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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。

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aftertalk #19

2008年02月13日

clasics #19でした。
関東に住んでいた頃はサッカーしか見に行かなかった訳じゃない。時には野球とかラグビーとかバスケとか見に行ってた、ちょっとだけど。
スポーツ観戦していると雨にたたられるのはよくあることで、とりわけ記録的短時間豪雨ってやつに出くわすともう観戦どころじゃなくて、とにかく雨をしのげる場所を探すのに必死になる。

札幌の試合でも記憶に残っている雨の試合がある。最近のものなら中止になった徳島や山形の試合、古いところだと高知の柏戦だけど、自分が真っ先に思い出すのは98年の三ツ沢、フリューゲルスと戦ったときのこと。
日中も降り続いていた雨は夜のキックオフ前にいよいよその激しさを増し、ピッチは田植えをした直後の田んぼみたいにぬかるみ、雨に煙って反対側のゴール裏も見えない。ゴールがどうやって決まったのか決められたのかもよくわからないまま、1-2と負けている場面で札幌は相手ゴール前でFKのチャンスを得た。蹴るのは当時の10番、ウーゴ・マラドーナ。三ツ沢アウェイゴール裏の最前列に立っていた自分は、ウーゴがボールをセットしたときに「これは壁の外側を抜けて曲げてくる、そして決まる」と理由もなく確信した。そしてウーゴが蹴ったボールはほんとうに、低い弾道で壁の外側を巻いてGKの手をかすめ、ポストぎりぎりのコースを通って目の前のゴールに吸い込まれた。
ゴール裏はずぶ濡れのサポーターが歓喜を爆発させ、自分は勢い余ってピッチに落ちそうになった。自分の思い描いていたとおりにゴールが決まるなんて、あんな経験をしたのははじめてだった。

同じく雨の中で予想できないゴールが生まれた、という記憶の試合もある。2000年の夏の終わり、台風がやってきた小瀬の試合。このときも同じようにキックオフの時間が近づくにつれて雨脚が強まってきて、試合が始まったときにはやっぱり田植え直後のようなピッチに。自分含む数名はなぜかテンションが上がってさつま白波を飲んだくれて暖を取り試合を迎えるという体たらく。試合もボールを蹴っているというより水たまりに足を突っ込んでいるような感じで、CKのボールを取りに来た野々村がサイドラインで足を滑らせて転んで、本人もサポーターも大爆笑しながらCK見たり。
そんなときでもすごかったのは、やはりエメルソン。ボールが動かないのでドリブルも速さも生かせないと踏んだからなのか、ペナルティエリアの手前でボールを持つと右足を一閃。ボールはゴール右上隅にむかって、不思議な引力に引かれたのように吸い込まれた。

