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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。

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オオドサの想い出・その8

2016年12月05日

2016年が明け、しばらく調子がよかったものの、副腎などにも転移があることがわかり、いつまでの命かとの不安も募り、今のうちにできるだけ会う機会を増やそうと思いました。

この年も1月と2月は札幌に行く特段の予定はなかったけど、ほぼ隔週で札幌へ行きました。

コンサ観戦も昨年と違ってホーム開幕から参戦し、娘も積極的に兄と一緒にドームへ行ったので、開幕からホーム戦4試合連続で一緒に観戦したので、兄は嬉しかったでしょう。

4月の町田遠征は心配でした。

長野にいる大学の同級生が松本空港まで迎いに行ってくれたけど、札幌から千歳までの往復や、町田のホテルから羽田までは一人での移動だったので、何か起こらないか不安でした。

兄は手術の影響で左足の運動神経が少し麻痺していました。

今になって思うと、脊椎に転移があったので、すでにそのときその影響もあったのかもわかりませんが、いずれにしても転びやすいのです。

「杖を突いてゆっくり歩くから」と言っていましたが、もしも一旦転んでしまうと、一人で起き上がるのが難しいので心配でした。

6月の松本遠征は、往復とも松本空港で、同級生が送迎してくれたのは安心でしたが、やはり札幌・千歳の往復が不安でした。特に何も言ってなかったけど、この時期は大変だったのではないかと思います。

7月のキンチョウ遠征のときも、往路は私が同行したけど、大阪から宝塚へ電車で移動したり、大阪空港から札幌までは一人でしたので不安でした。

キンチョウスタジアムの帰りに転んだけど、そのときは私と次女がいたからよかったけど、一人のときに転んで、周囲の人に助けてもらったことがあるかも知れません。

でも、いよいよひどくなる1か月前でしたから、このときに行っておいてラッキーだったと思います。

前回書き忘れましたが、昨年2月21日に大阪で大学の同窓会があり、兄は行くのを楽しみにしていたのですが、調子が悪くなってドタキャンしたんです。
それだけに、今年、大阪に行くのは凄く楽しみにしていました。

ところで、兄の預金通帳を見たら、数年前の貧乏な時期にも毎月、2万円近く、宝くじを買っていました。

一度、数十万円もの当選があって良い思いをしたとはいえ、お金がなくても買うんですね。

あまりにお金がなく、2年前に倒れたときは国保料が払えず、健康保険の効力が停止されていて、慌てて区役所に行って追納したくらいなんですけどね。

まあ、国保も高くて、収入の1割も出さないといけないのはおかしいと思うのですけどね。
もちろん、収入が多ければ1割くらいでも良いのですが、何でワーキングプアが年間15万円も国保に払わないといけないのか、これはおかしいです。

いや、宝くじに20万以上出すのなら、国保を払っておつりがくるのだけど。

で、7年間で宝くじに200万円くらいつぎ込んだようです。たまに1000円とか1700円とか当選するものの、ほとんどはずれたようです。

貧乏人ほど宝くじを買うと言われ、貧乏人の税金とも言われていますが、、このデータではアメリカの低所得者は収入の9%も宝くじ購入にあてているそうです。

サッカーシーズン以外でも買っていたので、totoとロトなど、いろいろ買ったのでしょうけど、結局は損してますね。

通帳残高が数百円とかになり、兄弟から送金してもらってまた宝くじを買っているのにはがっかりですね。
兄は頭が良いのに、貧乏人がよけい貧乏になるだけということをわからないのか。

遊びで月に1000円とか2000円とか買うのならまだしも、万単位で買うとは情けないです。

保険金成金になってからは、月に4万円くらい買っていたようで、この2年だけで100万円くらいつぎ込んだみたいで、愕然としました。


オオドサの想い出・その7

2016年12月03日

冬は吹雪いて交通機関がマヒすることもあるので私は1月と2月は、特別用事がない限り、なるべく札幌方面へは出かけないようにしています。

キックオフイベントも、あまり行きません。
無事に帰宅できたとしても、日曜の遅い時間に雪かきやると、翌日は体がだるいので、なるべく早い時間に帰宅したいですから。
(キックオフイベントが土曜か日曜の早い時間帯なら行くのですけど)

でも、兄が大病をし、あとどれだけ生きられるかわからないので、なるべく札幌に行って、一緒に会食をする機会を沢山設けようと思いました。

だから、2015年1月24日に札幌に行き、白旗山へ行って、スキーノルディック複合の距離を見て、その晩は兄と会食にしました。翌日はついでに大倉山でジャンプを見ましたが、残念ながら葛西選手など日本人は振るいませんでした。(キックオフイベントには行かなかったのかと言われそう)

2月14日も札幌に行きました。
何も予定なかったけど、わざわざ会食だけのために行くとは言いにくく、講演会があるとウソを言って札幌に行き、楽しい会食にしました。 JRにはずいぶん貢献しました。 

この年はJ2開幕の直前になって具合が悪くなり、しかも経過が悪く、危ないところでした。
ようやく5月下旬に退院し、6月21日からスタジアム観戦を開始し、その後はしばらく落ち着いていたので、この年は兄と11回、一緒に観戦できました。

この時も保険がたくさん出て(余命半年の診断が下るとポンと大金転がり込んで来るのです)、4Kテレビやパソコンを買うなどの余裕が出ました。
人生でもっともリッチな時代だったでしょう。

ちなみに4Kテレビですが、4Kは良いとして、サイズが馬鹿でかく49インチもあります。
今、私の家にありますが、大きすぎて見にくいです (笑
狭い兄のアパートで、なんでこんなでかいの買ったのか信じられません。あまりありがたくない置き土産です。

この年は次女が就職で旭川から札幌に引っ越しし、兄と一緒に観戦や食事する仲間が増え、とても楽しかったと思います。

私の旅行記録ノートを見たら、寿司の出前が6回、鍋料理が3回(うち1回はフグの刺身も)、中華テイクアウトが1回、タケノコや魚介のテンプラが1回、刺身などの料理が4回、兄と一緒に食事していました。       

