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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。
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2008年01月25日
clasics #14でした。 日立台で味わった絶望というのはそれはけっこう凹まされたものだった。つい先日に気楽な立場でちばぎんカップを見に行ったのと同じ場所で、山瀬以外はなすすべもなく敗れてしまった。前の週に気持ちよく名古屋に勝ったのは神様が魔法をかけ間違えただけだったのか。左サイドラインでロブソンがキープして突破、と思ったら簡単に柏の選手に吹っ飛ばされたときに、「ああ、このガイジンはハズレなんだな」としみじみ思ったものです。ちっとも動けやしない。どうにかなるんだろうかこのチーム、と思いながらどうにかしようとしていたんだけどどうにもなることもなくそのまま試合終了。 このときの自分の周りの出来事についてはよく憶えていないけど、相当にキツい時期だったことだけは確かだ。体調は悪いし(前回書いた蓄膿症が完治していない)眠れないし仕事はうまくいかないというか失敗だらけだったし、という悪循環のループから自分を振り払えないままどんよりしていた。「ムネオハウス」とか「雪印」とか柏サポに言われてもなにも感じない程度には。「移転反対」だけはしっかりやったけど。個人的にあのスタジアムの臨場感は国内屈指だと思っているし。 そういうどよどよした気持ちをどうにかフットボールで吹き飛ばしてしまいたいとも思っていたんだけど試合は寒いし天候も寒いまんまで、人生ってこういう悪い循環が続くものなのかもなー、とか思って柏で飲んで電車がなくなって帰れなくなったりした。なんだろうな、飲んでないとやってられない、そんな感じ。ワールドカップがこの年の6月に日韓で共催されるということに対しても、なにそれ?おいしいの?っていう感じで、特にチケットをなんとしてでも手に入れるとかそういうことは全く思ってなかった。マイナーな試合のチケットが誰かから流れてきたら見に行こうかと思っていた程度。それよりも現状の札幌をどうにかしなければ。降格を阻止しなければ。そんな考えばかりが頭の中を駆けめぐっていた。そのためには、とにかく、声を上げることしかできない。できるだけ大きな声で応援することしかできない。小さかったら周りを鼓舞し、大きかったらもっと盛り上げ、チームのために、勝利のために、泥臭くてかまわないからゴールを決めること、どんなかっこ悪くても勝利を掴むこと、それが今の札幌に一番必要なことであり、そして現状、勝利からは一番遠い場所にいることを知っていた。 声を上げなければ、と思っていても、この頃の自分は社会の中では声を上げることもできなかった。ほんとうは声を上げて、行動を起こして、変えていくのだろうけど、何をどう変えて、なんのために動いていいのかわからない。上司は相談を取り合ってくれない。どうしたいのか、どうすればいいのか、まったくわからないまま毎日が過ぎた。会社はコアタイムつきのフレックスなんだけど、ぎりぎりに出勤することが多くなった。会社に行きたくない気持ちがどんどんピークに達しつつあって、どうしようもなくなってこっそりさぼったりもした。 あと、外に一人で営業周りに行ったときや出張に行ったときは会社に帰りたくなくて、適当な理由をでっち上げては本ばかり読んでいたり、ふらっと公園でぼんやりしていたりした。本当に何をどうしていいのかわからず、歩きまくって忘れようとしたり、酒で忘れようとしたり、自分の後ろにいる「何か」を振り払おうと必死に追い出そうとしていた。自分のことは自分の問題。他人に相談するなんておこがましいし、どうせろくな返事なんて帰ってくるわけがない。そう思ってひたすら現実逃避のように本を読み、音楽を聴き、フットボールに意識的に溺れていった。それ以外の生活なんて、どうでも良いや、という考えさえ起きてきていた。でもひとつだけ、たったひとつだけ、欲しいものがあった。それは現実を受け止めて、それに耐えきれる勇気。あるいは、それをよしとせずに動くための勇気。その勇気をフットボールに助けて欲しかった、助けられたかった。 