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長きに渡りこのブログを読んでいただきありがとうございました。 累計閲覧数はすごい桁になっていて、皆さんの広い心に支えられて来た事を実感します。 コンサドーレと歩んできた当ブログですが、思うところがありこの度閉鎖することにしました。相互リンクをして頂いた皆様、何より拙い文章を読んでいただいた皆様、今までありがとうございます。ここは変に炎上する事もない居心地のいい場所でした。これからは皆さんのブログを見ることを楽しみにしたいと思います。 ブログは更新しないまま今シーズン終了とともに削除する予定でしたが、長年続けてきた蓄積を捨てるのがもったいなくなりましたので、やっぱりこのままにしておきますw
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2005年11月29日
コンサドーレには1985年~1986年生まれの選手が7人もいます。
リーグ戦に出場し実力の片鱗を見せた者、実力を発揮しきれないままリーグ戦出場が叶わなかった者など様々です。
しかし、彼らはまだ20歳そこそこ。
「可能性」はまだまだ広がっています。
今、来季戦力を見定める時期にあって、もう一度彼らについて考えてみました。彼らはまだ燃え尽きてはいません。もっともっとやってくれるはずです。
来季も赤黒のユニフォームの彼らに会えますように。
石井謙伍選手(25番)・・・1986年生まれ
すでにリーグ戦出場を果たし、はつらつとした「元気のいいルーキー」という活躍で、私たちサポーターにも非常に期待感を持たせてくれました。体の線が細いのは今後の課題となることでしょうけれども、その動き・その積極性は非常に非凡なものを感じます。・・・来季も更なる成長を期待しています。
野田達郎選手(24番)・・・1986年生まれ
第43節時点でリーグ戦出場はありませんが、ユース出身選手として非常に期待しています。ベンチ入りができていない今季ですが、来季・そして将来に向けて発展を期待!
鈴木智樹選手(16番)・・・1985年生まれ
昨年の開幕スタメンの活躍は記憶に新しいところ。
2年目の今年は若さが出て、多少出遅れたところもありますが後半は挽回し始めました。金子・田畑というボランチの先発争いにちょくちょく顔を出しているのも才能の現れと見ています。
来季は不動のボランチ定着・・・期待しています。
桑原剛選手(18番)・・・1985年生まれ
筑陽学園高校で怪物平山相太のいる国見高校との死闘を見て
「こんなすごいヤツが来るんだ~」
と感動したことを覚えています。
精度の高いFKと卓越したセンスのゲームメイクは非常に大きな期待を抱かせています。三原のFK技術を盗み、近い将来厚別の青空に、ドームの天井に芸術的な弾道を描いてくれることを期待しています。
「伸び悩み」なんていう人もいるかもしれませんが、間違いなく輝きを持った選手です。来季はピッチ上の勇姿を期待しています。
上田常幸選手(22番)・・・1985年生まれ
2年目の今年もリーグ戦不出場。
実力がないのか?・・・なんて思っちゃいけません。
実は私は上田には相当期待しています。
サテライトで彼の光るプレーを見たことがある人はほんの一握りでしょう。
選手には早熟型と晩成型があると思いますが、彼の場合まだ20歳。
十分伸びしろもあります。
3年目。来年は柳下監督とともにいよいよ勝負の年です!
