2005年11月16日
アシスの巻
本名:ロベルト・デ・アシス・モレイラ(背番号10)
出身地:ブラジル
前年J1降格となったコンサドーレは監督を含む不動の外国人センターラインを総入れ替えして「1年でJ1復帰」をスローガンに、前日本代表監督の岡田武史氏を招聘し、巻き返しを図ります。
その年の外国人補強の目玉がアシスでした。
しかし、その存在感を誇示できるプレーと言うよりはソツのない堅実なプレーに終始した彼です。もちろん、外国人選手としては決して能力的に劣るわけもないのですが、サポーターとしては今までのマラドーナ・バルデスの超人的なプレーを見てしまい目が肥えてしまっていたので、堅実なプレーだけでは物足りなくなっていた感もありました。
彼の実弟は現在スペインのFCバルセロナに在籍しているあのブラジル代表10番の「ロナウジーニョ」選手です。現在、アシスはロナウジーニョの代理人として第2のサッカー人生を歩んでいます。
余談1
ロナウジーニョ選手の本名はロナウド・アシス・モレイラ。
そう。彼もアシスなんですよ。
余談2
ジュビロ磐田でプレーしたグラウ選手。
実は彼の代理人もアシスだったという話を聞いたことがあります。
posted by ykk-i |21:05 | 助っ人列伝(個人的雑感) | コメント(0) | トラックバック(0)
2005年11月16日
御礼
今日、何気に第3回アクセスランキングを覗いてみたら、なんと!この「ビバ!コンサドーレ」が第48位にランクインしているではないですか!!
毎日地道に更新して、「今日はどの助っ人のことを書こうか?」と自己満足のブログがこんなにも人から見ていただいていたことは、正直言って大変うれしいことです。
コメントやトラックバックなどの反応がないので、「誰も見てないだろうし、自分のコンサドーレデータブックを作るつもりで書いていこう」と気楽に考えていました。
1回の内容は薄いのですが、「あ、こんな選手いたな~」と懐かしんでもらい、多少なりともみなさんに話題を提供することができたらいいな~と思っています。
マメに更新を心がけていきますので、一見さんも常連さんも・・・1日にどのくらいの方が来ていただいているのかもわかりませんが、よかったら今後ともよろしくお付き合いのほどお願いいたします。
posted by ykk-i |20:54 | ありがとうございます | コメント(0) | トラックバック(0)
2005年11月16日
バウテルの巻
本名:バウテル・ヘンリケ・デ・オリベイラ(背番号 8)
出身地:ブラジル
JFL時代のコンサドーレのライバルチーム本田技研から移籍してきた。
本田技研がスタジアム整備などの関係からプロ化できなかったことからプロであるコンサドーレに移籍してきました。
こんな話は今となってはありえないような話ですが、当時はプロ化したばかりの状況で、こういう話もアリでした。
さて、当時ウーゴも在籍していましたが同じポジションを争うライバルという形で入団したバウテルですが、ウーゴほどの派手なプレーでの存在感はなかったものの、その堅実なプレーは幾度もチームの危機を救ってくれました。
posted by ykk-i |05:26 | 助っ人列伝(個人的雑感) | コメント(0) | トラックバック(0)
2005年11月15日
キム・ジョンゾンの巻
本名:金鍾成(背番号:45)
出身地:韓国
コンサドーレ初のアジア人助っ人FW。
しかし、うかつにもその存在を忘れてしまっており、この順番で書くことになってしまったが、1996年5月にチームに合流しました。
決定力・・・という面では、翌年加入するバルデスには及ばず、後日彼自身も「私は札幌のバルデスになれなかった」と述懐していたとか・・・。
しかし、懸命なプレースタイルは確かにサポーターの心を熱くさせてくれました。
posted by ykk-i |07:56 | 助っ人列伝(個人的雑感) | コメント(0) | トラックバック(0)
2005年11月14日
ディドの巻
本名:ハーフナー・ディド(背番号:1)
出身地:オランダ
日本国籍を持つオランダ出身の頼りになる背番号1
ディドは日本国籍を持っているので、彼のほかに3人の外国籍選手が出場できます。それによって「ディドーペレイラーウーゴーバルデス」というしっかりとした縦ラインが形成され、それがこの年のコンサドーレの強さの要因でもあったように思います。
このしっかりした縦ラインがあったこともあり、翌年コンサドーレは念願のJ1昇格を果たすのです。
彼らがいたこのころが第1次黄金時代でもあり、ゲームを見に行くのが非常に楽しみであったことを今でも覚えています。
ディドはその後、GKコーチとして現役引退後もチームに残ってくれました。そして、佐藤洋平や藤ヶ谷陽介ら優秀な後進の指導に当たってくれたのです。
コンサドーレにとって、ディドは大恩人なのです。
彼がS級ライセンスを取って監督として戻ってくることを密かに夢見ています。
posted by ykk-i |20:24 | 助っ人列伝(個人的雑感) | コメント(0) | トラックバック(0)
2005年11月13日
ウーゴの巻
本名:ウーゴ・エルナン・マラドーナ(背番号10)
出身地:アルゼンチン
ご存知世界のスーパースター「ディエゴ・マラドーナ」の弟。
小柄な身体から繰り出されるパス・クロス・FKは、まさに芸術的。
特にFWバルデスとの通称「ホットライン」は破壊力抜群で、この2人で攻めに行っても十分勝てるんじゃないの?と、思ってしまうほど。
現時点(2005年)ではコンサドーレ史上、最強のパサーであり、FKはペレイラ・ウーゴ・ウィルの3人が最強だと信じています。
posted by ykk-i |09:51 | 助っ人列伝(個人的雑感) | コメント(0) | トラックバック(0)
2005年11月12日
スーパースターの兄弟
コンサドーレには世界的スーパースターの兄弟が入団しています。
ウーゴ・マラドーナはいわずと知れた元アルゼンチン代表の世界的スーパースターのディエゴ・マラドーナの弟ですし、アシスはFCバルセロナに所属しているブラジル代表のロナウジーニョの兄だと言うことは周知の事実。
次にくるスーパースターの兄弟は誰だろう?