けれど、あの時の札幌のフットボールは、僕に何も与えてはくれなかった。美しいシュートでなくてもいい、泥臭くボールを追う姿だけでいい、それだけで十分だったのに、それすらも見ることができなかった。「それでも人生は続く」なんてかっこいいことを書いてはいるけれど、僕はどんどん精神的に崖っぷちに追い詰められていって、そしてついにある日、いつもの通勤で乗り換えを待つホームに並びながら、意識が遠くなって汗が体中から噴き出た。たまらずふらふらとベンチに座り、呼吸が落ち着くのを待っ。30分ほどしてようやく治まってきたので会社に行き、70%程度の力で働いて、早々に切り上げて帰宅した。何故こんな風になってしまったのかは、まだわからなかった。そんな状況でコールリーダーが務まっていたのは奇跡と言う他になかった。 CONSISM本編では強がって書いていたけど、あの文章のほとんどは自分に向けて書いたものだといっても差し支えない。勇気が欲しい、手に入れたい、と心の底から思っていながらもこの頃の僕は、一方的に悪くなるばかりの環境から必死に立ち直る術をなんとか掴もうとしたり、必死に忘れようとしたり、自暴自棄になったり、していた。誰も助けを呼ばなかった。すべて自分自身の問題だと信じ込んでいたからだ。今にして思えば、誰かに相談した方がよかったのかもしれない。でもそれは自分の中で巣くっている矮小なプライドが邪魔をして、できなかった。そしてまた自分自身の矮小なプライドに怒り、悲しみ、蔑んだ。仕事をどうこうするというよりも、誰か助けて欲しかった。 こうして僕自身の混乱は度を深め、7月にはぶっ倒れてしまうことになる。
2008年01月23日
clasics #14です。 このあたりから自分の人生がいろいろとせっぱ詰まってきたような気がする。
ちょっと仕事でトラブルを起こしてしまって、自分に腹が立ったり頭を下げるのが悔しかったり、まぁ原因の一端は自分にあるのだけど、そんな気分を抱えたまま柏へ向かった土曜日。 先週の勢いもあって、勝てると思って応援していたものの柏の強さ、というか札幌の弱さにつけ込まれてセットプレーから失点を繰り返し結局また負けてしまった。試合後のゴール裏の様子はそれぞれで、紙コップが投げ込まれたり、次の室蘭での巻き返しを期待して懸命に拍手していたり、ちょっとだけブーイングが聞こえたり。僕はといえばなにも言えずに、かといって怒りに身を震わす程の気持ちはなくてそれよりも虚脱感の方が強い感じで、じっと力無く手を挙げて降ろす選手を見ていた。 個人的な話をすると、柏に行く前はいろいろな出来事があってうれしくなったりとまどったりして僕の気持ちが左右に大きく振れてしまっているような感じでちょっと不安定で、そのままそんな気持ちが応援に出てしまったようなそんな気もした。 でもそれらの出来事はおそらくは人生を変えるほどの大きな出来事ではなくて、いずれは受け入れられて忘れてしまう運命にあって、それが仕事だったり応援だったりそういったものを根本から覆してしまうような影響力はないんだと思う。そういった小さな出来事がたくさん蓄積されているからこそ、今の自分があるわけで。 サッカーについてもそんな事が言えるんじゃないんだろうか。一本のパス、一つのトラップ、それが90分蓄積されて結果となるのが一試合、それが30試合続いて一つの年のリーグ戦。現状がどうであれ、今ここにあるサッカーは「今をどうにかしよう」「もっと向上しよう」という気持ちを持つ様々な人たちの思いや行動が渦巻く中で、全体の流れの中で最良の方向として築いたのが今の札幌。だから現状を憂えるのならば声を挙げ、手を挙げていくのが最良にして唯一の選択肢なのだと思う。小さな声でも挙げなければ届かない。けれどもそれが届いているのかいないのか、変わっているのかいないのかをはっきりと確かめる事は大きな出来事でない限りわからなくて、それにとまどってしまうのも事実。 それでも僕らはサッカーを見に行く。時には楽しく、時には必死で手をたたき、歌い、叫び、チームの勝利を願う。そして2時間後には歓喜のまっただ中にいるか敗北に打ちひしがれるかのどちらにいる(かなりおおざっぱな分け方だけど)。それは圧倒的な事実としてそこにある。サッカーがあるという事実。勝ちと負けと少しの引き分けの事実。 その中から僕らは勇気をもらう。現実を受け止めて、そこから声を挙げる勇気。一本のパスも出さずに試合には勝てない。