しかしなんで雨が降るとテンションが変な方向に上がるんだろうか。
ついつい盛り上がって変なコールやってはっちゃけたりとか……。


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23:57

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CONSAISM clasics #19

2008年02月12日

ちょっと間が空いてしまいましたがclasics #19です。
ワールドカップ時期で試合もなくネタもなかったので、今回も応援論の話。


チームもオフのまっただ中、新外国人は発表されず、ワールドカップはまだ開幕していない。そういうわけで、日曜の夜自分がどこにいたかというと神宮球場、ヤクルト対横浜。
おまえ虎キチじゃないかと、自分の事をよく知っておられる方々からは何か物でも飛んできそうな勢いですが、特にどちらの応援をしに来たわけではないのです。純粋に野球とそれぞれのファンの応援を見に来ただけで。
3塁側の外野席に席を確保してビールを飲みながら試合開始を迎えると、それまで小康状態だった空からぽつぽつと雨が再び降り出してきました。1回表を終えると雷鳴もとどろきだして来ました。そして1回裏が始まると雨も本格的に降り出して、たちまちのうちに轟々と音を立てて降り出しました。観客席のファンは一斉に地下の売店コーナーへ引き上げていきます。計らずも統制のとれたその動きに一瞬見とれてしまったことは秘密です。そうこうして雨が上がるのを待つうちに中止の放送があり、目的の「応援を見にいく」と言うことは果たせませんでしたが、野球だからこそのイベントというかアクシデントだよなぁ、と考えてしまいました。ふつうよほどのことがない限り雨でもプレー続行なのがサッカーだし、応援だって雨だからといって休まない。こうやって屋根の下に駆け込むのもまた一興、というわけで。
そんな日曜の夜でしたが、実は試合開始前にもう一つ、ほんの少し野球を見てきました。同じ神宮で会場を待っていると明治対法政の大学野球をやっていました。のぞいてみるとそこは法政の応援席で、昔ながらの変わらぬ光景と言うべきでしょうか、学生服を着た応援団が必死に応援をしていました。
実は自分も中学、高校と応援団をしていた経験があります。中学の時は中体連の時に合わせて毎年結成されていたのですが、そのうち2年と3年の時に応援団に入っていました。とはいえ、自分は他の部活に入っていたので積極的に応援した、という訳ではなかったですし、その当時のいわゆる不良同士の諍い(ああいう改造制服は格好の目の敵にされるのです)のような物もあったりして、ほとんど応援自体ができなかったのですが。
その後入った高校でも年に一度の体育祭のために応援団が結成されるのですが、1年の時にそれに入っていました。確か3つのチームに別れていて、自分は青組だったと記憶しています。この青組、一番「硬派」な応援をする応援団で唯一のチアリーダーなし、応援の練習は最も厳しかったものです。朝は6時半から朝練、昼休みに昼食そっちのけで練習、放課後もどこか近場の公園を見つけては日没までまた練習。しかもすべて裸足。よくもまぁがんばれたものだと今になって思います。でもその後過激な練習がたたって、腰を痛めてしまったのですが。ついそんなことを思い出していました。
ゴール裏での応援も確かにいいですが、たまにはこういう全く違った応援の形を見るのもいいものだと思います。ただそれは手段こそ違え、目的は一緒であり、つまりは応援するチームのために声をあげる、盛り上げて声援をプレーヤーに伝えて、少しでも勝利に近づけることなのだと思います。それこそが応援するということのたった一つの目的であり、それはたとえばプロ野球のトランペットとメガホン、応援団のエール、サッカーのような歌と声の応援と方法が異なっているだけなのであって。
そして神宮、法政応援団のきびきびとした動きを見ていて昔の自分を思いだしていたら、一列に整列した団員を前にして応援団長が締めの一言を言うところでした。彼の言葉をこっそり聴かせてもらっていたら、こういう言葉が聞こえてきました。
「今日はいい応援ができ、試合に勝つことができた。それは全員が一生懸命応援しただけでなく、ふつうの学生も一緒になって声を出してくれていた。だからこそ応援が盛り上がる事ができた」
そういうことです。応援が盛り上がるからこそ、声が届く。ただの流れで始めた応援であっても試合が終わる頃には手を握り、大きな声をあげて勝利を願う。それがスポーツで、それが応援というものの魔力なのだと思います。


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23:49

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aftertalk #18

2008年02月07日

世間のニュースとを全く無視して過去へと進むこのブログ、今回はclasics #18でした。時期的にGW空けに書いたってことか。この時期に試合に行ったかなあ、と考えてみてしばしのこと、ようやくナビスコで仙台に行ったんだっけと思い出した。どうも仙台の記憶はありすぎてなかなか思い出せない、もしくは昔のことすぎてもう思い出せない、もしくはいい歳になってきたので記憶力が衰えて思い出せない、どっちかだな。どっちかっていうと三つ目の可能性が最も強いんだけど。そもそも年齢の話をしているという時点で自分もいい歳こいているという突っ込みは自主規制しておこう。

仙台とか山形に行くには鉄道と車と半々ぐらいの割合で、鉄道だったら早朝の新幹線、車だったら近くに住んでいる友人に乗せてもらうかレンタカーを借りてみんなで行くか。このときは確かワンボックスのレンタカーを借りて相乗りしていったんだっけなあ。車で行くときは金がかからないように深夜集合(「じゃ、24時に八重洲口ね」と軽ーい口調で)して、そこから行けるところまでずっと下道(国道4号線)。うまくいけばそのまま仙台、うまくいかなかったら黒磯あたりで東北道に乗って北上。そしてどこぞのSAで時間調整という名の仮眠。というパターン。山形に行くときもまあだいたい同じルートで、村田JCTから山形道に乗るかどうかっていう違いくらいしかない。確か、この仙台行きの時がまさに「国道4号激混み→一向に進まなくて東北道に避難」っていう感じだったと思う。夜中の国道4号はトラックが高速でばんばん向かってきたり煽られたりでかなり怖くて運転なんてできなかったので、自分はもっぱら助手席で運転してる人を寝かせないために喋ってるのが主な役目だった。運転してるよりも、そうやって口を動かしていた方が自分も眠くならないし、RCサクセションの「スローバラード」みたいに上手く寝られない。だったら帰り道に疲れて眠るほうがいいし、そうでもしないとろくに眠れやしなかった。

