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プロフィール
1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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2016年11月29日
兄がコンサブログを開設したのは2008年11月ですが、その1年くらい前から〇たさんやひばりさんなど、他所に盛んに書き込みを始め、すぐに有名人になった感がありました。 2008年はいろいろ事情があって、兄と本州で3回も会いました。 前述したホムスタへ行った他に2回も静岡へ行ったのです。 いつも正月、兄は帰省し、札幌でのんびりするのですが、2008年の正月は母が旅行に行き、実家には誰もいないので帰省しないことになりました。 でも、兄がひとりぼっちではかわいそうなので、いろいろ考えた結果、年末に静岡で待ち合わせ、大井川鐡道に乗ることにしました。兄に寂しい思いをさせなかったこのプランは自慢です。 そのときの様子はこちらで紹介しています。 また、9月の日本平にも、兄と二人で行きました。このときは二人とも休みを長くとることができたので、3泊4日の日程で、建設中の静岡空港を見たり、藤枝の知人宅を訪れたり、ゴンや岡田選手などの出身校の藤枝東を見てから日本平へ向かいました。試合は負けてしまいましたが・・ さらに天竜峡の川下りや、名古屋でガイドウェイバスとリニモ(リニアモーターカー)に乗り、トヨタ博物館に行くなど盛りだくさんで、想いでいっぱいの良い旅になりました。 兄もたいそう喜んで、行っておいてよかったです。 そのときの様子はこちらです。 兄はトヨタ博物館に大感激していました。 この年はお盆の帰省もあり、4回、兄と会うことができました。 お盆のドームではサンガ戦を見ました。この試合も負けてしまいましたが・・ このとき初めて母をドームに連れて行きました。母は足腰が弱っているので、私の車でドーム前の歩道橋のところで降ろし、北ゲートからはドームの車いすを借りました。 私が車を駐車場へ入れる間、兄は母の介助をしました。 そんなわけで、母の面倒を見る必要があるのに、またも兄はドームでビールを急ピッチで飲みました。 3杯目を買ってきたときにはさすがに私は取り上げて捨てました。 例によって、ビールにウイスキーを入れて増強していたのですから。 私一人で母と酔っぱらいの二人の面倒は見れません。 困ったものです。 兄はしばしばドームで転んでいました。飲みすぎなんでしょう。 雨で寒い厚別でも、絶対にビールは欠かせませんでした。意地でも飲むのです。 飲まずにいられないというのもあるでしょうけど、スタジアムでは絶対に飲むものだと信じているのでしょう。 スタジアムで飲まないような禁欲的なスタイルは嫌だという信念を持っているのでしょう。 そんな考えは、愚かだと思うのですけどね。 まあそんな問題はありましたが、兄は離婚し、一人で暮らしていたものの、コンササポになり、とても大きな生きがいを見つけ、少し暗かった人生が、パッと明るくなった感じがしました。 本当にコンサとコンササポには感謝しています。 ただ、2008年には人生の転機が訪れます。 リーマンショックの影響で、会社のリストラにあったのです。 会社が従来の受注を継続するためには何千万円もの設備投資が必要になり、その投資ができず、業務内容を一部見直し、兄には退社してもらうか、あるいは別の業務をする代わりに給与がそれまでの2/3に減額かという選択を迫られました。 2/3の給与では、購入したマンションのローンが払えないため、転職を余儀なくされました。 離婚して一人暮らしになったため、広いマンションを持て余していたので、処分して北海道に帰郷することにしたのです。 2008年の暮れ頃の話です。 2/3の給与でも失業保険でも、ほとんど同額なので、就活は後回しにして、さっそく兄は失業保険での生活が始まりました。 いつものように年末に帰省し、豪華おせちになりました。
2016年11月28日
