2007年03月28日

忘れるために。-超私的追悼-

私的な日記にて追記とします。

彼は医師だった。
同じ病院の同じ病棟に配属された。
私は配属されたのであって、彼は希望してきたのだ。
いわゆる○○科ってやつを。
今は制度が微妙に違っているけれど。
医学部は6年制なので、普通に卒業し国家試験を通ると
24歳くらいかな?
でも、彼はもともと医学部ではない、まったく別の分野の学部にいて、
医大に入り直して医師になった。
だから、同期の医師たちからは先輩のような年齢だった。
私はまだ20歳くらいだった。

それでも働き出したのは同じ時だから
右も左もわからないのは同じ。
特別に親しくなる機会もない状態ではあったが、何年も共に
いると、お互いの成長ぶりにびっくりすることがあったり、
だんだん意見し合うようになる。
仲良くなった。「喧嘩するほど仲がいい」まったくその通りに。

彼は、自分に自信を持っていた。
決断するのに時間はかかる。しかし一度決断したならば
崇高なくらい、いやアホなくらい、固執した。

ある夜の勤務の時に、彼の患者さんの緊急検査のため、他の科の医師
とともに、緊急で検査室に降りた。
病棟勤務の自分だが行くしかなかった状況だった。
しかし一通りの手順は把握してる。やってやる。
患者さんは私たちを知っていてくれている。
初めての医師やスタッフばかりだと不安に違いない。
無理をしてでも降りていった。
うまくいった。
彼が言ってくれた。
「君でよかった」

いい仕事ができたと思った。

それから何度か2人で飲みにいった。
彼が最初にいた大学のポプラ並木も一緒に散策した。
ロバみたいなポニーかな、なにかいたな。
野球が好きで、さっぱりわからなかったが聞いていた。
彼が好んでいた居酒屋は、今思い出しても、どこかわからないくらい
袋小路の冴えない雑居ビルの中にあって、汚くて、マスターというのか
店主というのか、いずれにしろ、何もかもが冴えない店だった。
野球の話になる。
わからない。
「ヒットってなにか知ってるか?」と聞いてくる。
ホームランの一歩手前で入らなかったってことでしょ?
そう言うと、本当に楽しそうにお腹かかえて店主と笑っていた。
違うよ・・・ぜいぜいしながら説明してくれたけど、よくわからなかった。

回診などについていく。
たまに 患者さんに本気で怒ったり、それが真実の怒りならばわかるが、
まるで自分の鬱積した思いをぶつけるような言い回しだったりしたことが
あった。
病室を出てから言う。
今の言い方はいけない。違う。あんな態度とるべきじゃないよ!

しばらく病棟の廊下に佇んで考える仕草をみせ、
「だな。俺が悪かったな」
そう言うと白衣の裾をひるがえして病室に戻る。
聞こえてくるのは
「すみません。さっきは自分が間違った態度をとってしまいました。
 でも、僕は信じているんです。真剣なんです。わかって欲しくて。
 でも謝ります。またあとで来ます」
そんな声。

大好きな医師だった。

そう。医師として、尊敬していた。
一番最後に覚えている彼の言葉。
「俺と患者さんは戦友みたいなものなんだよ」

残していってしまったんだね。馬鹿野郎・・・

でも、もう忘れるよ。それが一番の望みだろうから。
言いたくない。でも言う。
バイバイ。

posted by aru |10:49 | 日記 | コメント(3) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:忘れるために。-超私的追悼-

そうですか 40代半ばで…。

自分の知人や親類を亡くすたびに思うのですが
自分もいずれ寿命が尽きる時がくるわけで
その時 何か残せてるだろうか と漠然と思ったりします。

そんな意味でも 今の思いの欠片をぶつける意味でも
また こうして 吐き出して 整理して 日常に戻るためにも
ブログの存在は 役立ってるんじゃないでしょうかね。

aruさんも どうか刻み続けて下さい。

posted by kazua510 | 2007-03-28 15:04

Re:忘れるために。-超私的追悼-

ビリ-バンバンの「さよならをするために」が頭の中でリフレインする中で・・・

いつでもどのような場合でも死に別れというものは哀しく切ないものですよね

尊敬と戦友と、淡い恋心があったようですね
それとaruさんの書き方ではから推察すると自死のようにとれるのだけど、
それは考えすぎなのでしょうか・・・
ただ、どのような場合でも自殺だけは肯定したくないし認めたくもないし、
絶対にやって欲しくない

ちょうど2年前の3月23日に高校時代のクラスメ-トが4~5カ月の闘病生活の末、白血病で逝った
まわりとは音信不通だったので、そのことはだいぶ後になってから知らされた

夏の甲子園に出場し、スポ-ツ万能だった・・・  49歳・・・  若いよね

でもね、忘れようとするとかえって忘れられないもので、人間というのは自然と風化して記憶が薄れていくという素晴らしい能力があるよ
ただし、時々思い出すということをしなければね

posted by にゃんこ| 2007-03-28 19:15

Re:忘れるために。-超私的追悼-

>kazua510さん
 読んで下さったんですね。有難うございます。
 彼が生きた証しを残したかった。私がすることではないけれど、ここなら安心して
 書けると思ったんです。
 私も このたびはいろいろなことを考えさせられました。
 納得したくなかった。受け容れがたかった。
 でも、残してくれたものを思い出して、感謝しています。
 我々も、何かを残していきたいですね。
 ほんのささいなことでも、何か残して終わりたいですね。
 kazua510さんのサイト、素敵ですね。ブックマークしました。
 リンクフリーなら、させて欲しいです。

>にゃんこさん
 まさに同士というか戦友だったなと感慨深く思う彼でした。
 それとご推察の通りです。
 誰も彼もが目を耳を疑いました。いけません。
 にゃんこさんの同級生の方と同じ年齢でしたよ。
 まだまだこれからでした。病気と闘われてる人たちをあれほど知っていたのに。
 たくさんの人に慕われていた。たくさんの人が心の整理をするのに大変な思いをする。
 そうですね。人間は忘れるという力を持っていますね。
 その力を信じて 生きていきますよ。

このようなエントリを許して下さったあらゆる皆さまに感謝です。
有難うございました。

posted by aru| 2007-03-29 02:07

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