3月にストーマを装着し、安定するまでは何かあってもすぐに病院へ行けるよう、遠出を禁じられていて、アウェイ観戦はできない年でした。  

2015年大晦日も豪華なおせち。この他にも刺身や蒸ウニがありました。
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(下の写真は闘病記その2の再掲になります)
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ちなみに、おせちは大丸という美園の仕出し屋のですが、以前、兄が仕事をしていたときの顧客でもあり、2014年に倒れたとき、大丸さんに救急車を手配してもらった関係もあって、ここのおせちにしました。 しかも、大丸の社長は、兄の同級生(栗沢の農家)の親戚でもありました。 前年に引き続き私の娘二人も参加して賑やかで、兄も喜んだと思いますが、やはり思った通り、これが最後のおせちになってしまいました。



オオドサの想い出・その6

2016年12月02日

2014年の正月は母が不在で豪華おせちはナシ。

兄が札幌で一人寂しく年を越すのはかわいそうにも思ったけど、普段からしょっちゅう御馳走食べているし、兄一人に会うだけのためにわざわざ交通費かけて札幌に行かなくても良いと思い、私は旭川で家族4人で正月を過ごすことにしました。

でも、今になって思うと、やっぱり札幌に行ってあげるか、旭川の家に来てもらったら良かったかなとも思います。

この年は札幌に行っても日帰りが多く、3月8日から病気を起こす前の8月9日までの5か月間は5回しか兄と一緒にディナーにできなく、もっと機会を多くしておけばと思いましたが、まさか大病するとはわかりませんから仕方ないですね。

8月15日に倒れたあと、年末までは5回、兄とディナーにできたので、この年は10回、楽しいディナーを一緒にとれました。寿司を出前することが多かったです。
試合観戦は14回、一緒にできました。

退院後、最初の夕餉の一部。やっぱり毛ガニですよね。特に兄は毛ガニが大好きでしたね。2014年9月19日です。ちょうど花咲カニの時期で、私は好きなんですが、兄は毛ガニでないとダメなんです。
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主治医から、適量のワインなら良いと言われたのでワインで乾杯。 発病後、仕事は退職しましたが、入院保険にたくさん入っていて保険金成金になり、ようやく貧乏生活から脱却でき、私も支援しなくてよくなりました。 兄が自分で2つの保険に入っていたのですが、それとは別に母が兄に2つもかけていたのです。 私や姉にはかけずに兄だけにかけるとは、まるで兄が大病するのをわかっていたみたいです。 兄が不健康な生活しているのはわかるとはいえ、驚きです。 入院中、個室に入っていたけど、個室を使うと1日1万円、保険が出るというのも驚きました。 実際の個室料金は日額5000円なので、1日あたり5000円の差益が出ました。凄いです。 ちなみに、私は入院保険とか、死亡保険とか、全く入っていませんよ。病気しない自信あるので (笑 もしも死んだら個人年金や年金基金の保障分や小規模企業共済とかは遺族に出るし、入院に関しては必要ないと思っているのです。 9月23日の岡山戦からドームへ行くことができ、10月26日のベルマーレ戦、11月9日のカマタマーレ戦までは車いすでの参戦でした。 10月26日は車いすを押して地下鉄で行きました。 11月23日のホーム最終のジュビロ戦は私が横浜出張で不在でしたが、自宅からタクシーでドームに行き、ドーム内は車いすなしでも大丈夫でした。 恒例の正月おせちですが、あと何年生きられるかわからないし、これが最後のおせちになるかも知れないと思って、2015年のは思い切り豪華にしました。
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年末年始は生うには高いので、普通は手が出ないけど買いました。カニも高かったはず。 また、人数も多い方が楽しいし、姪っ子(私の娘二人)にも来てもらってにぎやかで楽しい大晦日になりました。 生きていることの喜びをかみしめながらの宴でしたが、「もう一度来年はあるかな・・・  でも、2年後、3年後はない可能性が高いかなぁ・・」と思いながらでしたが、その通りになってしまいました。 御馳走の写真が多いですが、兄は一緒に食事するのをとても楽しみにしていたので(食事よりも酒かも知れないけど)、御馳走抜きに兄の想い出を語ることはできなく、ついつい御馳走の話になってしまいます。



オオドサの想い出・その5

2016年12月01日

2011年は震災はあったものの、兄は仕事もコンサ観戦も調子良く、室蘭も函館も日曜開催だったので、全ホームゲームに参戦し、コンサは昇格を決めることができた、良い年でした。

兄は貧乏生活なので、アウェイゲームになんか行けるわけないのですが、私が負担して、10月22日の鳥取に遠征しました。こちらで紹介しています。

遠征だけが目的でなく、関西に友人が多いので、友人に会う楽しみもあります。

短い日程もあって、猪が近所に出没する神戸の友人にしか会うことができませんでしたが、とても有意義な旅でした。 試合は負けてしまいましたが・・

室蘭遠征も楽しかったし(横浜に負けたのはおいといて)、函館遠征は美味しいそばを食べたり、路面電車のハイカラ号に乗ったり、温泉に泊まったりと、とても楽しかったです。