2008年4月のホムスタでのコンサの試合に私と兄とで参戦しました。 試合後は西宮の知人と会食することになっていたので、スタジアムではあまりお酒は飲まずに、会食で美味しい酒を飲むことを楽しみにしていました。西宮の「おいしいね」という名前の焼き肉店で、中央がオオドサ でも、スタジアムに着いたら兄が「ビール飲もうか」と言ったので、私はあまり飲むつもりはなかったけど、兄は酒が好きだし、1杯だけ飲もうかということになりました。 しかし、1杯飲み終わるころ、兄が2杯目を自分と私の分を勝手に買ってきたのです。 私は激怒しました。 せっかく試合後に美味しい酒を飲むのを楽しみにしているのに、なんでここで酔っ払ってしまうの!! そんなに飲んだら乾杯の酒が美味しく感じないし、せっかくの御馳走が堪能できないじゃないの!! それに、ビール2杯だけではないのです。 兄はウイスキーポケット瓶を持参していたのです。180ml入りのはずだだから、普通のボトルの1/4です。シングル6杯分です。 しかも、スタジアムに入るとき、「瓶・缶・ペットボトルはないですか」に、馬鹿正直に申告し、紙コップにウイスキー入れてしまって飲まざるを得ないことになったのです。 私は瓶を預けたらと思ったのですが・・ 兄はビールにウイスキーを入れてアルコールを増強して飲む習慣があったのです。 そんなことして沢山飲むから大腸がんになるのです。 だからスタジアムでビール2杯とウイスキー180ml飲んだのです。ビール換算で約2.5リットルのアルコールですよ。 せっかくの会食の乾杯を何だと思っているのか、私は激怒したのです。 酔っ払って西宮から大阪市の福島まで電車で帰らないといけないし、飲みすぎはいけません。 会食のとき、酔っ払って人妻に抱き着いてしまったし・・ 兄はアルコール依存症と言えると思います。酒のせいでいろいろ失敗がありました。 人生、やり直しは利くことが多いでしょうけど、命はやり直しができません。 大腸がんはタバコの影響も相当大きかったとは思いますが、アルコールの影響も、相当あると思っています。 兄は他人に優しくて素晴らしかったと思いますが、自分にも優しく甘かったのです。 釣りに行っても、5分くらい当たりがないだけで「帰ろう」と言うくらい根気のない人でした。 そんな兄でしたから、私が頑張って早く禁煙させ、酒を減らすようにすればよかったと後悔しています。 もっとも、盆と正月くらいしか会えないので難しかったですけど。 ちなみに、ヨーデルさんのご自宅に招待されたときもウイスキー持参で、こっそりビールに入れたときには、またも私は激怒しました。 古くからの友人宅ならまだしも、初めて行く家で、なんで大酒飲もうとするのか理解できません。 それに地下鉄で帰宅するのだから、しっかり歩けるくらいにしておかないとなりません。 皆さんも、周囲にこういう人がいたら厳しく指導してほしいと思っています。 幸か不幸か、兄には妻子はいませんでしたが、養う家族がいる、一家の大黒柱がそうなっては悲劇です。 親よりも先に亡くなるのも親不孝です。 どうか皆さん、オオドサの真似はしないで下さい。
2016年11月27日
オオドサの生い立ちや想い出などを綴っていきたいと思います。 兄は1955年、栗沢で生まれました。 小学校のときに放送部に入り、放送機器の操作が大好きで、中学校でも高校でも放送部に所属し、大学は大阪芸術大学放送学科に入りました。兄にぴったりの学科があったんですね。 同級生には世良公則がいました。有名になるまでは目立たない普通の学生だったそうですが。 アナウンサーを目指したわけではありませんが、しゃべるのが好きで、中学時代からアマチュア無線にも没頭していました。 子どものときから良くしゃべり、明るく外交的で、私とは違っていました。 しゃべり過ぎて口が軽いのが玉にきずで、ご迷惑おかけした人も少なからずいらっしゃるのでお詫びいたします。 大学時代、大阪毎日放送でバイトしてはいましたが、放送局に就職するのは難しく、関西のTV局に就職できず、本来は応募資格がなかったSTVに、コネで就職も試みたものの叶わず、結局、大阪の弱小TV番組制作会社に就職しました。 従って、1974年から2009年までの35年間、ほとんど大阪にいました。京都に住んでいたことはありますが、仕事は大阪でした。 例外的に1987年ころ、1年くらい札幌で仕事していたことはあります。 そんなわけで、私がオオドサに会うのは、正月とお盆の年に2回でした。 