一つ一つ、小さなプレーを重ねて行かなければ勝利も敗北もないし、試合という勝敗の決まる現実からは逃れられない。そうした積み重ねがあるから今がある。現実を認識しなければ過去も未来もない。それはどこでも同じだろう。サッカーでも、人生でも。だからこそサッカーは人生に例えられ、人生はサッカーに例えられる。 身の舞い上がるような大きな歓喜に包まれても、すべてが嫌になってしまうほどの絶望に覆われても、人生は続く。だからこそ僕はサッカーを見る。人生の凝縮されたピッチの上に目を凝らす。そこから僕は現実を見る勇気と、現実を変えようとする勇気をもらう。そうして現実に押しつぶされずに、小さな意志を積み重ねるということが僕にとっての人生なのだろう、と考えてみる。だから僕はサッカーが好きで、札幌が好きなのだろう。あの泥臭いディフェンス、労を惜しまないチェイシングが僕に少しばかりの勇気をくれる。自分の人生を生きる勇気を。
2008年01月20日
clasics #13でした。 高知で観光という名の現実逃避にはっちゃけたせいか、直前に引いた風邪が悪化してしまってしばらく寝込んでいた時期のお話。 普通に風邪なんだろうなー、だけどなんかめまいが止まらないわ吐き気がするわ偏頭痛が治まらないわ、となんとか会社に出ていたんだけどとうとうダウンして「これは風邪じゃない!」と思って調べたら、この症状にぴたり合致するのはメニエール病。さすがに難治性の病気に当てはまってるとわかったときは青くなった。慌てて耳鼻科に駆け込んだら「あー、蓄膿症」と言われほっとするやら落ち込むやら。レントゲンを撮ってみたら鼻梁の片方の影がもやもやしていて、ここに膿がたまっているのかーとはっきりしない頭で思っていた。ちなみに本編で「鼻の病気」と濁したのは、蓄膿症というのがかっこ悪かったから……。 子どもの頃から耳鼻科にはお世話になっていて中耳炎とアレルギー性鼻炎で何年も通院していたけど、まさか蓄膿になるなんて思わなかった。たっぷりと抗生物質をもらって、有給もちょっともらって2,3日家でずっと寝ていた(というかそれしかできなかった)。ちょうどそれが磐田戦に重なっていた時期で、近辺の人に「すいません休みますごめんなさい」と電話をして、携帯電話から送られてくる速報メールを頼りにぼんやりしてた。晴れた日に外にも出られず、ただ寝ながら試合結果を待つというのはなんとも心細いものだ。いまでも風邪を引くと、こめかみから鼻筋のあたりがぞわぞわして気持ち悪かったりする。 その症状が何とか治まって行けたのが瑞穂での名古屋戦。これは思い出深い。 内容の全くない3連敗をストップさせたというのと、俗に言う「パラグアイ」発祥の地ということで。 「パラグアイ」って何?というと、一言で言うとゴール裏最前列へのなだれ込みのことです(当然ピッチには入らない)。国際試合の映像(ワールドカップ予選だったかコパアメリカだったか)で、ゴールが決まったときにパラグアイのファンが一斉にゴール裏最前列へなだれ込んで大騒ぎしていたのを見ていた自分を含む数名が「ああいうのやりたいよねえ」と言い合っていたのでいつのまにかそういう俗称になった。そんなふうに構想はあれどもタイミング的にできなかったのを実現できた、という意味で思い出深い。 瑞穂はピッチレベルが比較的低い競技場でゴール裏の前のほうまで行くと見にくいので、上段部分に集まって応援するように呼びかけて「あわよくば」と考えていたけれどあんなにうまくいくとは思わなかった。3-5-2にシステムを戻してもパッとしなかった前半はさすがに絶望しかけたけど。ところが後半は見違えるように動きが変わり、まずはグラウンダーのクロスからオウンゴールを誘う。うそー、っていう感じで最前列になだれ込む数名。で、また戻って応援しているとすぐに山瀬のゴール。今度は1点目の数倍の人間がなだれ込む。きょうは何とかなるんじゃないか、と思っているととどめの3点目、こんどは大部分のサポが最前列へどわーっと。あの様子を横から見ていたら楽しいシーンだっただろうなあ。みんなものすごい速さで駆け下りて、ゴールを決めた森下も思わず看板を超えてゴール裏まで来てしまってイエローカードにみんなで苦笑いしながらイエローサブマリンを歌い、非常に気持ちよくマフラーを掲げてGO WEST。ちなみに試合終了後、森下はもう一度ゴール裏まできてくれました。日曜夕方の名古屋ということであんまりゴール裏の人数はいなかったけど、一体感はものすごく感じたゲーム。 まあ、03年前半戦の思い出でいい思い出というのはこれくらいしかないんだけどね……。
