コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2021年04月05日

ハッピー・バースデー・ゲーム

 1996年4月16日は、現株式会社コンサドーレが旧法人の株式会社北海道フットボールクラブとして法人登録された日である。

 チームとしての「コンサドーレ」の誕生日がいつなのかは諸説ある。たとえば旧東芝サッカー部が札幌に移転することを表明した1995年12月15日。記者会見を行った1996年1月12日。JFA(注/どこかの白痴老害うすら〇鹿のブログが言うところの“JF”では断じてない)で移転が承認された同2月8日。現在まで残る「コンサドーレ」の愛称が一般公募で決まった同3月2日。旧東芝の名前のままリーグ戦の初戦=福島FC戦を戦った同4月21日。チーム名変更がJFL(注/こちらは当時のジャパンフットボールリーグの略称。現在のJFLとは異なる)理事会で正式に承認された5月23日。正式に「コンサドーレ札幌」の名称でリーグ戦を戦った8月18日…と、ざっと数えてもこれだけの「コンサドーレの誕生日」と言える日はあった。探せばもっと、こじつければもっともっとあるはず。たとえばあなたが初めてコンサドーレを現場で見た日。コンサドーレのサポーターになると誓った日。それもまた立派なあなたの中の誕生日。(←誰がうまいことを言えと)

 だから法的に「企業の誕生日」となる法人としての札幌法務局への登記の日を、チームとして正式な「コンサドーレの誕生日」としている。人間で言えば最初の12月15日がそもそも〇〇〇して…(略・余計なことは書かんでよろしい)

 さて。この4月16日。記念すべき、しかし誰もが知らなかった4月16日。いや本当に2005年まではマスコミさんも誰も知らなかった(本当)。
 この日この年は公式戦が行われていたのである。鹿児島の鴨池競技場(現・白波スタジアム)で、対戦相手の当時強豪だった京都が西京極を離れ、鹿児島出身のKセラのI森さんへのヨイショ試合として主催した試合。記者控室ではD新さんもDスポさんもNッカンさんも(中略)だ~れも話題にしていなかったし、三角山現場実況2試合目のこのひぐまさんでさえも気が付いていなかった(笑)。結果は0-0。とにもかくにも「バースデー・ゲーム」は、これが歴史上最初。意外にもチーム創設から10シーズンで初の誕生日の試合だったわけ。マスコミさんはどこも「バースデー」云々は記事にしていない。

 気が付いたのは通算2試合目。2008年のナビスコカップの前だった。前述通りその前の「バースデー・ゲーム」試合がスコアレスドローに終わっていたので、記者控室では「誰が最初にチームのバースデー・ゴールを決めるか?」が話題になった。ちなみに、選手個人のバースデー・ゴールを決めた人って、当時調べていた記憶はあるんだけど、誰か忘れたwww。ダニルソンが確か3人目だったんじゃなかったかな(知っていた人はコメントよろしく)。
 で、この試合も0-0だったんだ。シオシオのパー(トシがわかる)。

 ゴールが生まれたのは通算3試合目。2017年のJ1だから…もうオレ自身がJ1をまったく見なくなってから(えっ?)だ。取ったのは…あれ?いま現在どこにいるんだこいつ?…のとくらとかなんとかというヤツ。先に小林悠に決められ0-1となった後半37分(82分)に決めた。試合は今回も1-1でドロー。

 以降、公式戦が組まれたことはない。25年やってきて、たった3回しか試合していねぇのか!

 と、いうことで、今年の4月16日は「誰がゴールを決めて」と言うよりも、チームとして自らの誕生日を祝う、真の「ハッピー・バースデー」になるか否か注目される試合ということになります。皆さんがんばってください。

 …すみません、僕は某Sンライズに乗って西の方に行っております(^^;;;;;
 あと、記事作成にあたりましていつもの「コンサ・デ・コンサ」を参照しました。二上さんいつもお疲れ様です。ありがとうございました。

posted by higuma |16:03 | コメント(0) | トラックバック(0)

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