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2011年03月14日

また一人無事確認

また一人、知っている人の無事が確認できました。
仙台の人ですが、海外にいることがわかりました。

海外のメディアは、略奪も起きないし、避難所にはゴミ一つ落ちてないし、日本人の資質は素晴らしいと絶賛してますね。

今月の試合が延期になったのは当然のことでしょう。仕方ないですね。
こんな状況でやっても、あまり楽しく見れないだろうし、不謹慎かも知れないし、中止になってホッとしました。
代替日は平日になったりして大変でしょうけど、怪我人が多いコンサには良かったかも。

posted by かもめ |17:52 | その他・分類不能 | コメント(4) |

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この記事に対するコメント一覧
Re:また一人無事確認

新しいエントリーにはしないで、ここでひっそり書きます。
三陸は津波被害が繰り返されてきた土地。
田老(現在は合併して宮古市)は、1896年の津波では全戸が流失し、人口の83%にあたる1,867人が犠牲になりました。
1933年の津波では98%の家屋が流失し、人口の44%にあたる792人が犠牲になりました。
この教訓により、全長2.5km、高さ10メートルの2重の防潮堤を建設し、田老万里の長城とも言われ、1960年のチリ地震では被害を少なくし、世界的に有名になりました。
私は1984年に三陸を旅行し、開通してまもない三陸鉄道を利用し、田老の旅館に泊まりました。
小さな旅館で、当時すでに老夫婦が経営していたため、現在は廃業してましたが、美味しい魚介類に舌鼓を打ちました。
それに優るホヤは、いまだに食べてません。
旅館に泊まった翌日、この防潮堤を見学してから田老港で宮古行きの観光船に乗りました。
ワカメ入りのウミネコパンを買い、観光船に寄ってくるカモメ(主にウミネコ)へちぎったパンを投げ与えて楽しむのです。
ここでカモメが好きになり、以前の浜頓別での屋号は「かもめ歯科」としたくらいです。
このブログのIDはkamomeだし、今使っているメアドはuminekoなんです。
それだけに、田老は思い出深い場所です。
今回も防潮堤が役だったのかと思ってましたが、10メートルでは高さが足りず、街は壊滅したようです。
多くの住民は安全な場所へ避難ができたらしいですが、さっきTVで田老への津波襲来の瞬間の映像がありました。
津波が防潮堤を越える直前に、防潮堤の上を走る車がありました。
映像はカットされたのですが、残念ながらきっと波に飲み込まれたのでしょう。
まさか10メートル以上の波が来るとは思わなかったのでしょう。
でも、明治の三陸津波では田老で14.6mだったのです。
もっと早く避難してれば、と悔やまれますね。
今後の早期の復興を願っています。

posted by かもめ| 2011-03-15 20:36

Re:また一人無事確認

食べるものがあって
寝るところがあって
家族がいて
普通の生活ができて
そのうえで
スポーツが成り立つものだと
改めて感じました。

家族の安否も不明で
地震で揺れたり
日常生活もできなければ
競技に参加できるわけがないですね。

スポーツを楽しめることは
本当はすごく有り難いことなんだと
改めて実感しました。

posted by ringo| 2011-03-16 08:44

Re:また一人無事確認

おはようございます。「普通」に生活できる事の有り難さを改めて感じています。息子達にも、直接できる事は少ないだろうけど、できる事を精一杯させていただこうと話しています。

posted by キャサリン| 2011-03-16 10:36

Re:また一人無事確認

ringoさん、キャサリンさん、こんにちは。
普通に温かいご飯を食べて風呂に入って布団で寝る、普通の生活のありがたさがわかりますよね。

posted by かもめ| 2011-03-16 13:47

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