2008年01月19日
clasics #13、今回は健康に気をつけましょうねというお話でした。
しばらくこちらへの寄稿ををお休みさせていただいていましたが、今日はその話から始めていきたいと思います。 事のきっかけは高知遠征。元々風邪気味であったところに、金曜日休みを取るために少し無理をしたのがたたったのか本格的に風邪を引いてしまいました。まあ、次の日にはとりあえず体調が回復して無事に応援できたのでよかったのですが。そうして東京に帰ってきて仕事をしていると、今度は仕事中に時々めまいが起こってモニターがぐるぐると回転し、まるで超高速のメリーゴーランドに乗っているかのような気分になり、耐えられずに会社を早退させてもらって病院へ行って来ました。診察の結果は「過労によるめまい」。いろいろと重圧や忙しさもあってたまっていたのであろうストレスが、めまいという形で出てしまったのでしょう、という事になりました。 そうして薬をもらってめまいは治まった、というか抑える事ができたのですが、その後原因不明の頭痛が襲ってきました。こめかみから頬骨、頭の後ろまでずんと響くような重さがあって、今度はこっちの症状がひどくなったのでもう一度病気に行くと、鼻の病気だと言われてしまいました。 どうやら、高知でひいた風邪が響いていたようです。まあそれも薬で治るということなので、さらに薬をもらって治していく事になりました。だから一気に二つの病気を抱えてしまって、少しこちらの原稿をお休みさせていただいた、という事なのです。ちなみに現在は投薬の効果もあるので症状はそれなりに治まっていますが。 そうした出来事があったのが、ちょうど磐田戦の2日前。すぐに一緒に応援している人に連絡をとり、拡声器をとりにきてもらって今回は家で寝て静養することになりました。 そうして一日、試合を気にしながらおとなしく横になっていると、今この場にいるという事が悔しいことのように思えてきました。声の届かない悔しさやもどかしさや、応援している人たちに迷惑をかけて済まないと思う気持ち。そんな気持ちで携帯の画面の「0-4」というスコアを眺めていました。 そんな気持ちを抱えながら日曜日、名古屋へ向かいました。体調は万全とは言えないけれども、行ける試合なのに応援できず歯がゆい想いをするのは嫌だったのもあるし、チームが勝つところを見て自分も元気になりたい、とも思ったのです。 果たして試合は前半こそ試合を支配され、危ない場面が多くあったものの後半は見違えるように3点を連取して、札幌らしい札幌の試合が久々に見られました。そうしてゴールが決まるたびにゴール裏の最前列まで駆け下りて拳を突き上げたり、3点目を決めて看板を飛び越えてまでゴール裏に駆け寄り手を伸ばす森下と一緒に吠えていたり、「好きです札幌」をみんなで歌ったりしている時だけは、病気の自分はどこかに影を潜めていました。負け続けていると「勝つことが最良の薬」だというような言い方をすることがありますが、それがまさに自分に当てはまっているような感じでした。ただ、こうならないように体調管理をしっかりとすることも社会人として大事だし、そうしないとまた試合を見に行けなくなるからきっちり治さないと、とは思いましたが。 僕が社会人として働き始めてからちょうど一年。仕事だけでなく、いろんなところでいろんな事を学んできましたが、今回は体が健康であることがいかに大事か、ストレスをうまく逃がしていくことがいかに大事かということを身をもって思い知らされました。なんたって、体調がよくないとゴール裏ではじけられませんから・・・。
2008年01月18日