いや、兄弟じゃなくてもいい。
シェフチェンコのいとこでも、ネドヴェドの義理の弟でも、ビアホフの甥でもフリットのはとこでもいいから、魅力的なプレーを見せてくれる人がきてくれるといいな・・・。
あと、ホームシックで帰らない人がいいな・・・。
posted by ykk-i |08:35 | コンサドーレ的妄想話 | コメント(1) | トラックバック(0)
2005年11月12日
バルデスの巻
本名:ホルヘ・デリー・バルデス(背番号 9)
出身地:パナマ
「本物のストライカーをはじめて見た!」
という感想を持った選手です。まさに、ゴール前の得点感覚などは圧倒的なパナマ代表のストライカー。
プレーはゴール前ならある程度の荒れ球でも、その驚異的な身体能力とセンスで得点に結び付けてしまうという怪物。
特にウーゴ・マラドーナとのコンビは「ホットライン」と呼ばれ、「わかっていても止められない」というプレーで相手チームのDF・GKを震え上がらせました。
1997年5月25日に厚別で行われた川崎フロンターレ戦の大逆転勝利の立役者。今でも語り草になっているこの試合は、バルデスがいたからこそ成り立った奇跡だと思います。
ちなみに、噂では彼には双子の兄弟がいて、兄弟揃ってプロサッカー選手なんだそうです。
本当に「頼りになる助っ人」第2号です。(第1号はペレイラ)
「厚別不敗神話」ができたのも、彼が在籍していた頃の話です。
posted by ykk-i |04:47 | 助っ人列伝(個人的雑感) | コメント(0) | トラックバック(0)
2005年11月11日
吉成大の巻
本名:ダビド・ソニア・ヨシナリ(背番号:39)
出身地:ペルー(日系3世)
「ダビ」の愛称で一部のサポーターからも熱烈に支持された若手MF
しかし、入団初年度は彼以外の外国人が5人(ペレイラ・アルシンド・オテーロ・ヨゼフ・ルボシュ)いて、出場がかなわずサッカー修行のため一時帰国し技を磨いて翌年チームに帰って来た。
・・・しかし、翌年のチームにはバルデス・マラドーナ・ペレイラという不動のレギュラー3人衆がいたため、彼らからレギュラーを奪うことができず試合出場機会もほとんどなかった。(ウーゴとレギュラー争いしたのでは、彼がかわいそうというもの)・・・ちなみにディドは日本人としての登録です。
育成路線の昨今であれば彼のような存在も非常に光ったことでしょう。今考えると、出現が10年早過ぎた逸材であったと思います。
posted by ykk-i |07:40 | 助っ人列伝(個人的雑感) | コメント(0) | トラックバック(0)
2005年11月10日
ヨゼフの巻
本名:ヨゼフ・ジノ(背番号:忘れました)
出身地:チェコスロバキア
ルボシュとともに7月にチームに入団した東欧シリーズ第3弾。
しかし、チームにはすでにペレイラ・パベル・ルボシュ・(オテーロもまだいた)という関係から外国人枠は埋まってしまっていたので、出場機会がほとんどなかった。
しかし、9月。いよいよ公式戦デビュー!
相手は強豪本田技研でしたが、この試合に勝利を収めますが守備の要ペレイラが負傷退場。長期戦線離脱を余儀なくされたため、しばらくはスタメンに定着するも、あまり印象には残らなかった。
posted by ykk-i |03:43 | 助っ人列伝(個人的雑感) | コメント(0) | トラックバック(0)