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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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2011年04月21日
しょーもない話ですみません。 なんでウォッカが40度なのか知っていますか? それを決めたのは、元素の周期律表で有名なメンデレーエフだったのです。 度量衡局の所長だったとき、ウォッカの標準化を決めたのですが、アルコール濃度を決めるとき、化学者だけにエチルアルコール分子1に対して水分子2の割合ということにしたのだそうです。 結局、体積パーセントにすると約40度なんですね。 この度数が美味しいというのはメンデレーエフの第二法則だそうです。 1906年のノーベル化学賞は1票差でフッ素を発見(単離)したフランスのアンリ・モアッサンが受賞し、メンデレーエフは逃してしまいました。 ウォッカの研究なんかやってるからだ (笑 仕事の一環として、ずいぶん呑んだのでしょうね。
2011年04月18日
土曜の夕食は小樽の望月というお店でした。左は銀杏草とカニ。三杯酢だと思うけど、すっぱ過ぎなくて美味しかったです。右は茹でたホッキの三升漬け合え。銀杏草は何年ぶりかな? 稚内方面が主産地なので浜頓別にいたときにどきどき食べましたが、上手く茹でないと歯ごたえがなくなってしまうし、美味しく茹でるのはとても難しいですよね。最高の茹で加減でした。 蕗も歯ごたえがとても良くて驚きました。青いのはアスパラとギョウジャニンニク。後者は苦手なので残しました。 食べ物を残すのはとても嫌いなんですが、こればかりは仕方ありません。桜マス。これをしゃぶしゃぶにします。美味しかったですよ。 あとで鍋にウドンを入れて食べました。これも美味しかったです。 写真忘れたけど、刺身も美味しかったです。 このお店のお料理は、一見地味に見えるけど、なかなか美味しい味付けでよかったです。 それにしても昨日は寒かったです。深川と旭川の間は一部シャーベット状でした。旭川の自宅周辺は10cmくらい積もっていました。
2011年04月17日
土曜日は所用で小樽へ行きました。 小樽は1年半ぶりです。 前回の小樽紀行はオオドサが書いてます。(三角市場のことを三角山市場と書いてますけど) 札幌から小樽までは高速バスに乗りました。 宮の沢を通る際、サポーターが応援していたのが見えたので、ちょうど練習試合が行われていた時間帯だったようです。小樽に着いて、中央市場を覗いてみたら閑古鳥だし、しかも半分くらいは空き店舗で、休憩所などに利用されていました。時代の流れで仕方ないのでしょう。いずれなくなってしまうのでしょうか。 ランチは1年半前にも行った荒又さんで蕎麦にしました。中央市場のすぐ横にあります。鰻の寝床です。 とろろそばです。白くて細いそばなので、田舎蕎麦派の私の好みではありませんが、でも美味しいそばです。 ここはつゆもとても美味しいのです。 でもこのとろろそば、ワサビではなく生姜でした。 白くて細いソバを生姜で食べるので、まるでソーメンみたいでした (笑 手宮線のレールはまだ撤去されていません。トロッコ等を走らせる構想もあるようです。 路面電車を走らせるのは難しいかも知れませんが、何か活用してほしいですね。かつて小樽築港機関区で入れ換え作業をし、現在は岩見沢に鎮座しているB-20をここで走らせたいものです。 運河プラザは超閑古鳥。客がいないのは雨のせいも少しはあるでしょうけど、ほとんどは某電力会社のせいでしょう。 今日のランチは丘珠空港の、おかだま食堂でカレーでした。これで500円は安いです。 味はちょっとビーフシチューに近い味なので好みが分かれるかも知れませんが、悪くなかったです。
2011年04月15日
延期された試合の日程が発表になりましたね。 ホームゲームは3試合ともドーム。 暑い時期の過密日程のときコンサは涼しいドームで少し救われるかな。 (厚別でも夜なら涼しいか) 水戸での試合は土曜日だから見に行ける可能性がありますね。 キックオフ時刻はまだ発表されていませんが、当日の新千歳発茨城行きの飛行機で間に合うかも。 10月は19日京都・22日鳥取・26日徳島だから、関西あたりでミニキャンプなんでしょうか。
2011年04月14日