兄がよく、「セレッソの寮に住んでいた」というのは、尼崎にセレッソが選手寮として借り上げたマンションがあり、セレッソは2階から上を使っていて、1階の一部屋だったか二部屋だったかを一般に貸していて、兄は、週末はブラジル人が騒いでうるさいのを了解することを条件に安く借りていたそうです。1990年代の話です。 甲子園球場に阪神タイガースの試合を見に行ったり、高校野球のときは北海道の高校の試合を見に行ったりはしていましたが、Jリーグの試合は見に行ってなかったようです。 でも、コンサの試合はTV観戦していたそうです。(京都戦はKBS、神戸戦はサンテレビでしょうか) スタジアムに足を運ぶようになってほしいと思い、お盆に帰省した時に厚別に誘うつもりでしたが、なかなかコンサの試合と帰省のタイミングが合わず(兄が合わそうという気も薄く)、初めてスタジアムに行ったのは2005年の厚別・ベガルタ戦でした。中山元気と池内のゴールで劇的逆転勝利。翌年のお盆も厚別・ベガルタ戦を見て勝ちました。 やっぱり厚別はベガルタ戦に限りますね。 試合観戦に感動し、2005年から関西でのアウェイゲームも行くようになりました。 ですから、兄が熱烈サポになったのは、まだ10年ちょっとのことですが、しかし、私以上に熱烈サポになるとは思っていませんでした。 はじめてドームに行ったのは2007年で、三浦監督がベストゲームと言った、セレッソに3-0で勝った試合でしたが、素晴らしい施設にも感動していました。 2008年4月のホムスタには私も一緒に行きました。 ダヴィのゴールもありましたが、ドローになった試合でした。 翌日は長居でセレッソ対ロアッソの試合を見ました。このときに長居球技場があることに気づき、ここを天然芝にしてスタンドを整備してJリーグの試合をできるようにしたらサッカー専用で良いねとオオドサと話していたら本当にそうなってびっくりしたのです。 長居へ向かうオオドサ。2008年4月です。ホムスタでは強烈な想い出がありますが、次回紹介します。
2016年11月26日
2016年は体調も良く、開幕からしばらく連続してホームゲームは参戦していました。 4月23日にはアウェイドールズの懇親会をやりました。 懇親会は2年位前から計画していたのですが、土曜に試合がある日で、かつ、ナイターではないという条件に合う日が少なく、機会をうかがっているうちにオオドサが発病してしまい、なかなか実現しませんでした。 とても盛り上がって楽しい会でした。できたらもう1回やりたかったけど。 このときの様子はこちら。 2015年は3月にストーマをつけたため、しばらく安定するまで遠出を禁止されていたけど、それが解除になったこともあり、今年はアウェイも行くことにしました。 九州での試合は熊本も長崎も北九州も秋なので九州リベンジ(一昨年行けなかった)はできなかったものの、7月にキンチョウ行くことができて良かったです。 長年住んだ大阪には友人が多く、最後に会っておいてよかったです。 また、町田と長野(茅野)にも友人がいるので4月の町田戦と6月の松本戦に参戦でき、とても楽しかったようです。 結局、8月7日のドーム・エスパルス戦まで15試合、スタジアム観戦できました。 8月14日の山形戦は、ライジングサン帰りの家内と私がオオドサを迎いに行き、ドームへ向かいました。 しかし、ドームに着く前からオオドサは体調不良を訴えていて、ドームに着いたらさらに悪化して観戦が無理ということになって、キックオフ前にタクシーで帰宅しました。 私と家内はそのままドームで観戦しましたが、容体が心配で、試合が終わったと同時に急いでドームをあとにしてオオドサの自宅に行きましたが、少し元気になっていて、TV観戦はしたとのこと。 しかし、がんの最終段階の予感がしました。 翌日、病院へ行ったら「いい薬をもらったから」「これで今度ドームに行って具合が悪くなっても大丈夫」と本人が喜んで言うのです。なんの薬かと思ったら携帯用粉末の麻薬なのです。 麻薬ということは痛みがあるということ。 前日、「具合悪い」としか言わなかったけど、周囲に心配かけたくなく、痛いとは言わなかったのか。 痛みを抑えるために麻薬が必要という段階なら、もう先はかなり短いということを意味しますから、そんな薬をもらっても嬉しくありません。 あと2~3か月の命だろうと思い、実際、その通りになりました。 