蛯沢匠吾選手(27番)・・・1985年生まれ
石井・野田とともに今シーズン、ユースから昇格したGK。
GKはポジションは1つだけですが、コンサドーレはその1つのポジションに4人のGKを所属させており、4人の中で最年少の彼がもっともプロのスタートが遅かったわけです。
超えなければならない壁は高く・厚いですが、藤ヶ谷はそんな壁もものともせずに正GKにのし上がり、今ではJ1優勝争いをしているチームの正GKに君臨しています。
彼も腐らず精進を続ければ、絶対にチャンスが来るはずです。
上里一将選手(19番)・・・1986年生まれ
最初は「石垣島初のJリーガー」というフレーズしか聞こえませんでしたが、今では押しも押されぬコンサドーレのエースです。
山瀬・今野がJ1に移籍し、次のスーパールーキーを望むチームとサポーターの期待を一身に背負ってくれています。
彼がケガで離脱した時は、一体何人のサポータが嘆いたことでしょう。
彼のケガがなければ、今シーズンの昇格があったかもしれません。
早くケガをなおして、ピッチに戻ってきて欲しいと思います。
2005年11月29日
本名:ロブソン・ルイス・ペレイラ・ダ・シルバ(背番号9)
出身地:ブラジル
柱谷体制の中、ウィルの後釜として期待がかかったロシアリーグ得点王
という、鳴り物入りの肩書きを引っさげてコンサドーレに入団。
サポーターも
「ロシアリーグってどんなところだ?」
とわからないまま
「とにかく得点王は凄いんだろう」
というイメージで期待しました。
が、何がダメだったのか
・・・彼は目立った活躍のないまま退団してしまいます。
そう、彼は私にとって観たことがない
「幻の外国人4号」を襲名してしまいます。
2005年11月23日
本名:アウミール・モライス・アンドラーデ(背番号9)
出身地:ブラジル
コンサドーレ史上最強の暴れん坊FW
という、いい意味にも悪い意味にも取れる肩書きが似合いそうなウィルですが、この選手実はコンサドーレでは初めての出戻りをした(2001年札幌→2002年横浜M→2003年札幌)外国人選手です。
2001年シーズンにJ1で大暴れした結果、24点をたたき出してそのシーズンの得点王に輝く実績を残しました。
しかし、暴れたのは得点だけではなく実際にもピッチでは大暴れでした。
もらった紙は数知れず、サラブレットならば気性難という言葉がピッタリくる選手です。2002年のJ屈指の実力派チームであるマリノスに在籍した時は、ボールだけでなく奥選手まで蹴ってしまい、チームからもマリノスサポからも、そして当然、奥ギャルからも総スカンを喰らってしまい、帰って来ました。
しかし、帰って来た札幌には気性難の彼を乗りこなしてくれた岡田監督は既に去り、気性難のジョッキー、ジョアン・カルロス監督がその位置にいました。
気性難同士ですから、当然お互いの存在を相容れるわけもなく彼はトラブルを起こし、チームを去ってしまいます。
ピッチ上では頼れる存在で、鬼のような顔で大暴れする彼も、試合を離れると非常に可愛いキャラクターを発揮してくれるので「憎めない」キャラクターでもあり、サポーターからは「俺王様」という呼び名で親しまれました。
もっとたくさんエピソードもあるハズと思いますが、私はその一端しか知りません。きっとこのコンサのブログに今後、そういう話は多く出てくることでしょうから、そういう時はその記事にTBさせてもらおうと思っています。
・・・しかし、ウィルって本名じゃないんだ。(知らなかった)
アウミールが去って、アウミールがやって来たことになるんですね。
2005年11月22日
本名:マルシオ・エメルソン・パッソス(背番号9)
出身地:ブラジル
コンサドーレ史上最強のFW
と言っていいくらいの抜きん出た実力を持った若手FW。
プレースタイルはとにかく早いスピードと、圧倒的な決定力を支える卓越したゴール感覚と技術でした。
バルデスも凄かったですが、エメルソンは圧巻。何しろ1人で攻めてゴールを奪ってくるんですから。
相手チームも来るのがわかっていても止められない・・・そういう選手でした。
しかし、若干19歳で来日した彼の行動はしばしばチームに迷惑を掛けることも多く、岡田監督はそうとう頭を悩ませていたように聞こえてきました。
私としては最初リカルジーニョの二の舞にならないことを祈っていたものです。
ちなみに、この年の岡田監督の後日談では、エメルソン補強のときに同時に補強リストに名前が挙がっていたのは、当時代理人となっていた元コンサドーレ10番アシスの弟。そう、若き日のブラジル代表10番ロナウジーニョだったらしいのですが、彼は高くて手が出なかったため比較的安い方のエメルソンを選んだらしい・・・というのは結構有名な話。
