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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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2019年04月07日
東京に着き、まずは新宿を目指します。羽田から新宿へは、京急で品川、品川から山の手線が一般的ルート。 モノレールと大江戸線というルートもありますが、都営浅草線コンサドーレ号が廃車になる前に見ておきたいと思い、一般的ルートを選択しましたが、やはりコンサドーレ号には逢えませんでした。品川駅の東側は変貌しましたね。品川駅の山の手線ホームに降りたら、ちょうど列車が止まっていたので、直ぐに乗ったのですが、とても混雑していて、きっと先頭車か最後尾なら空いていると思って、次の大崎で一旦降りて、次の列車に乗ろうと思ったのですが、どうせ大崎なら湘南新宿ラインもあるので、そちらにしました。荷物を持ってこ線橋を渡ったので、ちょっと疲れましたが。ここなら快適!原宿駅の皇族専用ホーム。新宿で京王線に乗り換えるのですが、ホームには大勢人がいて混雑していたので、少し離れた、京王新線(地下鉄新宿線直通の京王線のホーム)に移動したので、座れなかったものの、混雑しない列車に乗ることができました。味スタへ行かれた人なら、新宿駅京王線ホームは、京王線と京王新線と、離れた別々の場所にあるのをご存じだと思いますが、その間を荷物を持って歩いたので、またちょっと疲れました。 こんびにさんがかつて仕事をしていたという明大前駅。乗り換え客が非常に多い割には地味というか、ホームが狭いですね。 すでに書いた通り、仙川で食事したのですが、そのあと、京王線で新宿へ戻り、埼京線か湘南新宿ラインで赤羽まで移動するのですが、新宿までは通勤通学の流れと反対なので混雑しませんが、問題は新宿から赤羽まで。 平日の21時過ぎなのに、ホームは人で溢れていてごった返していました。 なんとか埼京線に乗ることができましたが、ドームの帰りの東豊線くらいの感じでしょうか。 翌日の晩も、同じく新宿から赤羽までの移動があり、金曜の晩ということもあって、もっと混雑し、最初に来た湘南新宿ラインは、積み残しが出るほどでした。駅員さんはドアから体の一部がはみ出ているお客を押すのかと思うような(押したそうな?)身振りでした。 それは諦め、次の列車を待ちました。 列車だけでなく、ホームも人で溢れて大変な状況で、写真を撮るどころではないほど、緊張してしまいました。(本当に写真ありません) 毎日、こんな通勤通学を強いられる人は大変です。私には耐えられません。 でも幸い、次に来た埼京線は、押し合うほどの混雑でなくて無事、赤羽まで乗れました。 それに、乗車を諦めた湘南新宿ラインの列車と、ほとんど同じ時刻に赤羽に着きました。 以前書きましたが、湘南新宿ラインは池袋から赤羽線(板橋・十条)を通らず、4㎞遠回りになるけど、山手貨物線を走って駒込駅付近から山手・東北連絡線(中里トンネル)を通って、田端・上中里駅付近から東北貨物線に入って、上中里・王子・東十条を通って赤羽に行くので、池袋・赤羽ノンストップなのに、途中2駅停車する埼京線よりも所要時間が長いのです。 なんで湘南新宿ラインが遠回りするのかは、こちらをご参照ください。 埼京線は10両編成だけど、湘南新宿ラインは15両なので、こちらの方が混まないと思ったら、意外にも反対でした。 で、翌朝は赤羽から新宿へ移動するのですが、8:36に赤羽始発の埼京線があるので、それなら空いていると思っていました。 でも、できたらもう少し早いので行きたいし、そんなに混んで無ければ8:36でなくても良いと思ったのですが、8:22の湘南新宿ラインは、やはり混んでいてスルー。