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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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2009年01月17日
中学2年のとき、C-62の復活運転があり、小樽まで行ったのですが、ブレなどで上手く写真が撮れず、こんなのしかありません。1973年5月3日。小樽・塩谷間。 71年に急行ニセコの牽引から引退しましたが、73年に一時復活運転したのです。 悔しいので3日後に小樽築港機関区に行きました。止まっているSLなら上手く撮れると思ってのことです。 しかし、車庫に入ってお尻しか見えません。 この日はもう業務終了で、車庫から出ることはありませんでした。こなんことがあって、私はC-62が嫌いになりました (笑 嫌いになったというのは冗談ですが、それよりも他の機関車が好きになったのは事実です。 ちなみに、C-62のような、軸配置が2-C-2のタイプをハドソンと呼び、最初のコンサの胸スポンサーのハドソン社は、創業者兄弟がC-62のようなハドソン型SLが好きで、社名をハドソンにし、郵便番号が062になるよう、月寒に本社を置いたそうです。 そんなこともあって、コンササポになってからはC-62が好きになりました(笑 JR北海道が88年から95年まで、再度、復活運転していたけど、自動車でいうと車検にあたる検査に1億円もかかるため、運行をやめてしまったのは残念です。 北海道の大地にC-11じゃ、ちょっと物足りませんね。
2009年01月16日
あのころ国鉄はしょっちゅうストやってたけけど、SLの撮影名所を走るSLが団結号はないでしょう。73年5月3日。栗丘-栗山間。ちなみに、重連の後ろはC-57。C-57が貨物を牽引するなんて、サラブレッドがばんば競争に出るようなものでしょう。凄い違和感。 栗沢駅です。73年1月。今日の晩ご飯はイオン旭川西店の香港厨房。左は餅米肉団子。横浜にいたとき、中華街でよくこれを食べました。 横浜スタジアムで大洋ホエールズを観たあとに中華街によく行ったんです。
2009年01月15日
今日は開業して初めて本格的な吹雪。待合室からの写真ですが、あまり吹雪いているように見えないか。237号に出たところの写真。踏切の向こうの左側が神楽岡駅ですが、見えませんね。今日のイコフの日替わりランチ。写真では何だかわかりにくいですが、「魚のおろし煮+チーズ入り竹輪のテンプラ」。630円。 鯖や秋刀魚の煮付けだったらがっかりかな、なんて思っていたのですが、これはタラの唐揚げにおろしダレ+生姜を載せたもので、とっても美味しかったです。 また今度同じメニューのときは出前とります。イワシ煮でないことを祈ります(笑
2009年01月14日
自宅ではよく見かけるアカゲラですが(というか、うちの軒天に住んでいる)、神楽にあるうちの診療所の隣の庭で見かけました。 以前オオドサが、朽ちた木のキノコを食べると言ってましたが、そのようですね。 院長室からこんな光景が見えるなんて、素晴らしい。今日のイコフの日替わりランチ。630円。 酢豚だと思うでしょう。「鶏の唐揚げ甘酢あん」です。よーするにチキンを使った酢豚料理ですが、私は酢豚よりもこの方が好きです。古い写真を整理していたら、ネガの袋がこんなのでした。 全然流行らなくて、短命でしたね、
2009年01月12日
今朝、庭にエゾリスが来ていて、カメラを用意したときにはお隣のベランダに上がっていてそして、なんと、壁をよじ登って行きました。写真は、木製サッシを伝って降りるところですが、その前にコンクリートの打ちっ放しの壁をよじ登ったのです。 リスは木登りが得意なのは知ってますが、スパイダーマンみたいに壁を上るとは驚きました。 嬉しいことにそのあと、私の部屋の直ぐ横の木を登りました。森を散策すれば、5~6メートルの距離で見かけることはよくありますが、3メートル程度の近い距離で見たのは初めてです。 私と目があっても逃げなかったのに、猫(うちの)がやってきたら逃げてしまいました。 今年はアルディージャとの対戦は(天皇杯は別として)ないですけどね。
2009年01月11日