妄想としては9番エメルソン、10番ロナウジーニョなんていうチームがJリーグに存在したら、間違いなく無敵だったことでしょう。
もしかしたら当時の常勝ジュビロ磐田にも勝てるかもしれない。
2005年11月21日
本名:アウミール・モライス・アンドラーデ(背番号10)
出身地:ブラジル
黒子に徹するブラジル人10番
という印象が強いアウミールです。
2000年のシーズンにFC東京からやってきたブラジル人MF。
確か敬虔なクリスチャンだったと思いますが、性格はペレイラ以来の温厚でジェントルマンな外国人。
試合を仕切る司令塔というよりは、常に黒子に徹しゲーム全体をサポートする・・・そんな動きをする人でした。
この年の外国人は「ビジュ・アウミール・エメルソン」と、久々に当たり年のこの年、岡田監督が自ら選定した外国人の1人です。
「ビジュ・エメルソン」が動ならアウミールは「静」のプレーヤーと言う感じでした。
ちなみに2001年の8月に電撃解雇された時にも、静かに身を引いていった様はまさに「立派」のひと言でした。
2005年11月20日
本名:アンドレ・ルイス・デ・ソウザ・シルバ(背番号 8)
出身地:ブラジル
入団当初、ビジュって本名かと思っていました。
しかし、本人の好きな「豆入りスープ(・・・だったっけ?」」の名前なんだそうです。
これって、日本人が海外のリーグでプレーする時に「みそしる」って言われるのと感覚が似ている気がしますが・・・。
それはともかく・・・。そんな愛嬌のある名前同様、本人のキャラクターもかなり愛嬌のある方で、多くのサポーターに長年愛されることになりました。
プレーの方はレッズの岡野以上に「野人」という言葉が似合うスタイルでした。
プレーの1つ1つがとにかくワイルド。そして粗い。
でも、それを差し引いても「彼の存在が非常に頼りになる」とサポーターの1人としては常に感じていました。
また、頬骨を骨折した時も驚異の回復力でピッチに戻ってきてくれましたし、そのときのフェイスガードが妙に似合っていたのも覚えています。
技術面云々ではなく、ワタシとしては彼はコンサドーレにとってもっとも大切な外国人選手の1人であったことは間違いないと思います。
最後に、某道内放送局が最後までビジュを「ビジュ~」と伸ばして読んでいたのは、そっちに方が正確な発音かもしれませんが個人的に非常に違和感を感じていました。
2005年11月19日
本名:ヴァウジネイ・ロッシャ・デ・オリヴェイラ(背番号 9)
出身地:ブラジル
次こそと 獲った外人 出てこない
5・7・5で表現してみましたが、この年最初に獲得したリカルジーニョが不発・・・というか棄権状態で去ってしまったので、次のFWには当然期待していました。外れクジを2度も引くことはないだろう・・・と。
結論から言って、ジネイ自体は外れではなかったと思うんですよ。
しかし、当時の指揮官岡田監督は
「俺が欲しかったのはセンターフォワードなんだけど、チームが連れてきたジネイはウイングタイプのFWだった」
とのことから出場機会がなく、あまり姿を見ることなく退団。
かろうじて、ワタシはプレーする姿を見ることができたので「幻の外国人」にはなりませんでしたが、実情は幻一歩手前の外国人でした。
しかし、これはジネイが悪いのではなく、チームのずさんな外国人獲得の体制が生んだ悲劇でもありました。
そんなこともあってか、翌年からは岡田監督自らが見定めて外国人を獲得することになり、さらに監督への負担を増やしてしまったのです。
2005年11月18日
本名:クレーベル・ロメロ(背番号8)
出身地:ブラジル
この年の背番号8といえば「ビジュ」というイメージしかありません。
彼もリカルジーニョ同様、あっという間に退団・・・帰国したブラジル人です。
「ペレイラ・ウーゴ・バルデス」から「クレーベル・アシス・リカルジーニョ」へ・・・という外国人の変更だっただけに、勝手な想像とはいえ、やはり実力派の外国人を思い描いていただけに、この年の補強にはかなりの肩透かしを食らった印象があります。
結局クレーベルもリカルジーニョ同様、私は一度も姿を見ないまま退団した「幻の外国人3号」を襲名したのです。
(参考)幻の外国人とは・・・私が一度も姿を生で見ることなく退団した外国人。
幻の外国人1号 アルシンド
幻の外国人2号 リカルジーニョ
幻の外国人3号 クレーベル
・・・以下、残念ながら4号・5号もいますがそれは後日。
2005年11月17日
本名:リカルド・モデスト・ダ・シルバ(背番号 9)
出身地:ブラジル
なんだったんだろう・・・彼は?
