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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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2017年04月27日
柴又駅と帝釈天の間の参道はたくさんのお店が並んでいます。浅草寺や目黒不動尊、とげぬき地蔵、深大寺などと比べると規模は小さいけど、雰囲気は深大寺と同じくらい良いと思います。写真を撮ったのは朝8時半なので人は少ないですが。だんご屋は何軒もあります。門まで着きました。帝釈天です。3分くらい歩いたところに寅さん記念館があり、後ろは江戸川。向こう岸は千葉県松戸市矢切。矢切の渡しで有名ですね。寅さん記念館に入りました。実際に撮影に使われたセットです。このセットは撮影前2週間で組み立て、約45日間の撮影が終わると解体し、大船撮影所の倉庫にしまうというのを28年間・48回やったそうです。たこ社長の会社の印刷機は旧式の活版印刷機なので、あるとき印刷業界から「こんな古くて汚い機械は時代遅れ。オフセット印刷機が普通。」とのクレームがあり、仕方なく「オフセット印刷室」と表示したドアを片隅に設置したそうです。もちろん撮影でドアを開けることもなく、ドアの向こうに印刷機を置くこともなかったとか。 下町の零細印刷所の設定なんだから近代的な機械では雰囲気が出ないと思いますよね。この人を見るとパンシロンのCMを思い出すんですよね。若い人は知らないでしょう。この日の一番目の入場者ということで記念のボールペンをいただきました。寅さんとは直接関係ないけど、京成金町線の前身の人車軌道を紹介しています。1899年に開業し、その後、高砂駅を開業させた京成電鉄が買収し、12年後の1912年に高砂・金町間を電化し、軌間も610㎜から1372㎜に広げました。(現在は1435㎜) 別施設ですが山田洋二監督の展示もあり、入場券が共通なので入ってみましたが、展示物は少ないです。金町線で金町に出て、金町から北千住までJR常磐線に乗りました。 金町の隣の駅です。あーここは亀有。東京メトロ千代田線の車両が乗り入れているので乗った列車は東京メトロの電車でした。左の車両は常磐線快速かな。複々線です。 亀有で下車したかったけど、試合があるので今回は断念。 北千住から東武スカイツリー線に乗ります。でも埼玉スタジアムとは反対方向の浅草行きに乗って東向島で下車。東武博物館という鉄道博物館が東向島駅の高架下にあるのです。本日のメインイベント、いや、2番目の目的がここ。近いからついでに柴又にも行ったようなものです。展示物は明日紹介します。
2017年04月26日
新橋に行ったついでに、ゆりかもめに初めて乗りました。いつでも乗れると思うとなかなか乗れないものです。前面展望は確保できましたが、混み合ってました。ほとんど外国人でした。 竹芝桟橋ですが、ディナークルーズ船でしょうか。伊豆諸島方面の船は出払っていたようです。ゆりかもめができて伊豆諸島に行くのが便利になったと思います。レインボーブリッジ。高さがあるのでループ線(左下)で急こう配にならないようにしています。それだけ高い橋にしたものの、最近の海外大型豪華客船はくぐれないそうです。羽田空港が近いので、これ以上高くはできなかったそうです。 写真に撮れなかったけど、マリオカートが走っていてびっくり。 船の科学館。現在、本館は老朽化のため閉鎖していますが、初代南極観測船宗谷は見学できます。ゆりかもめができる前に来たことがありますが、そのときはバスで来たんだったかな。 だんだん交通網の整備が進んで楽になっていきますね。(JR北海道のはおいといて) 昨日、浜松町に着いた話をしましたが、22年前、家族・従業員で羽田に着き、築地のホテルに移動する際、当時は大江戸線は開通していないし、京急は羽田駅までしか開通してなかったので、浜松町からタクシーに乗るつもりでしたが、雨のせいもあって、タクシー乗り場は超長蛇の列で、山手線・日比谷線を乗り換えていきました。 旅行荷物をかかえ、子どもの手をひいて、混雑する山手線・日比谷線で、めちゃくちゃ疲れました。大江戸線なら1本だと先日、路線図を見て気づいて22年前を思い出したのです。 先日の浜松町のタクシー乗り場は待たずに乗れる状態でした。 船の科学館そばには広大な駐車場があり、イベントがあるとたくさん車がやってくるのでしょう。どこかのTV局(フジテレビ?)