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2012年01月27日

マドリードへ

1982年3月17日(水)、バルセロナからマドリードまで列車で移動します。

バルセロナ中央駅からタルゴに乗ります。
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このタルゴは1964年にデビューした3代目で、バルセロナ・マドリード間は約9時間かかります。 (復路は最新鋭4代目振り子式タルゴで8時間でしたが、後日紹介します) 現在は新幹線で2時間40分なので、全然違いますね。 列車は10:25に出発し、カンプノウにほど近いサンツ駅など、市内駅2つに寄ってから延々とスペインの荒涼とした赤茶けた大地を走ります。
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ドンキホーテが出てきそうな風景。
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食堂車では何を食べたか忘れましたが(定食なのは間違いないのですが)楽しく食事できました。 車窓風景を眺めながら食事するのは良いものです。 ちなみに、食事時間の1時間くらいまえにボーイさんが予約をとりに車内を回ります。 手を挙げて予約カードをもらうだけですから、言葉が通じなくても食事にありつけます。 平均すると1時間に1回くらいのペースで途中駅に停車しますが、そのたびに車内放送が4カ国語であります。 最初はスペイン語で、全然わかりません。2番目はスペイン語に似ているからポルトガル語かも知れません。もしかしてカタラン語? どのみちわかりません。 3番目はフランス語。これも全然わかりません。 最後は英語。これならある程度わかるので感激!! これほど英語が嬉しいなんて、笑ってしまいました。 19:17、マドリードに着き、駅で翌々日のバルセロナ行きの指定券を発行してもらい、駅を出てホテルを探しました。 どこのどんなホテルだったか、あまり覚えてないのですが、安宿で、部屋の鍵をかけるのにコツが必要だったり、トイレの水タンクが高い位置にあって、下から鎖をひっぱるタイプ(昔、漫画などでよく描かれていた伝説のタイプ)だったのだけは覚えています。 あっ、あと、トイレットペーパーが堅かった (笑


posted by かもめ |11:16 | 海外旅行 | コメント(4) |

2012年01月26日

バルセロナへ

前回書き忘れましたが、ミュルーズはベンゲルさんが最初にプロで所属した町です。
ベンゲルさんは同じアルザスのストラスブール出身ですからね。
今度ベンゲルさんに会ったら、ミュルーズに行ったことあると言います。(←会わないって)

さて、バーゼルから夜行列車でバルセロナへ向かいますが、スイスやフランスのレール幅は標準軌の1435mm、スペインは広軌の1668mmなので国境で列車を乗り換えます。
タルゴは車輪幅を変換できるので直通できますが、バーゼルからのは乗り換えが必要です。日本で言えば急行はまなすクラスの列車なので、タルゴみたいな豪華列車ではありません。

早朝の5:56にフランスとの国境の町でスペイン(カタルーニャ)にあるポルトボウ駅へ着き、入国審査を行ったのち、7:10発バルセロナ行きに乗ります。
入国審査があるから接続に時間がかかるのはわかりますが、でも1時間14分は長いと思いましたが、観光シーズンはお客が多くて審査に時間がかかるのでしょうか。
でも、今は同じEU圏だからフリーパスなんでしょうか。
急行はまなすクラスの列車に接続する列車だけに、少々老朽化が見える車両です。
写真は2等車のデッキで撮影しましたが、1等に乗りました。(ユーレールパスは1等に乗れます)
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ホームとデッキにこんなに段差があるのはヨーロッパらしいですが、お年寄りは大変でしょうね。 バルセロナまでは車窓から、ときどき地中海が見える2時間ちょっとの旅で、9:39にバルセロナ中央駅に着きます。
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現在はこの老朽化した駅は使用していません。 さて、ここで問題です。 バルセロナ中央駅にある、この大砲みたいな物体は何でしょうか?
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バルセロナ駅に着いたとたん、さっそく大歓待を受けました。 子連れのジプシーの女性が金をめぐんでもらいに来たのです。 それも強引というか、窃盗のレベルです。だって、私のポケットに手を突っ込んできたんですから。 (そのポケットには財布等は入れてなかったけど) 女性の腕を強くつかんで「このやろー!」と言ったら、相手は観念して退散するかと思ったら、なおもしつこく手を出してくる始末には参りました。 バルセロナで最初の予定は、翌日のマドリード行きのタルゴの指定券を発行してもらうこと。紙に日にちと列車名、乗降の駅等を書いて出したから簡単に発券してもらえました。 次に、荷物をコインロッカーに入れようと思ったら、全て使用禁止に。 どうもバスク地方の分離独立運動やっているテロ集団が爆弾を仕掛けるからみたいですね。 仕方なく荷物を持ったまま市内観光に出かけました。 ホテルを予約して荷物を預けようかと思ったりもしましたが、アーリーチェックインと誤解され、追加料金をとられないか不安だけど安宿で英語は通じないだろうし(フランス語なら結構通じるけど、私はわからないし)、諦めました。 朝食を済ませてから、ピカソ美術館等に行きました。カンプノウへは行きませんでした。 写真はバルセロナ凱旋門。
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ピカソ美術館近くでは、またも歓待を受けました。 旅行鞄を持ったままなので目を付けられました。 ある男性が近づき、ティッシュを差し出したのです。私も友人も、背中にソフトクリームが付いているのです。 私は即座に、拭き取っているすきに荷物を盗む手口だとわかりましたが、友人は、「親切な人」としか思ってないようだったので「泥棒だから荷物から手を離さないように!!」と伝えました。 男性から距離を置き、絶えず男性から視線を離さないようにしながら拭き取りました。 男性には嫌悪の視線を浴びせたし、彼は諦めて退散していきました。 連続して危ない目に遭ったのはがっかりだし、不用心な日本人が多くて、日本人がカモにされるのだと思うと、腹が立つやら悲しいやら。 でも、被害がなくて幸いでした。 泊まったホテルは、ホテルガウディーという、安宿ではありませんでしたが、スペインは物価が安いので(当時は日本の半分弱くらいの物価)、良いホテルでも気軽に泊まることができました。 英語も通じるし、グエル邸というガウディーが設計した建物のそばです。 やっぱり朝のうちに予約して荷物を預けたらよかった。 このホテルのエレベーターは、フロント階と客室階のドアは反対側でしたが、こういうのは初めてで面食らいました。 (「なんでドアが開かないのか」と思いましたよ」) 今では日本でも多くなりましたね。


