2006年08月19日
戦う気持ちともどかしさ
「お前たち、昇格する気あるの?」 「やる気のないやつはヤメロ!」 なんて、最近選手のやる気を疑問視する意見が多く見られる。 しかし、危機感のない選手はいないと思うのです。ただ、個々の選手の危機感の大きさ・持ち方のギャップが大きかったり、うまくプレーでそういうところを出せずにいる選手がいるだけなのかと思う。 でも、「俺たちは必死で戦っているのに、サポーターはどうしてわかってくれないのか?」 ひょっとしたらそう考えている選手もいるんじゃないかと思う。 「足が止まる=必死じゃない」 ・・・コンサドーレの中で、どうもこういう図式が成立している気がする。 走りたいのに、身体がついてこなくて走れない。 ということはあるでしょう。私にもそういう経験がある。 こういうことを言うと「彼らはプロだからそんなことが許されない」 と批判されてしまうかもしれない。 でも、それでも彼らは「一生懸命」やっているんじゃないか? ただ、柳下監督がいう「へたくそなのをわかっていない」というのは、選手のその一生懸命のレベルが低く、向上しない・向上する努力が足りない・・・という部分の嘆きに聞こえる。 こんなことを言ったら「それでも、オレは一生懸命やっている!」という選手の叫びが聞こえてきそうですが、プロ選手として高いレベルを目指すのなら、自分の限界を乗り越えていく肉体的・精神的なたくましさがもっと必要だと思う。 走れなくなる、90分持たないのなら、体力をつけるよう自分にどういうことが必要か考え、そして必ず実践する。 技術が足りないなら必死に練習する。 気持ちがついていかないなら、なぜついていけないのか原因を自分で考え、解決するためになんでもいいから実践する。 選手の技術・フィジカル・スピードなどの個性は十人十色。 いくら優れた監督でも、選手一人一人にいつまでも手取り足取り教えるわけには行かない。 「プロなんだから」というのは、90分間走れないことを単に否定するものではなく、そういう弱点をしっかりと自分で自己分析して、自分の足りない部分を補う努力を怠らない姿勢と実行力。 そういう自己分析を怠らず、努力をきちんと続けて個の力を伸ばしていける人こそが「プロ」なんだと思う。 あと、ちょっと話題がずれるが・・・ 「死ぬ気で・・・する」という言葉。 コンサドーレに限らず時々使う選手がいるが「死ぬ気」と「一生懸命」は明らかに違う。 「死ぬ気」というのなら、「その時に自分の選手生命・人生を棒に振ってもかまわない」という意味を込めた、人の一生の中で軽々しく使う言葉ではないと思う。 私は「死ぬ気で・・・する」という言葉を軽々しく口にする選手を見ると「あぁ、この選手。本当に死ぬ気ではないな」と逆に一生懸命やっているようには見えなくなってしまう。 まぁ、これは私のうがった見方なのだが。 ・・・うーん。 読み返したら支離滅裂な文章になってしまった。 まぁ、こんな日もあるか と、自分に甘い私は「プロ」には絶対なれないタイプです。
posted by ykk-i |10:03 | 私的コラム | コメント(0) | トラックバック(0)
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