やっぱり赤羽始発の8:36かと思ったら、すでに大勢「赤羽始発列車の並び場所」に並んでいるではないですか。新宿まで15分の所要時間ですが、座っていくために10分以上前から並んでいるのです。 でも、その前の8:26の埼京線は、座れはしないものの、そんなにひどくは混んでいないので、それに乗りました。池袋で結構降りたし、新宿止まりということもあり、池袋からは立っている人は少ないくらいでした。この日も新宿で京王に乗り換えですが、JR新宿駅を出ると、ゴミだらけでがっかり。八王子まで来ると、富士山が大きく見えて来ます。高尾でJRに乗り換え。初めからJRで行けば良いようなものですが、京王は安いし、味スタ最寄り駅の飛田給から西の京王線は乗ったことがなかったので、京王で行った次第です。前夜と当日朝の混雑や、乗り換えで疲れ、新宿からJRの 特急に乗れば楽でしたが、でも、後悔はしていません。 高尾からさらに西に行き、山梨県に入って2駅目の四方津(しおつ)には、斜行エレベーターがあります。宅地分譲会社が作ったもので、ベッドタウンになっています。新宿から1時間20分もかかりますが、座って行けるし(しかもロングシートではなく、クロスシートもある)ここなら安くマイホームが手に入るということですが、そんな長時間通勤は、私には無理ですね。
2019年04月04日
所用で東京へ来ています。 埼京線の電車内のニュースで「コンサドーレ・・」と、流れてびっくり。 「日本」ではなく「コンサドーレ」とは嬉しいです。 今日はADO。急遽、決まった旅程なのでJALは高いチケットしかなかったんです。旭川空港離陸。ADOも、これが表示されるようになりました。ペンキが剥げていましたが、エアブレーキかけるスポイラーなので、少々穴が開こうが問題ないです。
2019年03月13日
御茶ノ水へ行ったのはサッカーミュージアムへ行くためではありません。 中央大学で某講義を受講するためで、ついでにミュージアムへ行ったのです。同業者が100人。御茶ノ水駅の総武線ホームにいたら通過列車。一瞬、通過列車なんかあった?貨物は走らないし、と思ったら、新宿発の特急さざなみ(館山行き)があるのを失念していました。さて、北海道へ帰ります。アキバから乗ろうとしたらこの列車が来ました。でも、行き先はペンギン村でもなく、車掌が「んちゃ!」と言うわけでもなく、普通に浜松町で下車できました。モノレールに乗り換え。昭和島では浜松町を4分先に発車した各駅停車のを追い越します。羽田到着。羽田離陸。特急サロベツで和寒到着。ハードスケジュールでしたが楽しい週末でした。ところで、逆光写真の補正の見本として、この写真をアップしておきます。
2019年03月11日
右はイベントMCの、二階堂ハイジさんです。いずれあのおばさんの代わりにハイジさんがやるようになるのか?試合後、36号はそれほど混んでなく、このあたり(南里塚から北広島インター手前)が混雑していたくらいで、ほぼ定刻に千歳に着きました。バスの乗客は総勢5人しかいませんでした。 今月で退役する政府専用機。新しいのは少しだけ見えました。777は747よりも長いので(全長は世界最大の飛行機)、格納庫に入りきれない? 空港のTVでニュースが流れていました。非常口座席で、しかも隣が空席だったので、楽でした。土曜の夕方は空いていますからね。空港も人が少なかったです。さすがにサポーターは見かけなかったです。 翌日が日曜ですから、たいていは泊まって(その前にすすきのへ行って)日曜に帰るでしょうから。 ひとみさんのように、基本日帰りの人もいるでしょうけど、16時に試合が終わって18時の飛行機に乗る人はいないでしょうし。 今回は宿が浅草線沿いなので、羽田から京急に乗りました。