ただ、ここをメインの目的地にするほどでもなく、なかなか訪れることができずにいた。 ちなみに、2018年、長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録され、大野教会がある大野集落もその中に含まれている。
バスを降りて坂道をしばらく登って行く。
大野教会堂(1893年完成、2008年国指定重要文化財指定))が見えてきた。石組みの感じがヨーロッパの田舎にある建物という雰囲気を醸し出しているが、屋根の瓦は東アジアという感じ。石組みは赤土を水に溶かし、そこに石灰と砂を投入したものを接着剤として、大野岳の玄武岩を積み上げて作られている。なお、教会内部は撮影禁止なので、外観の写真しかありません。 ちなみに、内部は、板張りの床、平らな天井、木の枠組みがある白い塗り壁という日本風の建築で、ステンドグラスはない。
この教会は目立つところに十字架が立てられていないが、屋根瓦にさりげなく十字架の装飾がほどこされているのが、なかなか格好良い。
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外海の海。 大野教会堂を見学して、一応目的は達したが、長崎市内へ戻る途中に、ド・ロ神父が日本にやってきて、まず建てた出津(しつ)教会に寄った。
出津教会。こちらも内部の写真撮影は禁止。
出津教会。
出津教会(奥)と旧出津救護院(手前)。 出津救護院は、ド・ロ神父がフランスで学んださまざまな分野の知識をもとに、外海地区の女性の自立のために作った授産施設。編み物、素麺、マカロニなどの加工器具、農具などが展示されている。いつもそうなのだと思うが、シスターが丁寧に説明してくれた。
出津集落前の海。 長崎市内に戻った後、帰りの飛行機までには若干時間があったので、寺町へ行き、興福寺を訪れた。
興福寺。江戸時代初期に明から渡来した僧によって開かれた黄檗宗の寺。ちなみに、17世紀半ばこの寺の住職を務めた明僧隠元は後に京都宇治に万福寺を開いた。写真は大雄宝殿(本堂)
大雄宝殿の前から庫裏の方向を見る。正面に見える魚の形をしたもの(魚板)は僧侶に食事時を告げるために叩いた木彫の魚。 そろそろ時間切れとなり、寺町にある他の寺には寄らず帰途につく。
2023年01月20日
1億円を目標に始められたクラウドファンディングだが、7000万に届くかどうかという感じだ。 良く知られているように(古参のサポしか知らない?)、2000年の11月・12月にサポーター持株会の会員募集があり、1口5000円で5000口(総額2億5000万)を目標に開始され、その目標は達成された。 この時のことは老舗のコンサ情報サイトであるコンサデコンサに詳細が記されている(下記)。 https://www.consadeconsa.com/2001/01/17/462320/3803/ 2000年には短期間に2億9000万円以上を集めたのに対し、今回のクラウドファンディングでは目標の1億円を集めることは極めて困難な状況だ。 両者を単純に比較することはできないが、集めることができた金額の差は何に起因するのだろうか? 1.サポ・ファンの熱量が違うのか? 確かに2000年はJ1昇格を決めてサポが盛り上がっていたのは確かだが、コロナ禍の影響で集客で苦戦しているとはいえ、現在も熱心なサポは多いと思う。 2.クラファン以外のコンサ関連支出が多い? 確かにグッズの種類も多くなり、最近話題のDAZNの年間パスの負担というものもあるが、その条件をそっくり2000年当時に持って行った場合、2億5000万を集めることの障害になっただろうか? 3.クラファンのリターンより、持株会会員の特典の方が魅力的? もしくはクラファンのリターンに魅力がない? 持株会の会員になったとしても株主になるわけではなく、特典は一口につき招待券2枚。招待券は毎年得られる特典ではあるが、持株会会員になった人はシーズンチケット購入者も多かったと思われ、招待券はそこまで魅力的な特典ではなかったと思う(配るあてのある人にとっては魅力的?)。自分も持株会会員募集に2口応じたが、当時はまだ、東京から札幌まで行って参戦するということは少なかったので招待券はそれほど魅力的なものではなかった。ちなみに、その後、2005年くらいからシーズン チケットホルダーになりせっせと東京から札幌に通ったので、自分で招待券を使うことはなかった。(財政基盤を強化できればエメルソンをコンサに引き留めることができると考えた人が多かった? 資本金が増えるだけなので強化費の増額に直結するわけではなかったと思うが) ちなみに、自分はクラファンにも応じた。