という印象しか残っていません。
「ブラジルの若き点取り屋」
という謳い文句で入団が決まった時、「若くて才能のあるブラジル人だろう」と勝手に思い込んでいました。
なにしろあのバルデスの後釜に獲得したブラジル人なのですから。
しかし、ふたを開けてみると一度も姿をみせないまま退団・・・帰国。
アルシンドといい、彼といい・・・ブラジル人FWに対するイメージが非常に悪くなりました。
ちなみに噂では彼の退団には「金銭トラブル」があったという噂もあり、なんとも後味の悪い感じだけが残りました。
2005年11月16日
アクセスランキング入りを記念して、今回はおまけを用意しました。
本名:ルイス・フラビオ・リベイロ・ファンゲルミーノ(フィジカルコーチ)
出身地:ブラジル
日本代表監督であった岡田監督と一緒にやってきた元日本代表フィジカルコーチ。ディドがGKコーチに就任し、彼と岡田監督が来ただけで、素人目にコンサドーレコーチ陣が非常に安泰と感じてしまったことを覚えています。
白髪に白ひげをたくわえた恰幅のいい体系のこの外国人コーチは、遠目に見ると「赤黒の服を着たカーネルサンダース」に見えてしまったことは誰にもいえない私の秘密です。
2005年11月16日
本名:ロベルト・デ・アシス・モレイラ(背番号10)
出身地:ブラジル
前年J1降格となったコンサドーレは監督を含む不動の外国人センターラインを総入れ替えして「1年でJ1復帰」をスローガンに、前日本代表監督の岡田武史氏を招聘し、巻き返しを図ります。
その年の外国人補強の目玉がアシスでした。
しかし、その存在感を誇示できるプレーと言うよりはソツのない堅実なプレーに終始した彼です。もちろん、外国人選手としては決して能力的に劣るわけもないのですが、サポーターとしては今までのマラドーナ・バルデスの超人的なプレーを見てしまい目が肥えてしまっていたので、堅実なプレーだけでは物足りなくなっていた感もありました。
彼の実弟は現在スペインのFCバルセロナに在籍しているあのブラジル代表10番の「ロナウジーニョ」選手です。現在、アシスはロナウジーニョの代理人として第2のサッカー人生を歩んでいます。
余談1
ロナウジーニョ選手の本名はロナウド・アシス・モレイラ。
そう。彼もアシスなんですよ。
余談2
ジュビロ磐田でプレーしたグラウ選手。
実は彼の代理人もアシスだったという話を聞いたことがあります。
2005年11月16日
今日、何気に第3回アクセスランキングを覗いてみたら、なんと!この「ビバ!コンサドーレ」が第48位にランクインしているではないですか!!
