2006年02月08日
消火器
厨房から振り向くとトースターから煙が出ている。 トースターの前に立っていた選手が少しだけ慌てている。朋ちゃんが「あっこちゃん!大変!」 ランチタイム。 寮が出来て間もなくの頃の話。時々やってくる “トーストブーム” 食パンを4枚切りで6斤買ってもドンドンなくなる “トーストブーム” 何故か・・時々やってくる“トーストブーム” その時、流行っていたのが“バターシュガートースト” ペースト状のチューブに入ったシュガートーストの素のような物を塗ってトースターに入れて焼く。といった簡単な物。 ご飯を食べ終わった後・・とか・・朝食・・とか・・夜食・・とか・・にメロンパンの素・・だったり、チーズトーストだったり、シナモントーストだったり・・流行は様々。 白くて柔らかい食パンに彼等がそれぞれ塗ってトースターに入れて焼く。 2つトースターが置いてある。 何故だか画面上のトースターばかりの使用頻度が高い。 トースターの下の受け皿をまめに洗わなくては熱くなったペーストがポタポタと下の受け皿にたまってしまう。 マーガリンが溶けて下に溜まってその前のチーズをエキスにして煙が出たのです。 8人くらいの選手がその場に居合わせてその光景に見とれてる。 私は、厨房の火をカチンと止めておもむろに母が困った時に使いなさいとくれた家庭用の小さなボンベの消火器を取り出ししゅ~~!とひと吹き・・。 すぐさま煙も小さな火も消えて一件落着。 色んな場所に置いてある赤くて大きな『消火器』だけどアレを使う時はダイナミックでなくてはならない。(決まり) 消防士さながらで大きな掛け声と共に噴出させなくてはならないだろう。 それ相当の覚悟もいる。決して使いたくはない!! あの時の私は、今振り返っても“かなりかっこよかった” 普段、小心者と言われ、天然と言われ、パニック症とも言われ慣れている私は何故かあの時、スッと・・。 動揺も見せず、まるで落ちているゴミを拾うくらいな雰囲気で偉業を成し遂げた・・と未だに酔いしれてしまう。 『うおぉおお!!!』彼等の喝采も気持ちよかった。 喝采じゃなかったかもしれないが私にとっていい思い出にしたい。 その後作りかけの料理を仕上げ「出来たよ~!」と言いながら心臓はバクバクと音を立ていた。味が濃かったかもしれない。 ・・今となっては・・済んでしまった事なので解らないままよしとさせてもらおう!
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2006年02月07日
クイズ大会・・。
先週末、東京から両親が雪祭りを見がてら遊びに来ました。 昨日、大通りの雪祭りを見学に行ってきました。 コンサドーレのショップが在ったので何か買ってかえろと思い寄ってみました。 店じまいの真っ只中でスゴスゴとご挨拶だけして帰りました。 北海道新聞のブースには「クイズ大会」が始まろうとしていた所でした。 「クイズやってみたい。」という下の娘に「そか。」と参加する事にしました。 参加者には、可愛いトナカイのキャラクターがついた缶バッジをくれるというのです。 すぐに負けるつもりが○×クイズで残り10人の中に残りました。 次は仰々しい早押しクイズです。目の前にパトカーの上にクルクル回る赤いランプが設置されました。 じっと立っていたので足は凍えてきます。司会者も寒空の下ボルテージを上げて大変です。 両親はステージに立つ所を初めて見る娘と孫を一番前に張り付いてデジカメで激写しています。 一問目の答えは、“お嫁サンバ”でした。私が答えました・・・。 その後・・“ジュピター”“ただ会いたくて”・・・等どんどんと正解者が 出てきます。 3問答えたら優勝です。私と娘の集中力ももはやこれまでか・・と思った瞬間! 思わず「ばんっ!」ボタンを押しました。 私は・・少しはにかみながら答えました。「・・・・チャンチキオケサ・・」 司会者は「へっつ?」と辺りを見回しましたがピンポ~~~ン。と鳴りました。 「チャンチキオケサ・・ご存知だったんですか?」と「・・はぁ。」 大売り通り公園の雪祭り会場で“盆踊りマニアな主婦”というレッテルが貼られてしまったような気がしてしまいました。 この目の前にいる司会者「じゃ、ちょっと踊ってみてもらいませんか?」ととんでもない事を言われたら断る度胸があるのか? と自問自答しましたが・・そんな事は当然言われるわけもなく。 