ただ、ある時期から持ち物を増やしたくはないと思うようになったので、リターンのグッズには興味が持てなかったし、支援した証とかスペシャル体験にも興味が持てなかったので、純粋支援に少し協力した。 上のようなことを考えてみたが、クラファンで集めることができた(できるであろう)金額が、2000年の持株会会員募集で集めた金額の半分にも満たない要因を説明するのは難しい。 たぶん、一番大きな要因はサポ・ファン総体の財布の状況だろう。 物価は上がるのに所得は増えない(物価上昇に追いつかない)というのは、一般的な状況だと思う。 そんななか防衛費確保のための増税? 相手が攻撃をためらうほどの軍備があれば安心と喧伝するが、こっちが軍備を増強したら相手も勝てるという状況につくるため軍拡するだけではないのか? そうしたらそれを上回るための軍拡を目指すのか? 軍拡競争は際限がない。 どこまで税負担は増えるのか?という不安がある。加えて社会保障費の削減による将来不安も増大。 もし、2000年がそんな状況だったら、1口5万円という持株会会員の募集にどれだけのサポが応じることができたのか? また、2000年当時現役だった方々が年金生活に入ったことも影響していると思う。年金生活者にとって、日本の物価状況などはかなり厳しいと思う。 結局、2000年と2022年~23年の集金額が違いは、単純に日本経済が置かれている状況の違いを反映しているのではないだろうかという、当たり前すぎる結論になりました(笑)
2023年01月18日
政府は新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けを「5類」へ変更した場合、屋内でのマスク着用について症状のある人らを除き原則不要とする方針で、首相は週内に関係閣僚と協議すると報じられている。 介護生活をおくっている自分にとっては、とても困ったことになるなあと思っている。 政府が言っているのだからと言って、マスク非着用者が増大するだろう。 コロナウイルスは無症状者、発症前の者も他者へうつすということが明らかになっており、感染者増大必至だ。 また、5類に変更されると、おそらく感染者、死者の数は見えなくなるのではないか(既に本当の感染者数は見えなくなっているが)。 政府がマスクは不要と唱えることにより感染者が増大するのは間違いないだろう(マスクに効果はないと非科学的な主張する人間をネット上でみかけるが)。 感染者は確実に増える。そして、その本当の状況が見えない状態になってしまう。 そうしたら自分はどうするだろうか? 警戒を強めるしかないだろう。警戒を強めて、自分の中で定めている行動制限のなかで最大レベルのものを実行していくだろう。 そうなったら、コンサの試合を見るためにスタジアムへ行くのはあきらめざるを得なくなるなあと思う。現在の自分のおかれた状況を考えると、そんなにたくさんは行けないのははっきりしている。でも、何とか少しは行きたいと思っているのだが。 現在、北海道は日ごとの新規感染者数は減少傾向を示してはいるようだ。 しかし、新手の変異株は手ごわそう。 下記は、東京大学医科学研究所システムウイルス学分野・佐藤研究室のツイート。
2023年01月16日
以前、実家張り付き生活をしているということを書いた。 遠まわしに書いたのだけれど、早い話、親(母)の介護である。 どうも世の中では、コロナはたいしたことないという雰囲気が蔓延しているようである。 しかし、実際には一日に500人を超える死者の報告がある日もあるという状態だ。 それなのに、ニュースでは軽く触れるだけ。クジラの死の方に多くの時間が割かれているんじゃないかという感じすらする。 政府も、ワクチンを打ってくれ、個人で対策をしてくれ、というだけでほぼ無策。 どこが出どころかよく知らないが、コロナはインフル並みという情報が流れてくる。実際にはコロナの方がはるかに罹患者が多く、この一か月で1万人もの人が亡くなっている。どこがインフル並みなのだ。 そして、死んでいるのは年寄りということを強調するもの。 確かに若くて、基礎疾患のない人間にとっては、それほど恐れるべきものではなくなっているのかもしれない(しかしいまだよくわかっていない後遺症というものがある)。 まあ、若くて、基礎疾患のない人は、不幸にも罹患してしまった場合、極端に恐れることなく冷静に療養してください、というのはわかる。 しかし、死んでいるのは高齢者ばかりという言い方には、高齢者は生い先短い、死んでも仕方がないというニュアンスを感じてしまう。弱者の命を軽視する考え方を感じてしまい、受け入れることはできない。 