兄のブログで、早くも富山を喰らうやってますので、こちらでもやっておきます(笑昨日のイコフのランチ。シーフードピラフ。630円。 見た目は地味だけど、よく見るとアサリ・ホッキ・エビなどが沢山入ってます。 土曜は野菜サラダが付くので(親子丼のときは別)、良いですね。 普段もサラダが付くなら、うちのスタッフももっとイコフさんから出前とるのだけど。SUZUKIのシボレー。 当初、これを買うつもりだったのが、これなんだっけ? マツダの赤黒に決めたのに、結局買わずに車は1台だけになりました。
2009年01月10日
私が中学2年の夏休み、札幌から旭川に行って撮った写真です。1973年8月13日、めちゃ暑い日でした。人生で最も暑い経験をしたし、その半年後には、同じく旭川で人生で最も寒い経験をしたので、旭川だけは住みたくないと思ってしまいました(笑 旭川発稚内行普通列車で、旭川駅を出てまもなくの地点。 (宗谷線なのに架線があるので、旭川機関区の手前だとわかりますね) 昨日の塩狩峠の写真と同じく、C-55 50号機です。旭川機関区には、C-55 30号機が扇形車庫に入ってました。さて、何が偽装なのかというと、C-55 30号機を手宮の北海道交通記念館(現・小樽市総合博物館)で保存展示することになっていたのに、一時保管していた国鉄苗穂工場で、間違って解体してしまったのです。 そして、急遽、旭川に残っていた C-55 50号機を、手宮で展示することにしたのですが、なんと、50号機に30号機のナンバープレートを取り付けて30号機に偽装したのです。 直ぐにばれてしまってナンバープレートは元通りにしたけど、足周りにある刻印は、5の上から3を押した痕が残っているそうです。 だけど、50号機でも30号機でも、同じC-55なんだし、たいした問題でもなく、わざわざ偽装するなんて変だと思いませんか? 実は、50号機と30号機は全然違うのです。 30号機は流線型C-55、21両のうちの1両なんです。 50号機とは違って、とてもとても貴重な財産だったのです。 もちろん、戦後まもなく完全に流線カバーは取り外していましたが、そのなごりがよく見える機関車だったのです。その特徴がよく見える写真はこのサイトにありますので、ご興味あればご覧下さい。 運転台の上の屋根が、ロンドンの地下鉄みたいに深くカーブしています。 (頭がつかえそうです) 偽装に関しては、WikiでC-55のページにも書いてあります。1948年、尾久機関区。足周りのカバーははずしてますが、頭部やボイラーあたりのカバーは戦時中も付けていたのですね。 レーダー波を反射するステルス機、のわけないか。
2009年01月09日
今日、旭川の気象台観測では、マイナス16.6度。 江丹別はマイナス22.7度。 我が家は約19度で、忠和の新道にある温度計も19度を表示してました。診療所も暖房能力が少し不足して、朝のうちはちょっと寒かったです。 来年はエアコンが付いているはずなので大丈夫のはずですが、今年はなんとか乗り切らないといけないのですが、連休中になんとかする予定です。 1974年1月に塩狩峠にC-55を撮影に行きました。 中学2年のときで、友人とユースホステルに泊まりました。宗谷線のSLはこの10ヶ月後くらいに廃止になり、このSLは現在、手宮の小樽博物館に展示されています。 本当は別のC-55が展示されるはずだったのですが、SL偽装事件は明日にでも書きます。今日のイコフのランチは、豚のすきやき風&かぼちゃのテンプラ。 以前、披露してますが、今日は凄いボリュームだったので、また写真撮りました。 もう少し少なくて大丈夫なんですが・・
2009年01月08日
ここはどこでしょう?9600が入れ替え作業やってます。答えは月寒駅です。南郷通にあるアサヒビールの工場の裏にありました。 写真は、1973年9月。 となりの駅です。「つきさっぷ」の下が塗りつぶされているのは、定山渓鉄道の「とよひら」駅です。 この写真の4年前に定鉄は廃止されています。 現在この場所はコンベンションセンターになってます。ホームから駅舎の間は、すでに線路が撤去されていますね。 ところで、1月2日のSLの写真は、1974年1月5日でした。 旭川機関区や塩狩峠でのC-55の写真も見つかったので、明日以降披露したいと思います。 中学2年のときはSL撮影に燃えてました(笑昨日のイコフさんのランチ。チロルハンバーグとサツマイモのてんぷら。630円。 予想通り、チーズが乗ったハンバーグで、期待通り、美味しいデミグラスソースでした。 なぜかマットは阪神バスのタオル(笑 それにしても、なかなかコンサの日程の情報が入ってきませんね。 1節がドームというのはわかりますが(その可能性は十分あるとは思いますが)本当にカターレなのか?