8月17日から入院し、「検査入院だから1週間くらいで退院するよ」「25日のロアッソ戦は行くよ」などと言ったものの、退院は9月5日でした。 すでに肝臓の他、副腎と肺に転移していることはわかっていましたが、このときの入院で、すい臓と脊椎にも転移していることがわかりました。 で、脊椎の転移のため、急速に下半身のしびれや麻痺が起こり、9月24日に一緒に食事したときは階段を上がるのがやっという状態で、9月26日から入院になり、残念ながら二度と自宅に帰ることはありませんでした。(骨になって帰りました) 脊椎を圧迫しているがん組織を縮小させるために放射線療法を10日間行いましたが、全く効果はありませんでした。 放射線はあきらめ、リハビリ訓練だけで回復を期待し始めた10月22日のドーム・ヴェルディー戦の帰りに見舞に病院へ行ったら腸閉塞を起こして処置をしていて辛そうでした。 ストーマ周辺の大腸が、がんの再発で詰まってしまったようです。 オペしないとダメということで25日以降に開腹手術を予定していたのですが、検査の結果、オペは無理で、ステント挿入でしのぐことになりました。 たぶん、肝機能が落ちているのでオペは難しいことと、どうせもう先が短いから、大がかりなオペをやる甲斐がないということだったかもしれません。 実際このころ、肝臓が機能してないから1か月持たないと宣告されました。 そこで、11月2日にステントをストーマ経由で大腸に入れて開通させる処置をし、上手くいって食事できるようになりました。そのときの様子はこちら。 しかしそれも束の間で、数日後にはまた食事できなくなってしまい、ジュースかスープくらいしか口にできなくなりました。こっそりチョコレートは食べてましたが。 やはり大腸のがん再発がひどかったのでしょう。 だんだん倦怠感も強くなり、しんどいと訴えるようになり、オオドサが最後にブログにエントリーしたのは11月6日でした。 11月10日に見舞に行ったときは相当弱っていましたし、辛そうで、あと1週間か10日くらいしか持たないと感じました。実際、8日しか持ちませんでした。 12日に見舞に行った姉は、看護師から「あと1日か2日しか持たないかも」と言われました。 13日に見舞に行ったときは、さらに辛そうでかわいそうでした。 10日はまだ普通に会話できていましたが、もう会話はほとんどできなくなっていました。 「痛い」と訴えたので「看護師さん呼ぶ?」と聞いたら「呼んで」と返答はありましたが、声を出すのもやっとで、返事に時間がかかりました。 17日に行ったとき、会話できないと思ったけど、私と姉の会話(「大学の同級生?」)を聞いて、「大学」「高校じゃない」と声を出しました。 最後の言葉はこれだったと思います。 18日の朝、病院へ行ったら姉が「口で呼吸をしている」と言いました。 たしかに口をパクパクしています。 これは、呼吸機能が低下し、酸素がほしくて無意識に口を動かす行為で、こうなると今日・明日で逝ってしまうというサインです。 私は17日午後と18日午前の仕事を休みにして、18日午後と19日午前に仕事を入れていたので、死に目に会えないのはわかりました。 さらに仕事を先送りにすることも考えたのですが、姉がいるから死に目に会えなくても良いと思って病院をあとにしました。 やっぱりその晩、22時過ぎに電話が鳴りました。何の電話かは確信しました。 すでにお知らせした通り、コンアシ見終わったと同時に息を引き取ったとのこと。 コンアシ見終わって緊張の糸が切れたのか。 20日の試合まで切れずに頑張ってもらいたかったけど、昇格は確信したと思います。 あと8日で61歳の誕生日でした。 少し短い人生でしたが、安らかに眠ってください。 いや、天国でマシンガントークしてうるさくやっていることでしょう。 皆さん、兄がお世話になりました。ありがとうございました。
2016年11月25日