4万人近く入った12月3日のFC東京戦は、兄が最も興奮した試合だったと思います。

この年は18回、兄と試合観戦をし、22回、ディナーを楽しむことができました。コンサは昇格できたし、貧乏でも楽しい時期だったと思います。

このころから発病する2014年夏までが最も充実したコンササポ人生だったと思います。

まとめると、
第1ステージ 2009年7月から約1年間の就活の時期

第2ステージ 2010年6月から4年ちょっとの安定期

第3ステージ 2014年8月から2年3か月の病気療養期

トータルで7年4か月ほど、大阪から戻って札幌で生活したことになりますが、あっという間に感じます。

2012年も豪華おせち。
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正月早々、元旦から兄と一緒に東京へ行きました。 私が義妹の車をもらうため、東京に取りに行ったのですが、兄も同行したのです。 せっかく車を東京から北海道へ運ぶのですから、ついでに兄に東北の旅をさせてあげようと思ったのです。 昼の飛行機で東京へ行き、荻窪で車をもらって即刻、石巻まで移動しました。 石巻に兄の大学の同級生がいて、震災被害にあったので、見舞いをかねて会いに行ったのです。 翌日、三陸の被災地を巡って秋田まで移動しました。 そのときの様子はこちらをご覧ください。 秋田からフェリーで苫小牧に着き、3日に札幌に着きました。 兄に生の被災地を見せることができてよかったと思います。 2012年も兄はホームゲーム全試合見たと思います。J1のこの年は負けてばかりでしたが・・ お盆にドームで日本代表のベネズエラ戦を見たのも良い想い出です。 この年は私の引っ越しもあったりで、兄と試合観戦したのは13回にとどまり、17回しかディナーにできませんでしたが、楽しい日々を送ったと思います。 2013年も正月は恒例の豪華おせちで年が明けました。 おせちは廉価版にして、かわりにアワビやカニなどで豪華にしました。
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でも、実は2012年12月30日の晩、遅い時間に問題が発生しました。 22時ころ、兄から電話があって、腹痛がひどいとのこと。 救急車を呼んで病院で診てもらったら、原因は単なる腸の蠕動運動が亢進しているだけとか。 31日の朝には症状も落ち着き、予定通り大晦日の夕方恒例の豪華おせちにありつくことができました。 再発防止に(あるいは再発したときのため)、漢方の桂枝加芍薬湯を兄に上げましたが、それ以来、しばらく特に問題はありませんでしたが、今になって思うと、大腸がんの影響なのかも知れません。 この年は長女が北広島の大学に進学で千葉から戻ったので、観戦や食事のときの人数が増えたこともあって、より楽しくなりました。 私は娘のところに泊まる機会が多くなり、兄と宴会をする機会は減り、11回に留まりますが、一緒にコンサ観戦したのは17回もあり、ランチを一緒に食べる機会は多かったし、姪っ子(私の娘)が兄のところに泊まったりで楽しい日々でした。 でも、コンサの順位は8位で、1年でのJ1復帰はなりませんでしたね。 終盤はレコンビンで盛り上がったのですけどね。 経済的には相変わらず大変な状況だし、うちは娘の大学進学もあって、財布のひもを緩めることはできず、2012年から引き続き、兄のアウェイ観戦はなし。(私は2012年に千葉にいた娘に会って一緒にカシマへ行きました。0-7で負けた試合です。) それでも充実した年だったと思います。 コンサドーレがなかったら、どんなにつまらない生活だったかわかりません。



オオドサの想い出・その4

2016年11月30日

2008年の暮れごろに兄は会社を退職したものの、リーマンショックの影響で自宅マンションが売れず、越すのが遅くなって、ようやく2009年7月に札幌に引っ越しました。

結局、売れなかったマンションは銀行が処分し、ローン残債と相殺し、500万円くらいの負債が残ったようです。
(私にはチャラになったと言って心配させないようにしていましたが、亡くなってから書類を見てわかりました。)

質権は住宅債権管理回収機構に移り、当初は月に1万円、まもなく月に5000円、返済していました。

零細企業に勤務しているのなら、安易にマンション(自宅)を買うものではないんですよね。

引っ越し準備で札幌に来たときの2009年6月7日のドーム・サンガ戦以降、この年のほとんどのホームゲームを観戦しました。
宮の沢では石崎さんが焼いた広島お好み焼きを食べるなど、コンサを堪能することができました。昇格はできなかったけど。

しかし、兄の考えは甘かったのです。札幌ではスキルを活かした仕事が見つかりません。

あてがあったとは言っていたもののダメでした。兄の言う「あて」は、どれくらいの確度だったのか・・

そんなことなら大阪で安いアパートに越して、大阪で再就職先を探したらよかったのか?
コンサの存在があるなら貧乏しても楽しい生活になるから札幌にと思ったか。

53歳という年齢で、番組制作以外、これといったスキルはないうえ、リーマンショックの不況が続いていました。

札幌市営地下鉄の車掌に応募し、最終選考まで残ったけど、これもダメでした。
(車掌になれたとしても、ワンマン化を進めているので2~3年の命でしたが)
ちなみに、面接のときに「筆記試験は2番の成績でしたよ」と言われ、合格を信じたんですが・・

ついに失業保険が切れましたが、まもなく郵便局のバイトが見つかりました。でも、3か月くらいで終了。延長はなく、いよいよ路頭に迷うというか、100%、親兄弟の世話になると思ったとき、くじ(ロトなんとかいうやつ)で60万円ほどあたり、少し延命できました。

そんな大変な2009年でしたが、コンサの試合を一緒に見たり、それ以外の用で札幌に行くなどで兄と会う機会が多く、19回も一緒にディナー(宴会?)にしています。
積極的に一緒に飲み食いしておいてよかったです。

9月の5連休のときに室蘭で試合を見たあと、函館に足を伸ばして観光したもの良かったです。
ちなみに、室蘭での試合にはJRで行ったのですが、偶然、淡路さんと相席になりました。
→ 訂正します 淡路さんと相席になったのは2011年6月でした

その年も年末は恒例の豪華おせち。おせちの写真が続きますが、大きな想い出なんです。
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北海道に帰ってきてホッとした気持ちと、就活が上手くいかず、焦燥感もある状態の、もやもやした気持ちで食べるおせちだったと思います。 郵便局を退職したあとの仕事がなかなか見つかりません。 2010年春になって、ようやく待望のまともな会社、まともな仕事に就くことができました。 コンサのスポンサーにもなっている立派な会社です。 これは嬉しかったですね。 ところが入社後1か月ちょっとでトラブルがあって退社を余儀なくされてしまいました。 またも浪人生活かと絶望していたら、アパートの近くのクリーニング店に採用されました。主に工場と企業の間の集配業務でした。 スキルを活かすことのできない職種でしたが、病院関係の担当が多く、かつて実家が診療所だったので医療のことがある程度知っていたのは強みでした。 ただし、最低賃金ぎりぎりの超薄給です。ワーキングプアです。祝日の多い月だと手取り10万ちょっとしかないのです。 だからそれ以降、一昨年の発病までの4年ほど、私と姉が毎月、生活費を援助していました。 (病気をしてからは保険がたくさん出て保険金成金になりましたが) 私は援助する余裕はほとんどなかったのですが、どうにかして工面しました。 好きな仕事と思って放送業界に入ったものの、不況で職を失って、こんな結末になってしまうとは、なんとも残念なことです。安定性と言う面からは、良い職業とは言えないのでしょうけど、好きな仕事を選んだのですから、仕方ないでしょうか。 それでも新しい仕事は夕方は17時前に終わるし、土曜午後と日曜は休みなので、コンサの試合は函館開催以外のホームゲーム、全試合見ることができたし、キックオフイベントに初めて行くことができました。 そんな貧乏暮らしでも、コンサドーレという大きな生き甲斐があり、サポ仲間もたくさんできて、それなりに楽しい生活だったと思うので、帰郷して正解だったでしょう。 コンサは昇格できなかったけど。 ちなみにヨーデルさんのご自宅に招待されたのは、10月11日の厚別での天皇杯(鳥取に勝利)の日で、兄はとても喜んでいました。 そのときに乗せていただいたヨーデル号。
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宴会後、兄は「酔う出る号」になったと自分で書いてます。 この年は兄と20回、楽しいディナーをともにできました。 年末恒例の豪華おせち。
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このときは前年と違い、薄給ではあっても仕事の不安もなく、御馳走を満喫できました。  こんなにホッとした正月はなく、いい気分で2011年を迎えました。