車両は北総のです。浅草線5310号にはなかなか出会えません。(すでに廃車になった?)浅草橋駅で下車。この表示があるということは、浅草へ行こうとして、間違えて浅草橋で降りる人が少なからずいるということなんでしょうね。御茶ノ水博士・水道橋博士・秋葉原博士の次は浅草橋博士?飯田橋博士? 感動の試合から一夜明け、この日の所用は御茶ノ水ですが、時間があるので飯田橋へ向かいます。 途中の水道橋駅では後楽園遊園地が見えます。左は東京ドームホテル。飯田橋で買い物してから御茶ノ水へ向かいます。御茶ノ水駅は、相変わらずホームは狭いです。その狭いホームから地下鉄丸の内線を見物。ここと後楽園駅付近は地上を走っています。丸の内線と言うと、007はニ度死ぬを思い出します。
2019年02月12日
帰りは鹿児島→羽田→旭川で、いずれもJALで、往復4便ともB767-300。大好きな飛行機ですが、老朽化していて、A350に置き換えていくみたいです。離島路線の多い鹿児島空港はコミューター機の宝庫です。帰りも雲が多く、ほとんど景色は見えなかったものの、伊豆大島は見えました。羽田→旭川に乗り換えました。日曜の午前中に羽田を出る便は、普段は空いていてガラガラなんですが、この日は違い、たまたま私の隣は空いていたけど、9割くらいの搭乗率でびっくりしました。ほとんどが親子連れでした。 旭川の冬まつりはまだ3日あとなんですが、さっぽろ雪まつりが翌日なので、この日に旭山動物園に行って、翌日に札幌に行くのでしょうか。 羽田離陸。富士山は見えなかったです。ケーズデンキスタジアム。旭川遊覧飛行のおまけがありました。旭川空港の氷像は完成していました。積雪はこれくらいで済んで良かった。ちょっと疲れたけど、風邪もひかず、帰宅したころには十二指腸潰瘍の痛みも完全に消えました。 ハプニングもなく良い旅でした。今年はあと何回か九州に行く予定で、次は7月の大分です。
2019年02月08日
会議の途中、私が参加しなくて良い時間帯があり、近くに薩摩藩の城跡があるので歩いて行きました。 城跡にある博物館なんですが、サツマゴキブリの模型ではないですか。入る気なくしました (笑サツマゴキブリは末梢循環を改善する目的の漢方の生薬ではあるんですけど。 ツムラなどの医療用製剤では使われてはいませんが、ゴキブリ・アブ・ヒルなども生薬です。 インドネシアである日本人駐在員がひどい黄疸になり、重篤で帰国もできず、ここまま死ぬのかという時、見舞いに来た現地使用人が、「良い治療法がある」ということでダメ元でやったら治ったという話しがあるんですが、その治療法は、バナナにシラミを乗せて食べるというものでした。 虫の息のときは虫を食べると良いのか。 5年前はここ(教育会館)で講演しました。昭和6年に建てられ、戦災で内部は消失したそうです。これが誰なのかは言うまでもありませんね。鹿児島城(鶴丸城)は1601年に建てられ、何度も火災で焼失・再建を繰り返したそうですが、明治7年に焼失してからは再建されてないそうです。西郷隆盛の私学校はここにあったそうですが、石垣には西南戦争のときの銃弾のあとが残ってます。西郷さんに会いました。ひ孫だそうです。カフェ&資料展示やってますが、見学のみもOK。(540円払ってフリードリンクしましたが)北海道から来たというと、北海道のどこ?というので、旭川というと、「旭川は薩摩が開拓した」との言葉に驚きましたが、永山武四郎は薩摩の人だったんです。 カフェから銅像を見下ろすことができるのですが、西郷さんが右手に持っているのは帽子ですか? と聞いたら正解でした。で、なんで脱帽しているのかというと、天皇に謁見している様子なのでということでした。 西郷隆盛が自殺未遂したとき、この家に収容された、「蘇生の家」です。時間がなくて素通りしただけですが、日豊本線の鹿児島駅の隣の駅の竜ヶ水駅は秘境駅です。 26年前の水害のとき、この駅で停車した列車の前後でがけ崩れが起こり、国道も寸断されたので、乗員乗客は船で救出されました。このとき、乗務員の避難の指示を無視して車内に残った3名は土石流で亡くなったそうです。 上下2本の列車は6両のうち2両はぺしゃんこになってますからね。 国道にもたくさんの車が孤立し、たまたまその中に県知事がいて、当時珍しかった車載電話から救助要請して漁船やフェリーを出してもらったとか。
