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2008年04月28日

aftertalk #44

clasics #44でした。文脈のそこかしこに、当時影響を受けまくりだった村上春樹と西尾維新っぽい表現がある。そういやこないだ西尾維新のデビュー作「クビキリサイクル」が文庫化されてたので、ついつい買ってしまったんですけどね。この作品読んだときは、けっこう衝撃的だった。こういうこと考えて書いてもいいんだ、と。村上春樹をはじめて読んだときのことを思い出してもそうだけど、自分が本を読んで衝撃を受けるときって「こういうこと考えててもいいんだ!書いてもいいんだ!」っていうことで衝撃を受けることがほとんどだ。それはつまり自分の頭の中が良からぬ妄想満載だけども言葉にできるほどのスキルがない、ということとと、「俺はヘンじゃなかった」とどこかを許されたような気持ちになるということ。つまり自分は本を一冊読むたびに「これでいいんだ!」と心のリミッターをひとつひとつ外していることになる(外れないときもあるけど)。でも20年以上本を読み続けてきて、いまだに外れないリミッターがあるっていうのも自分の心のひねくれて頑ななところを感じさせてがっかりする。自分で自分に。

そしてJリーグ開幕に遭遇し、コンサドーレを知った自分は、どれだけ読んでも読み終わらないサッカーの奥の深さを思い知ることになる。リプレイをどれだけ見ても、生で試合をいくつ見ても、実際に自分でボールを転がしてみてもわからないことが多すぎる。多すぎるからこそ面白い。文章を読むだけでは体験することのできない論理と、システムと、神様のいたずらとしかいいようのないちょっとの運がそこにある。サッカーだけではない。バスケットでも、スキージャンプでも、野球でも、カーリングでも、そこにはスポーツを通してしか味わうことのできないロジックとドラマが隠れている。すべてが掌の上では転がしきれないシーンが溢れている。本ばかり読んでいて他のことには余り興味がなかった自分がスポーツを見るようになったのは、そういうところに惹かれたからかもしれない。自分でも剣道と弓道をやっていたけど、どっちかというとそれらからはプレーよりメンタル的なところで多くを教わった。剣道に関していえば才能は弟のほうが格段に上だったし、部活や道場でも下から数えたほうが早いような実力だった。試合に出ても3回戦まで勝ち進めればOK、みたいな。だから剣道の「精神」とか「心」とか、そういうほうに興味が傾いた。上には上がいるという絶望感と、自分に無い才能を持っていることへの嫉妬、はがゆさ、そういうのはスポーツから学んだけど、チームプレーのロジックを最初に学んだのはサッカーからだった。チームで戦うということ、勝つということの楽しさを学んだのも。そんなことを思いながら、今でも月に10冊は本を読んでいる。

posted by retreat |18:33 | aftertalk | コメント(0) | トラックバック(0)