オオドサの想い出・その3

2016年11月29日

兄がコンサブログを開設したのは2008年11月ですが、その1年くらい前から〇たさんやひばりさんなど、他所に盛んに書き込みを始め、すぐに有名人になった感がありました。

2008年はいろいろ事情があって、兄と本州で3回も会いました。
前述したホムスタへ行った他に2回も静岡へ行ったのです。

いつも正月、兄は帰省し、札幌でのんびりするのですが、2008年の正月は母が旅行に行き、実家には誰もいないので帰省しないことになりました。
でも、兄がひとりぼっちではかわいそうなので、いろいろ考えた結果、年末に静岡で待ち合わせ、大井川鐡道に乗ることにしました。兄に寂しい思いをさせなかったこのプランは自慢です。
そのときの様子はこちらで紹介しています。

また、9月の日本平にも、兄と二人で行きました。このときは二人とも休みを長くとることができたので、3泊4日の日程で、建設中の静岡空港を見たり、藤枝の知人宅を訪れたり、ゴンや岡田選手などの出身校の藤枝東を見てから日本平へ向かいました。試合は負けてしまいましたが・・
さらに天竜峡の川下りや、名古屋でガイドウェイバスとリニモ(リニアモーターカー)に乗り、トヨタ博物館に行くなど盛りだくさんで、想いでいっぱいの良い旅になりました。
兄もたいそう喜んで、行っておいてよかったです。
そのときの様子はこちらです。
兄はトヨタ博物館に大感激していました。

この年はお盆の帰省もあり、4回、兄と会うことができました。
お盆のドームではサンガ戦を見ました。この試合も負けてしまいましたが・・

このとき初めて母をドームに連れて行きました。母は足腰が弱っているので、私の車でドーム前の歩道橋のところで降ろし、北ゲートからはドームの車いすを借りました。 私が車を駐車場へ入れる間、兄は母の介助をしました。
そんなわけで、母の面倒を見る必要があるのに、またも兄はドームでビールを急ピッチで飲みました。
3杯目を買ってきたときにはさすがに私は取り上げて捨てました。
例によって、ビールにウイスキーを入れて増強していたのですから。

私一人で母と酔っぱらいの二人の面倒は見れません。 困ったものです。

兄はしばしばドームで転んでいました。飲みすぎなんでしょう。

雨で寒い厚別でも、絶対にビールは欠かせませんでした。意地でも飲むのです。

飲まずにいられないというのもあるでしょうけど、スタジアムでは絶対に飲むものだと信じているのでしょう。
スタジアムで飲まないような禁欲的なスタイルは嫌だという信念を持っているのでしょう。
そんな考えは、愚かだと思うのですけどね。

まあそんな問題はありましたが、兄は離婚し、一人で暮らしていたものの、コンササポになり、とても大きな生きがいを見つけ、少し暗かった人生が、パッと明るくなった感じがしました。

本当にコンサとコンササポには感謝しています。


ただ、2008年には人生の転機が訪れます。

リーマンショックの影響で、会社のリストラにあったのです。

会社が従来の受注を継続するためには何千万円もの設備投資が必要になり、その投資ができず、業務内容を一部見直し、兄には退社してもらうか、あるいは別の業務をする代わりに給与がそれまでの2/3に減額かという選択を迫られました。

2/3の給与では、購入したマンションのローンが払えないため、転職を余儀なくされました。

離婚して一人暮らしになったため、広いマンションを持て余していたので、処分して北海道に帰郷することにしたのです。 2008年の暮れ頃の話です。

2/3の給与でも失業保険でも、ほとんど同額なので、就活は後回しにして、さっそく兄は失業保険での生活が始まりました。

いつものように年末に帰省し、豪華おせちになりました。
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オオドサの想い出・その2