もっと昔に車で遠征したとき(山形だっけか)、深夜に国道を走っていて休憩しようということになり、通りがかったファミレスに入ったことがあった。午前3時とか4時とかそれくらいの深い時間だったと思う。みんなで飯を食ったりコーヒー飲んだりしてまったりしていると、自分の後ろで若い女の人と細身のスーツを着た男の人が話している。眠気と変な高揚感で頭の中がごっちゃになっている自分たちはろくに会話らしい会話もなくぼけっと過ごしていたんだけど、次第に後ろの男女が話している内容にみんな聞き入ってしまっていた。

マルチ商法ってやつでした。

まあ、こういう経験をするのも遠征の醍醐味、ってことで。


post by retreat

23:32

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CONSAISM clasics #18

2008年02月06日

こんばんは。眠気を我慢しつつのclasics #18です。これアップしたら寝よう。
今回はテレビからネタを引っ張ってきてます。この番組、もう一度見たいなあ。


ゴールデンウイークの真っ最中、試合もなく家でテレビを見ていたら偶然にサッカーの特集番組を放送していました。
もともとテレビなんかスポーツ中継とドキュメンタリー、ニュースくらいしか見ないのでテレビ番組表なんてほとんど見ないし、最近ではワールドカップに絡めていろいろなサッカーや日本や韓国の特集番組が放送されているようですが、それらは自分の目にはあまりにも希薄で粗製濫造を感じさせるような、芸能人がにわかサッカーファンになって騒いでいるだけのようなものばかりで、そんな番組を目にすると見てもいられなくなって思わずテレビを切ってしまったりするようなものばかりでした。
しかしその日見入ってしまったその番組はワールドカップに直接関係している訳ではないけれど、サッカーやそれを取り巻く社会のいろいろな姿は自分にサッカーについて改めて考えさせられる機会になりました。
自分が見たのは、5月4日に放送されたNHKスペシャル「サッカー 地球の熱情」の第2回「熱き巨大スタジアム~ブラジル 1億5000万人のサポーター~」という番組です。この特集の舞台はブラジル・リオデジャネイロにある世界最大のスタジアム、マラカナン。そのスタジアムをホームとするチーム・フラメンゴとそこに集うサポーターの姿を、世界初のサポーター集団として結成された応援団「CHARANGA」(シャランガ)のメンバーを通して見たものでした。番組によると、「シャランガ」は現代の応援ではごく当たり前になっている旗、横断幕、楽器を用いて組織的な応援を始めた世界初の応援団で、現在ではその創立者の3代目が応援を続けています。
その創立者、ジャイメ氏がこの応援団を結成した理由は「ばらばらな応援を一つにまとめて、みんなで楽しく応援しよう」「いろいろな人たちが同じスタジアムに集まり、一緒に応援することで人生をより豊かにしよう」というものでした。その信念の下に集まったサポーターは、最盛期には千数百人を数えるまでになったということです。
そのサポーター達が伝統の応援スタイルを守り続け、フーリガンの暴動の目立つようになったスタジアムの雰囲気に心を痛めながらも応援をやめないその姿を見て、どこかのチームを応援するということは、どこにおいても始まりは同じ気持ちなんじゃないだろうかと思いました。どこからか見ず知らずの人たちがゴール裏に集まって、とにかくチームの勝利のために一緒になって声を出し、旗を振る。そのうちに集まる人はもっと多くなって、そんな人たちと言葉を交わすことも楽しくていろんな話をしたりされたりする事がとても楽しく思えるようになる。意見のぶつかり合いがあっても、どういう形にせよその壁を乗り越えてまたスタジアムで応援をする。そういうことって、世界のどこでもあることじゃないだろうか、同じ気持ちを持っている人は結構いるんじゃないだろうかと思います。
自分も初めて札幌のゴール裏に来たときは知らない人たちばかりで、自分が応援なんてできるのだろうかと不安な落ち着かない気持ちだったのを覚えています。けれども、気軽に声をかけてきてくれたゴール裏の人たちのおかげで、最初から精一杯の声で応援することができ、ゴール裏の一人として応援できたこと、そして応援してチームが勝ったことが素直にうれしく思えました。それは大学に入学し、上京してアウェイの応援中心になってからも同じ事で、アウェイのサポーターの人たちに随分とお世話になったものだと思います。サッカー以外でもいろいろな話をして、それは今の自分を形成する一つの大きな要因になっていることは間違いないものになっています。
そういった最初の記憶を持っているから、初めて応援する人たちにもそういった楽しい気持ちをもって欲しいし、それをきっかけにしてまたその人自身の人生が豊かになってくれればいいなと思います。正直に言って、そうして応援していくうちにいろいろな悩みやつらさを感じる事もあるでしょうし、不満を持つこともあるかと思います。それでも、最初にゴール裏に来た時の、最初にみんなと一緒に声を出したあのときの記憶を思い出して、乗り越えていければなと、思っています。