2019年02月06日
鹿児島市内で泊まったのはシルクインという鹿児島中央駅の近くの、じゃらんなどで高評価のホテルです。 鹿児島中央駅は観覧車の所で近いです。源泉かけ流しの天然温泉があるのです。かなり期待してホテルへ行ったのですが、チェックインのとき、私の前におばさん3人がいて、大声で、あーでもないこーでもないと(しかも、仲間のおばさんは離れた所にいたので、凄い大声)、なかなか順番が来ませんでした。スタッフはもう一人いたようなんですが、そちらも時間を要する客の対応だったようで、たまたま運悪かっただけなんですが、第一印象めちゃわるで、最初に予約して、あとでキャンセルした某横インで良かったと、落胆しながら部屋へ行く羽目になりました。 食事はよかったし、最終的に大満足のホテルだったので、また利用したいと思います。 路面電車は未乗区間があったのですが、今回の乗車で全線乗りました。低床型。ほとんどの区間を自動車乗り入れ禁止にして緑化してます。 熊本の路面電車は5年前に完乗しているので、九州の路面電車で乗ってないのは長崎の一部だけになりました。 鹿児島市は戦災で市街地の大半を消失しているので道路が広いです。鹿児島県は特攻の基地がたくさんあったし、鴨池にもあったため、空襲がひどかったと言われています。 さて、ようやく仕事に向かうのですが、途中に観光名所がいくつもあります。剣術資料館だそうです。ザビエル公園です。フランシスコ・ザビエルが初めて日本にキリスト教を教えたのは1549年、鹿児島でした。
2019年02月05日
大隅線廃線跡探訪を少し続けました。吾平(あいら)鉄道記念公園に行ったら、ぼろぼろのキハ20が無残な姿を晒していました。小さな屋根では風雪を凌ぐことはできずに錆びてぼろぼろになりますよね。あ、雪は降らないから雨風と言うべきか。 とても作業をしたとは思えれないけど、なんとかしたい気持ちはあるのでしょう。下小原(しもおばる)と串良にも、鉄道記念公園があるとのことで行ってみたんですが、こちらは跡形もなく消滅(公園自体がなくなったり、児童公園に改装)していました。 ボロボロのキハ20も朽ち果てて処分される運命だろうか。 大隅線廃線跡は随所に遺構を残していて、大変素晴らしいのですが、維持管理に費用がかかり、いつまでも残すことは難しいのでしょう。 でも、次に行った大隅高山(おおすみこうやま)駅の建物は保存され、ちょっぴり展示がありました。ちょっとした拠点駅だったし、内之浦のロケット発射センターの最寄り駅だったため、ロケット資材などをこの駅で荷下ろししただけに、駅構内はある程度広かったことがうかがえます。廃線跡の多くは道路になっています。一昨年、廃線跡探訪をすると、直後のコンサの試合は敗戦になるジンクスがありましたが、開幕戦まで時間があるから大丈夫だと思っていたんですが、この日の晩のアジアカップにジンクスを使ったので、コンサは大丈夫です。 コンサではなく代表にジンクスが行くとは予想してなかったです。カタールに負けたのは私のせいです。 2年前にも乗った、垂水(神戸のは「たるみ」だけど、こちらは「たるみず」)から鴨池までのフェリーに乗ります。大隅半島(南東方向)から見る桜島は富士山型です。しかし、西の鹿児島市側から見る桜島は全然違う山のように見えます。西郷どんなどで登場する桜島はこちらの形ですね。 ガンバの遠藤は桜島出身だそうです。 フェリーで前の車は尚志館高校のでした。サッカーの強豪校ですよね。SSのロゴはナチスのSchutzstaffelを連想させないかと心配になるんですよね。 ちなみに、私の出身高校の校章はダビデの星なんですが、シオニズムとは関係ありません。 鴨池競技場の前を通りました。通り道だっただけなんですが、スタジアム周囲を2/3周くらいしました。