classics #12でした。 開幕戦は広島空港からビッグアーチへの足を全く考えないまま行ったなあ。他のサポーターの方が借りたレンタカーに折良く乗せていただいたけど。一泊したんだったかなあ。それとも日帰りにしたんだったかなあ。観光もしないで帰った記憶があるから、日帰りだったのかもしれない。なんにせよ試合のインパクトが後ろ向き満載で強烈だったのでお好み焼き食べた以外はほとんど覚えていない。3失点目あたりから一緒に応援してた人がトラメガ下ろして呆然としてたなあ。気持ちはわからないでもなかったけど、開幕してしまった以上諦めるわけにもいかなかった。訳のわからないまま失点を重ねるチームを見ながら「なんで?なんで?」ってずっと思ってた。ピッチ練習開始のときに柱谷のチャントを歌っちゃったから?外人がハズレだから?4バックだから?って。真相がどうあれ、歯車が全くかみあっていない感はずしずしとのしかかってきていて試合が終わった後には怒りも何も残らなかった。あそこで何も言えなかったことが自分の甘さなんだろうと今でも思う。 そんな気持ちを引きずりながら翌週は高知で仙台戦。こっちは逆に試合のことをさっぱり忘れてしまっている。というのも、ずっと前から有休を使って2泊3日でいろいろ回るぜ!と考えてもろもろ予約していたので、これまたタイミングの悪いことこの上ない。でもせっかくなので前泊して高知市電をほぼ前線乗りつぶし(そして高知港で黄昏れる)高知城とかレンタカーで坂本龍馬記念館とか行ったなあ。宿泊先のホテルに仙台の選手が泊まっていたり。こういうことばかり憶えているのは、試合内容がスッカスカだったんだろう。もしくは開幕戦でやられすぎて脳内が逃避行動起こしてたか。試合後最短のタイミングで思い出せるのは仙台サポの友人がバス(仙台から高知までバス!)から手を振ったことくらい。正直すごく萎えた2週間の出来事だった。前泊だったから観光できたようなもんでもあるし。 で、おみやげ(義理は通す)抱えて会社に行ったら「弱いねえ」のオンパレード。それでもっと萎えちゃったし、こんなに萎えてていいのか俺、とか、なんで応援で流れを変えられなかったのか、とか思うところはいっぱいあった。開幕にしてもう変えられないくらい強烈な負の流れだったといえばそれまでなんだけど、それをどうにかしてプラスにまで持っていくのが応援の力だと思っているから、そうできないのが辛かった。「しっかり向き合うことが大切」と書きながらも、あのとききちんと向き合うことができたかというと、まったくゼロだ。そして終わってからようやく怒り出すんだからなあ。沸点が低いのかどんだけ抑えてたんだかと。 「最悪からのスタートなんだから、何も怖くない」だなんて、そんなはずはなかった。J2に落ちることを何度も何度も考えてしまって、どうしようもなく怖かったはずだ。ただそれを他人に見せるのが怖くて虚勢を張り続けていたし、張り続けていなければならない理由も立場もあった。それとは別に弱音を吐き続ける自分とのバランスが取れなくなっていくっていうのはわかってはいたけれど、それでもあんなに続けていたのは、なぜだったんだろう。
2008年01月17日
classics #12です。 史上最悪の開幕(個人的に)を迎えた後、すごく怒りながら書いた記憶があります。
一週お休みをいただいて「次回も気持ちのいい文章が書けるな」と思っていたら、とんでもないことになってしまっていました。 とりあえず札幌は広島、仙台と連敗し、自分の心の中では最悪のスタートを切ってしまいました。もっともここで選手や戦術をどうこう言うつもりはないですし、それにはもっとふさわしい執筆陣の方々がいらっしゃるのですが。 そうこうして今週も月曜日になり、おみやげを抱えかすれ声で出勤すると「なんだよ、また負けたのか」と上司や先輩から容赦なく突っ込まれ、僕はそれに対して「いやあ負けちゃいましたよ」なんて自虐的な笑いを浮かべて答えたりしています。そんな自分を客観的に見た瞬間、自分で自分のことを思いっきり憎みました。本当は悔しくて情けなくてどうしようもないはずの自分がいるのに、それを平気な顔で押さえ込む自分に。世の中で感情を表に出し続けて行くことなどできないとわかってはいるのですが、それをひたすらに堪えるのがとても苦しくなる時があります。感情を表に出すと言うことは、時と場所によっては悪になるということはわかっているのですがそれでも顔に出てしまうあたり、まだまだ子供だなと思う所があります。 しかし、ゴール裏での自分は感情を露わにすることが多いです。それは自分も感情を出して応援していかないと、選手に何かを伝えることなどできないと思っているからなのですが、それでこの二試合、何かを伝えることができたろうかと思っています。少なくとも結果を見る限りできていない、と思っています。怖がるラインに勇気を与えられなかった広島戦。リズムに乗せて攻撃を作れなかった仙台戦。