参考リンク「NHKスペシャル」 
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/02/l0005/l0504.html


post by ishimori

23:21

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aftertalk #17

2008年02月04日

clasics #17でした。名古屋戦のはっちゃけぶりからちょっと落ち着いた感じになってます。

あのあとすっかり負け続きだったから勝った思い出もネガティブな方向に持っていってしまうのはしょうがないというのか、根がこういう性格だからか。時期的にはナビスコで柏に何もできずにまた負けた(ロースコアだったが試合内容はぐだぐだ極まりなかった)後あたりに書いたと思う。柏の葉に行ったらちっとも人が並んでないのにえらく気が抜けた。ナビスコ予選リーグなんて昔からそんな感じだと言ってしまえばそれまでなんだけど、気合い入れてきたはずの肩の力がごっそり抜けた。そして例によって試合内容はよく覚えていない。まあこれだけ年月が経ってしまうと試合内容なんてさっぱりと忘れてしまうものだけど、ゴール裏のことだけは覚えているのがなんというか。確か試合開始直後まで誰かが女の子に変な絡み方をしていて、ゴール裏にいた他の人がそいつを引き離して連れて行ってというトラブルがあった。あの時の柏の葉に限らず、試合前に何らかのトラブルがあるとテンション落ちるなあ。大小を問わずにトラブルというか事件というかはゴール裏にいたらどこかであるものだけど、こういう風にサッカーとか応援とか関係ないところで何か起こってしまうのがいちばん参った。応援に関する議論なんてのはなんぼでもできたんだけど、それ以外のところではもうほんとにノータッチっていうか関わりたくなかった。応援のこととサッカーのことで頭がいっぱいだったし、良い意味でも逃げという意味でもそれ以外のことは考えたくなかった。幸い、周囲の人たちがいろいろと気を遣ってくれたおかげで自分はそういう状況に放り込まれることはなかったんだけど。

そんなモヤモヤがあったのか、今回の話も過去の思い出話に逃げてるところがある。ゴール裏で昼寝ができたっていうのは97年の愛鷹のこと。沼津からタクシーに乗ったらこれがまたのどかな雰囲気の漂う山の中の競技場で、札幌ゴール裏に集まったサポーターも、グラウンドの札幌選手より少ないくらい。春の日差しを浴びてみんなほのぼのした雰囲気で、選手が練習に出てくるまではヒマでヒマでみんな芝生に寝っ転がって昼寝して、選手が出てきたところでやおら起き出して応援するという。今となっては、トップチームの試合でもうあんな空気は味わえないだろうなと思うと少し寂しいという気もする。多分にノスタルジーとロマンチシズムが含まれすぎている気持ちではあるけど、否定はしない。それほどにあの時の空気は幸せなものだったから。


