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2006年12月31日

2006年わが家の10大ニュース

昨年に続き、コンサドーレにまつわるわが家の今年1年の思い出を10大ニュース風に振り返ります。

1、初アウェイ参戦
12月23日の仙台ユアスタでの天皇杯準々決勝、甲府戦に初めて遠征しました。感動しました。ウルウル。ヤンツーさん、選手たち、そして応援に駆けつけたすべてのサポーターの皆さん、ありがとう!

2、ホーム観戦新記録更新
今年のホームゲーム24試合のうち、函館、室蘭を含む23試合を観戦。9勝6分8敗でした。04年の20試合を上回り、自己新記録です。来年は果たして何試合行けるでしょうか。

3、ビールドーレくんゲット
6月10日の札幌ドームでの徳島戦で1000人にプレゼントしたサッポロビール様特製変身ドーレくんがわが家にもやってきました。当日はスカだったのですが、後日、下の娘の友人がかわいそうな中年おじさんに譲ってくれたものです。変身ドーレくんはひぐま、アザラシ、サンタに雪だるまも仲間入りし、さらに今年は着せ替えドーレくんも発売され、わが家のドーレくんは増殖するばかりで、カミさんの目が気になる今日この頃です。

4、2年連続パーフェクト賞
昨年に続き、シーズンチケット+函館、室蘭で「パーフェクト賞」をいただきました。家宝が増える一方です。

5、トレーディングシールをコンプリート
05年にスポンサー様の販促用などで配布されたものですが、ビールドーレくんと同じ下の娘の友人が譲ってくれ、全30種類がそろいました。持つべきものは娘の友達です。

6、ドーレくんのサインをゲット
10月9日に丸井今井で開かれた10周年記念アニバーサリーフェスティバルで、ドーレくんのサインをゲット! おまけに西島、芳賀のサインもついてました。

7、さらば、しまふくごはん
あのしまふく寮の食事を再現した「しまふくごはん」は第1回のみ売り切れで買えなかったものの、2回目以降はすべてゲット。1回目のメニューは再販されたので、全種類を食べました。みちのく食品の経営破たんで、もう食べられないかと思うと残念です。

8、家族のテンション下がる
昨季オフに上の娘は三原や桑原がいなくなり、下の娘も権東が去り、お気に入り選手は下の娘の加賀くらいに。洋平好きのカミさんも穴を林では埋められず、テンションは下がる一方。ついに4人そろっての全員観戦は実現しませんでした(一番少ないカミさんでも2試合は観戦しましたが)。加賀もいなくなると、いよいよピンチ。フロントにはイケメンの緊急補強をお願いしたい。

9、スピカ参戦
9月9日のアウェイの神戸戦で、初めてスピカでの観戦会に参加しました。1-1の引き分けで盛り上がりは今ひとつでしたが、得点シーンでは見知らぬ人とハイタッチして喜びました。野々村さんがゲストで、また行って盛り上がりたいと思います。

10、赤黒犬デビュー
わが家の犬2匹が赤黒ユニ姿で10月にデビューしました。真冬用ではないので、今は違う服を着ていますが、雪解け後に再び勇姿を現します。先日、復刻販売されたドーレくん柄の生地を買ってきましたので、来年にもきっと新たな服がお披露目されることでしょう。

長いようで終わってしまえば、あっという間だった2006年。最後の最後にいい夢を見させてもらいました。来季はぜひともJ1昇格の夢を見させてください! それでは、皆さん、良いお年を!

posted by papa12 |16:39 | 思い出 | コメント(6) |

2006年12月30日

初めてのアウェイ



2006年12月23日、第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会準々決勝のコンサドーレ札幌-ヴァンフォーレ甲府戦が仙台市のユアテックスタジアムで開かれました。これまでホームゲームしか観戦したことがなかったのですが、ジェフ千葉、そしてアルビレックス新潟を撃破するのをテレビ観戦して感動。興奮冷めやらぬなか、新潟戦の翌日、観戦ツアーをネットで探しみたところ、スポンサーの阪急交通社様で1泊2日2万5000円のツアーを発見。ちょうど前日の22日から休みだったため、家族に内緒で頼んじゃいました。ネットでは実際に受け付けられたかどうかは分からなかったのですが、翌月曜日に阪急交通社様から予約を受け付けたという連絡がキターーー! カミさんに思い切って告白したところ、「もとはあんたが稼いだ金だから、行ってくれば」と快く送り出してくれることになりました。感謝感激!

