2015年08月10日
長崎戦→平和祈念式典
午後の便で東京から長崎に飛び、まずバスで空港から諫早駅へ移動。 スタジアムへの道。 あいにくシャトルバスが出た直後で、スタジアムまでは徒歩を選択。 西日がきつく暑くはあるが、猛暑日続きの東京で慣れてしまったせいなのか、やや気温が低いのか、東京とは風が違うのか、それほど苦痛もなく、20分強でスタジアムの入口に到着。 右にある建物は体育館(内村記念アリーナ―諫早市出身の体操選手内村航平にちなみそういう愛称がつけられた)。「頼むよ、うちの内村!」 スタジアムのアウェイ席は日陰となっており、風も通ってけっこうさわやか。 それに引き換え、バックスタンドは西日をもろに浴びて、なかなか厳しい環境。 試合結果はご存知の通り。 さて、翌9日は、長崎に原爆が投下された日で、8日の東京ー長崎便には、平和祈念式典に参列する国会議員が搭乗していたり、長崎からの放送のためTBSのサンデーモーニングの出演者も搭乗していたりで、特別な日の長崎訪問だった。 原水爆禁止世界大会も開催されており、かなりはやく旅程を決めたのにもかかわらず、ホテルがとれず、この日は大村泊となった。 長崎は学生時代以来、かれこれ4度ほど訪問しているが、このタイミングでの訪問は初めてなので、9日は「被爆70周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参列することにした。 8時少し前の列車で大村をたち、浦上から市電に乗り換え、9時半ころ、式典の会場である平和記念公園最寄りの停車場である松山町に到着。 会場への坂道(エレベーターも併設)をのぼり、会場入り口の方へ向かうと長い列(行列の原因は保安検査)。 式の開始時刻(10時35分)まで50分くらいあるが、すでに一般の参列者用の席はいっぱいで、酷暑のなか立って待つことに(もちろん式典も立ち見)。一応、木の下に立っていたが、葉がまばらで日を効果はあまりなく、汗だくになりながら開式時刻を待った。 式典では3度合唱が披露され、いずれもとても心に響いたが、式典の冒頭の被爆者の方たちによって構成された合唱団による合唱の『もう二度と』の中にある「もう二度と作らないで わたしたち被爆者を」の一節では、思わず目からも汗が。。。(式典の後半には小学生の合唱があり、最後は女子高校生による合唱があったが、写真は最後の合唱) 被爆者の方々による合唱で始まった式典は、原爆死没者名奉安、式辞、献水、献花(ご遺族、三権の長、各政党の代表、諸外国からの来賓、参列者の代表らによる)を経て、原爆が投下された11時2分に黙とう(この時刻は絶対はずせないはずなので、ここまでの式の進行にはものすごく気をつかうのだろうなあ)。黙とうの際には長崎市内にサイレンが鳴り響いた。 このあと、長崎市長による「平和宣言」、被爆者代表の方による「平和への誓い」と続いたが、「平和への誓い」のなかで話された被爆時のお話しは、月並みな表現だが、心にずっしりと響いた。 その後、小学生による合唱をはさみ、来賓の挨拶があり、最後は女子高校生による合唱となった。(11時48分ころ閉式) テレビの中継でしか見たことのない式典だったが、現場に立ってみると、そこでしか感じられない空気感があって、とてもよい経験となった。
posted by オフ |20:08 | 旅とコンサ | コメント(0) |
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