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2012年10月15日

知らなきゃよかったこと、知りたくないこと、知らなくてもいいこと

ミロのヴィーナスはなぜ人を魅了するのか。
それは失われた両腕が
彼女を美しく見せるからなのだという話を聞いたことがある。



一体、彼女の両腕はどうなっていたのか。
過去にはさまざまな検証が行われ、
リンゴを持っていたとも恋人の肩に手を置いていたとも言われるが、
それを模型にした瞬間に、
ミロのヴィーナスはミロのヴィーナスたり得なくなってしまう。



昨夜、サモトラケのニケについても
同様のシュミレーションをしている番組を見た。
失われた彼女の頭部や両腕をCGや模型にして復元していたが、
やはりミロのヴィーナス復元模型のように興ざめだった。
最初から完璧な姿で発見されていたとしたら、
それはそれで評価されただろうと思うが、
我々はもはや頭部と両腕のある姿をサモトラケのニケとは認識できない。
大英博物館で実物を見たことがあるが、
その迫力ある存在感は大きさだけのものではないと思う。



どんな姿だったのだろうとあれこれ想像すること自体は楽しいし、
今後、失われた部分が発見されれば話はまた別だが
(多分無理だと思うけど)、
ミロのヴィーナスもサモトラケのニケも、
本来の姿をわたしは知りたいと思わない。
知らなくてもいいと思っている。





たまたま見かけて、
きれいな人だな~とか、カッコいいな~とか思った人が、
偶然かかってきた電話に出て
「もっし~ぃ、今?うちサツエキぃ~。
え、まじぃ?それちょ~ヤバクね?」
とか言ってるのを聞いたら、
喋らなきゃ素敵なのにと勝手にガッカリする。
知らなきゃよかったと思う。



知りたい欲求は人間の本能である。
その逆もまたしかり。


知る努力をしないこと、
知るのを拒否することは
往々にしてマイナスの評価を受ける。
「知りたくないの」で生きていくわけにはいかない。


posted by rocket2号 |17:01 | 酔いドーレ日記 |