の建物も見えます。国際展示場(ビッグサイト)。豊洲市場です。 いつここに移転するのか? それとも移転しないで壊すのか?東京駅で上野東京ラインの列車を待っていたら215系が留置されていました。乗ったことないです。全車両2階建てで、全席クロスシートは良いんですが、ドアが片側2か所しかないので乗降に時間がかかる大きなデメリットがあり、現在は湘南ライナーとホームライナー小田原、週末の臨時列車など、わずかな運用しかありません。 次の日は京成に乗りました。京成高砂で金町線に乗り換えましたが、この線は古い車両を使っているので今時珍しく、ブレーキとマスコン(アクセルに相当する)レバーが別々。柴又駅に着きました。駅前には寅さんの銅像があります。つい最近、この銅像も置かれたそうですが、灰皿がそばにあってかわいそう。帝釈天と寅さん記念館は明日紹介します。
2017年04月25日
旭川空港から羽田に飛びました。4月は安くて7,790円しかしないんですよ。安いうえに空いていてゆったり座れました。最高です。ちなみに、搭乗前日に機種変更のお知らせメールが来て、767から737に変更だと思い、せっかく非常口座席なのに狭い座席になり、しかも定員が半分くらいの機種だからぎっしり乗って窮屈かなと心配したんですが、767-ERから767-300への変更で一安心。 定員は1人減るだけなので空いているのは変わらないし、非常口座席ではないけど、前の座席が空いていました。 前の座席に整髪料のきつい人が乗っていると辛いですから助かりました。 羽田に着陸。以前はあまり使用してなかったB滑走路に着陸しました。左端はC滑走路。年々、羽田を離発着する便が増え、B滑走路を使うことが多くなったようです。久しぶりにモノレールに乗りました。羽田から千葉や横浜へ行くことが多かったので、このところいつも京急でした。京急が羽田に乗り入れる前はモノレールの混雑がひどくて、よくリムジンバスに乗ったものです。 特等席に座れました。まもなく浜松町。新幹線2本と山手線、京浜東北線、モノレールの5本も同時に見れました。大門(浜松町)から汐留まで大江戸線に乗ります。大江戸線はリニアモーターなので線路中央にリアクションプレートがあります。 大江戸線は55パーミルの急こう配があるのと、トンネル断面を小さくできるメリットからリニアを採用しました。 地下鉄は外の景色が見れないし、この場所は確保したいものです。汐留駅ですが、奥の線路は浅草線との連絡線です。リアクションプレートはありません。大江戸線の車両のメンテナンスは浅草線の馬込車両検修場で行っているからですが、浅草線にはリアクションプレートがないので電気機関車で牽引します。 汐留で降りたのは、かつての新橋駅を再建して資料館になっているのを見るためです。こちらは1872年に開業したときの写真。 現在の新橋駅の300メートルくらい東にあり、1914年の東海道線の新橋・東京間延伸の際に新橋駅は現在地になりました。当時のプラットフォームと線路を再現していますが、レールは当時のが新潟に存在していて、こここに戻っています。よく残っていたものです。なお、建設当時のプラットフォームは1934年に取り壊してしまいました。 1872年から62年もたっていれば、歴史的価値があると思わなかったのかな。残念です。 なお、駅舎は関東大震災で焼失したので仕方ないです。 発掘されたプラットフォームの一部。発掘された駅舎の基礎石。欲を言えば、開業当時と同じように待合室やキップ売り場などを再現してもらいたいものです。
2017年04月20日
栗山駅前です。ここも寂れました。かつては立派なバスターミナル(ビル)もあったのですけど消滅しました。 バスターミナル内にはケーキ屋もあったりして賑わっていたんですけどね。私は栗沢で生まれ育ちましたが、栗沢よりも人口の多い栗山の方が知名度があり、よく栗沢が栗山と間違われるのが悔しかったものですが、寂れるのを見るのは忍びないです。ちなみに、炭鉱が賑わっていたころは栗沢町の方が人口多かったです。栗山にも炭鉱はありましたが小規模でした。 栗山町は昔は角田村の名称で、役場は旧夕張鉄道角田駅近く(由仁に近い場所)にあったのですが、鉄道(室蘭本線)が開通し、栗山駅ができたら駅周辺が賑わい、そちらが中心になり、役場も移転し町の名前は駅名と同じに変更した次第です。夕張鉄道の開通は室蘭本線の開通よりも33年遅いし私鉄ということもあって、やはり国鉄駅の方が発展しますよね。 