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長きに渡りこのブログを読んでいただきありがとうございました。 累計閲覧数はすごい桁になっていて、皆さんの広い心に支えられて来た事を実感します。 コンサドーレと歩んできた当ブログですが、思うところがありこの度閉鎖することにしました。相互リンクをして頂いた皆様、何より拙い文章を読んでいただいた皆様、今までありがとうございます。ここは変に炎上する事もない居心地のいい場所でした。これからは皆さんのブログを見ることを楽しみにしたいと思います。 ブログは更新しないまま今シーズン終了とともに削除する予定でしたが、長年続けてきた蓄積を捨てるのがもったいなくなりましたので、やっぱりこのままにしておきますw

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ロブソンの巻

2005年11月29日

 本名:ロブソン・ルイス・ペレイラ・ダ・シルバ(背番号9)
 出身地:ブラジル

 柱谷体制の中、ウィルの後釜として期待がかかったロシアリーグ得点王

 という、鳴り物入りの肩書きを引っさげてコンサドーレに入団。
サポーターも
「ロシアリーグってどんなところだ?」
とわからないまま
「とにかく得点王は凄いんだろう」
というイメージで期待しました。

 が、何がダメだったのか
・・・彼は目立った活躍のないまま退団してしまいます。

 そう、彼は私にとって観たことがない
「幻の外国人4号」を襲名してしまいます。



ウィルの巻

2005年11月23日

 本名:アウミール・モライス・アンドラーデ(背番号9)
 出身地:ブラジル

   コンサドーレ史上最強の暴れん坊FW
 
 という、いい意味にも悪い意味にも取れる肩書きが似合いそうなウィルですが、この選手実はコンサドーレでは初めての出戻りをした(2001年札幌→2002年横浜M→2003年札幌)外国人選手です。
 2001年シーズンにJ1で大暴れした結果、24点をたたき出してそのシーズンの得点王に輝く実績を残しました。

 しかし、暴れたのは得点だけではなく実際にもピッチでは大暴れでした。

 もらった紙は数知れず、サラブレットならば気性難という言葉がピッタリくる選手です。2002年のJ屈指の実力派チームであるマリノスに在籍した時は、ボールだけでなく奥選手まで蹴ってしまい、チームからもマリノスサポからも、そして当然、奥ギャルからも総スカンを喰らってしまい、帰って来ました。
 しかし、帰って来た札幌には気性難の彼を乗りこなしてくれた岡田監督は既に去り、気性難のジョッキー、ジョアン・カルロス監督がその位置にいました。
 気性難同士ですから、当然お互いの存在を相容れるわけもなく彼はトラブルを起こし、チームを去ってしまいます。

 ピッチ上では頼れる存在で、鬼のような顔で大暴れする彼も、試合を離れると非常に可愛いキャラクターを発揮してくれるので「憎めない」キャラクターでもあり、サポーターからは「俺王様」という呼び名で親しまれました。

 もっとたくさんエピソードもあるハズと思いますが、私はその一端しか知りません。きっとこのコンサのブログに今後、そういう話は多く出てくることでしょうから、そういう時はその記事にTBさせてもらおうと思っています。

・・・しかし、ウィルって本名じゃないんだ。(知らなかった)
アウミールが去って、アウミールがやって来たことになるんですね。



エメルソンの巻

2005年11月22日

 本名:マルシオ・エメルソン・パッソス(背番号9)
 出身地:ブラジル

 コンサドーレ史上最強のFW

 と言っていいくらいの抜きん出た実力を持った若手FW。
プレースタイルはとにかく早いスピードと、圧倒的な決定力を支える卓越したゴール感覚と技術でした。
 バルデスも凄かったですが、エメルソンは圧巻。何しろ1人で攻めてゴールを奪ってくるんですから。
 相手チームも来るのがわかっていても止められない・・・そういう選手でした。
 しかし、若干19歳で来日した彼の行動はしばしばチームに迷惑を掛けることも多く、岡田監督はそうとう頭を悩ませていたように聞こえてきました。
 私としては最初リカルジーニョの二の舞にならないことを祈っていたものです。

