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長きに渡りこのブログを読んでいただきありがとうございました。 累計閲覧数はすごい桁になっていて、皆さんの広い心に支えられて来た事を実感します。 コンサドーレと歩んできた当ブログですが、思うところがありこの度閉鎖することにしました。相互リンクをして頂いた皆様、何より拙い文章を読んでいただいた皆様、今までありがとうございます。ここは変に炎上する事もない居心地のいい場所でした。これからは皆さんのブログを見ることを楽しみにしたいと思います。 ブログは更新しないまま今シーズン終了とともに削除する予定でしたが、長年続けてきた蓄積を捨てるのがもったいなくなりましたので、やっぱりこのままにしておきますw
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2005年11月16日
本名:バウテル・ヘンリケ・デ・オリベイラ(背番号 8)
出身地:ブラジル
JFL時代のコンサドーレのライバルチーム本田技研から移籍してきた。
本田技研がスタジアム整備などの関係からプロ化できなかったことからプロであるコンサドーレに移籍してきました。
こんな話は今となってはありえないような話ですが、当時はプロ化したばかりの状況で、こういう話もアリでした。
さて、当時ウーゴも在籍していましたが同じポジションを争うライバルという形で入団したバウテルですが、ウーゴほどの派手なプレーでの存在感はなかったものの、その堅実なプレーは幾度もチームの危機を救ってくれました。
2005年11月15日
本名:金鍾成(背番号:45)
出身地:韓国
コンサドーレ初のアジア人助っ人FW。
しかし、うかつにもその存在を忘れてしまっており、この順番で書くことになってしまったが、1996年5月にチームに合流しました。
決定力・・・という面では、翌年加入するバルデスには及ばず、後日彼自身も「私は札幌のバルデスになれなかった」と述懐していたとか・・・。
しかし、懸命なプレースタイルは確かにサポーターの心を熱くさせてくれました。
2005年11月14日
本名:ハーフナー・ディド(背番号:1)
出身地:オランダ
日本国籍を持つオランダ出身の頼りになる背番号1
ディドは日本国籍を持っているので、彼のほかに3人の外国籍選手が出場できます。それによって「ディドーペレイラーウーゴーバルデス」というしっかりとした縦ラインが形成され、それがこの年のコンサドーレの強さの要因でもあったように思います。
このしっかりした縦ラインがあったこともあり、翌年コンサドーレは念願のJ1昇格を果たすのです。
彼らがいたこのころが第1次黄金時代でもあり、ゲームを見に行くのが非常に楽しみであったことを今でも覚えています。
ディドはその後、GKコーチとして現役引退後もチームに残ってくれました。そして、佐藤洋平や藤ヶ谷陽介ら優秀な後進の指導に当たってくれたのです。
コンサドーレにとって、ディドは大恩人なのです。
彼がS級ライセンスを取って監督として戻ってくることを密かに夢見ています。
2005年11月13日
本名:ウーゴ・エルナン・マラドーナ(背番号10)
出身地:アルゼンチン
ご存知世界のスーパースター「ディエゴ・マラドーナ」の弟。
小柄な身体から繰り出されるパス・クロス・FKは、まさに芸術的。
特にFWバルデスとの通称「ホットライン」は破壊力抜群で、この2人で攻めに行っても十分勝てるんじゃないの?と、思ってしまうほど。
現時点(2005年)ではコンサドーレ史上、最強のパサーであり、FKはペレイラ・ウーゴ・ウィルの3人が最強だと信じています。
2005年11月12日
本名:ホルヘ・デリー・バルデス(背番号 9)
出身地:パナマ
「本物のストライカーをはじめて見た!」
という感想を持った選手です。まさに、ゴール前の得点感覚などは圧倒的なパナマ代表のストライカー。
プレーはゴール前ならある程度の荒れ球でも、その驚異的な身体能力とセンスで得点に結び付けてしまうという怪物。