浜頓別も同じで、最初は漁港のある頓別地区が中心で、村の名前も頓別村でしたが、駅のできた場所が発展して中心街になり、役場も駅前に移転し、村から町になる際に町名を駅名と同じ浜頓別に変更しました。 足寄も似ていて、駅のできた西足寄村が発展し、隣の足寄村が衰退し、西足寄村が足寄村を吸収しました。町名は足寄に変更しましたが。 私の父が住んでいたときは西足寄村でした。当時から駅名は足寄なのでややこしい (笑 こんな線路で良いの? どうせ駅を出た直後だしポイントもあるからスピード出さないけど、ちょっとこれはひどいですね。実は名寄以北だってこんなもので、特急は時速85㎞以上出せません。お金がないんですよね。およそ先進国の鉄道とは考えられない。車両もペンキがはげてぼろぼろ(窓の上の茶色の雲のような形)。これはあんまりです。もうすぐ廃車にするのかも知れませんが悲しいです。1日7往復しか運行しないけど複線です。かつて貨物列車が頻繁に走っていた名残です。平成筑豊鉄道もそうですけど。追分はさすがに線路がたくさん敷かれています。昔はSLがたくさんいたけど、今はがらんとして寂しいですね。追分で千歳行き(左の車両・キハ40)に乗り換えます。室蘭本線(右の2本)とわかれます。左の石勝線はコンクリートの枕木で、特急がスピード出して走れます。追分・南千歳間は踏切がありません。それなら特急は時速160㎞/hなどの高速化が容易なはずですが、今のJR北海道ではとても無理ですよね。まもなく南千歳。南千歳からストレートに札幌には向かいません。南千歳で8分あり、新千歳空港駅まで往復可能です。時刻通りだと新千歳空港で2分の乗り換え時間がありますが、少し遅れて30秒しかありませんでした。ほとんどタッチアンドゴーでした。新札幌に10:43に着き、11:00のシャトルバスに乗り、ドームには11:25に着きました。土曜なら30分以上かかりますが、日曜なので25分しかかかりませんでした。 帰りは予定通り、JR白石駅16:10の列車に乗り、岩見沢で乗り換えて近文駅18:32下車。 和寒には19:05到着。 特急、あるいは自家用車だったら1時間近く早く着くことが可能でしたが、なにせ安上がりで済みましたので大満足です。特急も自家用車も6000円くらいかかりますが、その半分で済みました。 しかも空いている車両にゆったり座れて、前日に紋別日帰りした疲れは帰りの車内で完全に取れました。混雑している特急よりも、時間がかかっても空いている普通列車の方が精神的に楽で好きです。 安いのに好きな列車に長く乗れるのはお得とも言えます。 暖房が利き過ぎて暑いディーゼルカーで満員なのはごめんですけど。 今回の列車の旅は、普通にキップを買えば6000円以上しましたが、3000円で済みました。 この企画キップがなければJRは利用しなかったので、JRは増収になりました。WIN WINですね。JR北海道バスも420円増収になりました。
2017年04月19日
苫小牧行きの列車が岩見沢を出ると、上幌向の近くまで函館本線と並走しますので、かつての貨物ヤード・岩見沢第2機関区の跡地横を通ります。昨日書いたように、かつては道東・道北から大量に貨物が集まって入れ替え作業をしていたので、東北・北海道では最大規模の貨物ヤードでした。 かなり向こうまで何十本もレールが敷かれ、本当に大規模でした。 鳥栖の貨物ヤード跡地にはサッカースタジアムができましたが、ここは何にもならないでしょうね。 ここで函館本線と別れ、12号線を渡って志文駅を目指します。かつては万字線の起点だったので賑わっていた志文駅。駅名表示板がぼろぼろなのは悲しい。万字線の痕跡(大きく左カーブする土手とこ線橋)が、まだ残っています。木の枝の先端のあたりにこ線橋が見えます。万字や美流渡はもともと栗沢町の一部だったこともあり、実は万字線の建設を計画した当初は起点は志文駅でなくて栗沢駅だったそうです。 栗沢駅を起点に万字線を建設すると、本町地区(栗沢駅や役場のある中心市街地)の人が炭鉱地区(美流渡・万字)へ買い物や遊びに行き、本町地区が寂れるとして反対運動が起こって、隣の志文駅から路線を敷くことになってしまったそうです。 もしも栗沢駅が起点だったら、栗沢に国鉄職員が多く住み、賑わったことでしょう。 なんと先見の明がなかったのか。 炭鉱が栄えていたころ、美流渡は居酒屋や料亭などが軒を連ね、岩見沢から美流渡に呑みに行く人が多かったと聞いていますが、たしかに栗沢から万字線を敷いたら、そういう人も増えるでしょうけどね。でもやっぱりメリットの方が多いでしょう。 栗沢駅に着きました。