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2007年12月12日

aftertalk#1

そんなわけで「classics」第1回をお届けしました。

最初から中盤過ぎの回くらいまではですます調で書いていて、それはたぶんにかしこまった気持ちで書いていたというか、文章と自分の距離を測りかねてよそよそしくなってしまっていたような感じだったのかなあ、と読み返してみて思う。それに第1回だったし、丁寧に自己紹介をするような気持ちもこめて書いていた。核になる文体というのは今でも変わっていないけど。

ただ、考え方だけは変わったなあと思う。
仕事(生活)とフットボールに線を引くという考え方はあんまりなくなっていて、全部一緒くたにして考える、それもこれもまとめてひとつのものとして考えるようになった。線引きしても人生においては特に何も変わらなかったし、ちょっとゆるくしてみてもこれまた何も変わらなかった。なら、ゆるい方がいいだろうと思って今に至っている。20代の始め、就職したあたりはなにごともきっちりとやっていこうという思いがあったんだけど、そのうちに切り替えのスイッチが壊れてしまったというか、ONもOFFもうまく切り替わらないみたいなことになってしまって。
「No Life,No football」という考え方も、年が過ぎるにつれてゆるくなっていった。最初のほうは「生活がしっかりしてなきゃフットボールは見られない!だからがんばって働かないと!」みたいにきりきりしていたのが、今になっては「死んだらフットボール見れねーから生きとくか」てな感じに変わってきている。というか、あの頃は考えすぎていたんだろうと思う。それが良かったのか悪かったのかにかかわらず。ちなみに最初にこのコラムで書きたかったことというのは「人生におけるフットボール」とか、「生活の中のフットボール」みたいなことを考えていて、そこから生まれたのが「No Life,No football」ていうコラムのタイトルだったりする。いわゆる「日常系」を何となく目指していたわけだ(それがどういうことになったのかはおいおい語りたい)。当時様々なサイトで目にするコラムはゲームリポートやフットボール原理主義みたいなテーマに寄っていたものが多かったので、そういうのとは逆のアプローチをしてみたいと書いていたのを覚えている。

あのコラムを書いてから何年も経って、いろいろなシーンに遭遇し、いろいろな人生観が変わった(あるいは変えさせられた)。けど、変わっていないのは「フットボールに救われている」という思いじゃないかな。自分自身の状況にかかわらずフットボールはいつもそこにあって、フットボールを見て、応援すること、勝敗を超えてコンサドーレというクラブが「ここにある」ということだけで救われるような気持ちになったことは数え切れないし、いつかその感謝を何らかの形で恩返しできればと思う。昔も今もそれだけは変わっていない。

posted by retreat |23:52 | aftertalk | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年12月11日

CONSAISM classics #1

ということで、2000年12月に掲載された第1回目のコラム。
明日はこのコラムを読み返しながら「aftertalk」を更新する予定です。


このたび、永井さんよりのお誘いを受けてこのコラムを書かせていただくこととなりました。よろしくお願いします。
 
まずは自己紹介を。
僕は高校卒業後横浜の大学に進学し、現在は社会人一年目の生活を送りつつ、主にアウェイの試合に通い、札幌の応援をしています。そんな僕が応援と仕事(=仕事とサッカーのバランスのとりかた)をどんな風に考え、どんな風に生活しているのか、という事を中心に書いていきたいと思っています。そして、今回は学生時代と現在での僕とサッカーの関わりについて思うことを書いていきたいと思います。
 