2009年01月05日
オオドサのブログで、大夕張鉄道が話題になったついでに、夕張鉄道の写真を披露します。野幌駅1973年5月12日です。(後ろに石炭列車が見えます) 夕鉄の廃止後、これと同型車(まさにこの車両かも?)が鹿島鉄道に譲渡され、07年3月31日の廃線まで走ってました。 北海道初の液体式気動車で、非常に歴史的価値のある車両です。 車両は小美玉市に保存されていますが、残念ながら現在のところ公開されていません。 石炭列車を引くDD1000(国鉄のDD13と同型)。73年7月。 運転台の写真は、上の写真と同じ、ディーゼルカーです。
2009年01月04日
正月休みは今日まで6日間でした。 でも、いろいろやることが多く、結構ハードでした。 この写真を見て下さい。受付が狭くて、物の置き場所に困っていたので、後ろの壁をぶち抜いて棚を作りました。 壁の後ろはストックヤードなので、後ろ側の見た目は関係ないし、スペースがあった分、楽でした。 左上が斜めなのは、階段があるからです。(2Fはかつて、スタッフルームでしたが、院長室をスタッフルームにして、技工室を院長室に改造したので、2Fは使ってません) 札幌の母の所で2泊したし、うちは医療機関なので、月初めはレセプト作成もあるし、そしてこの大工仕事もやったので、あまりゆっくりできない正月でした。 雪かきをほとんどしないで済んだのは楽でしたが。1973年頃、沼ノ端付近を行くD-51です。
2009年01月03日
今年のコンサの日程が気になります。 早く知りたいけど、正式発表はまだ1ヶ月も先か。 またSLです。 たぶん、私が中学2年の1973年の写真だと思いますが、苫小牧(正確には沼ノ端・遠浅間)で撮ったものです。以下は岩見沢第一機関区。ちなみに、1963年2月の機関車分布図を見ると、岩見沢や苫小牧、鷲別、室蘭など、室蘭線にはC-57は配属されてなかったです。(室蘭にC-55ならあったけど) このころ、室蘭線の客車は主にD-51が牽引していたのだろうか? まあ、本来、C-57は急行型機関車だから、主に幹線に配属されていたのだし(苗穂にあった)、幹線の無煙化が進んで来てから室蘭線などの亜幹線に廻ってきたのでしょうね。
2009年01月02日
母の家でオオドサとSLの話題になり、万字線で石炭列車を牽引していた機関車は何かという議論になりました。 オオドサはD-51ではないかとのこと。 私は記憶にないのですが、客車をC-11が牽引していたくらいだから、軸重制限があり、9600が牽引していたかも、と思ったのですが、ここ をみたら、D-51が走っていたのですね。 ちなみに、展示している「みなみ公園」は岩見沢東高が昔あった場所ですね。 ここにはC-57も展示してます。 ちなみに、軸重(最大軸重)ですが、9600は13.41トンなので、多くの線区に入線可能ですが、D-51は 一次型(ナメクジ型)が14.3トン、2次型が14.63トン、3次型(戦時型)で15.11トンです。 幹線の函館本線だって、標準型のC-62の16.08トンは無理で、軸重軽減改造して14.96トンにして急行ニセコを牽引していたくらいだから、万字線で戦時型D-51を運用していたかどうかはわかりませんが、1次型と2次型が走っていたのは確認しました。(個人のブログ程度ですが) 岩見沢第一機関区に戦時型D-51はあり、室蘭本線では運用していました。(写真は栗丘です)戦時型は砂箱と蒸気だめのドームが角張っているので、横からみたら即座にわかります。
2009年01月01日
おせちは2万1千円のを買いました。 冷凍ものなので、一部、今一つのものもありましたが、満足の内容です。 一番美味しいと思ったのは、からすみです。写真右で、ロブスターの隣にあり、一見、ゆで卵のスライスに見えるやつです。(すり身で巻いています) あと、ミカンの壺に入って、この写真では見えませんが、なまこの酢の物が絶品でした。 全然酸っぱくなく、柔らかで最高でした。 クルミも凄く美味しかったし、まあ、どれも上品に良く調理されています。 私が嫌いななますだって、薄味で上品で食べることができました。 注文したのは小樽の水産会社ですが、大阪の会社に下請けに出していて、岡山の食品工場で製造したものでした。 (あわびは別に調達したものです)初詣するオオドサ。といっても、大晦日なのでフライイングですが(笑 隣のモニターでは、唯一、ホームゲームで勝った試合を放映していて、着いたら直ぐにダヴィと柴田のゴールが見られてよかったです。
2008年12月31日
昨日の道新スポーツは、珍しくコンサの記事で1面が埋め尽くされていました。30日のランチは2条8丁目(旭川)のソバ屋、鶴天さんでかしわそばと五目ごはんのセットを食べました。 道新スポーツはここで見ました。 本当は天ぷらそばを食べようと思っていたのですが、石崎さんの記事を目にして、レイソルソバにしました(笑 ランチのあと、札幌の母の家へ行き、オオドサも夕方に着き、3人でごちそう食べました。
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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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