動揺しているうちにお隣の親子づれの方が優勝しました。 最近の歌謡曲も答えられず、か細い声で答えたのがお嫁サンバとチャンチキオケサでは話にもならないな・・と自己反省しました。 ・・・結局トナカイのキャラクターの絵がついたミニタオルを頂いてまたもスゴスゴとステージを降りました・・。 両親の足も娘の足も凍った・・とブーイングを受けたので目の前の温かい飲み物コーナーで暖をとり一緒に参加された方と妙な連帯感で少しお話して次の会場に向かいました。 昨日の雪祭り会場はは吹雪いていなかったのでゆっくり見学出来ました。 コンサドーレの雪像も出来ていました。写真を・・とも思いましたが私のデジカメはしまふく寮通信用のネタと化しておりCDに画像を落とし方もまだ解らず全く機能せずおうちでお留守番でした・・。 全く何のレポートも出来ないどころか選手不在の寮をいい事に好きなようにオフィシャルブログに書き綴っていていいのだろうか・・と不安です・・。 途中、はぐれた父を家族で血眼になって探し結局アナウンスがかかり再会した先は「迷子センター」でした。 迷子センターの方達が余りに優しかったので父は迷子になったというのに上機嫌でした・・。 “北海道の人はやさしいなぁ”と父は帰ってからも何度も何度も言っていました。 空港へ送る車中でも言っていました。 私もそう思います!
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2006年02月05日
大きくなったらなにになりたい?
「ママはおおきくなったらなにになりたいの?」 当時4歳の息子が真っ直ぐな視線を私に投げかけ私に聞いた。 「・・・ママはね、・・う~ん結婚しゃちゃったし・・そうだよね。 大きくなったら何になりたいのかな?考えてみるね。」 下の子は1歳にも満たなくて、自分の事に時間をかける事もなく 毎日バタバタと繰り返される日常。 対面キッチンのカウンターには、22歳の頃の私が幼馴染とくったくなく子供のような顔で笑ってる写真。 夏になると休みの度に海へ行っていたので真っ黒に日焼けしてビキニを着て日焼けして笑ってる写真。 気が付くとその写真を見入ってた。 1週間だけ、あの頃に戻ってみたいなって真剣に思っていた。 過去の自分に戻れない事は、解ってる。 家族が寝静まって、対面キッチンのカウンターの横にあるダイニングテーブルにレポート用紙とボールペンを置いた。 イスに座り、まだ何も書かれていない横線の引いてあるレポート用紙を眺めた。うまく言葉にまとまらなくて箇条書きに将来の自分を考えてみた。 考えてみてみると、“将来の夢”なんて、学生時代から真面目に考えてみた事なんてなかった。 *化粧品会社復帰 *定食屋さん *自信を持つ事 この3つ目を書き終わったとき、なんだかとても悲しくなった。 子供も生まれて家族がいてこの上なく幸せなはずなのにいつのまにか“あの写真”のように笑っていない自分に気がついた。 百貨店で化粧品会社に10年勤めていた。人と関わり人前で話す事だって出来たのに、もう何年も家族や親しい知人や公園で知り合う限られた人との会話だけになってる。 いつの間にか一人で何かを始める事も、一人で行動する事さえ出来なくなってる。 いずれ子供達は、手から離れていく。今は何も始められなくても時期がきたら始められる準備をしなきゃ・・って思った。 写真を眺めて思う。体重を元に戻せないかな・・って。 女の浅はかさというか、私の浅はかさだけど、やってみようって。 これなら今の私に出来るんじゃないかなって。 自信の種類はたくさんある。 いつの間にか体重は“あの頃”より10㌔以上増えていた。 グラフを作って体脂肪計も買ってきた。 私だけ連日の「お鍋生活」が始まった。主人の帰りをまっていた一緒に食べる遅い夕食を諦めて夕方6時に子供達と早めの夕食に切り替えた。 どんどん体重が落ちて、デニムが大きくなってくる。買い換えてもまた大きくなってくる。 公園では、子供を見てるだけだったけれど、一緒に走り回って遊ぶようにしてみた。 そんな事で毎日が楽しくなってきた。 手入れの簡単だったショートの髪もいつの間にかセミロングになった頃、体重はすっかり戻った。 なんでも出来るような・・そんな気になった・・。 定食屋さんになりたいなら、いろんな料理をもっと作ってみようと思った。 パンを焼いたり、うどんを打ったり、土鍋でご飯を炊いて炊き立てを家族に食べさせた。