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2008年03月12日

CONSAISM clasics #30

clasics #30、いよいよせっぱ詰まってまいりましたという02年シーズン終盤の話。
文章にもかなり危機感が増してきております。


思い出したくもない。
打ちのめされた。
末期症状。
涙も枯れ果てた。
 
そんな言葉が埋める札幌関係のネット。電話越しの友人の声。メールで近況を伝えてくれた古いゴール裏仲間の言葉。もう既にみんな「諦めモード」にはいりつつある。否、どっぷりとはまりこんでいる。
いつからか一戦ごとに、選手から集中力が抜けていくのが見えて来るようになった。ゴールが決まらないことを当たり前のこととして受け入れるようになった。勝てないことを芝のせいにした、言い訳めいた戯言しか聞こえてこなくなった。
どんどん選手と僕らとの壁が高くなり、溝が深くなっているような感覚が毎日訪れ、そしてその深さと高さは毎日大きくなっている。
 
会社の中でもそういう話になることが、たまにある。「札幌はもうダメだな」「いつ2部に落ちるの?」と言われる。ただ自分は黙ってその言葉を受け入れるだけだけど、裏側には煮えたぎるのを感情がある。
そういうことを言う奴は誰だ。
俺の札幌を糞味噌に言う奴は誰だ。
正直怒鳴り散らして、殴り飛ばしてやりたい気持ちがあるのだけれど、その原因はやはり札幌自身に帰結する。だから気持ちの持って行き所がない。自分自身に溜め込むしか出来ない。そうして再びはまりこむ泥沼。サッカーを発明したやつを一瞬憎む。
 
そして今、現在の自分自身の心の中は、諦めと反抗が拮抗してせめぎ合っている状態。片方の僕は「もうどーでもいいよ」と足を投げ出し、もう片方は「最後の最後まで勝負を捨てない」と固く決意している。たぶん、どちらも正しい感情だと思う。そしてたぶん、僕のとる行動は後者なのだとも頭のどこかでわかっている。どうせやるなら最後まで応援していたい。文句や涙はそのあとに付随して来ればいい。願わくば涙なんて流さなくて良いようにしたい。僕は札幌に関しては、そういうタイプの人間だ。
 
札幌がたとえ2部に落ちたとしても観客は厚別に1万人程度はコンスタントに入るだろうし、僕は僕でいろんなアウェイの試合に行くだろう。でも、それは「サッカーがある」から行くのではない。「札幌のサッカーがある」からそこに行くのだ。面白いサッカーなんて世界中のどこにでも転がっている。テレビでヨーロッパのどこかのリーグ戦でも見ていればいい。そしてワールドクラスの美技に歓声を上げていればいい。けれども僕が望むのは、どんなに泥臭くても走り続ける札幌の姿なのだ。あるいは、そのプレーの一瞬なのだ。それをただこの目に焼き付けたいから、語りたいから行くのだ。それを望んでいるから、声を張り上げて歌うのだ。
 
もしも僕がずっとずっと歳を取ってこの年の札幌のことを「何もない、ただ負けていった年だった」などとは言いたくない。「それでも立ち向かおうとしていた、少なくともその姿は僕には見えた」と、未来の僕に言わせて欲しい。
 
だから。
 
せめて、運命に諾々と流される姿だけは見せないで欲しい。それでももがいてあがいて苦しんで、どうしようもなくなったときにしか現実を受け入れないで欲しい。身勝手で我が儘な感情論だと思うけれども、僕はそう思っているし、そのために僕自身に出来ることを厭わない。
 
自らを信じて、運命に抗うその姿が、僕の今一番見たい札幌の姿なのだ。

posted by retreat |21:44 | classics | コメント(0) | トラックバック(0)