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2008年03月05日

aftertalk #27

aftertalk #27でした。
世界は変わらないな、とつくづく思う。大きな意味でね。

飲み会から帰る途中の電車の中で、滅多にこない緊急配信のスカイメール(そのころはJ-PHONEを使っていた)が来ていることに気づいて見てみたら「航空機が衝突」みたいな簡単な中身だったので、せいぜい突っ込んだのはセスナとか小さいのなんだろう、大げさだなあ、つか緊急配信って初めてだなあ、と思いながら家に帰った。電車の中でも大して騒いでなかったし。で、帰っていつも通りにラジオをつけたまま寝ようとしたら、なんだか雰囲気が違う。いつもの番組じゃないし、緊迫してる。よく聴くと、どうもさっきメールで来てた事件のことらしい。これはちょっとおおごとなのかも、と思ってテレビをつけた。
画面の向こうには黒煙を上げる超高層ビル、そして突っ込んでゆく航空機、崩れてゆくビル、悲鳴、土煙、轟音、悲鳴、悲鳴、悲鳴。不思議と恐怖への実感はなかった。テレビの向こうの出来事、としか思えなかった。現実に感じたのは、翌日会社に行ってからだった。シンガポールの支社とアメリカの現地法人は大騒ぎ、社内メールが飛び交い、どこからか衝突の瞬間の動画ファイルが流れてきた。そこまできてはじめて、これは恐ろしいことが起きたんじゃないのかと思い始めた。そうして何よりもそれを感じたのが、やはりスタジアムで見た光景だった。半旗の掲げられたポール、戸惑いながらも黙祷を捧げる観客、そのなかの一人として僕もいた。正直、何に対して祈ればいいのかわからなかった。ただわかるのは数千人の犠牲と、世界に与えた衝撃の大きさ。

そうして酷薄かも知れないが、僕は海の向こうで起きたテロリズムよりも、サッカーの方が大事だった。サッカーを通してしか世界のことを考えられなかった。今でもそういう部分はある。そうして、事実を受け止める以上の勇気を持つことは、今でもできていない。自分が残酷だとか冷徹だとか、そういう事も書いているけど、本当のところはただひとつ、臆病者だった、ただそれだけ。
あれからテロと戦う世界が日常になって、その中でもサッカーは続いていて、僕らは違和感を持ちつつも従っていって(というか、そのまま押し流されていって)それに慣れていった。
あの時感じた無力感だけは、せめて忘れたくない。

posted by retreat |23:42 | aftertalk | コメント(0) | トラックバック(0)