新型コロナ感染症は、無症状・発症前にも他者にうつる病気だ。 介護生活をしているものの立場から言わせてもらえるならば、もう少し安心して外に出られるようにしてほしい。 マスクくらいちゃんとしてほしい(他者にうつさないため)。政府内では屋内でもマスク不要という議論があるという報道にも接したが、ほんと、勘弁してほしい。 それから、介護施設、学校などで、そのほかいろいろなところで、ちゃんと感度の高い検査をしてほしい。 介護で家にいることが多いのは事実だが、外へ出ずに生活をすることはほぼ不可能だ。 不幸にも、自分が行った空間に「コロナ? そんなの知らん。ただの風邪だろう?」 という生活をしている人間がいて、その人間が罹患していたら怖いのである。 自分が罹患するだけならば、まああきらめはつく。しかし、もし、自分が親にうつし、それが原因で、もっと生きられた命を失うなどということになったら悔やんでも悔やみきれないだろう。 そんなわけで、コロナ禍が始まってから3年。自分は生活に極端な制限をかけている(医療従事者の方々もそんな感じなのだろう)。 残念ながら、感染状況が悪い時は、コンサドーレの試合にも行かない。スタジアム内や往復の交通機関内でスーパー・スプレッダーが近くにいたら、たとえマスクをしていてもアウトの可能性があるので。 また、介護の都合上、ホームの試合でも会場までの往復を含めて4時間家をあけるのは難しい場合があり、観戦数は極端に減っている。 去年買ったレプリカには袖を通すことがなかった(今度着ようと思っていたら、その今度がこなかった)。今年も一応レプリカの購入を申し込んだが、袖を通すことがあるのだろうか? 本来ならば、シーズン前の「今年はどうなんだろう、けっこういけるかも」とワクワクする時期なのだけれど、あまり盛り上がれない個人的状況だ。
2022年05月13日
ずいぶん時間がたってしまいましたが、4月13日、ルヴァンカップ・グループ・ステージ、京都サンガvs北海道コンサドーレ札幌の試合を見るため、サンガ・スタジアムへ行ってきました(試合はご存知の通り、札幌が2点先取したものの、3点取られて逆転負け)。 札幌の実家に張り付かざるを得ない状況にあるなか、色々と調整してまる1日強の時間を確保し、京都亀岡へ行ってきました。 新千歳を12時45分に出発するJALの大阪伊丹行きの便に搭乗。 ほぼ定刻の14時40分すぎに到着。 まっすぐ亀岡に向かうと、キックオフ(18時30分)より相当前にスタジアムに着いてしまう。 諸般の事情で旅というものもご無沙汰なので、ちょっと寄り道しながらスタジアムへ向かうことにしました。 まず、モノレール、阪急線を乗り継ぎ嵐山まで移動、そこから嵐山・嵯峨野をちょっと歩いて旅気分を味わい、嵯峨嵐山駅からJR山陰線で亀岡まで行くというのが選択したルート。渡月橋。もう桜はすっかり終わったかと思っていましたが、かろうじて枝垂れ桜が残っていました。 渡月橋を渡り、天竜寺の前を通過、少し進んで左手の道に入って行きます。 このあたりは竹林が続く道として観光客に人気。
竹林に囲まれた道のすぐ横に、いつできたかわかりませんが、人力車専用の道ができていました(徒歩の観光客の通行は禁止)。 さらに山陰本線を渡って北方向に進んでいきます。
奥には落柿舎という名所があるのですが、もう入口は閉じられていました。 何で、そんな場所の写真をと思わわるかもしれませんが、このあたりは以前とは随分と風情が変わってしまったのです。 次の写真は2008年1月に訪れた際に同じ場所で撮ったものです。
一つ上の写真でただの草が生えた(芝生?)の広場のようになっている場所は、以前は畑だったのです。なんということはない菜園ですが、これが何とも言えぬ風情を醸し出していました。今は畑を管理できる人がいなくなってしまったのでしょうか? 土地勘のない人にとっては、どこをどう歩いているの? という感じでしょうが、スタジアムへ向かうまで、もう少しお付き合いください。 二尊院というお寺の前まで行ったあたりで、そろそろ嵯峨嵐山駅方向に向かおうということで、東へ歩く向きを変えました。
八重桜でしょうか?(花はよくわからないです)、茅葺(?)の建物の横の花が綺麗だったのと、奥に立派な寺院があったので1枚。奥のお寺は釈迦堂(清凉寺)です。
釈迦堂(清凉寺)境内で見かけた石仏と花(枝垂桜だと思う)。 清凉寺境内を抜け、さらに歩いて17時ころ、嵯峨嵐山駅に到着。
嵯峨嵐山駅のホームから下り方向を望んだ写真。左に写っているのは旧山陰線を走っている観光列車の車両。 17時16分発の亀岡行き普通列車に乗車。 17時26分、亀岡到着。途中、チラッとですが保津峡が見えました。