posted by かもめ |11:24 | 海外旅行 | コメント(4) |

2012年01月23日

スイス観光

まず、チューリヒの写真を追加します。駅前です。
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露天のエスカレーターに驚きました。
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日本では必ず屋根が付いていますが、日本は雨が多いからでしょうか。 フランスやスペインも露天のエスカレーターを多く見かけました。 さて、1982年3月15日。欧州旅行第2日目です。 インターラーケンのホテルに泊まったとなると、スイスをある程度知っている人は「ユングフラウへ行くのだな」と思うことでしょう。 でも、当時はユングフラウという、牛乳を混ぜて冷凍庫へ入れるとアイスクリームになる製品のCMがあり、「ホイップして♪ホイップして♪ユウグフラ~ウ~♪」が有名だったので、なんだかミーハーな気がしたし、きっと日本人が大勢いるだろうし、ユーレールパス(欧州鉄道乗り放題パス)は使えなくて運賃がかなり高いこともあるし、モンブランは行く予定ということもあって、ここは諦めて世界遺産のベルンや鉄道博物館などを見ることにしました。 インターラーケン南駅です。
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ここからベルンまで1時間です。 ベルンの町全体が世界遺産です。
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ベルン大聖堂。
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ベルンでは怪しいおっさんがいました。 スリか、目を離した空きに鞄を盗むとかではないかと用心して、視線を離さないようにしたら、消えて行きました。 スイスはヨーロッパで最も治安の良い国のはずなのに、これではあとで行くフランスやスペインはどうなのか、ちょっと先が思いやられます。 実際、パリとバルセロナではスリや置き引き等になんども狙われました。(全て被害はありませんでしたが) ベルンの次はミュルーズへ行きました。 ミュルーズはバーゼル(中田浩二がプレーした町)の隣町で、フランスになります。 ベルンからバーゼルまでは1時間ちょっと。バーゼルで乗り換え、20分くらいでミュルーズに着きます。 ミュルーズはアルザス地方なので、ドイツ領になったりフランス領になったりした土地(小説「最後の授業」の舞台)ですが、アルザスでも最もスイスよりのミュルーズは、かつては神聖ローマ帝国だったし、その後はジュネーブとともにスイスと同盟関係を結ぶ小国だったり、なにかと複雑なのはヨーロッパらしいですね。 で、ミュルーズでは鉄道博物館へ行きましたが、写真がないので絵はがきです。 20120123-05.jpg 20120123-06.jpg 1927年製、直流1500ボルトの電気機関車です。 ミュルーズにはバーゼル空港があります。 旭川空港が旭川になくて東神楽町にあるし、大阪空港の敷地の多くは兵庫県にあるし、新東京国際空港は千葉県にありますが、国境を越えて空港があるのは凄いですよね。 バーゼルに戻ったのは夕刻で、その晩はホテル代を浮かすためにバルセロナまで夜行列車に乗ります。 バーゼル17:59発で、ジュネーブ、リヨン、アヴィニョンを経由してバルセロナへ行く列車に乗りました。 875km、15時間40分の長丁場です。