2015年は平穏に年が明けました。 いつもの正月と同じように、豪華なおせちを親・兄弟・姪っ子などと一緒に味わい、楽しく過ごすことができました。 そのときの様子はこちらのオオドサのブログをご覧ください。 しかし、3月15日のホーム開幕戦(第2節・ドーム長崎戦)を目前にして、体調が悪くなりました。 そもそも前年8月のオペは緊急オペなので、完璧なオペではなかったし、無理してストーマ(人工肛門)を付けないでオペを終えていたので、やはり無理があったのでしょう。 そのため再手術が必要になり、3月3日に入院し、5日にオペを行いました。10時間もかかった大手術です。 ところが心臓に負担がかかったり、感染を起こしたりなど、経過が非常に悪く19日に再オペを行いました。 ストーマにしたのもこのときです。 1回目のオペのあと、かなり辛そうでかわいそうでした。 再オペのあとも辛いのがしばらく続き、相当不安になりました。 そんな不安をかかえた状態で私と次女で15日にドームに行ったので、試合観戦(応援)に集中できなかったし、試合は0-1で長崎に負けるし、テンション下がりっぱなしでした。 21日の第3節・ドームアビスパ戦に至っては、もう助からないのではという思いで観戦したので、試合内容はあまり記憶にありませんが、調べたら都倉と福森のゴールで2-1で勝った試合でした。 でも、アビスパに勝ったのが良い薬になったのか、ここから急速に回復を見せ、翌22日にはブログにエントリーし、25日からは食事もとれるようになりました。 このころのエントリー(2015年3月)は、こちらです。 ところが一本調子で良くなるのではなく、またも具合が悪くなったのです。 感染を起こしたようで、かなり具合悪く、今度こそ、助からないのでは思いました。 お腹は腫れあがって妊婦のようでした。まあ、もともと太ってお腹は出ていましたが、さらに巨大化したのです。 4月は1日のエントリーのあと、29日までありません。相当悪かったのです。 4月のエントリーはこちらです。 1日のエントリーのときも具合が良くなかったものの、せっかくいただいたプレゼントを紹介したいと、頑張ってエントリーしたようです。 しばらくしてようやく快方に向かい、5月21日に退院できました。約2か月半、入院していたことになります。 5月のエントリーはこちらです。 そのため、2015年シーズン最初のドーム観戦は6月21日の北九州戦でした。 1-1のドローでした。 6月29日は大分に1-1のドロー、7月18日はカマタマーレに0-1で負け、26日の愛媛戦も0-1で負け、8月15日の岡山戦はゴールレスドロー。 ようやく9月12日の横浜戦は2-0で勝ちました。 この後、11月23日の最終戦、栃木戦までドーム観戦できました。 1度だけ厚別にも行きました。 ストーマ装着者ということで障害者手帳も発行され、おかげでドームでは障害者用駐車場を利用でき、とても便利でした。料金は1,000円なので格安だし、完売になることはほとんどなくて重宝しました。 一度だけローソン販売分が完売でしたが、ドームで購入できたので助かりました。 厚別の障害者用駐車場は台数が少なくてハガキ抽選ですが、無料でした。 この間、私はできるだけオオドサと美味しいものを一緒に食べる機会を設けようと思い、土曜日なら祝勝会(ちくしょー会?)、日曜のゲームのときは前夜祭を母の家でやりました。 姪っ子(私の娘)にも、できるだけ来てもらって、にぎやかな楽しい宴会を開きました。 「あと何回、これができるだろうか」と思いながらでした。 最初のオペ(2014年8月)のとき、すでに肝臓に転移があり、たぶんあと1~2年だろうと思っていました。 (結局、2年3か月でした) 恒例の年末年始の豪華おせちをもう一度できたらと強く願っていて、願いが叶いました。 これが最後になるかも知れないと思って、超豪華なおせちにしました。とても楽しい年末年始の宴会でしたが、思ってた通り、これが最後となってしまいました。
2016年11月24日
この2年半の闘病記を書きたいと思います。 まず、病気の前兆、いや、すでに大腸がんが発生していたと、今になって思うのは、2009年にオオドサが北海道に戻った頃には胃腸の調子が悪かったのです。 食事中に急にトイレに行くことがしばしばあり、下痢なのかと思ったら反対に便秘ということですが、ちょっと普通の便秘とは様相が違い、腑に落ちなかったけど、特に病院へ行くとかはなく、放置していました。 2014年8月9日(土)、里塚で墓参りをし、その晩は神戸から来札した知人と共にキリンビール園でジンギスカンを食べましたが、意外とオオドサは飲みませんでした。 その晩は母の家に泊まったのですが、母の家でもう一杯飲むこともなく、すぐにベッドに入ってしまいました。 