2016年11月28日

2008年4月のホムスタでのコンサの試合に私と兄とで参戦しました。

試合後は西宮の知人と会食することになっていたので、スタジアムではあまりお酒は飲まずに、会食で美味しい酒を飲むことを楽しみにしていました。
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              西宮の「おいしいね」という名前の焼き肉店で、中央がオオドサ でも、スタジアムに着いたら兄が「ビール飲もうか」と言ったので、私はあまり飲むつもりはなかったけど、兄は酒が好きだし、1杯だけ飲もうかということになりました。 しかし、1杯飲み終わるころ、兄が2杯目を自分と私の分を勝手に買ってきたのです。 私は激怒しました。 せっかく試合後に美味しい酒を飲むのを楽しみにしているのに、なんでここで酔っ払ってしまうの!! そんなに飲んだら乾杯の酒が美味しく感じないし、せっかくの御馳走が堪能できないじゃないの!! それに、ビール2杯だけではないのです。 兄はウイスキーポケット瓶を持参していたのです。180ml入りのはずだだから、普通のボトルの1/4です。シングル6杯分です。 しかも、スタジアムに入るとき、「瓶・缶・ペットボトルはないですか」に、馬鹿正直に申告し、紙コップにウイスキー入れてしまって飲まざるを得ないことになったのです。 私は瓶を預けたらと思ったのですが・・   兄はビールにウイスキーを入れてアルコールを増強して飲む習慣があったのです。 そんなことして沢山飲むから大腸がんになるのです。 だからスタジアムでビール2杯とウイスキー180ml飲んだのです。ビール換算で約2.5リットルのアルコールですよ。 せっかくの会食の乾杯を何だと思っているのか、私は激怒したのです。 酔っ払って西宮から大阪市の福島まで電車で帰らないといけないし、飲みすぎはいけません。 会食のとき、酔っ払って人妻に抱き着いてしまったし・・ 兄はアルコール依存症と言えると思います。酒のせいでいろいろ失敗がありました。 人生、やり直しは利くことが多いでしょうけど、命はやり直しができません。 大腸がんはタバコの影響も相当大きかったとは思いますが、アルコールの影響も、相当あると思っています。 兄は他人に優しくて素晴らしかったと思いますが、自分にも優しく甘かったのです。 釣りに行っても、5分くらい当たりがないだけで「帰ろう」と言うくらい根気のない人でした。 そんな兄でしたから、私が頑張って早く禁煙させ、酒を減らすようにすればよかったと後悔しています。 もっとも、盆と正月くらいしか会えないので難しかったですけど。 ちなみに、ヨーデルさんのご自宅に招待されたときもウイスキー持参で、こっそりビールに入れたときには、またも私は激怒しました。 古くからの友人宅ならまだしも、初めて行く家で、なんで大酒飲もうとするのか理解できません。 それに地下鉄で帰宅するのだから、しっかり歩けるくらいにしておかないとなりません。 皆さんも、周囲にこういう人がいたら厳しく指導してほしいと思っています。 幸か不幸か、兄には妻子はいませんでしたが、養う家族がいる、一家の大黒柱がそうなっては悲劇です。 親よりも先に亡くなるのも親不孝です。 どうか皆さん、オオドサの真似はしないで下さい。



オオドサの想い出・その1

2016年11月27日

オオドサの生い立ちや想い出などを綴っていきたいと思います。

兄は1955年、栗沢で生まれました。

小学校のときに放送部に入り、放送機器の操作が大好きで、中学校でも高校でも放送部に所属し、大学は大阪芸術大学放送学科に入りました。兄にぴったりの学科があったんですね。
同級生には世良公則がいました。有名になるまでは目立たない普通の学生だったそうですが。

アナウンサーを目指したわけではありませんが、しゃべるのが好きで、中学時代からアマチュア無線にも没頭していました。

子どものときから良くしゃべり、明るく外交的で、私とは違っていました。

しゃべり過ぎて口が軽いのが玉にきずで、ご迷惑おかけした人も少なからずいらっしゃるのでお詫びいたします。

大学時代、大阪毎日放送でバイトしてはいましたが、放送局に就職するのは難しく、関西のTV局に就職できず、本来は応募資格がなかったSTVに、コネで就職も試みたものの叶わず、結局、大阪の弱小TV番組制作会社に就職しました。

従って、1974年から2009年までの35年間、ほとんど大阪にいました。京都に住んでいたことはありますが、仕事は大阪でした。

例外的に1987年ころ、1年くらい札幌で仕事していたことはあります。

そんなわけで、私がオオドサに会うのは、正月とお盆の年に2回でした。

兄がよく、「セレッソの寮に住んでいた」というのは、尼崎にセレッソが選手寮として借り上げたマンションがあり、セレッソは2階から上を使っていて、1階の一部屋だったか二部屋だったかを一般に貸していて、兄は、週末はブラジル人が騒いでうるさいのを了解することを条件に安く借りていたそうです。1990年代の話です。

甲子園球場に阪神タイガースの試合を見に行ったり、高校野球のときは北海道の高校の試合を見に行ったりはしていましたが、Jリーグの試合は見に行ってなかったようです。

でも、コンサの試合はTV観戦していたそうです。(京都戦はKBS、神戸戦はサンテレビでしょうか)

スタジアムに足を運ぶようになってほしいと思い、お盆に帰省した時に厚別に誘うつもりでしたが、なかなかコンサの試合と帰省のタイミングが合わず(兄が合わそうという気も薄く)、初めてスタジアムに行ったのは2005年の厚別・ベガルタ戦でした。中山元気と池内のゴールで劇的逆転勝利。翌年のお盆も厚別・ベガルタ戦を見て勝ちました。 やっぱり厚別はベガルタ戦に限りますね。

試合観戦に感動し、2005年から関西でのアウェイゲームも行くようになりました。

ですから、兄が熱烈サポになったのは、まだ10年ちょっとのことですが、しかし、私以上に熱烈サポになるとは思っていませんでした。

はじめてドームに行ったのは2007年で、三浦監督がベストゲームと言った、セレッソに3-0で勝った試合でしたが、素晴らしい施設にも感動していました。

2008年4月のホムスタには私も一緒に行きました。
ダヴィのゴールもありましたが、ドローになった試合でした。
翌日は長居でセレッソ対ロアッソの試合を見ました。このときに長居球技場があることに気づき、ここを天然芝にしてスタンドを整備してJリーグの試合をできるようにしたらサッカー専用で良いねとオオドサと話していたら本当にそうなってびっくりしたのです。

長居へ向かうオオドサ。2008年4月です。
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ホムスタでは強烈な想い出がありますが、次回紹介します。



オオドサ闘病記・その3(2016年)

2016年11月26日

2016年は体調も良く、開幕からしばらく連続してホームゲームは参戦していました。

4月23日にはアウェイドールズの懇親会をやりました。

懇親会は2年位前から計画していたのですが、土曜に試合がある日で、かつ、ナイターではないという条件に合う日が少なく、機会をうかがっているうちにオオドサが発病してしまい、なかなか実現しませんでした。

とても盛り上がって楽しい会でした。できたらもう1回やりたかったけど。 このときの様子はこちら。

2015年は3月にストーマをつけたため、しばらく安定するまで遠出を禁止されていたけど、それが解除になったこともあり、今年はアウェイも行くことにしました。

九州での試合は熊本も長崎も北九州も秋なので九州リベンジ(一昨年行けなかった)はできなかったものの、7月にキンチョウ行くことができて良かったです。 長年住んだ大阪には友人が多く、最後に会っておいてよかったです。