2019年02月04日
鹿児島空港のTimesでレンタカー借りました。24時間でたったの3240円で、こんな安い値段で借りるのは申し訳ないというか、恥ずかしい気すらするので免責補償料の1080円も追加しましたが、それでも4320円でした。 じゃらんで安いのを見つけたんです。しかも鹿児島中央での乗り捨ても無料でできるんです。 この日の宿は鹿児島空港から近い、霧島市の「こしかの温泉」です。 男性客に撫子?って思ったけど、サッカーファンなのを知っているのかと考えると嬉しい気持ちになります。 (知るはずないか。いや、バッグにドーレくん付いているからありえなくはないか)部屋は凄く狭いです。某横イン以上の狭さです。しかし、お部屋に温泉が付いているのです。予想以上に広いです。しかも源泉かけ流しです。素晴らしい。半露天風呂と銘打っているのは誇大広告ではと、やや失望したものの、鹿児島にしては寒かったので、まあ良いでしょう。これで2食付きで9,882円は、部屋が激狭とは言え、凄くリーズナブルだと思いました。 ところが、この後の夕食で、安いわけがわかりました。 メニューは「鶏たたき」+「肉と野菜の陶板焼き」+「ぶた汁」で、肉しかないのです。ひどいメニューです。肉屋が経営しているのかと思いましたが、このメニューだとパートのおばちゃんだけで作れます。実際そうでした。 (おばちゃん二人はとても良い人で、楽しい会話もできたので六花亭のマルセイバターサンドを差し上げたくらい、おばちゃんには罪はありません) 結局、値段相応ではないかと思いました。もしまた利用するなら朝食だけ付いたのにします。 こういうロケーションに宿がありました。チェックアウト後、1時間ちょっとかけて大隅半島を南下し、鹿屋へ向かいました。 鹿屋は2年ぶり3度目ですが、前回訪問したときは早朝で開いていなかった鉄道記念館へ行きました。 国鉄大隅線は1987年に廃止になってます。「昔はチッキというものがありましたね」などと館長さんと話をしました。キハ20です。北海道では両端にデッキが付いたキハ22が、キハ40が登場するまで(40年くらい前まで)使われていました。屋根があるけど、それでも結構傷んでいました。
2019年02月03日
普段の雪靴には滑り止めのスパイクをネジ込んでいるのですが、このままでは若干歩きにくいし音もするので外しました。旭川空港で氷像が作られていました。今回はADOではありません。羽田でJAL鹿児島行に乗り換えますが、ADOで行くと第2ターミナルから第1ターミナルへの大変な移動が生じてしまうので、羽田へもJALにしました。JAL機は除氷作業を丁寧にやってました。まずはエアで雪を飛ばします。次に薬液を散布します。これをちゃんとやらないで翼に氷が着いたまま離陸しようとすると、揚力が十分得られずに離陸できなかったり、一旦離陸しても墜落してしまいます。 かつては40分くらいの作用時間だったのが、現在は性能が良くなって2時間くらいは有効だそうです。 基本、プロピレングリコールですが、持続時間延長のために、いろいろ添加しているようです。 薬液の膜ができました。雪道を慎重に走行したんですが、すごくゆっくりなのでスタックしないかハラハラしました。離陸したときはホッとしました。これで講演をキャンセルしないで済むと安心しました。平日ということもあって空いてて楽でした。全然景色が見えなかったのですが、フクアリは見えました。機内誌は英語のページができていたんですね。羽田で乗り換えた鹿児島行はD滑走路から離陸。Dから離陸は初めての経験だと思うのですが、西方面への便はD離陸が多いのかも。西日本も天気が悪く、何にも(雲しか)見えません。天気良ければ室戸岬も足摺岬も見えただろうに。無事、鹿児島に到着。熊本におけるくまモンみたいに、どこでも西郷どん見かけます。