翌10日(日)はドームでのサンガ戦を見に行きました。3連敗してしまいました。(その次も負けて4連敗) いつもは立って応援するのですが、この日は体調が悪いと言って、珍しく(初めて?)座って応援。 このとき、かなり我慢していたのでしょう。 11日(月)から普通通り仕事をしましたが、あとになってみたら食卓に胃薬の空袋が大量にあったので、かなり腹痛があったのに病院へも行かずに我慢したことが想像できます。 8月15日(金)、オオドサはお盆休みはないものの、仕事は少なく、午前中の勤務だけだが、昼近くにいよいよひどくなり、美園の取引先の駐車場で車をとめ、救急車の手配を依頼。 救急車内では血圧が80を切っている状態。 平岸のKKR病院へ搬送され、大腸に穴が開いて腹膜炎を起こしているとのことで緊急手術。 私はお盆休みで、家にいました。というか、家内や娘がライブ(石狩で毎年やっているRSR)に行っていて、私は猫と留守番でしたが母から連絡を受け、慌てて車を飛ばして病院へ向かいました。 14時キックオフのオペは4時間コースと言われていたけど、実際は9時間近くかかり、控室で待機していた私と母は、オペが上手く行っていないのか、命が助かるのか、ずいぶん心配したものです。 でも、翌朝ICUに見舞いに入ろうとしたらすでにICU中に響き渡るオオドサの大声のジョーク連発が聞えて安心したと同時に、大声で迷惑かけて困った気持ちになりました。 もういっぺん人工呼吸器をつけたらと思いましたよ。 そのときの様子はこちら。 経過は順調で、早ければ1か月ちょっとで退院できるとのことで、9月23日ドーム岡山戦参戦を目標にし、微妙な感じでしたが、強く早期退院を本人が希望し、20日に退院しました。 ちょっと無理な早期退院で、オペした部位から出血が続いたりはありましたが、23日にはドームへ行くことができました。こちらをご参照ください。 このあと、10月11日の厚別は行かなかったものの、10月26日、11月9日、11月23日のドームには参戦し、2014年シーズンを終えました。
2016年11月23日
オオドサは18日22:00に息を引き取り、1時間後には葬祭場に入りました。 翌日の仮通夜は、葬祭場の家族控室で行いました。20日19時からここでお通夜をやりました。赤い花に黒いリボンは北海道育ちで熊本在住の鳥栖サポーターからいただきました。 今年、スタジアムで着ていたレプリカを載せて棺に入っています。担当してくれた葬祭場のスタッフは「今年のレプリカですね」と、良く知っていてびっくりしました。お通夜のあと、親族で食事をしましたが、オオドサにも前菜だけ供えました。翌21日10:00から告別式。 サポ仲間がJ1昇格のタオマフを用意してくれ、棺に納めました。出棺になりますが、この斎場はコンサのスポンサーなのでこのポスターがありました。出来立て、貼りたてのポスターです。お通夜のときはなかったはずです。 ポスターの文面から、来年もスポンサー継続になるようですね。マイクロバスで50分ほどかかって里塚の火葬場に着きました。遠いですよね。焼くのに1時間半くらいかかりました。骨を拾っているところです。重油か軽油などで焼くのかと思ったら、マイクロウェーブだそうでびっくり。900~1000度くらいになるそうです。 里塚からの帰り、ドームの前を通ります。何度ドームに行ったことか。福住駅とドームの間も何度歩いたことか。喜びながら歩いたり、しょんぼりしながら歩いたり、思い出いっぱいの道を通ることができたので、手稲山口の火葬場ではなく里塚で良かったです。 手稲山口だと宮の沢は通るだろうけど。 この後、骨になったオオドサは再び北5西22の葬祭場でお経をあげてもらい、長丁場の葬儀は15:30頃、終了しました。 骨壺は大通西18の母の家においてあります。 四十九日は明年1月5日で、そのあと、里塚にあるお墓に納骨となりますが、雪深い時期の納骨は困難なので、春まで栗沢のお寺で預かってもらう段取りになっています。 以上です。皆様、ありがとうございました。
2016年11月21日
本日午前、告別式を行いました。 今日もサポ仲間に来ていただき、感謝しております。 その後、火葬場へ行き、オオドサは骨になって自宅に戻りました。 骨壺に入ったのを見て、「こんな姿になってしまって・・」と、ちょっと悲しくなりました・・ 優勝を決め、おめでたいときに葬儀が重なって、皆様には大変申し訳なく思います。