また、町田と長野(茅野)にも友人がいるので4月の町田戦と6月の松本戦に参戦でき、とても楽しかったようです。

結局、8月7日のドーム・エスパルス戦まで15試合、スタジアム観戦できました。

8月14日の山形戦は、ライジングサン帰りの家内と私がオオドサを迎いに行き、ドームへ向かいました。
しかし、ドームに着く前からオオドサは体調不良を訴えていて、ドームに着いたらさらに悪化して観戦が無理ということになって、キックオフ前にタクシーで帰宅しました。

私と家内はそのままドームで観戦しましたが、容体が心配で、試合が終わったと同時に急いでドームをあとにしてオオドサの自宅に行きましたが、少し元気になっていて、TV観戦はしたとのこと。

しかし、がんの最終段階の予感がしました。

翌日、病院へ行ったら「いい薬をもらったから」「これで今度ドームに行って具合が悪くなっても大丈夫」と本人が喜んで言うのです。なんの薬かと思ったら携帯用粉末の麻薬なのです。
麻薬ということは痛みがあるということ。
前日、「具合悪い」としか言わなかったけど、周囲に心配かけたくなく、痛いとは言わなかったのか。

痛みを抑えるために麻薬が必要という段階なら、もう先はかなり短いということを意味しますから、そんな薬をもらっても嬉しくありません。 

あと2~3か月の命だろうと思い、実際、その通りになりました。

8月17日から入院し、「検査入院だから1週間くらいで退院するよ」「25日のロアッソ戦は行くよ」などと言ったものの、退院は9月5日でした。

すでに肝臓の他、副腎と肺に転移していることはわかっていましたが、このときの入院で、すい臓と脊椎にも転移していることがわかりました。

で、脊椎の転移のため、急速に下半身のしびれや麻痺が起こり、9月24日に一緒に食事したときは階段を上がるのがやっという状態で、9月26日から入院になり、残念ながら二度と自宅に帰ることはありませんでした。(骨になって帰りました)

脊椎を圧迫しているがん組織を縮小させるために放射線療法を10日間行いましたが、全く効果はありませんでした。

放射線はあきらめ、リハビリ訓練だけで回復を期待し始めた10月22日のドーム・ヴェルディー戦の帰りに見舞に病院へ行ったら腸閉塞を起こして処置をしていて辛そうでした。

ストーマ周辺の大腸が、がんの再発で詰まってしまったようです。

オペしないとダメということで25日以降に開腹手術を予定していたのですが、検査の結果、オペは無理で、ステント挿入でしのぐことになりました。

たぶん、肝機能が落ちているのでオペは難しいことと、どうせもう先が短いから、大がかりなオペをやる甲斐がないということだったかもしれません。

実際このころ、肝臓が機能してないから1か月持たないと宣告されました。

そこで、11月2日にステントをストーマ経由で大腸に入れて開通させる処置をし、上手くいって食事できるようになりました。そのときの様子はこちら。

しかしそれも束の間で、数日後にはまた食事できなくなってしまい、ジュースかスープくらいしか口にできなくなりました。こっそりチョコレートは食べてましたが。 やはり大腸のがん再発がひどかったのでしょう。

だんだん倦怠感も強くなり、しんどいと訴えるようになり、オオドサが最後にブログにエントリーしたのは11月6日でした。

11月10日に見舞に行ったときは相当弱っていましたし、辛そうで、あと1週間か10日くらいしか持たないと感じました。実際、8日しか持ちませんでした。
12日に見舞に行った姉は、看護師から「あと1日か2日しか持たないかも」と言われました。

13日に見舞に行ったときは、さらに辛そうでかわいそうでした。
10日はまだ普通に会話できていましたが、もう会話はほとんどできなくなっていました。
「痛い」と訴えたので「看護師さん呼ぶ?」と聞いたら「呼んで」と返答はありましたが、声を出すのもやっとで、返事に時間がかかりました。

17日に行ったとき、会話できないと思ったけど、私と姉の会話(「大学の同級生?」)を聞いて、「大学」「高校じゃない」と声を出しました。
最後の言葉はこれだったと思います。

18日の朝、病院へ行ったら姉が「口で呼吸をしている」と言いました。

たしかに口をパクパクしています。

これは、呼吸機能が低下し、酸素がほしくて無意識に口を動かす行為で、こうなると今日・明日で逝ってしまうというサインです。

私は17日午後と18日午前の仕事を休みにして、18日午後と19日午前に仕事を入れていたので、死に目に会えないのはわかりました。
さらに仕事を先送りにすることも考えたのですが、姉がいるから死に目に会えなくても良いと思って病院をあとにしました。

やっぱりその晩、22時過ぎに電話が鳴りました。何の電話かは確信しました。

すでにお知らせした通り、コンアシ見終わったと同時に息を引き取ったとのこと。

コンアシ見終わって緊張の糸が切れたのか。

20日の試合まで切れずに頑張ってもらいたかったけど、昇格は確信したと思います。

あと8日で61歳の誕生日でした。

少し短い人生でしたが、安らかに眠ってください。

いや、天国でマシンガントークしてうるさくやっていることでしょう。

皆さん、兄がお世話になりました。ありがとうございました。


オオドサ闘病記・その2(2015年)

2016年11月25日

2015年は平穏に年が明けました。

いつもの正月と同じように、豪華なおせちを親・兄弟・姪っ子などと一緒に味わい、楽しく過ごすことができました。 
そのときの様子はこちらのオオドサのブログをご覧ください。

しかし、3月15日のホーム開幕戦(第2節・ドーム長崎戦)を目前にして、体調が悪くなりました。

そもそも前年8月のオペは緊急オペなので、完璧なオペではなかったし、無理してストーマ(人工肛門)を付けないでオペを終えていたので、やはり無理があったのでしょう。

そのため再手術が必要になり、3月3日に入院し、5日にオペを行いました。10時間もかかった大手術です。

ところが心臓に負担がかかったり、感染を起こしたりなど、経過が非常に悪く19日に再オペを行いました。 ストーマにしたのもこのときです。

1回目のオペのあと、かなり辛そうでかわいそうでした。

再オペのあとも辛いのがしばらく続き、相当不安になりました。

そんな不安をかかえた状態で私と次女で15日にドームに行ったので、試合観戦(応援)に集中できなかったし、試合は0-1で長崎に負けるし、テンション下がりっぱなしでした。