特にウーゴ・マラドーナとのコンビは「ホットライン」と呼ばれ、「わかっていても止められない」というプレーで相手チームのDF・GKを震え上がらせました。
1997年5月25日に厚別で行われた川崎フロンターレ戦の大逆転勝利の立役者。今でも語り草になっているこの試合は、バルデスがいたからこそ成り立った奇跡だと思います。
ちなみに、噂では彼には双子の兄弟がいて、兄弟揃ってプロサッカー選手なんだそうです。
本当に「頼りになる助っ人」第2号です。(第1号はペレイラ)
「厚別不敗神話」ができたのも、彼が在籍していた頃の話です。
2005年11月11日
本名:ダビド・ソニア・ヨシナリ(背番号:39)
出身地:ペルー(日系3世)
「ダビ」の愛称で一部のサポーターからも熱烈に支持された若手MF
しかし、入団初年度は彼以外の外国人が5人(ペレイラ・アルシンド・オテーロ・ヨゼフ・ルボシュ)いて、出場がかなわずサッカー修行のため一時帰国し技を磨いて翌年チームに帰って来た。
・・・しかし、翌年のチームにはバルデス・マラドーナ・ペレイラという不動のレギュラー3人衆がいたため、彼らからレギュラーを奪うことができず試合出場機会もほとんどなかった。(ウーゴとレギュラー争いしたのでは、彼がかわいそうというもの)・・・ちなみにディドは日本人としての登録です。
育成路線の昨今であれば彼のような存在も非常に光ったことでしょう。今考えると、出現が10年早過ぎた逸材であったと思います。
2005年11月10日
本名:ヨゼフ・ジノ(背番号:忘れました)
出身地:チェコスロバキア
ルボシュとともに7月にチームに入団した東欧シリーズ第3弾。
しかし、チームにはすでにペレイラ・パベル・ルボシュ・(オテーロもまだいた)という関係から外国人枠は埋まってしまっていたので、出場機会がほとんどなかった。
しかし、9月。いよいよ公式戦デビュー!
相手は強豪本田技研でしたが、この試合に勝利を収めますが守備の要ペレイラが負傷退場。長期戦線離脱を余儀なくされたため、しばらくはスタメンに定着するも、あまり印象には残らなかった。
2005年11月09日
本名:ルボシュ・ザコルテスキ(背番号:忘れました)
出身:チェコスロバキア
長身FWとしてアルシンド退団後の外国人東欧シリーズ第2弾選手。
(第1弾はパベルです)
この選手、長身を活かして前線で待機し得点をGETするというポストプレーヤーで、過去のコンサドーレでいえばバルデスや高木琢也、磯山・FW時代の曽田タイプ・・・ということになるでしょうか。
しかし、いかんせんボールがそこまで運ばれて来ないので
孤立→仕事ができない
という悲惨な結果で、この年帰国してしまいました。
バルデスとの決定的な違いは、パスの出し手がいないということでした。
私も試合で何度かプレーを見ましたが、印象はほとんど残っていません。
2005年11月08日
本名:アルシンド・サルトーリ(背番号11)
出身地:ブラジル
「トモダチナラアタリマエ」という流行(?)語の人
日本代表監督(2005年現在)のジーコと一緒にJリーグ鹿島アントラーズで一大旋風を巻き起こしたストライカー。
脳天が禿げ上がっている風貌も個性的なキャラクターを演出しており、当時のJリーグの外国人選手の中でもかなりの人気選手であった。
その後、ヴェルディ川崎へ移籍し、コンサドーレへとやってきた。
しかし、北海道でプレーすることなく審判に暴言を吐き退場。その勢いでチームからも退場してしまった。
何しに来たのかわからない人・・・。
2005年11月07日
本名:パベル・ジュハク(背番号9)
出身地:チェコスロバキア
結局1996年シーズンにペレイラに次ぐ貢献をしてくれた人。
2005年現在、彼はJ1ヴィッセル神戸の監督になりました。
コンサドーレの選手だった人のなかで初めて監督になったのは彼でした。
ジェフ市原からコンサドーレの前身、東芝に移籍してそのままコンサドーレに加わってくれた人。
印象的なのは、腕を骨折してもギブスをしてすっとゲームに出場したこと。
まさに鉄人!
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