私が小学生の時は職員が13人(非番もいるから常時5~6人)もいたんですが、現在は無人駅です。かつてはキオスクだってありました。昔は郵便荷物は6㎏の制限があり、それを超える荷物を送る場合は駅に持って行き、国鉄に荷物として送ったものです。(自分で運べないものは日通に電話) 大学に入るとき、引っ越し荷物は布団などわずかで、チッキで送ったので、駅に布団袋を持って行ったんですよ。 チッキは死語になりましたね。若い人、いや、50歳以下の人は知らないですよね。 「国鉄手荷物」という名称で、乗車券と同じ区間を通常の荷物よりも格安(3割引きくらい)で送ることのできる制度でした。 従って、私が大学に入学するときは栗沢から新潟まで鉄道(連絡船)で移動しました。 ちなみに、赤帽の本来の意味も50歳以下の人は知りませんよね。(岸野監督のことじゃありませんよ) 栗沢駅の横には保線区支所もあって、その職員と家族だけでも何十人もいました。今は空き地です。あと、ここから木工場まで引き込み線があって、そこでよく遊びました。止まっている貨車の連結器のナックルを動かして解放・締結をやって「なるほど、連結器はこういう構造なんだ。これなら絶対外れないか。」と、小学生ながら感心したものです。 栗沢駅の次の栗丘駅を出ると、かつてのSLの撮影名所だった場所があります。複線で少し離れて2本の土手があり、1975年は全国から撮影者が大勢来ました。あちらがわの線路は、その先のトンネル崩落のため現在は使用していません。SL団結号もここで撮影しました。このときはSLが廃止になる2年くらい前の中学2年でした。
2017年04月18日
試合の日、白石駅16:10の列車に間に合わせたかったのには大きな理由があります。 この日は旭川の近文駅から「日帰り周遊パス」と言う、普通列車1日乗り放題で3000円のキップで札幌まで往復したのです。 16:10白石に間に合わなければ札幌・岩見沢間、もしくは岩見沢・深川間を特急に乗ることになり(滝川以遠の次の普通列車が4時間もあとなので)特急料金が必要になってしまうからなのです。で、この日は早起きして(普段から早起きだけど)近文駅6:32の滝川行きに乗ります。711系でなくなったのは寂しい気もします。滝川で乗り換え、岩見沢駅でいったん下車します。 かつて岩見沢駅のすぐそばに飲食店がたくさん並んでいたのに、こんな寂しい姿になっています。以前の賑わいはどこに行ったやら。昔は朝からやっている立ち食い蕎麦屋もあり、温かいものを食べることができましたが、今はキオスクしかありません。近くにコンビニすらありません。 駅前通り。こちらにも昔は蕎麦屋や商店など、多くの店がびっしりあったのに、全然違う町のようです。4条(旧12号線)から駅方向。10年位前に来たときはシャッター街でしたが、今では建物も多くが取り壊され閑散とした光景です。 昔は歩道が狭いのに人通りが多かったけど、歩道を広くしたのに人がいなくなって寂しいものです。札幌以外、どこも駅前はシャッター街ですけど、岩見沢や滝川などはあまりにひどいです。旭川はここまでひどくありませんね。 岩見沢駅に1本も列車がとまっていないなんて、早朝や夜間以外では初めて見たかも。昔は幌内線や万字線があったし、石炭列車も頻繁に出入りしたので、こんなことはなかったでしょう。 ホーム上のキオスクや立ち食い蕎麦屋もなくなりました。駅弁の立ち売りやアイスクリームの立ち売りだってあったのに。 時代の流れとはいえ、これで良いのか? 岩見沢駅の駅弁は有名で、今でも釜めしは駅舎内のキオスクで買えますが、かつての名物駅弁、いくら弁当がなくなったのは寂しいですね。鶏飯も美味しかったです。 近文8:14発のでもよかったのに、6:32のに乗ったのは、岩見沢から追分・千歳を経由したかったからで、岩見沢9:03発の苫小牧行きに乗りました。日高線で使っていた車両のようです。 岩見沢を出てまもなく、室蘭本線の旧線が見えます。左にカーブしたところで現在は線路がなくなっていますが、かつてはこちらが栗沢・栗山・追分方面に行くルートでした。30年くらい前に少し遠回りの貨物線を旅客列車が走るようにしたのです。 ちなみに、なんで旅客線と貨物線が別ルートだったかというと、貨物の操車場からスイッチバックしないでストレートに苫小牧方面へ行けるルートが必要だったからです。 かつて石勝線が開通する前は道東・道北の貨物が岩見沢のヤードに集積され、行先別に組み替えて苫小牧を経由して函館へ向かい、連絡船に乗って本州方面へ運ばれていました。 なぜルート変更したかというと、線路で町が分断されているという理由で、岩見沢市が希望したのです。 鉄道の町なのに鉄道を邪魔者扱いするとはなんたること! ルート変更によって岩見沢・栗沢間は9.7㎞が11.4㎞になり、ちょっと時間かかるようになったし、運賃は220円から260円に値上がりになりました。 値上げ分は岩見沢市に負担してもらいたいものです。 高架化と比べたらはるかに安いですよ。