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23:07

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CONSAISM clasics #17

2008年02月01日

前回と話の内容がちょっと繋がってるclasics #17です。
苦しんでるなあ、俺。


早いもので、社会人になってからあっさりと一年が過ぎてしまいました。最初に「やるぞ!」と意気込んでいた自分の気持ちも、いい意味でやっと落ち着いてきたのかなと、ともすれば気合が空回りしてしまいそうなほど目を輝かせている新入社員の姿を見て思います。
同時に、自分がアウェイのゴール裏に足を踏み入れて丸5年、チームができたときからゴール裏にいたので合計丸6年という歳月が過ぎてしまっていました。この年月をを指折り数えてみたらちょっと衝撃でした。こんなに長い間なのに、あっという間のことだったなぁと思います。
昔のアウェイゴール裏は本当に人がいなくて、選手の数よりも少ない人数で応援していたなんてことは当たり前でした。それが今ではアウェイだけでも数百人のサポーターが集まるようになって、シーズンの開幕戦や大一番の試合にはホームからのサポーターも併せて1,000人規模に手が届こうかというところまでに大きくなっていました。よくここまで増えたなぁ、というのが率直な感想です。
アウェイのサポーターがまだ少なかった頃は、行ける試合に行くことはもちろん「札幌のサポーターを増やしたい」という思いも大きく、一人で来ていた人に声をかけて一緒に応援したり、フリーペーパーなどでアウェイをアピールしたりしてきました。そうした結果、価値観の違ういろんな人たちが集まって、一つの目的のために応援する、札幌ならではのゴール裏のスタイルが出来上がってきたと思います。そしてそういうゴール裏は、当時の自分にとっては一つの理想であり、また夢でもありました。

そうして現在、今のアウェイのゴール裏もそういった良いところを残したまま存在しているし、昔よりももっと力になれる応援をできていると思います。今までよりも、選手の、チームのためになれる応援をすること。試合に勝つための応援をすること。それもまた一つの現在進行形の夢なのですし、いままで自分たちはその信念を第一に考えて、ここまでやってきたのだと思っています。時折古くからのサポーター仲間と飲みながら、昔のアウェイのゴール裏の話で盛り上がることがあります。初めて会ったときのこと、ゴール裏で昼寝ができたほどのどかだったスタジアム、寝坊してタクシーを飛ばしてえらい目にあった試合、良かった応援、悔しかった応援、いろいろな思い出。
でもそれらは決して懐古主義ではないのです。「昔は良かった」なんて本気で思うことはないし、思うところがあってもそれはまた別の次元での話です。昔のことは昔のこと、今の自分たちの応援が最良の形だという信念をみんな持っています。そうなるように努力してきたのですから。

最近はチームの成績がまったくもってさっぱりなせいか、今までの応援のスタイルよりも即物的、瞬間的な楽しさに走っていくような感じがあるのも確かです。でも、それだけで自己満足こそ得られるのでしょうが、考えてみるとそれは試合に勝つために応援するという本来の目的から離れてしまっているような、地に足がついていないような感じがして
なりません。当意即妙な応援がゴール裏の雰囲気を柔らかくする、という効果もあるにはあります。しかし、それはタイミングを違えるとただの野次になって、かえって雰囲気を悪くしてしまったりもするのです。だからこそ周囲の雰囲気や試合の流れを感じ取って、自分のとった行動に責任を持って、応援を起こしていかなければならないと考えたりしています。楽しく応援したい気持ちも分かりますが、現在はまず勝利を優先するべきであるし、そのためのゴール裏の存在なのではないだろうか、なんて思っているこの頃です。
カップ戦であれ、リーグ戦であれ、何よりも一番のことは勝つこと。そのためにまず声を出すのが大事なんじゃないかな、と思います。


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23:47

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aftertalk #16

2008年01月31日

clasics #16をお送りしました。

まあ、現場からも離れた位置にいるんで応援がどうとか歌がどうとか言う気はない。あえて言うならこれを書いてから応援のバリエーションもタイミングも良くなったってことくらい。

どんなチャントを作ろうかとかアウェイ時代はあんまり考えたことがなくて、それはホームの応援スタイルを主流としてやっていこうということを考えていたからこそ何もしないということもあったし、それよりも才能がなかったというのも……(カジヒデキの曲を提案したら却下されたこともあったっけ……)。海外リーグの応援なんかもよく知らなかったし、見ている限りでは札幌に導入できるようなものも見あたらなかった。ワールドカップの盛り上がりとともにタイアップされる楽曲には耳もくれず、聴いているのは応援とは無縁の曲ばっかりだったし。何を聴いていたんだろうかね、と昔のMDを探していたら小谷美紗子やら川村結花やら電気グルーヴやら……音楽的趣味と応援とは結びつかないものだったようです。でもサッカーを見るようになってoasis聴き始めたりしたなあ。