毎日の生活に張りが出て楽しくなっていた。 ワールドカップの事務局で働いていた主人の仕事が2002年の暮れを持って終わった。 1月から主人は札幌のコンサドーレに行きたいと言った。 いよいよ、ここから離れる時が来たんだなと頭ではわかっていながら住み慣れた家を離れる事が不安になった。 そんな時、以前勤めていた会社の上司が新しく立ち上げた化粧品会社に再就職の話を持ってきてくれた。 箇条書きの*一つ。この機会を逃したら化粧品会社勤務は更に厳しくなってしまう・・。 主人と相談した。「単身赴任で札幌に行くから、やってみたいなら頑張ってみれば?」と言ってくれたので残る事にしようかと思った。 1月の主人の誕生日に札幌に向かった主人を見送った時、これでいいのかなと思った。 小さい子供を守りながら主人のサポートなしで仕事を抱える事が私に出来るのか?と思った。 下の子供の保育園を探した。何年も着る事のなかったスーツも買った。 でも、不安で一杯だった。 「選手の栄養管理の一貫で食事を作ってくれる人を探してる。やってみない? 2日間で決めて返事を頂戴。」と主人から電話が来た。 ・・・・・2日間かぁ。・・・・ 料理の勉強か、化粧品会社・・。どちらも私“夢の道”に繋がってる。 2つの道に真剣に迷った。 「行く。」と連絡して保育園を断ってバタバタと引越が始まった。 2週間後には、札幌で新しい生活が始まった。 4歳だった息子は10歳になりました。 この質問の答えをちゃんと答えられるように・・いつも考えてます。 “おおきくなったらなにになりたい?”
posted by murano |15:14 | 食堂 | トラックバック(6)
2006年02月03日
しまふくはうち
まったく、「福はうち」「鬼はそと」です。 お願いします。お願いします。恵方巻きを笑わないで、話さないで向けと言われた方向(食堂のソファーのコーナー位置)で最後まで 食べきりますから「福はうち」「鬼はそと」でどうかお願いします。 毎年の恒例行事です。忘れた頃に豆がソファーの下から見つかります。 ・・そんな事は、たいした問題ではありません。 「福をうち」にして「鬼をそと」にするのが目的なわけですから、豆を踏んで粉々になったってもいいんです。 北海道に来て2度目の節分にカルチャーショックというのでしょうか、知りました。 北海道では・・・・・落花生・・・。 落花生を投げる。拾って食べれる! 今まで、考えた事もありませんでした。 落花生の殻はワックス効果があるとの事で食べたら床に散らかす! 節分に撒いて、拾って、食べて、散らす、掃く、ピカピカ。 6つおいしいです。 「しまふくはうち」をして、 今年の無病息災を真面目に業務の一貫として張り切ってみます。 ・・・そんな張り切っている所を彼等に見られなくてよかったと思います。
posted by murano |08:28 | 季節 | トラックバック(4)
2006年02月02日
積雪
しまふく寮の駐車場の雪がまさか・・こんなに積もっていたなんてお昼を過ぎるまで気が付きませんでした。 のんきに食堂でチャーハンを食べていたら、育成普及部に嫁いでいった“竹”が食堂へ入ってきました。 「おー、お腹は?」『雪かきやってから食べたいです。』 (・・雪かきしにやってきたのか?ヒーローみたいだな・・。) 駐車スペースは10台分。この雪かきの作業は会社から帰った寮監が汗水たらしてゴリゴリと音を立てて頑張っています。 私は、終わる頃ニット帽を装着して手伝いに行きます。 昨日、一昨日と積雪が少なく雪かきは、嬉しいお休みでしたが明け方にあんなに雪が降った等、ひきこもりの寮母は知る由もなく。 竹が雪かき働きに出て暫くしてから覗いてみて事の大きさに驚いてニット帽を装着して戦力に加わってみました。 「弁慶の泣き所」まで積もっています。 隣の空き地に雪の凹凸で小さい雪山がいくつも出来ていて、何やら「幻想的で素敵・・」逃避しようとこの場から逃げよう逃げようとする私の心が(デジカメを持ってきて撮ってブログに載せろ)と訴えかけてきたのでデジカメを撮って見ましたが結局ブログに載せられるような代物には写す事ができませんでした。 やっぱり、大変な事から逃げようとしただけだったみたいです。 阿部君の車の後ろのフェンダーというのかスポイラーというのかが千切れかけています。 無残な姿です。ここら辺は、住宅街というのもあって道も狭く除雪も中々はいれません。 雪が降る前に取らないとね。等と話していたのですが・・これはこれでワイルドだとも言えなくもないですね。 英語風な言い回しは大変便利です。 長い時間をかけて頑張ってくれたお陰で今日のノルマは終了しました。 後5分程の作業を残して「んじゃ、ご飯作ってくるね!」とさりげなくその場所を後にしました・・。 たった後5分の作業からも逃げてしまった私です。 ヒーローには、てんこ盛りのチャーハンで。