2016年11月16日
昨日のアクセス数は2000超えました。こんなに多いのは初めてです。多くの皆様に兄のことを心配していただき、ありがとうございます。 さて、フクアリで私はバックスタンドで観戦していて、試合終了後にアウェイ席入り口でサポ仲間に会う約束になっていたのですが、終了時には通路に柵が設置され、そちらへ行くことができなくなっていました。 そこで、一旦外に出て、アウェイ席側入り口から再入場しようとしたら係員に「再入場禁止です」と言われたものの、「忘れ物をしたので・・」と言ったら通していただけました。 その点、コンサの試合は自由に行き来できるし、他券種客席まで行くこともできて良いですね。 ちなみに、富山は通路閉鎖はないものの、客席へは他券種では終了後も入ることができなかったです。 相手サポーターへ煽る輩を想定したものなのでしょうか。 それに、アウェイチームユニフォームを着てホーム側通路には行けないことになっていました。 カシマも厳しかったと思いますが、ちょっと残念ですね。 もしも問題が生じたらリーグから制裁金が課せられるし、クラブは慎重になるのだろうけど、ちょっと厳しすぎないだろうか。レッズ戦ならわかるけど。 蘇我駅から内房線に乗り、五井駅で下車。 ここから小湊鉄道が出ていて30年前に乗ったことがあります。時間があれば保存しているSLを見学するのですが、時間がありませんでした。 五井から羽田空港行きのバスに乗りました。 蘇我からも出ていますが、アクアラインを通ってみたかったのです。わざわざこのルートを利用するコンササポはいないだろうと思ったら、十数名の乗客のうち、少なくても半分ほどの7名はコンササポでした。 夕景の富士山。木更津から渋滞。10㎞くらいのろのろでした。 東京湾に着いた時には完全に日没し、せっかくの景色ほとんど見えませんでした。アクアラインの東側半分は橋ですが、海ほたるから西側はトンネルで、ここからトンネルに入ります。なかなか渋滞が解消しなくて、飛行機に間に合うか、だんだん不安になりましたが、フライト40分前に羽田に着きました。 定刻では45分のところ、90分かかりました。 余裕を見ていてよかった。 飛行機は18:50発のADOでした。私以外にもレプリカ着た人がちらほらいました。 成田18:40発のJALにしようか悩んだのですが、諸般の事情でADOにしました。 選手は羽田18:30か19:30、あるいは成田18:40のJALのいずれかだろうと思いましたが、18時台のはぎりぎりだし、きっと19:30のだろうと思いました。 選手と同じ飛行機も考えたのですが、早く帰りたかったので19:30のにはしませんでした。 千歳でコンサバスが待機していたので、やはり19:30のに選手が乗ったのかな。
2016年10月05日
名古屋対札幌と言っても、グランパス対コンサドーレではありません。 新千歳・札幌間のJRと中部・名古屋間の名鉄を比較すると、基本運賃だけなら中部・名古屋の方が安いですよね。詳しく比較してみました。新千歳・札幌 中部・名古屋特急 中部・名古屋ミュースカイ 距離 46.6㎞ 39.3㎞ 39.3㎞ 運賃 1,070円 870円(普通車自由席) 1,230円(特別車指定席) 時間 37分 37分(朝夕40分) 28分(朝夕約40分) やはり千歳は少し遠いですよね。もう少し近いと良いのですが、札幌に近いと雪が多くなるし、仕方ないか。 あおなみ線の風景ですが、名古屋は鉄道網が札幌よりも発達しているのを実感しました。駅ビルは札幌が38階建て、名古屋は53階建てと51階建てのツイン。名古屋の方が人口多いし、あちらに負けるのは当然と言えば当然。 名古屋駅は今年、開業130年だとか。 札幌駅は今年で開業136年だから、これだけは勝ちました。
2016年10月04日
