2008年04月04日

aftertalk #37

clasics #37をお届けしました。前回の#36からは少しばかりの時間が空いた(つまりオフをもらった)ので、前回の正月に#36を書いて、この回を書いたときには既に03年の開幕直前という時期だった。

その間、僕はひとつの決断をしている。
会社を辞めるということ。
札幌に帰るということ。
札幌に帰って一向に良くならないパニック障害の治療に専念するということ。
従って、アウェイゴール裏からも距離を置くということ。

会社を辞めようと思い始めてきたのは02年の秋になってからのことで、いろいろ僕の勤めている会社は売り上げ的な危機に直面していた。そのなかで何もできずにただただ空気が悪くなっていくばかりのこの会社で働くこと、心も体もずたぼろになるまで働くということなんて僕自身には何も良いことをもたらすことはない、ということ。嫌気が差して会社に行くたびにどす黒い思いをしていた中で、片隅で、突き刺さっている思いもあった。

辞めていいの?ここで辞めたら負け犬になるよ?
他にもっと良い方法があるんじゃないの?

そう僕の中の一部分が僕自身に直接語りかけていた。
そしてもう一方で。

もう何もかも終わらせちゃおう。
ゴール裏も引退しよう。会社もおとなしく粛々と辞めていこう。
朝日がベッドを照らすたびに震える身体も、臆病で情けない心も捨ててしまおう。
もう、楽になろう。

そんな言葉が逆サイドから聞こえてくる。僕はどうすればいいのかわからなかったけど、どうにかしたかった、どうにかしたいから、どうにかできるだけの、ゆっくり考えるだけの時間が欲しかった。そこで年末年始の帰省を使って僕は青森を旅しながらゆっくりと考えることにした。2泊3日の行程の中で何らかの答えを見いだして、あとはそれを見いだした自分自身のことを信じてやって、生きていくことにしよう。

上野から寝台特急で秋田まで、そこから五能線で五所川原へ。そして当時僕が傾倒していた、太宰治の愛していた岩木山の麓にある岩木山神社へ。カーテンで仕切られた寝台車の中、ビールを飲み続けながら考えた。五能線の海岸沿いを走る風景を見ながら、津軽三味線の音とともに考えた。雪がしんしんと、しかし圧倒的に降り積もる岩木山神社のバス停で、缶コーヒーだけを暖房代わりにして、待合室の中でじっとしながら考えていた。青函トンネルを越えて乗り継ぎ、札幌へ到着する頃には既に悩みに決着がついていた。
アウェイの地を離れ、はずかしながらこの地に戻る。蝕まれているこの心と身体とを、どうにか自分で調節できるレベルにまで持っていく。そして、しばらくの間は何もせずにいる。(でも、そんなもんで回復できるほどの病気ではなかったと僕は改めて知ることになる)

僕があのとき、東京を離れるまえ、最後に見た試合はA3チャンピオンシップだ。あの記事を書いているころ、僕は引っ越しのために荷造りをしている最中だった。でも、その作業が終わっていようといまいと、「とりあえず最後の」東京での試合は見に行きたかった。そして韓国や中国のチームの試合を見ながら、ああ、これでとりあえず最後の国立だなあ、と寒さに震えながら思っていた。何泊したかわからないフランスW杯最終予選の青山門前、灼熱地獄の浦和戦、東京戦のあと担ぎ込まれた国立の医務室。それらすべてと、僕がサッカーに捧げてきた記憶の一部分と、これでお別れだ。そう思いながら、まばらな観客の中、ひとり試合を見ていた。
そうして、今でも病気は完治せず、ふらふらと人生をさまよい、国立には行けぬまま5年が過ぎた。

つまりは、まだ死ねないのだ。

posted by retreat |00:33 | aftertalk | コメント(0) | トラックバック(0)

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