応援とは結びついていなくても音楽を聴くのは好きで、遠征の時は最初はウォークマン、そのつぎはMD、今ではiPod。文明の進化を感じるねえ。10歳の時にはじめて買ったウォークマン(的なもの)にオフコースのカセットテープを入れて毎日聴いてたり、塾の行き帰りにガンガンとテクノをかけてたり。MDは確か99年あたりにMDラジカセと合わせてシャープのを買ったんだけど電池があまりにも保たなくて毎日充電してたら2年くらいであっさりと壊れて、MDウォークマンを買い直した。これもガム型充電池を入れるところが壊れてしまって、外付けの電池ボックスをつけたままで持ち歩くようになってしまった。どこに行くにも音楽が一緒。鞄の中にはMDがいつも5枚くらい入っていて、それが遠征になると10枚近くにふくれあがるので荷物をまとめるのに苦労したとか。これだけ聴いてても音楽的才能っていうのは育たないなあ、やっぱああいうのは天性のものなのかね、とチャントを考えるときに困ったこともあった。自分のアイデアで今でも歌い続けられるようなチャントを作りたかった、という気持ちもあったけど、自分の役目ってそっち方面ではなかったんだろうと今では思っている。

応援スタイルの流行り廃りのサイクルがえらく早かった昔だけど、数年前からは落ち着いてきたのかなと思う。札幌だけでなく、Jリーグ全体を見て。「これがウチ」っていうスタイルがチームごとにだんだんできてきたんだろう。あと、ひとつのチャントがだんだん長くなってきているというのも感じる。あくまでもそれがいいのか悪いのかどうかは別としてということだけど、ってこう書くと今の応援が悪いなんて意味に取られてしまうな。でも昔と比べれば良いですよ。少なくとも自分がリードを取っていた当時よりは勢いも流れもある。試合の流れを作るという意味では、今の方が格段に上だろう。
つまりは自分も歳を取った、そういうことだ。なんだかユニコーンの「すばらしい日々」みたいな境地。


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23:31

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CONSAISM clasics #16

2008年01月30日

clasics #16、今回はヒマネタ第2弾。
音楽とサッカーにまつわる話です。


たいてい通勤の時はヘッドホンステレオで音楽を聴いています。本を読んでいるときもあるのですが、そのときも耳にはヘッドホンが刺さったままです。それにラッシュの混雑の時には本なんて読めないので、約一時間電車の中の手持ちぶさたを解消するにはちょうどよいのです。
聴いているジャンルは広く浅く様々に。洋楽邦楽ポップスにロック、クラシックからテクノまで。ちなみに今日はとあるブラジル歌手のボサノバを聴きながらの行き帰りでした。
最近CDショップに行くと、やはりワールドカップというイベントが浸透しているのかいろいろとサッカーに関係した曲を見つけます。有名どころではChemistryが日韓歌手のコラボレーションに参加し、ワールドカップ公式ソングを歌います。ゴスペラーズは「エスコート」という朝日新聞FIFAワールドカップキャンペーンソングをリリースしましたし、タイトルだけで言うならDragon Ashの新曲は「Fantasista」ですし、マイナーなところでいうとカジヒデキも「Footballing Weekenders」なんて曲をリリースしました(ちなみにこのときは、カジヒデキを買ったのですが)。いつの間にかいろんな音楽ににサッカーが入り込んでいるなぁ、とCDショップで考えました。

応援にも音楽性がないとしまりがない、というかリズムを作れない感じがしてもどかしいしつまらないのですが、他のチームの試合や応援を見ているとなかなか独自のスタイルを感じさせるものがあって、いろいろと勉強になったりします。仙台はパンクっぽさを感じさせるし、東京は「東京」にまつわるいろいろな歌謡曲を織り交ぜていたりします。清水は言わずとしれたサンバのリズム。その原曲をしり、そこからまた自分の音楽の趣味の幅が広がっていったりもして楽しいものです。
かといって特徴ある応援だけが耳に残るかと言えばそうでもないもので、たとえば声の勢いで押される浦和や鹿島なんかも、実際アウェーで体感したときは想像以上に気圧されたものでした。そんなものに影響を受けつつも、札幌のゴール裏は「札幌」の応援を築き上げてきたし、これからも築き上げていくでしょう。
昔の札幌のゴール裏も当初はいろいろな歌を歌ってきましたが、98年あたりからは独自性が強く出てきたように思います。それまではフレーズの短い、繰り返す感じのものが多かったのですがこの時以降から長いフレーズで、長めの歌が出てきました。また、ホームの利である観客の多さを活用してわかりやすい、シンプルさを重視するスタイルができてきたと思います。それ以降もいろいろな歌が出ては消え、消えては出てと繰り返しつつ、あの「俺達の誇り 赤黒の勇者・・・」の歌が出てきました。自分はこの曲がすごく好きなんですが、室蘭での道内開幕戦、さらに自分の魂を揺さぶられるような歌がテレビから聞こえてきました。「何も恐れず 胸を張り戦え」という、あの歌です。本当にまっすぐに戦う気持ちを出して、真っ直ぐに歌う声に一瞬試合を忘れて音に集中してしまうほどでした。
 