帰りは関空からJALです。昼くらいの羽田なら選手と同じ飛行機になるかも知れないけど、関空9:30発ではその可能性ありませんね。クラスJなのに珍しく隣が空席。 斜め前も空席でした。クラスJは人気があって、出発直前でも空席待ちして普通席から変更する人が沢山いたものだけど、最近は人気がなくなったのか? おかげでくつろいで帰ることができました。スカイマークにしないでよかった。大阪湾。しばらく雲の上を飛行し、ようやく下界が見えたのは秋田市でした。苫小牧東港。新日本海フェリーの船が停泊していました。普通は昼頃は見かけないのですが、秋田・新潟行きは日曜晩発のフェリーは運航しないので月曜の晩まで停泊しています。千歳に着きました。天気も良いし、あとは順調に帰れると思いきや、事故で高速道路の深川・旭川鷹栖間が通行止め。 カーナビにも表示されるのですね。岩見沢から高速に乗っていたので、深川で降りないといけないわけですが、深川で料金所渋滞があるかも知れないし、12号線に出るときにも渋滞があるかも知れないので、深川インターの手前のジャンクションから深川留萌道に入り、深川西インターで降りました。(滝川インターで降りても良かったのだけど) 12号線は片側一車線になる神居古潭のあたり(正確には春志内トンネルの手前)で流れが悪かったものの、渋滞というほどではなくて、当初予定よりも15分くらい遅くなっただけで済みました。 事故直後に通りかかると、事故処理終わるまで1時間以上、本線上で待たされて大変ですが、それに巻き込まれなくて幸いでした。 長かった旅もこれで終了です。 また徳島に行きたくなりましたが、来年は四国遠征がありませんね。 もっとも、神戸からは2時間かからないから、行こうと思えば楽に行けるのですが。
2016年10月03日
このシリーズ、まだ少し続きます。 連休最終日は神戸から帰るだけで、まずは三宮から関空への移動ですが、リムジンバス・鉄道・船(ポートライナー+神戸空港から船)の3通りの方法がありますが、リムジンバスは乗り場がホテルから遠いし、船は時刻がちょっと合わない点もあり、一番時間がかかるけど安い鉄道にしました。まずは阪神に乗ります。尼崎で乗り換えですが、右のオレンジ色の阪神本線の急行から、私が乗っている左の、なんば線の列車に乗り換える場合、普通だとこ線橋か地下通路の階段の上り下りしますよね。 でも、真ん中の水色の列車の中を通り抜けて階段の上り下りをしないで済むという、珍しい乗り換え風景です。 (ホームが車両の両サイドにあるので、左のドアから乗って右のドアから降りる)なんば駅で南海に乗り換える方法もありますが、それだとなんばで歩く距離が長くなるので、その手前の西九条でJRに乗り換えた方が楽です。 JR西九条駅はユニバーサルスタジオへ行く列車も来るので、こんな車両も見れます。関空行きの快速はこれ。特急はるかは西九条通過なのが残念。京セラドームでしょうか。天王寺駅。あっ、ここ知ってる! 7月に来たときは列車が通るたびに列車が気になって観戦に集中できませんでした。 列車からピッチは見えないのですね。大阪南部まで来るとこんな風景になりますね。2か月前に来たばっかりだけど。関空に着きました。最近はYouは何しに日本へ?でよく見る風景ですね。このときはテレビ東京のスタッフは見かけませんでした。三宮から関空まで1時間半くらいかかりました。(リムジンバスなら1時間5分) 遠いですね。 当初、関空は現在の神戸空港の位置に建設する予定だったけど、ありもしない騒音懸念で反対されて泉州沖になったのが恨めしいです。
2016年09月29日
神戸での用事は9:00から。 早起きすれば(いつも早起きなので普段通りに起きれば)神戸市営地下鉄を全線乗りつぶしできます。 (海岸線は2008年のヴィッセル戦のときにすでに踏破済みなので) いきなり地下鉄には乗らず、まずはJRで三宮駅から兵庫駅まで移動。兵庫駅で乗り換え。兵庫駅から1駅だけ、山陽本線の支線(通称・和田岬線)があるのですが、まだ乗ったことなかったので乗りました。和田岬駅は無人駅で、兵庫駅改札で清算する方式です。和田岬駅から乗って兵庫駅で改札を出ないでまた和田岬に戻って薩摩守(薩摩守 忠度<ただのり>)をする人がいるのではと思いましたが、特に休日は運転本数が少ないから困難で、やる人はいないでしょう。 この路線は鶴見線のように、工場へ通勤する人ばかりでして、休日はがらがら。乗っている人の半分近くは私と同じく鉄道マニアでした。終点の和田岬駅。休日は1日に2往復しかありません。この駅からノエスタへ歩いて行っても良いのですが、このダイヤだと平日ナイターや土曜18時キックオフの帰りに使うくらいしかできませんね。 和田岬で地下鉄海岸線に乗ります。相変わらずがらがら。お荷物路線と言われていますから。当然、これはありますが、こちらもありますね。新長田で西神・山手線に乗り換えます。神戸ユニバの最寄り駅、総合運動公園駅。遠征で利用したコンササポも多いでしょう。このあたりはほとんど地上になります。折り返して新神戸まで行って、全線乗りました。 これで、札幌・福岡・神戸の地下鉄は全線乗ったことになります。