posted by かもめ |13:44 | 海外旅行 | コメント(3) |

2012年01月22日

スイス・インターラーケンへ

1982年3月14日の正午頃、飛行機がチューリヒに着き、ここから欧州鉄道の旅が始まります。
チューリヒ空港からスイス国鉄でチューリヒ中央駅へ行きました。(現在は路面電車も空港まで乗り入れしているようです)
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チューリヒ中央駅はヨーロッパに多い、行き止まりの駅です。ドーム屋根もそれらしい雰囲気ですね。
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この日は宿泊地のインターラーケンまでの移動だけなんですが、チューリヒで乗り換えに時間があったので、駅前を散策してみました。 路面電車がとまっていたので乗ってみようと思ったら、ポイントのところで脱線して立ち往生していました。
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この写真ではわからないと思いますが、一番前の車輪が左折のレールに乗り、二番目の車輪が直進のレールに乗ってしまって動けないのです。 仕方なく駅近くをぶらぶらすることにしましたが、とても驚きました。 いくら日曜とはいえ、町が静かなんです。 金融の中心地で、とても賑わっていると思っていたのに、都会の喧噪は全くありません。 日本だとチリ紙交換や街頭放送など、何かとやかましいものですが、本当に静かで感心しました。 日本が異常なんだと思います。選挙の街宣もやめてほしいものです。 チューリヒから40分ほどのルツェルンでインターラーケン行きに乗り換えました。 とてもマイナーな路線で、以前紹介したことのある写真ですが、こんなスイスらしいところを2時間走ります。
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ベルン経由の幹線ルートもあるのですが、あえてスイスを満喫するためにこのルートにしたのです。 途中、ブリエンツにも停車します。 ブリエンツからは大井川鉄道と姉妹提携しているブリエンツ・ロートホルン鉄道がありますが、残念ながら冬場は営業していません。 アブト式のSL保存運転をやっているので、いつか乗ってみたいです。 シーズンオフ(スキーシーズンではあるけど)なので列車はがらがらだし、本当にこの列車がインターラーケンに着くのか不安になりましたが、無事目的地に着き、ホテルもとれ、めでたくヨーロッパ初日は終わりました。


posted by かもめ |16:25 | 海外旅行 | コメント(2) |

2012年01月21日

翼よ! あれが巴里の灯だ

私が海外旅行したのは1981年のサイパン、1982年と1985年のヨーロッパの3回です。
今日から10回くらいに渡って1982年の旅行記を書こうと思います。

1982年3月13日に伊丹発成田・アンカレッジ経由ヒースロウ行きのブリティッシュ・エアウェイズのジャンボ機に友人と2人で乗りました。
なぜか成田からではなく伊丹から乗りました。
当時、欧州路線の多くは北回り、つまりアンカレッジ経由でソ連を避ける北極ルートでした。
今は全てロシア上空を通るから、成田からロンドンまでは12時間くらいで着きますが、北回りだと16時間半、伊丹からだと18時間50分もかかります。

伊丹を晩に出て、成田に寄ってから、日本時間で翌早朝にアンカレッジに寄港しました。アンカレッジ時間は前日の午後の早い時間帯で、なんだか変な気分。
アンカレッジ空港ターミナルを散策して気分転換しました。
ターミナル内だけで入国手続きとかはしなかったものの、私の唯一のアメリカ体験でした。(1981年のサイパンは、まだアメリカの準州になる前なので)

アンカレッジを出ると、大雪原に蛇行した大河が流れるだけで、他に何もない(人工物は皆無)の景色がずっと続きます。
同じ所をぐるぐる飛んでいるのかと思うくらい、1時間以上飛んでも全く景色が変わらず、スケールの大きさに驚愕しました。
やがて日没しました。
外が真っ暗になったと思ったら、なにやら不思議なものが見えてきました。
オーロラです。
オーロラが見えるなんて思ってもなかったのでびっくりしました。
本当に素晴らしいものでした。私が50年以上の人生で、最も素晴らしい景色でした。
こんな素晴らしいものが見れるのに、ほとんど全ての乗客は眠っていました。
機内アナウンスで叩き起こしても良いのではと思いました。

ヒースロウに着いたのは現地時間で早朝。時差ボケというよりは機内泊でちょっと疲れました。
珍しい飛行機が沢山駐機していました。(写真はぶれてます)
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727に似ていますが、これはトライデントです。 これに乗れたらいいと期待したのですが、乗り換えのチューリヒ行きの便は737でした。 乗り換えたチューリヒ行きの飛行機がヒースロウを飛び立つと、まもなくドーバー海峡を渡り、しばらくフランス上空を飛ぶと、大きな町が見えてきました。 もしかして、そうだ!! 翼よ! あれが巴里の灯だ。
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右の長方形の緑はブローニュの森でしょうか。 その下の放射状になっている道路の中心が凱旋門に違いありません。 凱旋門から左下への道がシャンゼリゼ通りで、その突き当たりの緑はコンコルド広場と宮殿。 その左に弧を描いているのがセーヌ川。 こんなにはっきりパリの町が見える遊覧飛行のサービスに感激でした。 (写真は少し霞がかって見えますが、肉眼では良く見えました) 次回はスイスです。


posted by かもめ |09:23 | 海外旅行 | コメント(4) |

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