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2006年02月01日
支えられて
コンサドーレに関わる事になって2年目の9月に無謀な試みの一つとしてコンサドーレを裏方で支えているスタッフを紹介しようという特集を組んで頂きました。・・・はっ?私ですか?と躊躇したのですが、母がそんなのを見たら喜ぶだろ~な~などと言う素人丸出し的な思いでお受けしてしまったのも事実です。 1日テレビ局の取材が入ると言う事は、HFCから選手に通達されていましたので、朝彼等が新川の自宅へ来た時、眠いはずなのに“ひやかす”という作業は、きっちり忘れなかったようです。 「あらっ?村野さん、見慣れぬシャツですね~」・・・買いました。 「お化粧も念入りですか?」・・・・いつもより少し時間掛けました・・。 今夜の晩ご飯は、きっと豪華なんでしょうね~。・・・違います。いつもどうりです・・。 「いってらっしゃぁい!今日も頑張って・・。」とドンドン車に乗って 彼等は練習へと向かいました。 1日密着取材と言う事で、朝の9時ごろからテレビ局の方がお見えになりました。選手達は、もう練習に向かった時間でしたので娘を幼稚園に送り出すと言うところからカメラを回して頂きました。 やかましい娘は状況を察してしおらしく・・幼稚園バスに乗りました。 慌てて食堂を片付けて、しまふく食堂で使っている大きなテーブルの前のイスに座りカメラは回りました。 インタビューをしてもらいました。一般的な質問を一般的に答えるのが困難な私です。 最初は幼稚園の娘同様、しおらしく一般的とはなんぞや・・と考えて見たものの朝からずっとカメラも回っていると素が出るのも時間の問題でした。 いつもより長めだった化粧の時間もいつの間にか「いっか・・。」と直す事も忘れ膨大な買い物にもお付き合いしていただいたりしてあっという間に素の自分のまま夕食の時間になり彼等がやってきました。 シャツよりも化粧よりも・・一番考えたのは献立です。 お洒落なメニューにしよう? いやいや・・これはいつもどうりじゃないと冷かされても洒落にならないな・・。普通にしよう! 前日まで考えて決めました。焼き魚と大根とひき肉の煮物とニンジンと黒ゴマの豚ロース温野菜サラダと・・かき玉汁と・・デザート・・だったでしょうか・・? 「こんばんわぁ~~!」と選手が続々と入ります。 みんな私を助けてくれるように“小芝居”をしてくれました。 剛君が「これ?なんのお魚ですかぁ?」(いつも食べてるでしょ?)「ん?壷鯛だよ。」 他の子が「うまいっす!さいこ~~!」(ちょっとしらじらしいぞ) テレビ局の人が「村野さんはどんな存在ですか?」(ごはん作ってる人。) 「・・そうですねぇ・・?」と阿部君「お母さんみたいですか?」テレビ局の方がアシストします。(・・そうか。そう言わせたいんだな・・。)「ママッ!」 (うまい!でも、そんなデカイ息子はおらん!) 清野くんと相川君が奥の座敷で空気を盛り上げてくれる。(ちょっとした居酒屋ムードだな。) 食べるところを見られるのは、多分恥ずかしかったでしょうが皆快く私を助けてくれました。 大根の煮物の灰汁取りだったり、コメントだったり、振り向いてみたら失敗多々はありましたが、製作してくださったHBCの方の温かいご配慮で(一般的な人のまま)無事1日を終える事が出来ました。 家族とスタッフとHBCの方と遅い夕飯をとりました。 気も抜けてフラフラです。子供のように食べながら眠くなってます。 (まずい・・バッテリー切れる・・)様子を察したマネージャーが 「ねーさん!もぅ休んでください。あと任せて下さい!」 「・・・マジでぇ・・?」常識ではあり得ない話だと判っていながら そんな優しい言葉に素直にならさせて頂きました。 ・・・みんな優しいです・・。
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