応援歌の世界にもはやりすたりがあっていろいろな歌が出ては消えていき、自分で考えたものでも札幌のゴール裏には合わずに泣く泣く使うのをやめたものも多くあります。
自分で考えてまともに使ったのは2000年の「VIVA!エメルソン!」のコールくらいじゃないでしょうか。だからこそ、そういう時代の流れを乗り越えて歌い継がれる歌というのはとても強い歌なんだと思います。
どこのチームが同じ歌を歌っている、とかセリエAの中継で同じ歌を聴いた、とか言う声も聞こえる事がありますが、けれどもそれはメロディーこそ同じであれ、札幌のサポーターが札幌のために考え出した歌。札幌の勝利のために歌う歌。一番大事なのは勝利を信じて歌うことなのだと思います。いろんなサッカーの中で歌われる中から吸収してきたリズムやメロディーであっても、それが札幌のゴール裏で歌われる時には間違いなく札幌の歌なのです。まだまだ札幌のスタイルとして築き上げなければならないものがたくさんあるからこそ、いろんなものを吸収することも大事なんだと思います。
 
さて、実は室蘭で歌われた新曲を自分はまだ歌っていません。次に自分が向かうは柏の葉、ここで思いっきり歌って、チームのために力になれればと思います。
 
 


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23:09

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aftertalk #15

2008年01月29日

clasics #15でした。
正直こないだパラグアイネタを書いたので書くこともあんまりないような気もするが、まあ「『パラグアイ』という言葉をご存じの方はいらっしゃるでしょうか?」という出だしはまるっきりアホだと思う。

でもまあ前回書いたときにうろ覚えだった「パラグアイ」の由来がここを読んでちゃんと思い出せたので良かった。過去のものはじっくり読むということもなくデータを掘って載っけているので。コパアメリカで4失点したことなんてすっかり記憶の彼岸に飛んでってましたよ。この「cllasics」のデータは最初FDDに取ってあって、もうFDDなんて使わないやーと思ってUSBメモリに移しておいたものを使ってる。ちゃんと一回ずつテキストデータとHTMLを保存してた。自分で書いたものは気恥ずかしかったりして保存しない質なんだけど、コンサイズムの原稿だけは取っておいてあるっていうのは当時の自分にとっても大事だったということなんだろう。探している途中で大学時代のレポートとか卒論が出てきたけど、あまりにも酷い出来だったので見なかったことにした。書いていたのは家のパソコンと、ちょこっとだけモバイルギア。どっちにもATOKを入れて「WZ EDITOR」というエディタでずっと書いていた。今でも同じエディタを使ってる。

当時のパラグアイの映像とかコパアメリカの映像なんて残ってはいないからどういうふうに、というのが上手く例えられないのだけど、アルゼンチンリーグでボカの試合なんかを見ていると、ゴールが決まったときに見にくいからゴール裏の上の方に固まっていたボケンセたちがわーっと駆け下りてゴール裏の金網に一斉によじ登るような感じ。YouTubeあたりで探せばそういう動画もあるんだろうけど、探すのは一苦労なので。ゴールが決まったときの高揚とか、感情の爆発とか、そういうのはどこの国でも一緒なんだなあと思う。けれどももっと喜びたかったから、ああいう「仕込み」をしたんだろう。結局パラグアイができたのはあの一試合だけだったんですけどね……。


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23:36

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CONSAISM clasics #15

2008年01月27日

大雪が降ってもclasics #15です。
今回の話はaftertalk #13でも触れた「パラグアイ」の話が元ネタ。


「パラグアイ」という言葉をご存じの方はいらっしゃるでしょうか?
国としてのパラグアイの事なら結構知っている人たちも多いかと思います。南アメリカ大陸の中心部にあり、南をアルゼンチン、東ブラジル、北ボリビアに囲まれた内陸国で、人口は約500万人、面積は40万6752平方キロ。もちろん南米なのでサッカーは盛んで、今年行われるワールドカップにも出場が決定していて、有名な選手といえば一も二もなくGKチラベルト。ちょっとさかのぼると、日本でプレーした選手としてはJリーグ発足当初横浜フリューゲルスで活躍したアマリージャ、2000年に川崎に所属していたアルバレンガ。最近では日本からも広山望がセロ・ポルテーニョへ、武田修宏がスポルティーボ・ルケーニョへ移籍しています。