2016年09月26日
ご存知の人も多いと思いますが、日本でベートーベンの第九が盛んに演奏されるようになったきっかけは、第一次大戦のドイツ軍捕虜が演奏したこととされています。 で、その収容所が鳴門市(旧板東町)にあったのです。最寄駅は板東駅で、板東英二のお父さんの出身地ということもあって、板東英二さんが5歳から住んだ場所でもあります。 板東駅です。収容所跡地近くに「ドイツ館」という俘虜収容所の記念館があります。収容所の居住棟で、第一次大戦後は左半分を壊し、残った右半分を陸軍の施設として使用し、第二次大戦後は満州からの引揚者住居とし、満州から引き揚げた板東英二さんが住んでいたそうです。約1000人が収容されていたそうですが、収容所閉鎖後も数十人が日本に残って住んだそうで、神戸の菓子メーカーとして有名なユーハイムさんもそうだったとか。 収容所跡地は公園になっています。遺構があり、これは給水施設です。バーのトイレだとか。ドイツ兵が作った橋。映画にもなっています。近くに映画のロケセットが保存されていますが、現在は公開されていません。この日は暑く、30度越えで、冷たい飲み物を買いにコンビニ寄ったらヴォルティスののぼりがありました。バスで池谷駅まで行って高徳線の特急うずしおで徳島駅に戻りました。北海道で走っているオホーツクやサロベツ、北斗などのキハ183に似ていますが、少し違う点がいくつかあるキハ185で、一番違って見える点はドアが折戸になっていることでしょうか。 折戸だと雪が隙間から舞い込んだり、詰まったりするので北海道では使用しませんね。(バスを除く)ここもちょっと違った感じがすると思いますが、両端にドアがあるので先頭部(後端部)にもデッキがあります。
2016年09月25日
徳島駅から鳴門行きの列車に乗ります。自動改札機はありません。先日、話題にした通り、徳島県には電車が走っていませんので気動車です。徳島県は宮崎県とともに、鉄道の複線区間がない県です。あれ? 複線じゃあないの? って思いますよね。 実は徳島駅と隣の佐古駅の間は単線の徳島線と単線の高徳線の2線が平行していて、一見、複線なのです。 したがって、高徳線の列車が徳島駅を出るときや、徳島線の列車が徳島駅へ行くときは右側通行です。 車両後方から撮影しているので右側通行だとわかりますよね。でも、ポイントがあるから複線運用も可能なんだけどなぁ。まあ、本数が少ないからこれでいいのか。ここで徳島線と別れ、高徳線を行きます。吉野川。車内は土曜なのに高校生で大混雑。おかげで終点の鳴門駅では改札が大渋滞。 実は鳴門駅まで行く必要はないけど、まだ乗ったことがない路線なので鳴門まで行って池谷まで折り返すことにしていたんです。 で、折り返しの5分で改札を出て、駅前の様子やヴォルティスのポスターなどを見る予定が消滅。 池谷(いけのたに)駅で下車。高徳線と鳴門線の分岐駅ですが、分岐した先にホームがあって、ホームが少し離れています。 かつての留萌駅も同様に、留萌線ホームと羽幌線ホームが離れていました。従って、鳴門駅発高松行きの列車の設定が困難ということになり、乗り換えが必要となります。まあ、そんな心配しなくても、どうせそんな客はほとんどいなくて設定の必要はないのですけど。 で、ここからお遍路街道を歩きます。このお寺は前札所で、一番札所の近くにあります。かつてはここで安全祈願してから巡礼を開始したと言われていますが、全然誰も歩いていません。ひっそり静まり返っています。皆さん、一番札所から始めるようです。本日のメインイベントはドイツ館へ行くことでして、時間がないので一番札所までは歩かず、途中でタクシーを拾ったのですが、タクシー内から撮った一番札所。ここは土産物屋などもあって賑わっていました。 ちなみに、かつての巡礼者の多くは大阪から船で鳴門に着いたので、ここが一番札所になったそうです。
2016年09月23日