ともに課題というには大きすぎるものだと思っています。そうして一つ気付いたのは一つの慢心とも言うべき感情、去年の札幌に逃避していた気持ちでした。去年とは監督も選手も替わり、相当に厳しいシーズンになる事を自分でしっかり自覚できていなくて、それができていなかったからこそ現実を目の当たりにさせられたのでしょう。 だからこそこれからは今の現実から目をそらさないで、しっかり向き合って行くことが大切なのではないでしょうか。チームが勝てる為に、自分たちでできること、とれる行動をとるということをもう一度基本に立ち返って考えていくことが大切なのかもしれない、と自戒も込めて考えています。 どうしてもこの2試合を考えると、初めてトップリーグに上がったあの年のことを思い出してしまいます。あのときのような経験を二度と繰り返さないためにも、僕は何ができるかを冷静に考えて、現実を見据えて行くことが大切だし、それは単純に応援という一つのことだけにとどまらずいろいろな方法で示していくことが必要なんじゃないかと思います。どうせ最悪からのスタートなのですから、怖がることもないのですから。 そうして最後には「札幌強くなったな、また勝ったな」なんて 上司に言われて、誇らしげに答えたいです。 「当たり前じゃないですか、そのために応援に行ったんですから!」
2008年01月16日
clasics #11でした。 コールリーダー時代の印象を一言で言うなら、勉強させてもらった、ということに尽きる。アウェイのサポーターになった頃はサポーターの中でも最年少の部類で、年齢を言うだけで珍しがられたりした(年寄り臭い性格だったというのもあるかも知れないけど)。周囲はみんな大人というか社会人で、年上の人たちと交流していく中で学んだものはいっぱいある。振る舞い方や話し方、目上の人に対する礼儀、立場をわきまえるということ。いろんな人がいっぱいいて、社会は自分のような人間ばかりじゃないんだ、と実感したりした。ゴール裏はゴール裏の論理と行動があって、それは会社社会ではまったく異なるということも。物事を解決するのは最終的に現場での話し合いだと思っていたんだけれどそれはゴール裏での方法でしかなくて、仕事においてはその論理が通用することはまずなかった。そういう「割り切れなさ」をうまく咀嚼したりやりすごしたりできなくて、ものすごくジレンマだった。 もうひとつ学んだのは「自分は小さい」ということ。自分一人で世の中を回しているかのような考え方をしていたけど、それはなんと言おうか、ガキの戯言みたいなものだった。コールリーダーという立場に甘えていたんだろうな。「自分は偉いんだ」って錯覚しちゃってた。本当は何も偉くなくて、それぞれの役割をそれぞれが果たしていたという、ただそれだけのことだったんだとわかったのは皮肉にも札幌に戻った後のことだった。リーダーだったときはそういうことがわからなくていろいろとやらかした挙句にゴール裏で年上の人たちに諭されたり、叱られたり、それ以外でも就職活動で「なんで俺を雇わないんだ」って泣きそうになりながら電車に乗ったり(えんえんとシアターブルックを聞きながら耐えた)、そういうことの積み重ねが今の自分につながっているんだよなあと思う。積み重なった結果としてこれかよ、っていうのは申し訳ないことなんだけど。 あとはこの時期、もうどうしようもなく会社で働くことが嫌で、眠れない時があることもピークになりつつあって、早くフットボールに触れること、応援することでモヤモヤを吹き飛ばしてしまいたいとも思っていた。その一方で「ストレス解消に応援を使うなんて」とも思っていて、それが開幕戦の大敗でドツボ方面に入っていく直前のことでした。これを書いた翌週はいよいよ、ビッグアーチで鬼の5失点を目の当たりにすることになります……。
2008年01月14日
classics #11をお送りします。 02年開幕直前の心境というか意気込み、のような回。
