スポンサーリンク

2008年03月19日

CONSAISM clasics #32

clasics #32です。
ついに訪れてしまった、あの日のこと。


ボールが僕の視界を斜めに横切って、低く動いていく。
札幌の選手は誰もが動けない。
ネットを力無く揺らしたボールと、反対側のゴール裏の歓声が聞こえたところで、僕は柵に座り込んでしまった。
ああ、二部に落ちたんだなぁ、と、それだけを思っていた。
 
いつもと変わらないアウェイ遠征だった。なじみの友人の車に同乗させてもらい、サッカーの話やらあれやこれやと馬鹿な話を続けながら、いつもと変わらない気持ちでスタジアムに入っていって、やるべきことはすべてやろう、出来る限りの応援をしよう、と変わらない気持ちで試合開始を迎えた。
あの日の試合に限って言えば、札幌らしい試合だったと思う。泥臭く、粘ってこらえる我慢するサッカーでいつの間にか先制し(あの時ゴールが決まったのかよくわからなかった)、追いつかれてもPKで引き離した。そして何より「気持ち」の伝わる試合だった。けれども、その「気持ち」の源泉は「勝ちたいと思う願い」ではなくて「二部に落ちたくないという危機感」が大勢を占めていることも伝わってきた。でも今更そう言うことを言える状況なんかじゃ無いから、僕はただ勝ちたくて、目の前で終戦のホイッスルなど聴きたくはなくて、絶対に悔しさで泣いたりしたくなんかはなくて、そう言う気持ちだったのだけれども、結局それら全てを僕は経験してしまった。悄然として、座り込んでしまった。
 
うなだれたまま、顔を覆ったままゴール裏に挨拶に来る選手達に向かって「落ちたらまた上がればいいんだ!けれどもこの悔しさだけは絶対に忘れるな!」と叫んだ。「We Are SAPPORO!」と、背中に向けて叫んだ。そうして誰もいなくなったピッチに向かって「コンサドーレ!」と叫んだとき、泣きたくなかったのに涙が出た。開き直っていた自分ではなく、絶対に諦めたくなかった、最後まで残留を信じていた自分が涙を流していた。落ちたものはしょうがないよとなだめる自分に、悔しい諦められないなんで鹿島なんかにコールなんか返すんだよだから俺らは甘いんだよと吠える自分が同時に存在していて、僕はどちら側に立っていて良いのかわからずにただ悄然としていた。
 
とりあえず片づけて、スタンドを出て、ゴール裏の人たちと少し話をした。そのときに自分が感じたことは
・札幌は落ちるべくして落ちた。総合的に実力で劣るチームに混乱を加えたら降格はやはり当然の帰結だった。
・ゴール裏で応援する人は増えたが、質は変わっていない。つまり、ただそこにいるだけのカッコつけたがりが増えただけの話で、応援の質や意識を見直して行かなければならない。
・結局はサポーターが行動しないと、チームは変わらない。
 
こんな事を話していくうちに感情は落ち着いて(思いを言葉にしたからだろう)、それじゃまたと手を振って、帰り道を急いだ。車中では行きよりもちょっとトーンが落ちながらもやっぱりいつものような馬鹿な話をしていた。ナイター中継を聴きながら、そう言えばMDもってきたんだけどと言って、僕は鞄からMDを一枚取り出して再生した。スカのリズムで今風にアレンジされた「あの鐘を鳴らすのはあなた」。いいねぇ、と言って、僕はなぜか歌い出した。なぜか三回も四回もリピートして、そのたび歌う声は大きくなって、歌いながら横を見るとディズニーランドの照明がきらきらと光っていた。悔しい、悲しい、やりきれない、そんな思いがヤケ気味に歌う声にのって、ほんの少し、夜風に紛れて行った気がした。
「あの鐘を鳴らすのはあなた」と歌ってみてもその鐘自体どこにあるのかわからないまま、鳴らせないまま札幌はここまで来てしまったと思う。けれどもどこかで見失ったその鐘を鳴らさなければいけない。歓喜の鐘を打ち鳴らすのはいつになるのかはわからないけれども、必ず見つけて、鐘の音を響かせたい。そして翌日には普通通りの生活や仕事が待っていて、そこには札幌の降格のことなんてまったく別世界の話なのだけれども、明日はやっぱり気持ちが沈んだまま仕事するんだろうなと考えたらなんだか可笑しくなって、そんな自分のことを鼻で笑った。お前人生が終わった訳じゃないのに何沈んでんだ。そんな声が聞こえたような気がした。お前自身の鐘を鳴らせ、ともう一人の僕が言って、僕らを乗せた車は夜の東京を走っていった。 

posted by retreat |23:02 | classics | コメント(0) | トラックバック(0)