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当ブログは、ただのサッカー好きが、地元北海道のプロサッカーチームであるコンサドーレ札幌の情報を中心に、サッカーの話やそうでないものをチラシの裏的に書いたものです。 “whiteowl”の由来は、“ドーレくん”から何となく。 特に、サッカーの戦術やプレーに興味があり、他のスポーツも観ます。空手は、黒帯。 最近は、気分転換も含めて、スタジアムの色々なこところで観てます。 始めは純粋にサッカーだけに興味があったのですが、このチームは経営がもっとしっかりしないと強くならないと感じるようになってからは、HFCの経営に関する記事も書いてます。 尚、記事が長いのはデフォルトです(-"-;A ... コメントについて: 当ブログでは、長文コメント大歓迎です。 頂いたコメントに、すぐ反応できない場合が多くて申し訳ないのですが、極力返事をする方針です。 ただし、感情的なコメント、悪意が感じられるものについては、スルーするかブログ主権限において削除する場合があります。 ※当ブログはリンクフリーですが、コメント欄にでもこそっと書き込んで頂けると嬉しいです。

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最近の “道新”。

2010年05月14日

最近の道新のコンサドーレ関連の記事は、個人的に?なことが多い。

それとも、最早、ファイターズがあれば、
コンサドーレの記事は、どうでもいいということなのだろうか?


当ブログでは、今までも、ちょこちょこコメント欄などで指摘してきましたが・・・


例えば、

コンサドーレ倶楽部 最近7試合で4通り システム暗中模索 (2010/05/13)

>3-5-2は、欧州やJリーグでも使うチームが少なく、現代サッカーの主流ではない。


そもそも、主流派が偉いというわけでも正しいというわけでもない。

Jリーグでは、名将といわれたオシムも、シャムスカも3バックを採用していたし、
現在の広島も3バックだ。3バックのチームが、機能しないわけでも勝てないわけでもない。

要は、“初期設定”の問題ではなく、“運用”面の問題だろう。

まず、この記事で問題にしたいことは、
現在、なぜ3バックが主流派ではないのかという考察が不十分だということ。






これは道新の記者に限らず、日本のスポーツ記者の多くが、
サッカーを野球のポジションと同様、
固定的にとらえる傾向があることと関係があるのかもしれない。


それは、“フォーメーション”と“システム”という言葉を

しばしば同じ意味で使われるが、

区別しないことからもわかる。


http://ja.wikipedia.org/wiki/サッカーのフォーメーション

>しばしばシステムという言葉も同じ意味で用いられる。
両者は日本では同じ意味として用いられることが多いが、
ヨーロッパでは異なる概念として用いられることもある。
すなわち、システムはどのように選手を動かすかという形而上の概念であり、
それが実際に配置として現れたものをフォーメーションとして区別することもある。
こうした区別の下では、4-4-2から3-5-2にフォーメーションが変わっても
システムは変わらないということも有り得るし、
逆にフォーメーションの数字だけを並べてもそれがシステムを語ることには直結しない。
 ただし、あくまでそういう区別をすることもあるというだけであり、
ヨーロッパでもシステムとフォーメーションを同義で用いている例が多い。


“ボランチ”と一緒で、ブラジルと日本での意味の違いがわかっていて使うなら、
区別しなくてもいいし、より世間に認知されている方の言葉を選んだというのならわかる。

しかし、チームが今機能していない原因を、
フォーメーションの問題に矮小化していることからも、
“システムとフォーメーション”を区別していない可能性が高い。

色々とフォーメーションを試行錯誤しても、結局上手く行かなかったということは、
フォーメーションの問題ではないということではないのだろうか?


そもそも、フォーメーションは、監督の目指すサッカーを実現するために、
どのフォーメーション(初期配置)が良いのかという程度に過ぎない。

つまり、本来、石崎監督が目指すサッカーは何なのか?
(選手の適正は考慮すべきでしょうけれど。)
それを選手がピッチの上で、どの程度実現できているのか?というところが重要なのに、
そこに対する考察がすっぽり抜けているというのが、
システムを固定的に捉えたことによる、もう一つのより重大な問題点だ。


もし、この視点があったのなら、なぜ3-5-2を選択した方が、
他のフォーメーションを選択したときよりも、攻撃に関して、
チームが上手く機能したのかという考察も出てくるはずだ。


そうすれば、“暗中模索”以外に、もっと前向きな内容も書けたのではないだろうか?






よく、読者は難しいことはわからないとか、求めてないとか、

難しいことをわかりやすく伝えようという努力も感じませんけれど…

色々としがらみがあって、書きたいことも書けないらしいですが、


厳しいことを言えば、ジャーナリズムが一般大衆レベルのことを書いて、

存在意義があるのだろうか?

理想論ですかね?(苦笑)


道新は、エース級の記者がコロコロ代わってしまうのが問題なのかもしれませんが、
影響力があるメディアだけに、頑張って欲しいと思っています。




post by whiteowl

13:30

Column コメント(4)