毎日地道に更新して、「今日はどの助っ人のことを書こうか?」と自己満足のブログがこんなにも人から見ていただいていたことは、正直言って大変うれしいことです。
コメントやトラックバックなどの反応がないので、「誰も見てないだろうし、自分のコンサドーレデータブックを作るつもりで書いていこう」と気楽に考えていました。
1回の内容は薄いのですが、「あ、こんな選手いたな~」と懐かしんでもらい、多少なりともみなさんに話題を提供することができたらいいな~と思っています。
マメに更新を心がけていきますので、一見さんも常連さんも・・・1日にどのくらいの方が来ていただいているのかもわかりませんが、よかったら今後ともよろしくお付き合いのほどお願いいたします。
2005年11月16日
本名:バウテル・ヘンリケ・デ・オリベイラ(背番号 8)
出身地:ブラジル
JFL時代のコンサドーレのライバルチーム本田技研から移籍してきた。
本田技研がスタジアム整備などの関係からプロ化できなかったことからプロであるコンサドーレに移籍してきました。
こんな話は今となってはありえないような話ですが、当時はプロ化したばかりの状況で、こういう話もアリでした。
さて、当時ウーゴも在籍していましたが同じポジションを争うライバルという形で入団したバウテルですが、ウーゴほどの派手なプレーでの存在感はなかったものの、その堅実なプレーは幾度もチームの危機を救ってくれました。
2005年11月15日
本名:金鍾成(背番号:45)
出身地:韓国
コンサドーレ初のアジア人助っ人FW。
しかし、うかつにもその存在を忘れてしまっており、この順番で書くことになってしまったが、1996年5月にチームに合流しました。
決定力・・・という面では、翌年加入するバルデスには及ばず、後日彼自身も「私は札幌のバルデスになれなかった」と述懐していたとか・・・。
しかし、懸命なプレースタイルは確かにサポーターの心を熱くさせてくれました。
2005年11月14日
本名:ハーフナー・ディド(背番号:1)
出身地:オランダ
日本国籍を持つオランダ出身の頼りになる背番号1
ディドは日本国籍を持っているので、彼のほかに3人の外国籍選手が出場できます。それによって「ディドーペレイラーウーゴーバルデス」というしっかりとした縦ラインが形成され、それがこの年のコンサドーレの強さの要因でもあったように思います。
このしっかりした縦ラインがあったこともあり、翌年コンサドーレは念願のJ1昇格を果たすのです。
彼らがいたこのころが第1次黄金時代でもあり、ゲームを見に行くのが非常に楽しみであったことを今でも覚えています。
ディドはその後、GKコーチとして現役引退後もチームに残ってくれました。そして、佐藤洋平や藤ヶ谷陽介ら優秀な後進の指導に当たってくれたのです。
コンサドーレにとって、ディドは大恩人なのです。
彼がS級ライセンスを取って監督として戻ってくることを密かに夢見ています。
2005年11月13日
本名:ウーゴ・エルナン・マラドーナ(背番号10)
出身地:アルゼンチン
ご存知世界のスーパースター「ディエゴ・マラドーナ」の弟。
小柄な身体から繰り出されるパス・クロス・FKは、まさに芸術的。
特にFWバルデスとの通称「ホットライン」は破壊力抜群で、この2人で攻めに行っても十分勝てるんじゃないの?と、思ってしまうほど。
現時点(2005年)ではコンサドーレ史上、最強のパサーであり、FKはペレイラ・ウーゴ・ウィルの3人が最強だと信じています。
2005年11月12日
コンサドーレには世界的スーパースターの兄弟が入団しています。
ウーゴ・マラドーナはいわずと知れた元アルゼンチン代表の世界的スーパースターのディエゴ・マラドーナの弟ですし、アシスはFCバルセロナに所属しているブラジル代表のロナウジーニョの兄だと言うことは周知の事実。
次にくるスーパースターの兄弟は誰だろう?
