コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2021年09月29日

巨星墜つ --- ゼロから始めた人 ---

> ゼロから始めた人は立ち止まることをしない人でもあった

石水勲氏が亡くなった。

コンサにかかわる彼の功績を一言で言うと,…

プロスポーツがなかった北海道にサッカークラブを誘致し,国内だけでなくヨーロッパまで視察に行き私財を投げうってコンサの練習場まで作ってくれて,どん底にあえぎなりてのいなかった社長に返り咲き就任すると思いきや土壇場でコンサOBでもありサッカー解説者の野々村芳和氏を説得して社長にしてしまった人。

ということに尽きると思う(←「一言」じゃなかった 汗;)。

Jリーグができるまで日本には野球しかプロスポーツは存在せず,Jリーグができてからも北海道にはプロスポーツは存在しなかった。

その後プロ野球チーム(日本ハム)が北海道に来て,バスケチーム(レラカムイ→レバンガ)ができ,フットサル(エスポラーダ)ができた。野球のほうは北広島市に専スタどころかボールパークまで作っている。
女子サッカーもプロ化が始まり,北海道勢では遅ればせながらリラコンサがなでしこ入りをめざしている。

北海道でちゃんとプロスポーツが成立することを,これらのクラブの存在と躍進が証明している。
しかし,こんな状況を25年以上前に想像できた人はおそらくいなかっただろう。当時,北海道はバブル崩壊(たくぎん経営破綻など)からまだ立ち直れていなかったと思う。石水氏たちが始めたサッカークラブ誘致の困難さはいかばかりだったろうか。

※すんません。2000年に初めて厚別に行きコンサとコンササポ(ゴール裏)に魅了された私なので,当時はまだサッカーに興味がなかったのです。のの社長の追悼文よろしく,今では文字通り「サッカーが日常」になってしまったのですが。

その後,クラブはJFLからJリーグに昇格するもJ1参入戦に敗れJ2からJ1に昇格するも2年でJ2に降格。「1年でJ1に戻るぞ」と意気込んだ2003年の失敗,そして“育成型”へ舵を切ったものの「金がない→チームが弱体化→J1昇格できない(たまに昇格しても1年でJ2に落ちる)→スポンサー増えない→…」という負のスパイラルから抜け出せない…。よく投げ出さなかったものです。投げ出さないでくれてホントありがとうございます。

さて,時代は飛んで2012年シーズン終了後,J1をぶっちぎり最速降格してズタボロのコンサにおいて,ののを社長に据えた功績はとんでもなく大きかった。当時の状況で,実はめちゃめちゃ有能だったののを社長に抜擢したこの慧眼! その後のコンサの躍進ぶりは誰もが知るところ。

石水勲氏はコンサに求めるものとして

「北海道全体から支持されるクラブ」
「J1に定着して時々タイトルを狙えるクラブ」

を掲げていたそうな(上記,のの社長の追悼文より)。コンサ関係者みんなが思っているように,これらのことを今後も目標に掲げて,いっそう大きなクラブにして育てていかなければ。私も微力ながらコンサを支えていきたいと願うものです。

コンサを作ってくれてありがとうございます。
コンサをここまで育ててくれてありがとうございます。
ご冥福をお祈りいたします。

posted by ○た |20:34 | クラブ経営・運営 | コメント(2) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:巨星墜つ --- ゼロから始めた人 ---

トップでありながら、こちらの勝手で身近な存在と思わせて下さる方でした。
1年目のオフ、確かUHBの深夜帯で、コンサこの1年、未来に向けてという趣旨の番組があり(MCは越後屋のおじちゃん)サポーター代表の意見に熱心にメモを取りながら答えていた姿を昨日のことのように記憶しています。

ホーム移転して成功した例は古今東西ないと言った人がいましたが、今の社屋の隣に練習場ができた時、世界に一つだけのものができた、この幸福感を成功と云わずしてどうする。とメラメラ燃えるものがあり今に至ります。

「コンサは大通公園のような存在」
「そろそろ俺がやってもいいけど、おい野々村、ちょっとすすきのに顔出せや」←こんな感じと伝えられてますが。
ただただ感謝しかありません。

posted by owls| 2021-09-30 12:11

Re:巨星墜つ --- ゼロから始めた人 ---

owlsさん,どうも。(^^)

ホントに大きな存在だったのだなと,つくづく。
ただただ感謝ですね。

posted by ○た| 2021-09-30 21:45

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