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2006年05月26日

黄川田賢司



亜細亜大時代は大学サッカー界の大型FWと鳴らし、コンサにはJFLだった1997年入団。黄川田といえば、ヘディングです。JFLの97年8試合無得点、Jリーグの98年20試合1得点、J2の99年21試合無得点、2000年30試合5得点、J1の01年13試合無得点。
身長179㌢ですから、電柱系FWというほど特別大きかった訳ではありませんが、私の印象では、スーパーサブとして試合途中から投入され、恵まれた身体能力を生かしてヘディングシュートを決めた姿が脳裏に焼き付いています。後ろにのけぞりながら長い滞空時間で高い打点から入れたゴールがありました。とても難しいプレーだったと思います。逆に足で決めたゴールもあったのでしょうが、まったく記憶がありません(笑)。何といっても思い浮かぶのは頭ですね。コンサには外国人助っ人を含め多くのFWが来て、そして去って行きましたが、ヘディングシュートのうまさだけなら黄川田が1番だったのではないか、とひそかに思っています。黄川田以前には万能型のバルデス、現在ならDFの曽田(元FW)、池内が比較的ヘッドに強い選手がいますが、最近はFWにそういう選手がいませんね。

01年シーズン限りでコンサを戦力外となり、02年からJ2の川崎フロンターレへ。その年34試合2得点、翌03年途中(5試合無得点)で現役を引退しました。そんな彼の名前を再び見たのは04年のロビンソン札幌屋上のフットサル場オープンの時。フットサル場を管理・運営するイベント企画会社の社員となり、札幌に戻ってきてくれたのでした。北海道出身じゃなく、しかも別なチームで引退した選手が帰ってきてくれるのはうれしいものですね。聞いたことはありませんが、札幌のFM局でDJも務めました。05年には北海道リーグのベアフット北海道に所属し、再びピッチに立ったようです。その後の動静は耳にしていませんが、どんな活躍をしてくれているのでしょうか。
なお、余談ですが、今年3月まで放送していたNHK連続テレビ小説「風のハルカ」に出演し、現在、野菜ジュースのCMに出ている黄川田将也は実弟です。「風のハルカ」放送中に私がネットで情報を見つけて教えると、わが家は大騒ぎになりました。なんとアホな一家でしょうか。

カードの上段はJカード、下段左はカルビー、右はイレブンスターズです。


posted by papa12 |22:14 | 思い出の選手 | コメント(4) |

2006年05月21日

赤黒シートカバー







わが家の車は1996年製のトヨタ・イプサムです。偶然ですが、コンサが生まれた年に買いました。さすがにあちこちガタがきていますが、なにせ走行距離が90000㎞弱なので、まだ乗り続けています。
写真の通り、シートカバーはカミさんのお手製です。確か2001年にJ1に昇格した年に会場で北海道新聞社が配った旗のデザインを見て「これなら簡単に作れるワ」と作ってくれたのもです。このダンナにして、この妻ありというべきでしょうか。いやいや、たいへん感謝しております。ヘッドレストにはやはり会場でもらって使っていなかったバンダナを活用しています。
もう5年ぐらいになるので、色あせてきていますが、この車に乗り続ける間は使い続けます。車の後ろのウインドウにはコンサドーレのステッカー、フロントグラスにはミニフラッグつきです。これで帯広ナンバーの紺色イプサムがわが家のコンサドーレ号です。かなり目立ちますので、悪いことはできません。コンサドーレの評判を下げてはいけませんからね。

さすがに、来年ぐらいには買い替えようかと話していますが、カミさんと娘らは「コンサは赤黒だから、次は真っ赤な車にしよう」と言います。中年おじさんとしては、赤はちょっと恥ずかしい気がして「それは勘弁して」と答えています。さて、どんな車になるのでしょうか。


posted by papa12 |18:37 | 思い出 | コメント(6) |

2006年05月16日

マッチデイプログラムラッキープレゼント


ホームゲームを観戦に行くと無料でもらえるマッチデイプログラムにあるラッキープレゼント。わが家は何と当たったことがあります。

2003年4月26日、札幌ドームであったJ2のサンフレッチェ広島戦。娘2人と行ったのですが、私と続けて入った下の娘が初めて「大当たり」。別な列でプログラムをもらった上の娘はスカでした。当たったのはコンサドーレ賞としてサイン色紙。確か4、5人から選ぶもので、1枚はすぐに今野に決定。もう1枚がちょっと困ったのですが、確か「藤ヶ谷は洋平の正GKの座を奪ったからお母さんが嫌ってるからダメだね」などといった理由でベットを選びました。プレゼントの引き渡しは後半キックオフ後から試合終了30分後までで、人気の今ちゃんのサインがなくなったら大変と娘2人をハーフタイムから派遣し、無事、2枚のサイン色紙をゲットしました。結局、この試合は0-2で負けちゃったんですが、3人はニコニコして家路につきました。今ちゃんの色紙は今も階段の壁に飾られ、殿堂入りしています。しばらく後にホームシック?でさっさと帰国してしまったベットは百円ショップで見つけた色紙ホルダーにしまってあります。

それ以後、ラッキープレゼントはまったくかすりもしません。また、doze会員の来場記念プレゼントも当たったことがありません。この時に運を使い切ってしまったのでしょうか。また当たることを夢見て、今後も可能な限りホームゲームに通い続けたいと思っています。


posted by papa12 |21:45 | 思い出 | コメント(6) |

2006年05月04日

梶野智



セレッソ大阪からの移籍で1998年に入団。「ヒゲカジ」の愛称で親しまれました。コンサでは主にボランチやセンターバックを務めました。決してテクニック的にうまいタイプではなく、どちらかというと縁の下の汗かきタイプでした。98年のJリーグで23試合出場1得点、99年のJ2で26試合出場。私の印象では、リーダーシップがあり、チームのバランスを取るのがうまく、中盤の底で攻守の要を務めていたと思います。バランスが崩れ、失点した後に交代出場で入ると、妙にチームが安定した気がしています。さすがセレッソでキャプテンを務めた人物で、これぞベテランの力。3年目を迎えた柳下コンサドーレで欠けていた点で、今季のチームでは大塚に期待されている働きですね。そんな地味な存在ながら、サポーターには愛された選手であり、確か99年には似顔絵入りのTシャツなどヒゲカジグッズが売り出されました。まだグッズ欲に燃えていなかった私は買いませんでしたけど。

99年シーズンを最後に現役を引退。翌2000年からセレッソのサッカースクール担当に。04年からはチーム統括ディレクターとフロントの要職を務め、大森健作の移籍にも暗躍したものと疑われています。ぜひ今度は恩返しにいい選手をコンサに送り出してほしいものです。

写真のカードはいずれもセレッソ時代で、下段右から2枚がカルビー、ほかはJカードです。コンサ時代のカードはないようです。


posted by papa12 |23:37 | 思い出の選手 | コメント(3) |