それからは運動会前の小学生のような気持ち。ワクワクドキドキしながら準備しました。そして22日、単身赴任先で朝6時半に起きていったん札幌の自宅に帰宅、すぐに用意したかばんを持って千歳へゴー! 空港には同じツアーの人たちでしょうか、赤黒い人がかなり集まっていました。天候にも恵まれ、順調に仙台到着。カミさんや娘らに義務づけられたお土産を探し、牛タン定食を食べ、光のページェントを見学して翌日に備えました。

そして当日。ゆっくりユアスタに向かい、午前10時前に到着しました。ホーム側の甲府のサポはほとんどいません。アウェイ側に回ると、いる、いる。赤黒い人たちが山盛りです。厚別や札幌ドームの行列がそのまま出張してきたみたいです。見慣れた顔をたくさん見かけました。ビョーキの人たちがいっぱいで、私もビョーキの人に仲間入りできてうれしかったです。開場のころには長い、長ーい列ができていましたね。

試合のことは皆さんが書かれているので省略しますが、いつも座り席で応援している中年おじさんもこの日ばかりは立ちっ放しで、力いっぱい声援を送りました。本当に至福のひとときでした。そして甲府に勝ってしまいました。もうなぜだか、涙が出てきてしようがありませんでした。来て、良かった。ヤンツーさん、選手たち、ありがとう。そんな思いで胸がいっぱいになりました。

さて、初のアウェイ観戦を終えて、すっかり「次の準決勝が国立なら行くぞ!」と思い立ったのですが、結局、エコパ。それでは、無理だと断念しました。29日も多数の方が駆けつけられたようで、行かれた皆さんは本当にお疲れ様でした。ヤンツーさんには3年間のお礼を言いたいと思います。選手たちは今回の快進撃に自信をつけて、ぜひ来季、頑張っていただきたい。

余談ですが、帰りの仙台駅から仙台空港へのバスで退任される城福強化部長と佐藤尽さんと一緒になりました。さらに千歳空港から札幌までのバスでは実況を終えたNHKの町田アナウンサーと乗り合わせました。日頃の中継のお礼を言おうかとも思ったのですが、迷惑でしょうから思いとどまり、帰ってから家族に自慢するのにとどめました。いやー、それにしても初のアウェイ体験、幸せでした。来季以降も機会があれば、ぜひアウェイに行きたいと思いました。


posted by papa12 |22:21 | 思い出 | コメント(6) |

2006年12月16日

堀井岳也



先日、デビューした古巣であり、現役最後のチームとなった甲府から戦力外となり、引退を発表しました。岳也といえば、なんといっても思い出すのは2001年9月15日、札幌ドームでの清水戦のゴールでしょう。シーズン半ばで山形から移籍したばかり。それまで私はまったく知らない選手でした。このシーズン、J1に昇格した岡田コンサドーレは堅守速攻を武器に健闘しますが、いかんせん、勝ちきれずに追いつかれ逆転負けを喫することが多かった年です。この清水戦もアダウトとウィルの得点で2-1とリードしながら、ロスタイムに失点し、延長戦に。ホーム側でB自由席と上の娘と観戦した私も「またやられるのでは…」と心配していました。ところが、79分に途中交代でJ1デビューを果たした岳也は相手ゴール前中央に張ると、大森からのクロスにうまく合わせてVゴールを決めてくれたのでした。もっとも、アウェイ側のゴールでの出来事だったので、正直、誰がどう決めたのかは後で映像を見て確認するまでまったく分からなかったのですが、とにかくうれしくて娘らと飛び上がって喜んだことをよく覚えています。

J1のこの年は結局、6試合1得点。02年はJ1で14試合1得点。J2の03年は41試合8得点と確かチーム得点王の活躍でしたが、04年は33試合1得点と不振。気合が入った05年は体がキレていて「今年はやってくれそうだ」と思っていたところ、5月7日の山形戦で無念の骨折、シーズン終盤に復帰しますが、11試合2得点に終わりました。FWとしては器用なタイプではありませんでした。とにかく裏を狙って走る一瞬のスピードが売り物ですが、よくオフサイドにかかりました。無駄走りをいとわず、前線で執拗に相手ボールを追いかける魂のチェイシングが魅力でしたが、オフサイドを取られたり、相手DFとの競り合いでファウルを取られると、ふて腐れたような態度を示すのが玉にキズでした。それでも、とにかくがむしゃらに頑張る、ガッツあふれる姿が好きでした。

