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2009年01月17日

コンサゆかりの? C-62

中学2年のとき、C-62の復活運転があり、小樽まで行ったのですが、ブレなどで上手く写真が撮れず、こんなのしかありません。
20090117-00.jpg
1973年5月3日。小樽・塩谷間。 71年に急行ニセコの牽引から引退しましたが、73年に一時復活運転したのです。 悔しいので3日後に小樽築港機関区に行きました。止まっているSLなら上手く撮れると思ってのことです。 しかし、車庫に入ってお尻しか見えません。 この日はもう業務終了で、車庫から出ることはありませんでした。
20090117-01.jpg
こなんことがあって、私はC-62が嫌いになりました (笑 嫌いになったというのは冗談ですが、それよりも他の機関車が好きになったのは事実です。 ちなみに、C-62のような、軸配置が2-C-2のタイプをハドソンと呼び、最初のコンサの胸スポンサーのハドソン社は、創業者兄弟がC-62のようなハドソン型SLが好きで、社名をハドソンにし、郵便番号が062になるよう、月寒に本社を置いたそうです。 そんなこともあって、コンササポになってからはC-62が好きになりました(笑 JR北海道が88年から95年まで、再度、復活運転していたけど、自動車でいうと車検にあたる検査に1億円もかかるため、運行をやめてしまったのは残念です。 北海道の大地にC-11じゃ、ちょっと物足りませんね。
20090117-02.JPG


posted by かもめ |16:38 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(5) |

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この記事に対するコメント一覧
シロクニを嫌いな人はいるのか?

>コンササポになってからはC-62が好きになりました(笑

昨年、高知の知人(35歳女性教諭!駅ホームコール、車内アナウンス好きの鉄子さん)
と梅小路に行きました。C62の二号機と三号機があって二号機はカマに火が入っていて、
近くに行くと熱を感じました。彼女は「初めてのシロクニに感激!」と放心状態でした。

どうして?と聞くと「どうしてこんな線路にこんな大きな機関車がいるの?」でした
やはり、あれは圧倒的な感じですねェ。

posted by 大阪の道産子| 2009-01-17 18:50

Re:コンサゆかりの? C-62

ここでツッコミを入れても仕方がないのですが…。

> 大阪の道産子さん
梅小路にあるのは1号機と2号機です。
3号機は苗穂工場に保存されています。
#例年苗穂工場公開の時に乗車できます。

posted by ncsa3809 | 2009-01-17 20:10

Re:コンサゆかりの? C-62

>ncsa3809さん 失礼しましたm(_ _)m

見間違いか思い違い?でした。鉄道では弟のカモメに比べ甚だ素人なのでお許し下さい。

posted by 大阪の道産子| 2009-01-17 21:14

Re:コンサゆかりの? C-62

ncsa3809さん、コメントありがとうございます。

僕も2号機と3号機と、よく間違えますから気にしないで下さい > オオドサ

2年前にオオドサと梅小路に行ったときも、C-62がスチーム号を牽引してましたね。
やはり、狭軌におけるマンモス機関車がトロッコ列車を牽くのは、あまりにミスマッチでしたね。
WikiのC-62のページに、ちょうどオオドサと一緒に行った頃の写真が載ってますよ。

ところで、最初の写真では、発電器を駆動する蒸気タービンから蒸気が沢山出てますね。
(正しくは、蒸気は無色透明で目に見えなく、白いのは凝結した水、すなわち「湯気」と言うべきなんでしょうけど)
下り坂を降りているのだから、車軸から発電器を回せば効率良いのだろうし、エネルギーの無駄だと思ってしまいます。
たしか、蒸気タービン発電器は2基あるはずですから、1
基を蒸気タービン、1基を車軸から回す設計にしたらよまったのではないですかね?

posted by かもめ| 2009-01-17 21:47

Re:コンサゆかりの? C-62

1969年10月(旭川まで電化したとき)の時刻表の写真を追加しました。
札幌・函館間は急行ニセコで、ちょうど6時間だったんですね。
今の倍ですね。
ちなみに、当時室蘭線経由だと、北斗が4時間半、おおぞらやおおとりが4時間25分などでした。

posted by かもめ| 2009-01-17 21:59

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