いや、兄弟じゃなくてもいい。
シェフチェンコのいとこでも、ネドヴェドの義理の弟でも、ビアホフの甥でもフリットのはとこでもいいから、魅力的なプレーを見せてくれる人がきてくれるといいな・・・。
あと、ホームシックで帰らない人がいいな・・・。
2005年11月12日
本名:ホルヘ・デリー・バルデス(背番号 9)
出身地:パナマ
「本物のストライカーをはじめて見た!」
という感想を持った選手です。まさに、ゴール前の得点感覚などは圧倒的なパナマ代表のストライカー。
プレーはゴール前ならある程度の荒れ球でも、その驚異的な身体能力とセンスで得点に結び付けてしまうという怪物。
特にウーゴ・マラドーナとのコンビは「ホットライン」と呼ばれ、「わかっていても止められない」というプレーで相手チームのDF・GKを震え上がらせました。
1997年5月25日に厚別で行われた川崎フロンターレ戦の大逆転勝利の立役者。今でも語り草になっているこの試合は、バルデスがいたからこそ成り立った奇跡だと思います。
ちなみに、噂では彼には双子の兄弟がいて、兄弟揃ってプロサッカー選手なんだそうです。
本当に「頼りになる助っ人」第2号です。(第1号はペレイラ)
「厚別不敗神話」ができたのも、彼が在籍していた頃の話です。
2005年11月11日
本名:ダビド・ソニア・ヨシナリ(背番号:39)
出身地:ペルー(日系3世)
「ダビ」の愛称で一部のサポーターからも熱烈に支持された若手MF
しかし、入団初年度は彼以外の外国人が5人(ペレイラ・アルシンド・オテーロ・ヨゼフ・ルボシュ)いて、出場がかなわずサッカー修行のため一時帰国し技を磨いて翌年チームに帰って来た。
・・・しかし、翌年のチームにはバルデス・マラドーナ・ペレイラという不動のレギュラー3人衆がいたため、彼らからレギュラーを奪うことができず試合出場機会もほとんどなかった。(ウーゴとレギュラー争いしたのでは、彼がかわいそうというもの)・・・ちなみにディドは日本人としての登録です。
育成路線の昨今であれば彼のような存在も非常に光ったことでしょう。今考えると、出現が10年早過ぎた逸材であったと思います。
2005年11月10日
本名:ヨゼフ・ジノ(背番号:忘れました)
出身地:チェコスロバキア
ルボシュとともに7月にチームに入団した東欧シリーズ第3弾。
しかし、チームにはすでにペレイラ・パベル・ルボシュ・(オテーロもまだいた)という関係から外国人枠は埋まってしまっていたので、出場機会がほとんどなかった。
しかし、9月。いよいよ公式戦デビュー!
相手は強豪本田技研でしたが、この試合に勝利を収めますが守備の要ペレイラが負傷退場。長期戦線離脱を余儀なくされたため、しばらくはスタメンに定着するも、あまり印象には残らなかった。
2005年11月09日
本名:ルボシュ・ザコルテスキ(背番号:忘れました)
出身:チェコスロバキア
長身FWとしてアルシンド退団後の外国人東欧シリーズ第2弾選手。
(第1弾はパベルです)
この選手、長身を活かして前線で待機し得点をGETするというポストプレーヤーで、過去のコンサドーレでいえばバルデスや高木琢也、磯山・FW時代の曽田タイプ・・・ということになるでしょうか。
しかし、いかんせんボールがそこまで運ばれて来ないので
孤立→仕事ができない
という悲惨な結果で、この年帰国してしまいました。
バルデスとの決定的な違いは、パスの出し手がいないということでした。
私も試合で何度かプレーを見ましたが、印象はほとんど残っていません。
2005年11月08日
本名:アルシンド・サルトーリ(背番号11)
出身地:ブラジル
「トモダチナラアタリマエ」という流行(?)語の人
日本代表監督(2005年現在)のジーコと一緒にJリーグ鹿島アントラーズで一大旋風を巻き起こしたストライカー。
脳天が禿げ上がっている風貌も個性的なキャラクターを演出しており、当時のJリーグの外国人選手の中でもかなりの人気選手であった。
その後、ヴェルディ川崎へ移籍し、コンサドーレへとやってきた。
しかし、北海道でプレーすることなく審判に暴言を吐き退場。その勢いでチームからも退場してしまった。
何しに来たのかわからない人・・・。
2005年11月07日
本名:パベル・ジュハク(背番号9)
出身地:チェコスロバキア
結局1996年シーズンにペレイラに次ぐ貢献をしてくれた人。
2005年現在、彼はJ1ヴィッセル神戸の監督になりました。
コンサドーレの選手だった人のなかで初めて監督になったのは彼でした。
ジェフ市原からコンサドーレの前身、東芝に移籍してそのままコンサドーレに加わってくれた人。
印象的なのは、腕を骨折してもギブスをしてすっとゲームに出場したこと。
まさに鉄人!