でも今日の話は国としての「パラグアイ」ではなくて、行為としての「パラグアイ」。

1999年、日本はコパ・アメリカ(南米選手権)に初出場し(予選敗退でしたが)、札幌サポーターとしては当時所属していた吉原宏太が途中召集され、出場された事を記憶している方も多いと思います。その吉原が途中出場した地元パラグアイでの試合、日本は0-4と惨敗を喫しました。今となってはどんな試合だったか記憶もおぼろげですが、一つだけ覚えているのがスタンドの様子でした。
テレビで見るとゴール裏にはあまり人がいません、というかみんなスタンド上方に固まって試合を見ているのです。そしてパラグアイが得点すると、そのたびにファンが一斉にゴール裏最前列に雪崩れ込み、それだけで満足しない人はそこからさらにゴール裏の金網をそろって上りだし、それはもう暴れているのか喜んでいるのかわからないくらいの驚喜っぷりを爆発させていたのです。パラグアイが4得点したので都合4回、きっちりと得点の度にゴール裏最前列へ一斉に駆け下り、驚喜し、ひとしきり喜ぶとまたぞろぞろと上へ戻っていってまた応援する。そんな光景が自分にはとても衝撃的でした。その後、同じ試合を見た人たちとひとしきりその話で盛り上がり、「札幌のゴール裏でもやってみたいねぇ」なんて言いつつ応援していました。しかし実際ゴール裏の上方に陣取って「狙って」みてもそううまくいかないのがサッカー、盛り上がるような同点ゴールや逆転ゴールなんて決めてくれないことの方が多かったと思います。つまり「仕込み」をしてはことごとく失敗していたわけです。他のチームのサポーターも同じ事を思っていたのかは知りませんが、得点すると圧死するんじゃないかと思うくらい一斉にゴール裏の最前列に押し寄せる光景をいくつか目にしてきました。そういうことがあって、「得点したらゴール裏最前列に一斉に押し寄せて喜ぶ」という行為を、「パラグアイ」と仲間内で称するようになったのです。
 
そして先日の名古屋戦。久々にその「パラグアイ」をやりました。それも「仕込み」で、そして4回も。
前半をどうにかしのいだ札幌が速攻から和波の低いクロス、小島の飛び込みがオウンゴールでの先制点を呼び込みます。その瞬間自分は全速力でスタンドを駆け下り、ゴール裏の柵に上って思いっきりガッツポーズ。でもこのときはまだその場で喜ぶの人の数の方が多くて、駆け下りたのは十数人くらいでしょうか。
そして小倉のポストから山瀬の強烈なシュート、2点目。さらに勢いを増して駆け下りる自分。自分たちが「パラグアイ」をしていたのがわかった人たちがそれに続いて、先制の時よりもさらに多くの人が雪崩れ込み、拳を突き上げるその向こうにあまり感情を露わにしない山瀬が思いっきり吠えています。
さらに同じく小倉と山瀬のコンビネーションからキャプテン森下が抜け出して3点目。さっきよりもまたさらに人数も速度も増して雪崩を打って駆け下りるゴール裏サポーター。それに呼応するように警告が出るとわかっていながらもゴール裏に駆けてくる森下。こうなるともう止まりません。続々と最前列に駆け下りて森下と喜びを分かち合います。そしてぞろぞろと元の場所に戻りながら歌い出す「Yellow Submarine」。気分は最高。
完璧に「勝ちモード」に入って、最後は余裕も少し入った、マフラーを掲げながらの「GO WEST」。その間にもじりじりと最前列へと下がり出すゴール裏。審判の笛が3度響いて、マフラーを回すなんてもどかしいと言わんばかりにみんな最前列へと駆け出して、選手を迎え、一緒に喜ぶ。今期初勝利という事もあって訳の分からないうれしさがこみ上げます。そんな瑞穂のアウェイゴール裏でした。
 
さて、今年は何度「パラグアイ」ができるのか・・・。
その前に、何度もできるように、チームが勝つために応援しないと行けませんが、もしも気持ちのわき上がるようなゴールを決めてくれたら、自分はもうたまらなくなって駆けて行くんでしょう。
 
あ、くれぐれも怪我しないでくださいね。


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21:44

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