ゴール裏のサポに挨拶に来た選手たち。気が急いていたのか、スタジアムの外観の写真を撮り忘れました。選択した席は「バルコニー指定席」。コーナーフラッグの後ろのあたりからスタジアム全体を見渡すのが好きなので。
自分の席からの眺め。とっても見やすいです。また、すべての座席の上に屋根があるということで、最前列でも雨の心配は少ないということです(風が強いときはカッパがあった方がよいでしょうねえ)。
スタジアムから見た亀岡駅。ご覧の通りとっても近いのですが、スタジアムの入口は駅の出入り口から遠い側にあります(駅直結みたいにしてしまうと、混雑時に客の流れが滞ってしまうからという配慮からでしょうか?)。
左はメインスタンド。
入場時に配布されたスマホに張る紫のセロファン(?)で光の演出。しかし、この日の観客は3000人台で、やや寂しい感じ。
選手整列。いつごろからかは忘れましたが、ゴール裏を離れてからは、入場後整列した選手の姿をカメラにおさめることが慣例となりました(出席記録みたいな感じ)。
選手整列写真をもう一枚。
動きのある写真も一枚。ゲームが始まると試合に集中するため、あまり写真は撮らないのですが、中島が入ったのでちょっと期待して、コーナーキックの際、カメラを取り出しました。 この日は試合終了後、翌日の東京での所用のため、東京の自宅に移動。試合には負けましたが、久しぶりの遠征はそこそこ充実したものとなりました ところで、18時半というキックオフは、京都サンガが、割と広域のサポの来場を想定していて、そのためナイトゲーム後の帰宅の便のことを考えているからなのかどうかわかりませんが、実は、試合後、東京まで移動することが可能なので、この日の遠征を計画しました。 ただ、この日は観客が3000人台で、試合終了後の亀岡駅の混雑もそれほどではありませんでしたが(僕は試合終了の笛がなる直前に席をたったためもあって混雑には巻き込まれなかった)、1万を超える入場者があると、駅の混雑は相当なものであろうと思われます。
2022年02月03日
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コロナの影響のみならず、実家に張り付いていなければいけないという事情もあり、今年もなかなかスタジアムへは行けない環境にあります。シーズンの全試合の7~8割がたをスタジアムで見ていたときは、現地に行けなくなってしまうなどということは、まったく考えられなかったのですが、実際、そういう状況になると、案外すぐに慣れてしまうものだなあと思う今日この頃です。 前置きが長くなりました。ここ1~2年、古い写真・記録を整理というか発掘しているのですが、その中から、1986年に胆振線の喜茂別駅で撮った写真を含むフィルムが出てきました(フィルムに残っている他のコマから時期が推定できる)。以外のフィルムの状態がよく、スキャンしてみるとそこそこの画像が得られたのでアップすることにしました。 学生時代の国内旅行は基本鉄道を利用してのもので、そこそこあちこちに行っていたのですが、ほとんど鉄道の写真は撮っていませんでした。そうしたなか、胆振線の写真があったのは意外でしたが、その日、天気が良く運が良ければ羊蹄山をバックにした写真が撮れる、それに胆振線は廃止されるし、ということで出かけたのだと思われます(車は持っていなかったので鉄道を利用)。 羊蹄山の上の方が雲で隠れており、期待した風景は撮れませんでしたが、今となっては貴重な風景であり、行ってよかったと思います。しかし、なぜ喜茂別駅を選択したのだろう?
2021年05月03日
昨年から続くコロナ禍のなか、古い写真データなどを少しずつ整理していますが、そのなかで懐かしい動画が出てきました。 動画は2005年9月4日、小瀬で行われたヴァンフォーレ甲府戦後のゴール裏(というか当日はバックスタンド)の様子を撮影したものです。 小瀬では”勝っていない”という記憶しかないのですが、この日は0-1で勝利。 で、動画は自分の趣味のHP用に借りている共用サーバにアップしました(↓)。 https://www.glwalker.net/consadole/200509kose.html
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札幌出身、東京在住。05年の秋からはアウェイで大旗を振っていたが、2011年末にOSCが解散したこともあり、同年限りで旗振りは引退。
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