東海村で臨界事故があったあと、週刊金曜日では20回くらいの連載で「原発亡国ニッポン」が書かれていました。 バックナンバーはもう売ってないので、図書館で読んでほしいです。 1999年10月頃から2000年3月頃までです。 井田徹治さんが書いたのを一つ紹介しておきます。 1970年に定められた核燃料施設の安全審査指針には「誤操作などにより 臨界事故の発生するおそれのある核燃料施設においては万一の臨界 事故時に対する適切な対策が講じられていること」とある。 誤操作かどうかはともかく、臨界事故を起こしたJCO東海事業所の施設は 明らかにこれに違反する。 ところが、科学技術庁も原子力安全委員会もこれを見逃した。 事故が起こった沈殿行程では「行程に入れる前に前行程で得られた 硝酸ウラニル液の濃度と液量を測定することで安全質量以下であることを 確認するので安全上問題はない」とする業者の説明を鵜呑みにして設置を許可。 原子力安全委員会もこれを追認したのだ。 <簡単な質疑と書面審査だけで操業を許可> 日本の原子力安全規制は、まず通産省や科学技術庁など行政が審査を行い、 原子力安全委員会がその妥当性をチェックする二重審査が建前だ。 だが、行政庁の役人にも、原子力安全委員会にも、それだけの能力を備えた人材はいない。 企業の説明を行政が鵜呑みにし、その結論を安全委員会が書類の審査だけで 追認することになっている。 原子力安全委員会は一応、独立の機関である。しかし、委員はほとんどが大学の 名誉教授クラスで、最新の知識とはほど遠い人々だ。 しかも現地調査はしない。企業から直接事情を聴取しない。重大な問題が簡単な 質疑と書面審査だけで決められている。 つまり独立機関というのも名ばかりだ。 委員会室も事務局を務める科学技術庁のなかにある。 1995年の旧動燃(現・核燃料サイクル機構)のもんじゅ事故後、原子力安全委員会の 独立性を問う声が上がったのに対し、科学技術庁が、原子力局と同じ階にあった 委員会室を、別のフロアーに引っ越しさせ「独立性を高めた」と言って、世間の失笑をかったことすらある。 もんじゅ事故を受けて、中川秀直科学技術庁長官(当時)が「安全委員会を 公正取引委員会のような強力な独立機関にする」との案をぶちあげたことがある。 長官の頭にあったのは、米国の原子力規制委員会(NRC)だ。 3000人以上のスタッフを抱え、立ち入り検査や告発などの強力な権限を持つ。 だが、当時の科学技術庁は消極的。通産省と業界の反発も強く、実現しなかっった。 ある業界関係者は「NRCの権力が強すぎたことが米国の原子力開発をストップさせた一因。 強力な第三者機関より、企業と日常的に付き合いのある行政庁の方がはるかにやりやすい」と語った。 97年、原子力産業が開いたシンポジウムでNRCのジャクソン長官は「創設当時は 抵抗が強かったが、企業との緊張関係が生まれ、市民への情報公開も進み、 米国の原子力安全のレベルは向上した」と語った。 もんじゅや旧動燃再処理工場の爆発事故など、大きな事故のたびに同じ問題が 指摘されてきたにも関わらず、原子力推進側と、規制側が同じ省庁に属する状況は変わらない。 これでは泥棒に十手を持たせるようなものだ。 市民の信頼など得られるはずもなく、実効ある安全規制など望むべくもない。 事故直後から科学技術庁の関係部局の部屋には「関係者以外立ち入り禁止」の 張り紙がされ、クラブ詰めの記者さえ部屋に入れなかったという。 企業の話には耳を傾けても、市民の側を向こうとしない役者。 実体のない原子力安全委員会。 そこに日本の原子力開発が抱える最大の不幸と事故が続出する原因がある。
2011年04月09日
昨日はハトムギご飯を炊きました。岩手県産のハトムギです。普段は玄米を食べているのですが、ハトムギや十六穀米のときは白米と一緒に炊いています。 健康を考えてとかではなく、この味が好きだからです。 イオンでこの岩手産のを売っています。 ハトムギはイボ取り効果もあり、実際にイボが取れたことがあります。 漢方ではハトムギのことをヨクイニンと呼び、イボ取りの他、関節痛・神経痛・筋肉痛などにも応用されています。 イボの治療はハトムギの他、暗示療法がとても良く効くなど、不思議なものです。 岩手といえば、昨日は田老の話をしましたが、27年前に田老に行った帰り、東北新幹線に乗ったら車内でホヤの薫製が売っていて、とても気に入り、東北新幹線に乗るたびに買っていました。 同じのを大宮駅のキオスクでも売っています。 そういえば、昨日は寝台特急はくつるのことを書きましたが、グルージャ盛岡は白鶴ですよね。 鉄道マニアなのに、昨年の天皇杯のとき、気が付かなかった。
2011年04月08日