2019年01月27日
かつて狩勝トンネルの東からの車窓は日本三大車窓の一つでしたが、ルート変更になって現在ではこの程度の車窓。写真ではわかりにくいのですが、肉眼では遠くの新得市街も見え、広大な十勝平野を眺めることができ、そこそこ良い車窓風景です。 ちなみに、三大車窓の篠ノ井線は学生時代に乗ったし、肥薩線は3前年に乗りました。 トマムでは中国人が大勢乗るかと思ったら、閑散としていました。 午後の列車に大勢乗るのかも知れませんね。札幌には定時に着き、ライラックに乗り換えました。 日曜(20日)は天気もよく、今日は吹雪いて遅れることもなくてよかったと思いきや、信号トラブルで滝川駅に1時間20分も停車し、その後の徐行で、最終的に1時間半遅れて旭川駅に着きました。旭川では1時間の余裕を持ってサロベツへの乗り換えを予定していましたが、1時間あとのライラックと接続を取ったので(こちらとはもともと接続するダイヤですが、そのライラックは40分遅れたので)40分くらい遅れてサロベツが発車しました。 そんなことなら1時間あとのライラックでよかったか。旭川駅前イオンで買い物する予定が飛んでしまいました。 比布で石狩川を渡り、塩狩峠を越えて和寒停車。どうせ乗り放題のキップなので、本当は和寒で下車せずに美深まで行って戻るつもりでしたが、40分遅れたので、きっと美深では折り返しの列車とタッチアンドゴー状態になるだろうし、相対ホームなのでこ線橋を渡るうちに発車してしまうだろうから和寒で一旦下車しました。 一旦自宅に入り、荷物を下ろした後、後続の普通列車で士別まで行き、士別から当初予定していたサロベツで和寒に戻ることにしました。 士別でサロベツに乗ります。改めて和寒到着。意外にも和寒で下車したのは私以外にも一人いました。 大きなカメラを携えていたし、車掌さんに他の列車の運行状況を聞いていたので撮り鉄のようです。 ここで旅の終わりではありません。 大人の休日倶楽部パスの有効期限はもう1日あり、月曜に仕事したあとで旭川まで往復しました。 旭川まではサロベツ。自由席は1両しかないけど、平日ということもあって空いていました。旭川到着。旭川から和寒へもサロベツに乗ろうかと思っていたんですが、接続とるライラックが吹雪のために30分遅れるとのこと。 アジアカップを見たいし、その前の普通列車に乗りました。 平日の18:43発ということもあって通勤通学の人で混んで満席でしたが、もともとここに立つつもりだったから大丈夫。でも、永山を過ぎても比布を過ぎても立っている人がいるほど混んでました。和寒まで1時間立って通勤通学するのは気の毒です。 キハ40が1両ですが、2両にしてあげたら良いのに。 ところで、1964年の時刻表に北海道拓殖鉄道が載ってました。新得から東瓜幕までの路線です。簡易軌道の鶴居村営軌道も載ってます。釧路市の新富士から中雪裡・新幌呂です。地図は間違って上幌呂になっているようです。中雪裡へは28㎞を70分かかるので表定速度は24㎞/h、新幌呂へは38.8㎞を110分なので表定速度は21.2㎞/hしかありません。
2019年01月25日
