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2006年01月29日

RUN

 サッカーは「走る」スポーツだ。

 柳下監督は、昨年の最終戦後来季は「90分走れるヤツを使う」と公言した。
監督の掲げる「アクション&ムービング」サッカーの根底にはまさに「走る」ことにある。
 「できるだけ高い位置でボールを取りに行く」
 「ボールを奪ったら獲られないようにキープできるようにする」
 「次のプレーの予測をし、相手より1歩・2歩先に動く」
などなど・・・。

 全ては選手自身、そしてチーム全体の動きがあってこそ可能なものだ。
 とはいえ、闇雲に走ればいいというものではない。
仮にそうだとするのであれば、すべてのサッカー選手はマラソン選手に負けてしまう。
 「技術力」「予測力」「発想力」「精神力」「走力」
この5つの能力が高く、うまくかみ合っているプレーヤーこそが優秀なプレーヤーになれるのではないか?
 しかし、走力という部分は全てのプレーの原点となる部分には違いない。
 
 先日、あるコラムを読んだ。

「W杯で、アルゼンチンの選手は試合前の練習で黙々と走り続けていた。日本ならば試合前は軽いランニング程度にするであろうところを彼らは走りに走っていた。」

「今話題の名将オシム監督率いるジェフ千葉も、走るという面では他のJチームの群を抜いているのは有名な話だ。日本代表チームががトレーニングマッチでジェフの選手が代表を圧倒する場面が見られた。代表は調整の意味があったので一概に比較はできないが、圧倒的な運動量は、不足する技術力を時として補うことがある。」

 うーむ、なるほど。
やっぱり一番地味だが一番基本的な部分こそが「走ること」ではないだろうか?

「優れた技術を持つ精度の高いプレーができる選手」(技術力)
「的確な読みで試合をコントロールできる選手」(予測力)
「意表をついたプレーで相手を翻弄するファンタジスタ」(発想力)
「最後まで試合を投げないタフな選手」(精神力)
「90分走りきれる選手」(走力)

こう書いてみると、やはり走力が一番地味だ・・・。

 我々サポーターがピッチの外から試合を見ていると、「走れる選手」・「声だし、パス出しばかりで走れない選手」というのは一目でわかる。自然と走れない選手に野次が飛び始めるのは、我々サポーター自身が「走力」という部分の物足りなさを感じるからではないだろうか?
 
 走力という部分は最も地味だが、我々サポーターの眼には一番わかりやすく、はっきりと映し出される部分だ。
 当然、選手もそのことはわかっているだろう。
 プレーの内容についてサポーターからの批判も多いが、多くのゲームに出場しているキャプテン和波などは、しっかりとした「走力」が監督から評価されているのではないか?と感じる。

 2006年の「走れるコンサドーレ」に期待したい。 


posted by ykk-i |06:30 | 私的コラム | コメント(0) | トラックバック(0)

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