札幌のアウェーでリードをとる、という大役を仰せつかって早4年。来週からは5年目になります。 こういう役目になった時は、1,2年位で自分のような役目というのはどんどん変わっていくものなのかな、と思っていましたが(実際そういう他チームサポーターの話を聞いたことがあります)、気がついてみれば自分でも驚くくらい続けています。 でもこういう役目になってからいろいろと勉強させてもらったのも事実です。たとえば人ののせ方、周囲の熱を高める話し方、応援のリードの取り方、動き方。そのために人の気持ちを考えること、プレーや応援の状況を素早く判断して応援を切り替えたり盛り上げたりしていくこと。そういったことは学生時代、学校では決して学ぶことのできないことで、今の自分にサッカーや応援が与えた影響というのは本当に計り知れないものです。 そんな学生時代から社会人になって、こういう経験が生かされているか、というと今のところ「そうではない」としか答えられません。本格的に社会や仕事というものに真正面から取り組んできて、人をまとめて、考えを整理して引っ張っていくと言うことは並大抵の努力ではないと言うことを実感しました。よくよく考えてみれば自分がそう思うのも当然のことで、サポーターの世界というのはみんなが一つの目的のために自然に一致団結している中で行動していたわけで、社会の中ではいろんな考え方、いろんな動き方の人がそれぞれにいるのだから、自分の動き方も細かくなければいけないし、それをまとめる力も大きなものでなければうまく全体が目的の為に動かないわけです。そういった意味で、最初の頃(今もですが)はそんなゴール裏と実際の仕事の世界とのギャップというか、一方的な自分の認識の甘さに衝撃を受けていました。そういう意味で、学生時代の経験というのをうまく仕事にフィードバックさせていないし、仕事の中で得たものを生かせていないのかな、と思っています。 そういうことを考えて、少し悩んだりしている内に開幕まであと1週間を切っていました。 どんな日常を送っていても、嬉しい気持ちの時でも沈んだ気持ちの時でも、開幕のことを考えると、これから多くの歓喜とわずかな絶望に心を狂わされるであろう1年が楽しみで、広島の地で「サッポロ!」と力に限りに叫ぶ日を思って少しばかり緊張してみたりします。そして自分がこの一年、このオフシーズンで得たものをありったけつぎ込んで応援していきたい、そして勝っていきたいと強く思います。90分のボールの動きに惑わされ、喜び、悲しみ、時には怒りを露わにする週末の日々をこの上なく渇望しています。サッカーに人生を見いだし、人生をサッカーになぞらえるような毎日を。 早く選手の姿が見たい。去年からの選手、新しく赤黒のユニフォームに袖を通した選手、彼らが監督やコーチや、そしてサポーターと一体となってひたすらに一つのゴール、一つの勝利のために進む姿を見たい、そして自分もその中にいたい。そんなことを考えながらしばらくの間、過ごしていきます。 広島でお会いしましょう。 ともに勝利を、ともに歓喜を。
2008年01月13日
clasics #10でした。 このときのちばぎんカップって確かPSMにもかかわらず荒れ気味だった覚えがある、と思って調べてみたら黄善洪が退場になったものの柳想鐵の得点で逃げ切ったという試合だった。個人的にも気分はPSMで、ここでどうコールするとか、このチャント歌うとか、そういうことを考えながら見ていたので正直試合内容は覚えていない。コールリーダーになりたてのころも、コンサドーレ以外の試合はそういうことを考えながらだったり、誰かと話し合いながら試合を見ていた。練習というか、タイミングと流れを読まないといい応援はできないなと思って。シーズンが開ける頃はやはりそういう感覚的なものは鈍ってきているので、そのあたりを取り戻すのに毎年開幕の何試合かは苦労したし、声の出しどころを掴むのに時間がかかったので自分自身にやきもきしていた記憶がある。 それよりもはっきり記憶しているのは安堵の気持ちだ。自発的にとはいえ「観戦断ち」をしていた自分にとってその年初めての生観戦。今となっては南武線から行ったのか新宿経由で行ったのかも覚えてないけど、一時間半の道のりをとてもわくわくしながら日立台へ向かったことだけは覚えている。スタジアムへ近づくにつれて訪れる高揚感は冬の寒さなんて感じさせなかった。キックオフの笛が鳴って、途端に僕は慣れ親しんだフットボールの世界に帰ってきたことにこころからほっとした。見ているチームは応援しているところとは別のところ同士とはいえ、ボールを蹴る音、コーチングの声、スタンドから飛ぶ声援と野次、両方のゴール裏から繰り出される絶え間ないチャント。いくら街を歩いても、いくら海を眺めても、いくら本を読んでも決して味わうことのできない幸せな感覚。毛穴が一瞬総毛立って、でもすぐにべた凪のような安心感が訪れる。ああ「帰って」きたな、と思う。やっぱり自分の居場所っていうのを感覚的に理解していたのかもしれない。