僕が札幌を応援しはじめたのは高3の時、厚別での日本電装(現:デンソー)戦からでした(ちなみに、本HPで連載されておられる笹田さんと知り合ったのもこのときです)。それまではTVで見ているだけだったのですが、それだけでは我慢ができなくなった、というのがスタジアムに通い始めた正直な気持ちでしょうか。それ以降厚別には何回か足を運び、自分の住む町にプロサッカーチームがあり、それを応援できるということの幸せを感じ始めていました。しかし室蘭での大塚戦に行ってからはスタジアムに見に行くのをやめました。受験に専念するため、ということで。
当時僕は受験生まっ盛り。サッカーを見に行くことより、それを我慢して勉強するほうが今の自分にとっては大事だと考えたのです。大学に行けば自由な時間も増えて、もっとサッカーを見に行けるとも思っていました。
ちなみに札幌を応援するようになってから志望大学を道内にするということは全く考えまず、第一志望は道外の大学のままでした。アウェイでも応援はできるし、札幌にとどまっているよりも多くの刺激を受けるだろうと思っていたからです。言い切ってしまえば、僕は札幌を応援するためだけに生まれてきたのではなく、それだけの人生なんてつまらない、だから内地に出ていろいろなものを見てこよう、という気持ちがありました。
サッカーと生活にきっちり線引きをするという僕の今のスタイルは、おそらくこのときから確立されていたのでしょう。
 
我慢も実って無事に大学に合格し、横浜へ引っ越してからは、札幌の試合(特にアウェイ)に行くようになりました。どこにあるかもわからなかった試合会場を調べ、そこへいくための交通手段を調べ、97年JFL開幕戦の行われた水戸・笠松へとたどり着いたとき、そこで僕が見たのはホームよりも圧倒的に数の少ない、けれども持つ熱だけはホームに負けない札幌のサポーターでした。
それを見て僕は「ここでは自分が一生懸命声を出さなければ、選手たちを鼓舞できない。そしていずれは、アウェイでも多くのサポーターを集めたい」と思い、本格的にアウェイの試合での応援にのめりこむようになりました。
そうして全国を歩いて行きながら、僕はいろいろなものを見ることができました。知らない町の雰囲気、景色、人のつながり。僕は高校時代に思っていた「サッカーだけではないこと」を、サッカーというきっかけによって得ながら遠征を続けました。
また、当時は学生の特権として時間だけは有り余る生活で、遠征費を安くあげるために鈍行を乗り継いだり夜行バスで往復したりしていましたが、その分応援というものについて深く考える時間がありました。「もっとサポーターを集めるには」「なぜ応援するのか」という問題から応援の方法論、新コール・・・などなど。チームの調子が悪いときには自分も思い詰めすぎて本当に飯が食えなくなったり、応援という物を突き詰めて考えすぎたりしてましたが。
でも今思うと、あのころ考えたことはきちんと自分の応援のスタンスとして生かされているわけで、それはそれで良かったかなと思っています。
 
そうしてサッカーを見、応援し、人と会う事を繰り返して今の僕があるわけですが、それで僕が感じているのは
「自分の生活を支えている物は、サッカーや札幌なんだ」
ということです。
ピッチに漂う雰囲気。選手のプレーとそれに起こる歓声。嬉しかったり、流れを変えたかったりしたくて叫ぶチームの、選手の名前。
別に何かに救われるとか癒されるとかそういうのではなく、言うならばともに前へ進んでいけるものが自分のそばにある喜び、それによって得られる強い気持ち。
それによって僕は日々の生活での心の糧を得て、僕自身前に進めるんじゃないだろうか。(別にサッカーと仕事以外に何もない、というわけではないけど)
そんなことを考えながら、学生時代は試合を見ていましたし、今もその気持ちは変わりません。
 
ただ、今年の春に晴れて会社員となり、自分の生活そのものが劇的に変化しました。その変化に戸惑いながらも僕の支えの一つとなったのは、やはりサッカーであり札幌でした。そんな社会人としての今と学生時代との、サッカーへの関わり方の変化を次回は書いていきたいと思います。 

posted by retreat |22:47 | classics | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年12月10日

リスタート、あるいはキックオフ

J1に昇格したらひとつやりたいことがあった。
むかしコンサドーレのサイトで書いていたコラム、それをおまけ付きで全部アップしてみようという試み。

そしてそれを始めてみる。

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posted by retreat |23:32 | ご挨拶 | コメント(0) | トラックバック(0)

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