釧路駅へ歩いて行きますが、雪の少ない釧路は歩道が氷でつるつるで難儀します。釧路だけかと思ったら、今年は帯広も雪が少なくて同じでした。 釧路から帯広へ戻りますが、JRはいつ運休になったり大幅に遅れるかわからないので、余裕をもって1本早い列車で帯広を目指します。旭川から帯広・釧路へはJRの便が悪いので(かつては急行狩勝もあったけど、今はないうえ、鉄路が水害で代行バスなので)、バス利用も考えたのですが、帯広・釧路間は都市間バスが廃止になっていました。そんなに乗る人少ないのかな。 でも、帯広・釧路空港間にはバスの便があります。 だから、釧路市内から釧路空港へ行き、バスを乗り換えて帯広へ行くことも考えました。(路線バス乗り継ぎの旅のパクリか) しかし、本数が少なくて釧路を朝に出て昼過ぎまでに帯広に着く便はなく、JRを選択した次第です。 でも、1本早い列車は3時間も早い便なので時間が余ります。 JR乗り放題のキップ(大人の休日倶楽部パス)なので、帯広で下車しないで新得まで行って帯広へ戻ることにしました。 そんなことする人はそういないだろうし、新得駅の改札係には「あんたどこ行くの?」という感じで見られてしまいました。 新得駅ホームには、周遊指定地の表示がありました。周遊券(周遊きっぷ)は廃止になって6年たちますね。新得駅を出てすぐに廃線跡らしき痕跡がありました。鹿追・上士幌に行っていた北海道拓殖鉄道の跡でしょう。特急の車窓から景色を眺めるよりも、こっち(キハ40の普通列車)の方が好きです。特急も昔は前面展望が見れたのですが、深川でダンプと衝突して以来、立ち入り禁止になってますから。製糖工場が見えると帯広に来たなと思いますね。(正確にはまだ芽室ですが)JRでも38号線でも見えますね。スズラン印ですね。原料のビート置き場は広大です。この何倍もありました。製糖工場が見えると帯広、製紙工場が見えると釧路(苫小牧も?)ですが、水産加工場の悪臭が臭うと函館に来たと思ったものですが、今は違いますね。 渡島大野駅(今の新函館北斗駅)くらいで臭った記憶があります。 函館ではなく、上磯(北斗市)の水産加工場かもしれませんが、ひどい臭いでした。
2019年01月24日
釧路で少し時間があったので博物館へ行きました。 かつて根釧原野の交通機関として活躍した簡易軌道を詳しく紹介するようになったので見たかったのです。 交通機関が整備されてないのは開拓が進まなかった大きな要因だったようです。戦前は殖民軌道と呼ばれていて、主に馬が引いていたようです。時刻表があるわけでもなく、対向の車両が来たら、軽い方が荷を下ろして譲ったそうですが、言い争いになることもあったのだろうか。戦後は動力化が進んだものの、平均時速は10キロくらいだったようです。ディーゼルカーの登場で、平均時速20キロくらいにはなったようです。ミルク缶の運搬が最大の目的だったようです。絞ってすぐに運搬する必要がありますが、特に春先はぬかるんで馬車もトラックも困難で、道路が整備されるまでは簡易軌道が大活躍したそうです。戦前は組合組織の運営(一部は国直轄)だったのが、戦後はすべて町営(村営)になったそうです。現物の展示はこれくらいで、写真(動画)の展示が中心。軽いから重機はなくても人の手だけで元に戻せそうですね。最後まで残っていた区間も1972年に廃止になりました。ちなみに、根釧地区以外では東藻琴、歌登、美深、幌延などの他、当別やニセコ真狩間などにも存在し、ニセコ真狩間は1952年、当別は1958年に廃止になったそうです。
2019年01月21日