05年シーズン終了後にコンサを戦力外となると、何とJ1に昇格する甲府へ移籍。06年、16試合1得点で最後のシーズンを終えました。来季からは出身地でもある甲府で育成スタッフとなるそうです。ぜひあの魂というか、ガッツのある選手の育成に努めてほしいと願っています。今のコンサ選手たちにも見習ってほしい点があるように思います。

写真のカードはすべてJカード。上段左が2000年、中央が01年、右が04年(コンサで唯一のカードのようです)。下段は06年のチームエディションです。


posted by papa12 |15:32 | 思い出の選手 | コメント(11) |

2006年12月10日

9勝6分け8敗

タイトルの9勝6分け8敗は、2006年シーズンのJ2で私が生観戦したコンサドーレ札幌の道内ホームゲーム勝敗です。函館と室蘭も行きましたが、残念ながら9月27日の厚別は仕事のため行けず、ホーム皆勤賞はなりませんでした。それでも24試合中23試合観戦はわれながら新記録です(2004年は22試合中20試合、05年は22試合中19試合、でした)。しかも行けなかった試合は徳島を6-0で圧勝しただけに余計に残念に思っています。私が観戦した試合でベストゲームは4-0の完勝でラモス監督をギャフンといわした6月24日の厚別での東京V戦か、4月15日の札幌ドームで4-1で勝った湘南戦ですね。逆にワーストは5月14日の厚別で1-6で虐殺された神戸戦か、7月29日の厚別でも湘南に1-5と惨殺されたのも忘れたい試合かもしれません。私の見たベストゴールは、一つに絞るのは難しいのですが、しいていえば4月15日の湘南戦で一人でドリブルで持ち込み、相手DFを翻弄した加賀のだめ押しゴールでしょうか。

それにしても、今回、生観戦記録をまとめるために調べ直して気づいたのですが、コンサドーレのホームゲームは10勝6分け8敗。アウェイゲームも10勝6分け8敗とまったく同じでした。これだけサポーターの数が多い割に、ちょっとホームの勝率は寂しいところです。やはり昇格3チームなど上位はホームの勝率が大きく上回っています。強いチームになるにはホームの勝率アップは欠かせません。さらに言えば、観客動員を伸ばすにも、ホームでサポーターの声援にもっと応えてほしいものです。

posted by papa12 |19:13 | 思い出 | コメント(4) |

2006年12月01日

清野智秋



本日、HFCから3選手の契約満了(戦力外)が発表されました。来季は緊縮財政ということで、大なたが振るわれるかと心配していただけに、思ったより少なかったというところでしょうか。3選手ともまだ若いので、現役を続けるなら新天地で頑張ってほしいと願っています。皆さんがコンサに残した足跡は決して忘れません。

3選手のなかで、やはり一番記憶に残る選手が3シーズンいたFW清野智秋です。2000年にあのジュビロ磐田に入団。翌01年にJリーグデビュー、あの磐田でJ1に2試合出場しています。しかし、02年途中で生活態度の問題(借金?)だとかで解雇されたそうです。柳下監督が就任した04年、東海リーグの静岡FCにいるところをおそらく柳下監督が呼んで入団しました。ややFWにしては体の線が細く、足が速いとか、ドリブルがうまいとか、ヘディングに強いとか、これといった武器がわかりにくい選手でしたが、逆に言えば、どれもこれもそれなりにこなし、柳下監督が言うように「シュートがうまい」タイプでした。この年、J2で44試合全試合に出場、チームの全得点30点のうち9点を挙げました。05年は長く不振が続きましたが、第3クールの終わりから第4クールにかけて爆発。終わってみれば28試合で10得点の活躍でした。ところが、今季はほとんど出場さえできません。どうしたのかなと思っているうちに、10月26日から古巣の静岡FCへレンタル移籍で出されたのでした。

思い出すゴールは05年10月22日、函館千代台での山形戦。後半開始直後、砂川からの浮き球のパスから決勝点となるゴールを決めたのは忘れられません。降りしきる雨のなか、びしょぬれになりながら函館まで来て良かったと思ったものです。そして同年11月19日、札幌ドームでの京都戦。この年、ぶっちぎりでJ1昇格を果たす京都を相手にハットトリック。最後に追いつかれて引き分けに終わりましたが、FW清野のワンマンショーのようでした。

今となってはこんなにシュート力があるのに、なぜ? と思わずにいられません。これほど浮き沈み、むらっ気があるのは、もしかすると、メンタルの問題なのかもしれませんが、本当に惜しい選手だと思います。

カードは左が磐田時代の01年Jカード、右は05年のJカードです。


posted by papa12 |16:51 | 思い出の選手 | コメント(4) |