21日の第3節・ドームアビスパ戦に至っては、もう助からないのではという思いで観戦したので、試合内容はあまり記憶にありませんが、調べたら都倉と福森のゴールで2-1で勝った試合でした。

でも、アビスパに勝ったのが良い薬になったのか、ここから急速に回復を見せ、翌22日にはブログにエントリーし、25日からは食事もとれるようになりました。

このころのエントリー(2015年3月)は、こちらです。

ところが一本調子で良くなるのではなく、またも具合が悪くなったのです。

感染を起こしたようで、かなり具合悪く、今度こそ、助からないのでは思いました。

お腹は腫れあがって妊婦のようでした。まあ、もともと太ってお腹は出ていましたが、さらに巨大化したのです。

4月は1日のエントリーのあと、29日までありません。相当悪かったのです。

4月のエントリーはこちらです。

1日のエントリーのときも具合が良くなかったものの、せっかくいただいたプレゼントを紹介したいと、頑張ってエントリーしたようです。

しばらくしてようやく快方に向かい、5月21日に退院できました。約2か月半、入院していたことになります。

5月のエントリーはこちらです。

そのため、2015年シーズン最初のドーム観戦は6月21日の北九州戦でした。
1-1のドローでした。

6月29日は大分に1-1のドロー、7月18日はカマタマーレに0-1で負け、26日の愛媛戦も0-1で負け、8月15日の岡山戦はゴールレスドロー。
ようやく9月12日の横浜戦は2-0で勝ちました。

この後、11月23日の最終戦、栃木戦までドーム観戦できました。

1度だけ厚別にも行きました。

ストーマ装着者ということで障害者手帳も発行され、おかげでドームでは障害者用駐車場を利用でき、とても便利でした。料金は1,000円なので格安だし、完売になることはほとんどなくて重宝しました。
一度だけローソン販売分が完売でしたが、ドームで購入できたので助かりました。

厚別の障害者用駐車場は台数が少なくてハガキ抽選ですが、無料でした。

この間、私はできるだけオオドサと美味しいものを一緒に食べる機会を設けようと思い、土曜日なら祝勝会(ちくしょー会?)、日曜のゲームのときは前夜祭を母の家でやりました。

姪っ子(私の娘)にも、できるだけ来てもらって、にぎやかな楽しい宴会を開きました。

「あと何回、これができるだろうか」と思いながらでした。

最初のオペ(2014年8月)のとき、すでに肝臓に転移があり、たぶんあと1~2年だろうと思っていました。 (結局、2年3か月でした)

恒例の年末年始の豪華おせちをもう一度できたらと強く願っていて、願いが叶いました。

これが最後になるかも知れないと思って、超豪華なおせちにしました。
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とても楽しい年末年始の宴会でしたが、思ってた通り、これが最後となってしまいました。



オオドサ闘病記・その1

2016年11月24日

この2年半の闘病記を書きたいと思います。

まず、病気の前兆、いや、すでに大腸がんが発生していたと、今になって思うのは、2009年にオオドサが北海道に戻った頃には胃腸の調子が悪かったのです。

食事中に急にトイレに行くことがしばしばあり、下痢なのかと思ったら反対に便秘ということですが、ちょっと普通の便秘とは様相が違い、腑に落ちなかったけど、特に病院へ行くとかはなく、放置していました。

2014年8月9日(土)、里塚で墓参りをし、その晩は神戸から来札した知人と共にキリンビール園でジンギスカンを食べましたが、意外とオオドサは飲みませんでした。

その晩は母の家に泊まったのですが、母の家でもう一杯飲むこともなく、すぐにベッドに入ってしまいました。

翌10日(日)はドームでのサンガ戦を見に行きました。3連敗してしまいました。(その次も負けて4連敗)

いつもは立って応援するのですが、この日は体調が悪いと言って、珍しく(初めて?)座って応援。 このとき、かなり我慢していたのでしょう。

11日(月)から普通通り仕事をしましたが、あとになってみたら食卓に胃薬の空袋が大量にあったので、かなり腹痛があったのに病院へも行かずに我慢したことが想像できます。

8月15日(金)、オオドサはお盆休みはないものの、仕事は少なく、午前中の勤務だけだが、昼近くにいよいよひどくなり、美園の取引先の駐車場で車をとめ、救急車の手配を依頼。

救急車内では血圧が80を切っている状態。

平岸のKKR病院へ搬送され、大腸に穴が開いて腹膜炎を起こしているとのことで緊急手術。

私はお盆休みで、家にいました。というか、家内や娘がライブ(石狩で毎年やっているRSR)に行っていて、私は猫と留守番でしたが母から連絡を受け、慌てて車を飛ばして病院へ向かいました。

14時キックオフのオペは4時間コースと言われていたけど、実際は9時間近くかかり、控室で待機していた私と母は、オペが上手く行っていないのか、命が助かるのか、ずいぶん心配したものです。

でも、翌朝ICUに見舞いに入ろうとしたらすでにICU中に響き渡るオオドサの大声のジョーク連発が聞えて安心したと同時に、大声で迷惑かけて困った気持ちになりました。

もういっぺん人工呼吸器をつけたらと思いましたよ。 そのときの様子はこちら。

経過は順調で、早ければ1か月ちょっとで退院できるとのことで、9月23日ドーム岡山戦参戦を目標にし、微妙な感じでしたが、強く早期退院を本人が希望し、20日に退院しました。