2008年01月12日
本日も更新、clasics #10です。 そろそろシーズンに入るという時に見に行ったちばぎんカップの話。
天皇杯から生でサッカーを見るということを特にせず、他のいろいろなことで週末を過ごしてきた僕ですが、日曜日に今年初めてのサッカーを見に行きました。見に行ったのは柏サッカー場での「第8回ちばぎんカップ 柏対市原」。 サッカーを見に行くのは今年初めてで、プレシーズンマッチということなので、試合の結果よりも「お互いのチームが意図するサッカーがどこまで見えるか」ということを中心に見てきました。この時期に結果がどうこうという事にはあまり意味がないし、それよりも選手個人の動き、移籍選手のチームへのなじみ具合、戦術の浸透の度合いを見ることが大事なんじゃないかと思っています。そしてこの日はもう一つのテーマがあり、それは「サッカーに慣れる」ということであり、それも意識しながら試合を見ていました。 毎週どこかへサッカーを見に出かけていたオンシーズンから一転して、3ヶ月サッカーを見ていないと自分の目がサッカーの動きについていけなかったりします(札幌在住の皆さんはうらやましい、と思うかもしれませんが)。動きについていけないと、いざシーズンが始まって札幌の応援をしているときに応援のタイミングを失ったり、雰囲気を作っていくことができなくなるので、そういうことがなるべくないようにサッカーを見て、自分の中のスイッチを入れて、感覚を徐々に暖めていく、というのを続けています。 そのなかで自分がオフシーズンの中に経験したものとを照らし合わせながら、自分のサッカーを見る目がどのように変わったのか、ということを客観的にみて「自分はこんな風にサッカーを見るようになったのか」と、新しい発見をする事もあったりします。 そうして試合を見てきて去年の今頃の自分を思い出すときに、社会人になってから明らかにサッカーを見る目が変わってきたな、と思うことがあります。華麗なプレーの連続よりも泥臭くボールを追う姿を、個人技よりもチーム全体で機能するプレッシングの美しさを、サイドをえぐるようなドリブルよりも正確なセンタリングを、いつの間にか好むようになっていました。それはおそらく、本格的に社会の中に入って働いていることと少しは関係があるんじゃないか、と思います。自分があって、関わる社会があって、好きなサッカーがあって、それらは互いに結びつきながらも少しずつ姿を変えて存在し続けるような感覚があります。 そんなことを考えながら日曜は試合を見ていたのですが、内容が荒れたものになったのを除けばおおむね面白い試合でしたし(柏の大野の存在感、市原の明確な戦術とウイングバック坂本の突破力が印象的でした)、それに久しぶりに直に触れるサッカーは新鮮な感じがしました。 そして何よりも自分の中の気持ちを突き動かしたのが、ゴール裏の声でした。 この日は市原寄りのメインスタンドで見ていたのですが、試合前に互いのゴール裏から聞こえてくる応援の声、歌、一つ一つが競技場の雰囲気となって、サッカーを見ている、という実感をわかせると同時に「札幌の試合が見たい、応援がしたい」という気持が自分の中で一気に盛り上がっていくのを強く感じました。自分の好きなチームのために声を上げ、歌い、跳び、ともに戦うことの幸せ、一体感、そういった高揚感にも似た気持ちがどっと自分の中に押し寄せて、まさにその瞬間に自分の「サッカーのスイッチ」が入った、90分に心を躍らせ、喜び、怒り、時には悲しみ、ボールの動きに興奮し心を躍らせる、あの期待と歓喜に満ちた一年がこれから始まるのだという気持ちが自分の中に満たされていくのを感じたのです。 今年も札幌に心を狂わされる、そう思うと2週間後の開幕が楽しみで仕方なくなってくる、そんなこの頃です。
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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。
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