三陸鉄道は場所によっては壊滅的被害を受けてます。 この写真は宮古から30kmくらい北の田野畑村の島越駅です。27年前に私はこの駅で降りました。 高架橋が津波で倒壊したのです。 鉄筋コンクリートの高架橋が倒壊するものかと思いましたが、複線だったなら幅がある分、津波で倒壊する可能性は低いのでしょうけど、単線だと弱いのでしょう。 復旧には100億円は必要だそうで、とても三陸鉄道では出せる額ではなく、復旧工事のめどもたっていません。 このまま廃線になる可能性もあるわけです。 三鉄(さんてつ)が開業したのは1984年。初の3セク鉄道です。 高校時代、地理の教師が「三陸海岸の鉄道が全通したら乗りに行きたい」と言っていたので、私もあこがれていました。 私が大学卒業直後の1984年4月1日に開業しました。三鉄開業直前の鉄道地図。盛線と宮古線、久慈線の一部と、未完成部分を完成させて三鉄が誕生しました。宮古・釜石間は国鉄(山田線)のままなので、久慈・宮古間の北リアス線と、釜石・盛(大船渡市)の南リアス線に分かれています。 私は三鉄開業5ヶ月後に乗りに行きました。 当時は横浜に住んでいたので、上野発青森行き寝台特急はくつる(583系電車寝台)に乗って早朝、盛岡で降り、龍泉洞行きのバスに乗りました。 龍泉洞はすごくよかったです。また行きたいです。 龍泉洞からバスで三鉄の小本駅まで行って、そこから三鉄で島越まで行きました。 折り返して田老へ行き、旅館に泊まりました。 (ホヤが美味しかったとかは先日書きましたね) その旅館はすでに廃業していたようですが、そのあたりも今回の津波でがれきの山になってしまって悲しいです。 旅館でお世話になったご夫婦は無事だったのか、地震前にすでに故人になっているのかわかりませんが、気になります。 近いうちに見に行ってみようと考えています。 ところで、上の地図では三陸海岸にいくつも航路がありますよね。(赤い線) 皆、観光船で、近寄るカモメにパンを投げ与えて楽しむ船です。 でも、最近は人気がないのか、ずいぶん航路が縮小しています。また乗りたいものです。 岩泉線も乗りたいけど、昨年の水害被害(土砂崩れ)で、いまだに不通です。 震災復興で、岩泉線の復旧どころではないでしょうし、とうぶんダメでしょうね。
2011年04月05日
先週のFoot!はフランス紀行シリーズで、レンヌを取り上げてました。 監督は以前ガンバで指揮とったアントネッティさんです。 ガンバを去るときに稲本を連れて行こうとしてダメだったけど、10年後に獲得したから、いまでも日本でも知名度ありますよね。 稲本はレンヌではあまり活躍できませんでしたが。 日本の思い出は、「食べ物が美味しい」とか (笑 ブルターニュ名物のガレットを紹介してました。美味しそうでした。 レンヌのサポーターも紹介されていました。 練習場で選手を取り囲むサポーターは皆、男性のご老人でした。 以前、オオドサとボルドーの安宿に泊まったら、そこのカフェがボルドーのサポーターのたまり場だったのですが、皆、男性の老人だったのとダブりました。 ところで、10年以上前に週刊金曜日で原発労働者の実態が紹介されていたのですが、同じようなのを見つけました。 これは最初、私はなかなか信じることができませんでした。
2011年04月03日
6月からスカイマークの神戸便と茨城便は1往復から2往復に増便になりました。 水戸で13時か14時キックオフなら北海道から日帰りも可能になりますね。 でも、今年の水戸での試合は、たぶん平日開催になりますよね。 代替日程等の発表は4月15日のようですね。 茨城空港がいつ再開するかという問題もありますけど、6月までには再開するでしょう。 試合とは関係ないけど、羽田中部便は旅客数が低迷して廃止が決まりました。 どうせそうなるだろうと思ってました。 意外にも旭川・新千歳便は復活したけど、いつまで続くでしょうか。
2011年04月02日
プルトニウムをガブ飲みしても大丈夫、という内容が国際的批判を浴び、すぐに回収された動燃のビデオをYouTubeで見ました。 こんなひどいのを作っていたなんて、本当に驚きました。 原発推進の人たちにプルトニウムを飲んで下さいと言いたいです。
2011年03月26日
今週のFoot!はヨーロッパ紀行・ボルドーでした。 ボルドーの駅は懐かしかったし、復活した路面電車も紹介されていました。 ちなみに、ここの路面電車は、面白い第3軌条方式ですが、最初はトラブルが多かったようです。 いずれ乗りに行きたいものです。 選手の談話では、以前レイソルにいたジュシエや、Uー19に所属している古山君もいたし、なかなか見所がありました。 再放送は308chで明日9時などがありますので、見れる方は是非見てほしいです。
