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2012年03月10日

耐えることは負けないこと

ドキドキでした、けどおもしろかった!

奈良選手とノース選手は、かなり安心でしたねえ!
サイドの高木選手と岩沼選手は前季と同じポジションで活躍が期待できるとしても、新コンビのCBは、実際に見るまではちょっと心配だったんですが、奈良選手、これから伸びるとすると、今日のプレーヤー解説の曽田さんより早熟な分、間違いなく、もっとうまくなりそうですね。
ベテランのノース選手と一緒というのも勉強になっていいでしょうね、きっと。

攻撃も噂の前田選手の意表をつくプレーや、チャンスは少なかったですけど、ウッチーや近ちゃん、岡本選手、後半は山本選手も入ってきて、いい形ができてました。
残念なシーンばかりでしたけど、ワクワクしました。
シュート数もCKやFKの数も、相手のジュビロ磐田のほうがずっと多かったですけど、相手にとって怖い攻撃という意味では、うちのほうが良かったなんじゃないでしょうか。(ひいき目かなあ?)

もちろん、縦横無尽のキャプテンが、今日のJ1初仕事にも、しっかり手綱を引いてチームを引っ張ってくれてたのが効いたのは、いうまでもありません。

たくさんの選手が試合最後には足がつっていたようですけど、やはり、それほど、J1チーム相手だと、うちはぎりぎりまでがんばらないといけなかったってことなのでしょう。

しかし、開幕、満員のドーム、格上のチーム相手に前半は0対0でもったとなると、前のコンサだったら、後半に耐え切れずに失点、そして悪くすると、それで前がかりになってさらに・・・という試合展開になってたと思います。
そうならずに、J1でも相手の時間帯に耐えることができたのは、ちょっとした希望にみえました。

J2の時にはそれができるようになっていましたし、それで昇格もできたわけですけど、そういうメンタルで、最後の最後まで決まらなかったJ1昇格を、自分たちで勝ち取ったというのが、いい形の自信となって選手の皆さんの中にそのまま残っているのでしょうね。

これからの試合、すべてのチームが格上、どれも、一筋縄ではいかないでしょうが、メンタルが強くなったというのは、コンサの大きな財産だと思います。

サッカーキングで中山選手が話していましたけど、J1で生き残るには、試合を引き分けにできるか、負けてしまうかというのは大きな違いだと思います。
もちろん勝てればもっといいけど、勝ち点1を勝ち取ったのは、開幕戦の大きな収穫です!

posted by じゅうよっつ |19:25 | コンサ |

2012年03月06日

この1年

もう1年経ったか、と思うと、時が経ったのがはやく感じるんですが、あの頃、新しく福島にやってきた方が、もう随分と昔からいるような気がするのは、やはり1年が長かったということなのかもしれません。
ありすぎるほど色々あったし、まだ現在形のものもあるし。

正直、この1年は、精神的にとても辛かったです。
当初は地震や原発事故そのものだけでしたが、やがて、それによって誰もの気持ちにささったとげが、いろんなところでささって別のとげを生んでいくのが目に見えてきて。
はじめは外国から驚嘆・賞賛されたようないわゆる”日本的”な、秩序と節度のある行動が表だっていましたけど、長い間のストレスにはやはり耐えきれずに、その下にあったエゴが姿を表してきたみたいに思えます、福島でも、県外でも。

人によるのはもちろんですけど、福島から距離が離れるほど、パニックの度合いが大きいように感じるのは、とても不思議です。
去年参加したシンポジウムで、韓国の研究者の方が、韓国でも放射線による影響が出るのではないかと、パニックになっていると話しておられましたが、それを日本人が聞くと、ちょっと苦笑いしてしまうのが、福島と県外の関係に似ているのかもしれません。
EUの、福島を含む11都県からの食品の輸入を規制する措置なんかもそんな感じでしょうか。

今でもとても共感して目を向けてくださっている方もおられるのはわかっていても、井上ひさしさんが書いた「吉里吉里人」という小説のように、福島も独立して、自分たちで作ったものを食べ、自分たちで生活していければ一番平穏に暮らせるかも、と思うほど、ああしろこうしろという圧力はかけるが、実際にこちらが救いを求めて手を出すと知らん顔の外野には、いつも傷つきます。
すべてを政治のせいにするのも、ようするに、人のせいにしていれば自分は逃れられるという心理なのかなと、ひねた考えも浮かびます。
そしてそうか、福島は必要ないのか、と。

具体的に思っていることは沢山あっても、ブログに書こうとしてもなかなか手が動きません。
日常の小さなとげから、ニュースなどで見るような大きなとげまで、ひたすら耐えるのみと、頭の中で何も思わない、考えられないように、音楽をかけまくっていた頃もありました。
普段結構ボケっとしている私にしては、珍しく神経質になってるかも、と自分でも思いますが、どうしようもない。

それにしちゃ、書いてたじゃん?と思われるかも。
でも、書くのも結構辛かったんです。
いままでと同じ感じで書きたいなと思って書くと、ほんとは違うのにと、ほかのブロガーさんとのギャップに落ち込むこともありました。
身を削る思い、というとオーバーかな。
それでも書かないと、という思いはありました。
これからも書いていきますが。
いま、福島に住んで、どう考えているかを伝えるのは、私を含めて福島の人間がやるべきことだと考えています。
同じ福島に住んでいたって、さまざまな思いや考えがあるはず。

ちょうど、学年末、新学期の頃だからか、いまの福島は、避難してくる人、避難する人、ちょっと見ると矛盾した2つの動きが同時に起こっています。
そして、福島県人と他の地域の皆さんとの間の意識だけでなく、避難している人と、残っている人の間にも、気持ちのズレが出てきているのは、嬉しくない事実です。
「逃げる」と言う言葉で避難する方のことを表現されることがあります。
はじめて聞いた時にはびっくりしました。
その言葉を使う人の気持ちには、もう避難先の福島県人は仲間じゃなくなってるのかも?

まるでクスリの副作用のように、予想のつかないとげが、時間が経つに連れ、出てきているように思います。
綺麗ごとは程遠い、福島にいれば「絆」なんて言葉は、別の世界から満足してみている人たちの言葉だとしか思えません。
悲しくて、その言葉は使えません。

今日もボラ仲間と話していまいた。
彼女は、当初は放射線のことで落ち込んでいましたが、いまは、元の明るい性格にもどっていて、「もう何もこわくないね。根っこさえちゃんとしていれば、他のことはどうだってよくなってきた。」と話していました。
原発事故の風景を見てももう、涙もでないけど、津波で被災された海沿いを見るのは、どうにも忍びない、そんなことも話していました。

事故当初の病院の玄関は、マスクを付け防護服をきたお医者さんや職員が、ガイガーカウンターで患者さんの被曝程度を測定をしているという異様な光景でしたが、いまの病院は、震災前と変わらない老若男女の患者さんがみえている、どこの病院にもある普通の風景です。

もちろん、お腹の大きな”もうすぐお母さん”も、生まれたてで湯気が出てそうな可愛らしい赤ちゃんも、今も変わりなく来られてます。
福島は、生きてます。

posted by じゅうよっつ |21:12 | 考えごと |

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