帯広からスーパーおおぞらで釧路へ向かいます。帯広までは3割くらいの乗車率でしたが、大半が下車し、多少、乗車する人がいて、最終的に2割程度の乗車率でした。自由席はもう少し乗っていたかな。池田はかつて銀河線(池北線)の起点だったので、駅構内は広いままですね。丘の上の建物はワイン城。 浦幌と厚内の間で丹頂鶴を見かけたのですが、慌ててカメラを出しても間に合わず、どこに写っているのかわからない写真しか撮れなかったです。でも、肉眼ではしっかり3羽を見ることができました。 以前、鶴居村で見たことありますが、餌付けされている鶴でした。 純然たる野生の鶴を見たのは初めてです。 野生のヒグマもオオワシもゴマフアザラシもゼニガタアザラシもエゾシカもキツネもタヌキもナキウサギ(これは自慢)も見たことあり、あとはオジロワシとラッコとトドとシマフクロウくらいかな。(ドーレくんは野生のシマフクロウではないか) 問題の大塚製薬の工場。何が問題かって、ここ(釧路市音別町)でオロナミンCを作っているということで、学校給食に出されるのです。 あんな化学物質だらけのものを飲ませたら、アレルギー体質になったりするでしょうが。 釧路の養護の先生は皆さん、やめてほしいと言っていました。 製紙工場が見えると、釧路に来たという気分になりますね。最初に大楽毛の王子製紙の工場。次に新富士の日本製紙の工場。釧路駅に到着。17年ぶりです。17年前に釧路のYES(そうご電器)でパソコンが安かったので衝動買いしたのですが、その1か月後に経営破たんしてしまいました。私に安くパソコン売って倒産したのか。 倒産と言えば丸井釧路店跡。13年前に閉鎖して、そのまま残ってます。大通館の裏の方。こちらが本館の名称だったかな。大通館表側には丸井のロゴ跡が残っていたので、この建物で間違いないです。
2019年01月21日
先週末は出張で、今回は「大人の休日倶楽部パス」で5日間道内JR乗り放題のキップを利用しました。 まず、和寒から旭川行きの列車に乗りましたが、吹雪で視界不良のため、速度を落として運転したので15分遅れで到着し、旭川には30遅れで着きました。予定では網走経由で釧路に行くはずが、吹雪のために石北線が運休になり、急遽、札幌・帯広経由で行くことになり、慌てて列車と宿の変更をしました。 本当は女満別の温泉に泊まるはずだったので、とても残念です。 そこで、次に乗るのは旭川から札幌までのライラック。 こちらも視界不良で札幌には30分遅れで到着。 札幌からはスーパーとかち(キハ261)で帯広へ向かいました。 自由席にしたのですが、1両しかないので混雑しないかと心配したものの、札幌を出るときはさほど混んでいなかったです。 でも、新札幌と南千歳で結構乗ってきました。平日なのに南千歳で若い女性が大勢乗ったのは意外でしたが、ほとんどが中国人(台湾人?)でした。 そんなに帯広が人気あるのかと思いきや、皆さんトマムで下車しました。トマム駅にはトマムリゾートの送迎大型バスが3台も待機していました。 冬場は自由席を2両にするか、トマムサホロエクスプレスを運行してほしいですね。 奇跡的に私は相席にならなかったけど、ほとんどの席がトマムまで相席でした。 帯広では定宿にしているホテルふく井に泊まりました。 安いけど朝食が良いし、何といっても源泉かけ流しの温泉(モール泉)があるのです。 結局は温泉に泊まったと言えるのですが、温泉宿らしい女満別温泉の方がよかったんですが。 ただ、ふく井ホテルの建物は防音が悪く、隣の部屋の音が聞こえてくる欠点はあります。 朝、アラームで目が覚めたのですが、「アラームかけたっけ?」と思ったら、隣の部屋のアラームでした。 でも、7000円くらいで良い朝食付いて、源泉かけ流しの温泉もあるのですから、今後も帯広で泊まるなら、ここを使いたいです。2軒隣に豚丼で有名な、ぱんちょうがあります。
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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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