三宮から徳島までは1時間50分、バスに乗ります。狭いバスで相席だと窮屈ですし、さらにタバコや香水等の匂いをぷんぷんさせる人が隣に座ったら困るので心配でしたが、幸い、往復とも相席にならずに済みました。 往路は神姫バスでしたが、帰りは徳島バスだったので、こんな広告もありました。いよいよ明石海峡大橋です。上空を何度も飛行したことはありますが、橋を渡るのは初めてです。 完成から18年たちますが、いまだに世界一長いつり橋です。淡路島へ入ります。淡路島は初めてです。それにしても、片側3車線とは驚きました。 たしか、鉄道併用橋にしたら9000億円、道路単独なら6000億円かかるとされ、道路単独になったはずですが、片側2車線で鉄道併用橋にしたら7500億くらいでできたのではと思うけど、徳島県の人口は79万人しかないし、採算を考えると仕方ないのか。 淡路島に入ると最初は山が続きますが、しばらくすると平野部が見えてきます。 市街地が高速から少し離れていますが洲本市でしょうか。鳴門海峡大橋から撮りました。潮流が速いせいか白波立ってますが、うずしおが発生する時間帯ではありませんでした。大塚国際美術館が見えました。巨大です。開館当時は日本一の規模だったそうです。入場料金は現在でも日本一のはず。行ってよかった美術館&博物館ランキング2011で1位だったとか。 うずしお観光船のりばが近くだし、いずれセットで訪れたいですね。 徳島市内に入りました。徳島城跡です。南国ムードですね。こういう風景は宮崎や鹿児島のものだと思ってました。大阪からそう遠くない徳島でもあるのですね。徳島駅にはヴォルティスのポスターなどがありますね。25日の鳴門での試合は小中高生無料なんですね。大勢で応援してセレッソに勝って下さい。それにしても高校生も無料とは素晴らしい。10年位前までコンサは高校生料金がなくて大人と同じでしたね。 うちの長女が高1のときまででした。その年は3月、中学卒業直前にシーズンパスを買ったからよかったですけどね。(高校進学後もその年はOKなのをHFCに確認しました) アーケード街には意外とヴォルティスのポスターなどはなくて、唯一見かけたのは本屋のスカパーの宣伝ついでのもの。
2016年09月22日
名古屋から徳島へ移動します。 当初は京都鉄道博物館を見ることも考えたのですが、京都のホテルが全く取れず(昨日のニュースではインバウンドの増加で日本人が取れなくて日本人宿泊者が減少したとか)そうこうしているうちに徳島の方から、講演前日に懇談会(傍から見たら飲み会のように見えたでしょうが)をやりましょうとのお誘いがあって、2泊目は徳島泊となりました。 名古屋から三宮まで鉄道で、三宮からバスで移動で、普通は新大阪か新神戸まで新幹線ですが、特急料金は新神戸だと新大阪よりも一段階上がって姫路までと同じ料金で損。 で、新大阪まで新幹線を考えたものの、思っていたよりも早く名古屋駅へ戻ったので、米原まで快速に乗りました。さほど混雑してなく、クロスシートで相席にならなかったので、落ち着いてランチの駅弁を食べることができました。駅弁の写真は後日紹介します。岐阜です。右の山頂には岐阜城が見えます。しばらく岐阜遠征はないでしょうね。長良川。関ヶ原です。新幹線だトンネルが多いし、あっという間に通り過ぎて良く景色が見えませんが、在来線だと関ヶ原の古戦場をゆっくり眺めることができます。関ヶ原駅のホームです。米原駅です。東海道新幹線では品川駅と豊橋駅とここの3駅が高架駅でない地上駅です。米原から京都まで新幹線に乗りました。こだま新大阪行きなのでがらがらです。1駅区間だけなので特急料金は980円です。名古屋・新大阪だと3,000円なので、2,020円節約できました。 去年も見たけど、フジテックのエレベーター研究棟が米原にあります。京都から新快速に乗り換えましたが、駅のホームは外国人で溢れていました。でも、なんとか座れました。 大阪を出たところ。以前、大阪駅前は、独創的な形が印象深いマルビルが異彩を放っていましたが、今では他に多くのビルが立ち並んで、なかなか見つかりません。あぁ、これがマルビルかな?、もはやランドマークではないのか?淀川を渡ると兵庫県尼崎市。ヤンマーの工場があります。セレッソの寮もこの近くですね。尼崎の次は西宮で、ここはアサヒビールの工場跡。いまだに更地のままですが、まだ利用法が決まってないのかな。西宮の次が芦屋で、その次が神戸。三宮で徳島行きのバスに乗り換えです。
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プロフィール
1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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