2005年11月06日
本名:オマール・オテーロ(背番号10)
出身地:ウルグアイ
コンサドーレ札幌で初めて10番を背負った男。
FWアルシンドとのコンビは破壊力抜群!冷静沈着なプレーはゲームをコントロールするまさに司令塔・・・だったようですが、実はこの人のプレーを私は生で見た記憶がありません。
私が応援し始めたときにはもうゲームにほとんど出場していなかったように覚えています。この人とアルシンド・リカルジーニョ・クレーベル・マクサンドロは私にとって謎の外国人です。
2005年11月05日
本名:ルイス・カルロス・ペレイラ(背番号0)
※背番号は入団当時のものです
出身地:ブラジル
ご存知「ミスターコンサドーレ」です。
当時のJリーグ最有力チームヴェルディ川崎(現 東京ヴェルディ1969)からきた、JリーグMVPも獲ったほどの実力派DF。彼がそこにいるだけで攻撃の芽を摘み取り、守備も非常に安定しました。
特筆すべきはDF能力だけにあらず、精密なFKはセットプレーでの強力な武器として度々チームの危機を救ってくれました。
私の友人は「ペレイラの芸術的なFKの弾道に感動した!」といってサポーターになったほど。
今考えると、よく当時JFLのチームに来てくれたものです。
ちなみに2005年度現在、DF登録の外国人で彼ほど活躍した人はいませんし、「ミスターコンサドーレ」という冠をつけられたのも彼しかいません。
2005年11月05日
みなさん現在進行形の内容が多いので、私はブログを過去から始めていきたいと思います。
まず、このブログのタイトル。
残念ながら私は某TV局のSアナウンサーでもYアナウンサーでも関係者でも何でもありません。
私が応援を始めて間もない当時は、サポーターは必ずこの言葉を一度は口にしたものです。
例外なく、私も親指を立ててこのフレーズをよく使いました。
写真を撮る時は
「はい、チーズ」
・・・ではなく、横を向いて
「ビバ!コンサ・ドーレ!!」
乾杯する時も当然
「ビバ!コンサ・ドーレ!!」
そんな私がコンサドーレのブログを始めるのも当然この言葉からとしたわけです。
私のコンサドーレの原点はその頃の話ということでした。
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長きに渡りこのブログを読んでいただきありがとうございました。 累計閲覧数はすごい桁になっていて、皆さんの広い心に支えられて来た事を実感します。 コンサドーレと歩んできた当ブログですが、思うところがありこの度閉鎖することにしました。相互リンクをして頂いた皆様、何より拙い文章を読んでいただいた皆様、今までありがとうございます。ここは変に炎上する事もない居心地のいい場所でした。これからは皆さんのブログを見ることを楽しみにしたいと思います。 ブログは更新しないまま今シーズン終了とともに削除する予定でしたが、長年続けてきた蓄積を捨てるのがもったいなくなりましたので、やっぱりこのままにしておきますw
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