 ちなみに、この年の岡田監督の後日談では、エメルソン補強のときに同時に補強リストに名前が挙がっていたのは、当時代理人となっていた元コンサドーレ10番アシスの弟。そう、若き日のブラジル代表10番ロナウジーニョだったらしいのですが、彼は高くて手が出なかったため比較的安い方のエメルソンを選んだらしい・・・というのは結構有名な話。

 妄想としては9番エメルソン、10番ロナウジーニョなんていうチームがJリーグに存在したら、間違いなく無敵だったことでしょう。
 もしかしたら当時の常勝ジュビロ磐田にも勝てるかもしれない。



アウミールの巻

2005年11月21日

 本名:アウミール・モライス・アンドラーデ(背番号10)
 出身地:ブラジル

 黒子に徹するブラジル人10番

 という印象が強いアウミールです。
2000年のシーズンにFC東京からやってきたブラジル人MF。
確か敬虔なクリスチャンだったと思いますが、性格はペレイラ以来の温厚でジェントルマンな外国人。
 試合を仕切る司令塔というよりは、常に黒子に徹しゲーム全体をサポートする・・・そんな動きをする人でした。
 この年の外国人は「ビジュ・アウミール・エメルソン」と、久々に当たり年のこの年、岡田監督が自ら選定した外国人の1人です。
 「ビジュ・エメルソン」が動ならアウミールは「静」のプレーヤーと言う感じでした。

 ちなみに2001年の8月に電撃解雇された時にも、静かに身を引いていった様はまさに「立派」のひと言でした。



ビジュの巻

2005年11月20日

 本名:アンドレ・ルイス・デ・ソウザ・シルバ(背番号 8)
 出身地:ブラジル

 入団当初、ビジュって本名かと思っていました。
しかし、本人の好きな「豆入りスープ(・・・だったっけ?」」の名前なんだそうです。
 これって、日本人が海外のリーグでプレーする時に「みそしる」って言われるのと感覚が似ている気がしますが・・・。

 それはともかく・・・。そんな愛嬌のある名前同様、本人のキャラクターもかなり愛嬌のある方で、多くのサポーターに長年愛されることになりました。
 プレーの方はレッズの岡野以上に「野人」という言葉が似合うスタイルでした。
 プレーの1つ1つがとにかくワイルド。そして粗い。
でも、それを差し引いても「彼の存在が非常に頼りになる」とサポーターの1人としては常に感じていました。
 また、頬骨を骨折した時も驚異の回復力でピッチに戻ってきてくれましたし、そのときのフェイスガードが妙に似合っていたのも覚えています。

 技術面云々ではなく、ワタシとしては彼はコンサドーレにとってもっとも大切な外国人選手の1人であったことは間違いないと思います。

 最後に、某道内放送局が最後までビジュを「ビジュ~」と伸ばして読んでいたのは、そっちに方が正確な発音かもしれませんが個人的に非常に違和感を感じていました。



ジネイの巻

2005年11月19日

 本名:ヴァウジネイ・ロッシャ・デ・オリヴェイラ(背番号 9)
 出身地:ブラジル

 次こそと 獲った外人 出てこない

 5・7・5で表現してみましたが、この年最初に獲得したリカルジーニョが不発・・・というか棄権状態で去ってしまったので、次のFWには当然期待していました。外れクジを2度も引くことはないだろう・・・と。

 結論から言って、ジネイ自体は外れではなかったと思うんですよ。
しかし、当時の指揮官岡田監督は
「俺が欲しかったのはセンターフォワードなんだけど、チームが連れてきたジネイはウイングタイプのFWだった」
とのことから出場機会がなく、あまり姿を見ることなく退団。

 かろうじて、ワタシはプレーする姿を見ることができたので「幻の外国人」にはなりませんでしたが、実情は幻一歩手前の外国人でした。
 しかし、これはジネイが悪いのではなく、チームのずさんな外国人獲得の体制が生んだ悲劇でもありました。