2011年03月21日
なぜ春分の日が祝日なのかと娘から質問があったのですが、先祖供養のためと言っても、実際は墓参りしたりお寺さんに来てもらう家は、そう多くないと、あまり納得してもらえないので、他に春分の日が祝日の国があるかと思って調べたら、ウズベキスタンなど、いくつかの国は祝日でした。でも少数のようです。 と思っているうちに思い出しました。 イースターは春分の日の後の最初の満月の次の日曜日なのでした。 だから、春分からみで祝日(イースターマンデー等)になるのは世界の大勢だといえるでしょう。 それなら日本で春分の日が祝日でも不思議ではない、と納得してもらえるかな。 ところで、毎年「今日は昼の長さと夜の長さが同じ」と、しばしばTVでアナウンサーが言いますが、実際は違います。 詳しくは春分をご覧下さい。 往診で行った先の猫です。
2011年03月14日
また一人、知っている人の無事が確認できました。 仙台の人ですが、海外にいることがわかりました。 海外のメディアは、略奪も起きないし、避難所にはゴミ一つ落ちてないし、日本人の資質は素晴らしいと絶賛してますね。 今月の試合が延期になったのは当然のことでしょう。仕方ないですね。 こんな状況でやっても、あまり楽しく見れないだろうし、不謹慎かも知れないし、中止になってホッとしました。 代替日は平日になったりして大変でしょうけど、怪我人が多いコンサには良かったかも。
2011年03月13日
まだ全員ではないけど、友人の無事の報が、次々と届いています。 でも、犠牲者がどんどん増えていくのは、本当に心が痛みます。 郡山の友人は、スーパーに食料がなく、備蓄分でしのいでいるそうですが、何も手助けできないのは歯がゆいものです。 自宅に常備しているラジオライト。ハンドルを回して発電します。携帯の充電用プラグもありますが、私の携帯(PHS)と合うのか確認してません。あとで確認してみます。
2011年03月12日
福島や仙台の友人数名とはまだ連絡がとれません。 無事だと信じていますけど、後かたづけ等で大変なことになっているのは間違いないでしょうね。 ライフラインが止まって暖房もできず、自宅にいないのかも知れませんね。 船橋の知人は、小岩で立ち往生した娘を救出に自家用車を出したら大渋滞で、10kmの距離なのに往きは3時間、帰りは8時間だったそうです。 歩いた方が早いのですが、病気があるので仕方ないのです。 仙台空港にまだ大勢が取り残されているようで大変だと思いますが、地震のときはたまたま飛行機が1機もいなかったようで、不幸中の幸いですね。 仙台空港は国内線だけで1日に82便あります。つまり、41機が着陸して出発するわけで、国際線もあわせると、ざっと計算すると、平均して常時2機が駐機していることになるのに1機も駐機してなかったのは奇跡かも知れません。 エアドゥ54便・新千歳発仙台行きは定刻通り13:50に着き、折り返しの55便・新千歳行きは定刻よりも5分早く14:25に出発(離陸は14:30~35?)だったから、危機一髪だったようです。離陸が15分遅れたら地震に巻き込まれたと思います。ちなみに、新千歳着は定刻よりも30分くらい遅れたから、千歳の滑走路の安全が確認されるまで30分以上、上空で待機したのでしょう。 伊丹発仙台行きJAL2209便は定刻だと仙台着が14:55なので、下手したら揺れている滑走路に着陸するところでしたが、なぜか伊丹発が57分も遅れて出発し、途中で地震の報を聞いて伊丹に引き返したようです。 出発してから到着するまで1時間16分なので、大阪と仙台のちょうど中間点あたりで引き返したものと思います。 国際線では台北から14:05に着くBR118便、折り返して16:15に台北へ帰る便があるのですが、これは木曜と日曜の運行なので昨日は金曜日でよかったです。 同様に北京から14:25に着いて、15:25に北京へ帰る便もあるのですが、水・土・日の運行なので昨日はありませんでした。 金曜の北京行きは14:25なので、これも危機一髪だったと思います。 地震が金曜日のこの時間帯だったのは、仙台空港においては幸運だったようです。 空港に取り残された搭乗予定者は、15:25発伊丹行きと、16:00発の新千歳行きと成田行きのようですね。
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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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