2016年11月21日
昨晩、お通夜を行いました。 半分以上がサポ仲間でびっくりしました。 思いがけず来てくれた人もいてありがたく思いました。 十分ご挨拶できなかった方には謹んでお詫びいたします。 コンサ色があるお通夜でしたが、近いうちに詳しく写真で紹介します。 取り急ぎ御礼申し上げます。
2016年11月20日
今朝の北海道新聞29面、おくやみに載りました。 唯一の中央区のなので筆頭です。 朝日などにも載っているはずです。 今日は娘とドームに行きます。 オオドサがいつも身に着けていたドーレくん人形をしょって行きます。 オオドサの魂を連れていけば絶対勝てます。
2016年11月19日
本日、兄の仮通夜済ませました。 兄にレプリカ着せて棺に入れました。 重かったなぁ・・ 明日は19時から北5西22の北円山別邸(コンサのスポンサーのあいプランのです)でお通夜です。 レプリカ着たまま斎場に行って良いかとの問い合わせがあったようですが、もちろん大歓迎です。 ところで、姉に聞いたら、昨晩はコンサにアシストが終わった瞬間に呼吸が止まったそうで、姉もびっくりしたとか。 本当は21:30で消灯なので、あの番組がなければ息を引き取った瞬間がわからなかっただろうとのことです。
2016年11月18日
オオドサはコンサにアシストを見終わった本日22:00に永眠いたしました。 皆様に温かく励まされましたが、コンサの昇格・優勝を見ることなく他界してしまいました。 きっと天国で20日の試合を応援するでしょうから、きっと優勝するでしょう。 皆様には兄が大変お世話になりました。 ありがとうございました。
2016年11月16日
皆様の祈りが通じたようで、兄は今日、しっかり意識があって、母や姉と会話できたようです。 皆様には感謝いたします。 とは言っても、改善は一時的なもので、終焉は時間の問題なのですが、昇格・優勝をしっかり見届けることができるかもしれません。 20日は地上波中継があるので、病室で見れるのは幸いですね。 私と私の娘二人はドームに行きますが、母と姉はオオドサと一緒にベッドサイドでTV観戦するでしょう。 明日の午後、私は仕事を休みにして見舞いに行ってきます。
2016年11月15日
ベルさんが、アクセス数が多いので、サポーターの輪が広がっていると言われてましたが、私のもアクセス数が多く、昨日は予想では350くらいだったのに、実際は1000超えていました。 盛り上がっている証拠でしょう。 さて、このところ、兄(オオドサ)のエントリーがなくてご心配されている人もいらっしゃるので、弟の私からご説明いたします。 ご存知の通り、すでに大腸がんの末期となっていますが、ついに最期の時を迎えつつあります。 この4~5日で急速に悪化し、コンサの昇格決定まで持つかどうかという状況です。 昨日、見舞いに行ってきましたが、痛みが強く、大量に麻薬などの鎮痛剤を使っているので、あまり意識はなく、意思の疎通はほとんどない状態ですが、それでもときどき「痛い」と訴え、「看護師さん呼ぶ?」と呼びかけたら、「・・・・ 呼んで」と、なかなか声を出せないものの、なんとか答える状況です。 うなされて、「焼きそばの焼き方が違う!」などと言ったのを、姉から聞きましたが、彼らしいかな。 私だったら「蕎麦が茹で過ぎ」なんて言うのかも (笑 なんとか昇格・優勝の知らせを病床に届けたいものです。 葬儀で20日にドームに行けなくなるというのは避けたいですが、そうならないよう頑張ると期待しています。 皆様にはご心配おかけして大変恐縮です。
2016年10月14日
バスケットボールの始球式は初めてみました。都倉選手は「皆、自分よりも背が高くてびっくり」だとか。 日刊スポーツの誌面を紹介していました。動画はこちらです。
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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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