 そんなこともあってか、翌年からは岡田監督自らが見定めて外国人を獲得することになり、さらに監督への負担を増やしてしまったのです。



クレーベルの巻

2005年11月18日

 本名:クレーベル・ロメロ(背番号8)
 出身地:ブラジル

 この年の背番号8といえば「ビジュ」というイメージしかありません。

 彼もリカルジーニョ同様、あっという間に退団・・・帰国したブラジル人です。
 「ペレイラ・ウーゴ・バルデス」から「クレーベル・アシス・リカルジーニョ」へ・・・という外国人の変更だっただけに、勝手な想像とはいえ、やはり実力派の外国人を思い描いていただけに、この年の補強にはかなりの肩透かしを食らった印象があります。

 結局クレーベルもリカルジーニョ同様、私は一度も姿を見ないまま退団した「幻の外国人3号」を襲名したのです。

(参考)幻の外国人とは・・・私が一度も姿を生で見ることなく退団した外国人。

幻の外国人1号 アルシンド
幻の外国人2号 リカルジーニョ
幻の外国人3号 クレーベル

・・・以下、残念ながら4号・5号もいますがそれは後日。



リカルジーニョの巻

2005年11月17日

 本名:リカルド・モデスト・ダ・シルバ(背番号 9)
 出身地:ブラジル

 なんだったんだろう・・・彼は?

 という印象しか残っていません。
 「ブラジルの若き点取り屋」
という謳い文句で入団が決まった時、「若くて才能のあるブラジル人だろう」と勝手に思い込んでいました。
なにしろあのバルデスの後釜に獲得したブラジル人なのですから。

 しかし、ふたを開けてみると一度も姿をみせないまま退団・・・帰国。
アルシンドといい、彼といい・・・ブラジル人FWに対するイメージが非常に悪くなりました。
 ちなみに噂では彼の退団には「金銭トラブル」があったという噂もあり、なんとも後味の悪い感じだけが残りました。



フラビオの巻

2005年11月16日

 アクセスランキング入りを記念して、今回はおまけを用意しました。

 本名:ルイス・フラビオ・リベイロ・ファンゲルミーノ(フィジカルコーチ)
 出身地:ブラジル

 日本代表監督であった岡田監督と一緒にやってきた元日本代表フィジカルコーチ。ディドがGKコーチに就任し、彼と岡田監督が来ただけで、素人目にコンサドーレコーチ陣が非常に安泰と感じてしまったことを覚えています。

 白髪に白ひげをたくわえた恰幅のいい体系のこの外国人コーチは、遠目に見ると「赤黒の服を着たカーネルサンダース」に見えてしまったことは誰にもいえない私の秘密です。



アシスの巻

2005年11月16日

 本名:ロベルト・デ・アシス・モレイラ(背番号10)
 出身地:ブラジル

 前年J1降格となったコンサドーレは監督を含む不動の外国人センターラインを総入れ替えして「1年でJ1復帰」をスローガンに、前日本代表監督の岡田武史氏を招聘し、巻き返しを図ります。

 その年の外国人補強の目玉がアシスでした。

 しかし、その存在感を誇示できるプレーと言うよりはソツのない堅実なプレーに終始した彼です。もちろん、外国人選手としては決して能力的に劣るわけもないのですが、サポーターとしては今までのマラドーナ・バルデスの超人的なプレーを見てしまい目が肥えてしまっていたので、堅実なプレーだけでは物足りなくなっていた感もありました。

 彼の実弟は現在スペインのFCバルセロナに在籍しているあのブラジル代表10番の「ロナウジーニョ」選手です。現在、アシスはロナウジーニョの代理人として第2のサッカー人生を歩んでいます。

 余談1 
 ロナウジーニョ選手の本名はロナウド・アシス・モレイラ。
 そう。彼もアシスなんですよ。

 余談2
 ジュビロ磐田でプレーしたグラウ選手。
 実は彼の代理人もアシスだったという話を聞いたことがあります。