ちょっと無理な早期退院で、オペした部位から出血が続いたりはありましたが、23日にはドームへ行くことができました。こちらをご参照ください。

このあと、10月11日の厚別は行かなかったものの、10月26日、11月9日、11月23日のドームには参戦し、2014年シーズンを終えました。


葬儀の様子をまとめました

2016年11月23日

オオドサは18日22:00に息を引き取り、1時間後には葬祭場に入りました。

翌日の仮通夜は、葬祭場の家族控室で行いました。
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20日19時からここでお通夜をやりました。
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赤い花に黒いリボンは北海道育ちで熊本在住の鳥栖サポーターからいただきました。 今年、スタジアムで着ていたレプリカを載せて棺に入っています。担当してくれた葬祭場のスタッフは「今年のレプリカですね」と、良く知っていてびっくりしました。
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お通夜のあと、親族で食事をしましたが、オオドサにも前菜だけ供えました。
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翌21日10:00から告別式。 サポ仲間がJ1昇格のタオマフを用意してくれ、棺に納めました。
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出棺になりますが、この斎場はコンサのスポンサーなのでこのポスターがありました。出来立て、貼りたてのポスターです。お通夜のときはなかったはずです。 ポスターの文面から、来年もスポンサー継続になるようですね。
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マイクロバスで50分ほどかかって里塚の火葬場に着きました。遠いですよね。
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焼くのに1時間半くらいかかりました。骨を拾っているところです。
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重油か軽油などで焼くのかと思ったら、マイクロウェーブだそうでびっくり。900~1000度くらいになるそうです。 里塚からの帰り、ドームの前を通ります。何度ドームに行ったことか。
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福住駅とドームの間も何度歩いたことか。
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喜びながら歩いたり、しょんぼりしながら歩いたり、思い出いっぱいの道を通ることができたので、手稲山口の火葬場ではなく里塚で良かったです。 手稲山口だと宮の沢は通るだろうけど。 この後、骨になったオオドサは再び北5西22の葬祭場でお経をあげてもらい、長丁場の葬儀は15:30頃、終了しました。 骨壺は大通西18の母の家においてあります。 四十九日は明年1月5日で、そのあと、里塚にあるお墓に納骨となりますが、雪深い時期の納骨は困難なので、春まで栗沢のお寺で預かってもらう段取りになっています。 以上です。皆様、ありがとうございました。



オオドサのブログにお礼書きました & 金沢戦

2016年11月22日

このたびは兄のブログにたくさんのコメントをいただき、ありがとうございました。

遅くなりましたが、私からお礼のコメントを書き込んでおきました。

こちらです。


さて、20日は葬儀の打ち合わせがあるけど、それは姉と母に任せて、私と娘はドームに向かいました。

施主の私が打ち合わせよりもサッカー観戦を優先するのは、一般常識的にはおかしい行為でしょうけど、オオドサもこれを望んだでしょう。

車で福住へ向かいましたが、さすがにドーム周辺の駐車場はどこも満車でしたが、ヨーカドーは十分空きがありました。

3000円以上買い物したら3時間無料になり、それ以上は1時間500円なので、最終的に1000円の料金になるかと思ったのですが、ちょっと駐車場に早く着いたので、結局は買い物したものの最大料金の1500円になりました。

ヨーカードーからドームに向かう途中、たじさんのたこ焼きを買い、兄がお世話になりましたとご挨拶しました。

この2年ほどはドームの障害者用駐車場を利用することが多かったので、たじさんのたこ焼きは久しぶりでした。 美味しかったです。

この日はグッチーさん。 
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アウェイドールズはいつもの場所は困難で、この場所でした。ブレた写真ですが。
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私はサポ仲間に、兄がお世話になりましたと挨拶周りしていたので、この場所に変更になったことに気づくのが遅れて間に合いませんでした。 でも、おかげさまで何年かぶりに関東サポのMさん(「勝ち点3」のゲーフラ掲げる人)に会えてよかったです。
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オオドサも応援しました。
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先発に6人、道産子がいるのは凄いですね。さらに75分に上里と前が交代し、7人になりました。 リーグ戦で同時に7人の道産子がピッチに立ったことあるかな?
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古田を見れなかったのは残念ですが、ここで活躍されても困るしな (笑 葬儀があるので試合終了後は優勝の余韻を味わうことなくすぐにドームをあとにしました。 残念だったのは、コールリーダーが「今日は立って応援を」と言ったようですが、それは「熱烈応援席の人は全員立って」の意味なのではないかと思いますが、着席しないとならない席の人が勘違いしたようで、キックオフ後も立ったままの人が多く、私が周囲の人に着席するよう呼び掛けても「立って良いんだよ」などと言って誰も座りませんでした。 仕方なくボランティアスタッフに、着席するよう呼び掛けるようお願いしました。 ボランティアスタッフも状況がわかっていて、私が言わなくてもそうしたはずですけど、着席するよう呼びかけ、ようやく皆さん、座った次第です。 そんなことがあって、キックオフから2~3分は観戦に集中できなくてテンションが下がってしまいました。 それから、最後の数分間、ボール回しをするだけで、相手もボールを取りにこないことになるのは他会場の状況から予想していました。 ただ、私が予想したよりもちょっと早く、金沢は85分から始め、コンサは87分でしたね。 この行為はグローバルスタンダードだと思っていたけど、こんなに批判があるのは意外でした。 私の後ろの男性も、「つまらね~」「攻めろ~」と叫んでいましたね。 私は大満足ですけどね。 もちろん、それまで得点できなかったのは不満ですが。 これが始まってから帰り始めた人がぞろぞろいたのは、不満で帰り始めた人もいるかも知れないけど、地下鉄の混雑を避けるために早く帰りたい人が安心できたからと思いたいです。 もしも不満で帰り始めた人が多いのなら残念ですが、合理的に考えるよりも情緒的に考えやすい日本人の特性なのかな。



葬儀終了

2016年11月21日

本日午前、告別式を行いました。

今日もサポ仲間に来ていただき、感謝しております。

その後、火葬場へ行き、オオドサは骨になって自宅に戻りました。

骨壺に入ったのを見て、「こんな姿になってしまって・・」と、ちょっと悲しくなりました・・


優勝を決め、おめでたいときに葬儀が重なって、皆様には大変申し訳なく思います。

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会葬御礼申し上げます

2016年11月21日

昨晩、お通夜を行いました。

半分以上がサポ仲間でびっくりしました。

思いがけず来てくれた人もいてありがたく思いました。

十分ご挨拶できなかった方には謹んでお詫びいたします。

コンサ色があるお通夜でしたが、近いうちに詳しく写真で紹介します。

取り急ぎ御礼申し上げます。